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19/30

第19話 5周年の奇跡、ステージ上の結婚式



 その夜、日本最大級のコンサート会場である国立スタジアムは、物理的な「熱」によって揺れていた。

 五万人を超える観客。十万本を超えるケミカルライト。

 『みくりの』結成五周年を記念するラスト・ワールドツアー日本公演。

 空にまで届きそうな地鳴りのような歓声が、ステージ裏の狭い通路にまで押し寄せてくる。


「――梨乃。指輪の準備は、いいかしら」


 桐島美玖は、漆黒のベルベットに純白の刺繍が施された、騎士の礼服を思わせる衣装に身を包んでいた。

 その指先には、衣装に隠された小さなポケット。

 そこにある銀色の輝きを、彼女は何度も指先で確認する。


「うん! バッチリだよ、美玖先輩♡」


 梨乃は、対照的に繊細なレースを幾重にも重ねた、可憐なウェディング風のドレスを翻した。

 背中を大きく開けたその衣装は、彼女の白い肌をより一層際立たせ、見る者すべてを惑わすような「毒のある天使」そのものだ。


(――今日の演出は、究極の『百合営業』。ライブのクライマックス、新曲のラストで私たちが指輪を交換する。これはあくまで、五年間応援してくれたファンへの感謝を込めた『儀式』という名のパフォーマンスよ)


 美玖は、激しく叩く自分の心臓を宥めるように深呼吸をした。

 

(ファンは狂喜し、スタッフは満足し、世界はこれを『最高の演出』として賞賛する。その陰で、私たちが本物の愛を誓い合っているなんて――一ミリたりとも、誰にも気づかれるはずがないわ!)


 美玖は内心で、完璧な隠蔽工作の勝利を確信し、氷の姫としての冷徹な微笑を浮かべた。


「……ねえ、美玖先輩。今の顔、すっごくかっこいい。……食べちゃいたい」


「……っ。梨乃、お喋りはそこまでよ。……行くわよ。五周年の、最高の『嘘』を完成させましょう」


 美玖が手を差し出し、梨乃がその手に自分の指を絡める。

 暗転したステージ。

 二人の足音が、銀河のような光の海へと踏み出していった。


 ***


 コンサートは、まさに伝説の領域に達していた。

 美玖の気高くも力強いダンス。梨乃の甘くも鋭い歌声。

 五年間で磨き上げられた二人のコンビネーションは、もはや「他人」であることを疑わせるほどの親和性を放っている。


 そして、ついにその時が来た。

 本編ラストナンバー、新曲『Secret Wedding』。


 パイプオルガンの荘厳なイントロが流れ、ステージ中央のせり上がりから、二人が現れる。

 会場のボルテージは最高潮を超え、悲鳴にも似た歓声がドームの屋根を震わせた。


 二人は見つめ合い、交互に愛の言葉(歌詞)を紡いでいく。

 

「――誰にも言えない秘密を、お墓まで持っていくわ」


「――世界中が敵になっても、君の隣で笑ってるよ」


 美玖の歌声に、梨乃がハモりを重ねる。

 その瞬間、美玖は梨乃の瞳の中に、自分だけしか知らない「獲物を前にした捕食者」の熱を見た。


(ああ、梨乃。……あなた、今、本気ね? これは営業よ。……でも、あなたのその目を見ていると、私も……!)


 曲の間奏。

 美玖が膝をつき、梨乃の左手を取った。

 会場中に設置された巨大モニターに、二人の手元が超クローズアップで映し出される。


 美玖は、ポケットから指輪を取り出した。

 それは、美術スタッフが用意した「小道具」のはずだった。


 だが、美玖の手元にあるのは、先月、二人で変装してパリの裏通りにある老舗宝飾店で購入した、本物のプラチナ・リング。

 

(……誰も気づかないわ。五万人のファンも、カメラマンも、この指輪が十カラットのダイヤモンドをあしらった本物の婚約指輪だなんて、夢にも思わないはずよ!)


 美玖は、震える手で梨乃の薬指にその輪を滑り込ませた。

 梨乃が、小さく息を呑む。

 続いて、梨乃が美玖の指に、お揃いの指輪を嵌める。


 触れ合う肌。

 五万人の視線を浴びながら、二人は至近距離で、マイクにも拾われない声で囁き合った。


「……梨乃。一生、私のものよ」


「……当たり前でしょ、美玖。……愛してる。死んでも離さない」


 二人の唇が、触れ合う寸前で止まる。

 

 ――ッシャアアアアアン!!


 特攻の銀テープが会場中に弾け飛んだ。

 

 五万人のファンが、一斉に発狂した。

「ぎゃああああああああ!!」

「みくりの!! 結婚しろ!!」

「もうしてるだろおおおおおおお!!」

「ごちそうさまです!! 死にます!!」


 会場中が、祝福という名の狂乱に包まれた。

 その中心で、二人は完璧なアイドルスマイルを浮かべ、誇らしげに重なった手を高く掲げた。


(ふふ……完璧だわ。この歓声こそ、私たちの『演出』が成功した証拠。ファンのみんな、まさか今のが『本物のプロポーズ』だったなんて、誰一人として疑っていないわね!)


 美玖は、勝利の美酒に酔いしれるように、光の海を見渡した。


 ***


 ステージ袖。

 モニターを凝視していたマネージャー、佐々木恵は、もはや胃を通り越して全身の関節が痛んでいた。


「(……あの指輪、どこからどう見ても、昨日二人がニヤニヤしながら磨いてた私物じゃないのよ……。美術さんが用意した安物のメッキ指輪、あそこに捨ててあるわよ……)」


 佐々木は、足元に転がっている「本物の小道具」を虚ろな目で見つめた。


「(マイク切ってるつもりでしょうけどね、美玖さん……。あなたたちのワイヤレスマイク、私のレシーバーには全部届いてるのよ。『一生私のものよ』なんて、どこのヤンキーのプロポーズよ……)」


 佐々木は震える手で、新品の胃薬の箱を二つ同時に開けた。

 その背後では、演出家やスタッフたちが抱き合って涙を流している。


「最高だ……! あんなに魂の籠もった指輪交換、俺の演出人生で初めてだよ……!」


「指輪の輝きが、安物とは思えないほど神々しかったな……。あれ、もしかして本人たちが私物でグレードアップさせたのか? プロ意識が高すぎて泣けるぜ……」


「(……プロ意識じゃないわよ。……ただの私情よ。私情120%の、ただの公開入籍よ……)」


 佐々木のスマホは、既に異常な振動を繰り返していた。

 SNS上では、ハッシュタグ「#みくりの結婚式」が、秒速で世界トレンド一位を駆け抜けていた。


『【速報】みくりの、国立ドームで五万人を証人に挙式。』

『指輪を嵌める美玖様の手、ガチで震えてたぞ。あれは演技で出せる震えじゃない。』

『梨乃ちゃんのあの蕩けるような顔、見た? あれは「今夜のディナー楽しみだね」の顔じゃなくて「今夜の初夜楽しみだね」の顔だよ。』

『ファン全員が親族として参列した歴史的一日。お祝儀はどこに振り込めばいいですか?』

『#みくりの結婚しろ #というかすでに誓い合った』


 ファンの考察班は、既に二人の指輪がフランスの老舗ブランドのものであることを特定し、その価格と「意味」を解析して祝杯をあげていた。


 ***


 コンサート終了後。

 二人は、熱狂の冷めやらぬ楽屋に戻ると、即座に鍵を閉めた。


「……ふぅ。美玖先輩、お疲れ様! すごかったね、今日の盛り上がり!」


 梨乃が、汗で張り付いたドレスのまま、美玖に思い切り抱きついた。


「ええ。……私たちの五年間が、あの瞬間に集約された気がするわ。……梨乃。あなたの指に、あの指輪が光っているのを見て、私……本気で泣きそうになってしまった」


「あはは、美玖先輩、目がウルウルしてたもんね。……でも、よかった。みんな、あんなに喜んでくれて。私たちの『最強のビジネス百合』、ついに伝説になっちゃったねっ♡」


「ええ。完璧な五周年だったわ。……誰も、私たちがあの指輪をこのまま外さずに、明日一緒に役所へ行く予定を立てているなんて、気づくはずがないもの」


 美玖は、梨乃の指に輝くプラチナを愛おしそうになぞり、そのまま彼女をソファへと押し倒した。


「……梨乃。アンコールは、まだ終わっていないわよ」


「……望むところだよ。……旦那様♡」


 二人の唇が重なる。

 

 楽屋の外。

 佐々木マネージャーは、ドアの前に「関係者以外立ち入り禁止(マジで入るな死ぬぞ)」という巨大な看板を立て、その前に座り込んで胃薬を噛み砕いていた。


「(……役所。……明日、役所に行くって言ったわね、今。……婚姻届、もう書いてあるのね。……私のスケジュール表に『午前中:重要任務(極秘)』って書いてあったのは、それの付き添いなのね……)」


 佐々木は、空になった胃薬の袋で折り鶴を作り始めた。

 

 世界で一番嘘が下手な「隠蔽」と、それを全力で「営業」だと思い込んであげようとしている世界。

 二人の秘密は、五万人の祝福を浴びて、もはや隠す必要のない、まばゆいばかりの真実へと昇華された。


「……梨乃、愛してるわ。……これからも、最高の『ビジネス』を続けましょう」


「うん。……世界中を騙して、死ぬまで一緒にいようね、美玖」


 五周年の奇跡は、まだ終わらない。

 明日の朝、マネージャーが用意するタクシーの行き先が「区役所」であることを、二人は「完璧な秘密のデート」だと信じて疑わなかった。

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