第18話 義母来襲!? 母だけが知る幼い恋心
その日の『みくりの』専用楽屋は、これまでにない「戦場」と化していた。
不仲説を払拭するための『過剰な営業』を終え、ようやく一息つこうとしたその時、楽屋のドアが遠慮なくノックされたからだ。
「はーい、梨乃! 入るわよー!」
返事を待たずに入ってきたのは、華やかなワンピースを品良く着こなした女性だった。
大きな瞳に、どこか悪戯っぽい口元。
それはまさに、あと二十年もすればこうなるであろう、未来の早乙女梨乃の姿そのもの。
梨乃の実母、早乙女香奈恵である。
「お、お母さん!? なんでここに……!?」
梨乃が素っ頓狂な声を上げた。
隣にいた桐島美玖は、一瞬で背筋を鉄板のように伸ばし、顔から一切の感情を消した。
(――来た。ラスボス、あるいは審判の時。梨乃のお母様。……落ち着くのよ、美玖。お母様には、私たちが『命懸けのビジネスパートナー』であると完璧に信じ込ませているはず。ここでボロを出せば、梨乃との将来……じゃなくて、ユニットの存続に関わるわ!)
美玖は、瞬時に『聖女みく』のモードへと切り替えた。
「……早乙女様、ご無沙汰しております。桐島美玖です。本日は梨乃の……いえ、早乙女さんの激励にお越しいただき、誠にありがとうございます」
優雅に、だがどこか距離を感じさせる完璧な挨拶。
香奈恵は、そんな美玖をじーっと見つめると、ふっと頬を緩めた。
「あらあら、美玖ちゃん。相変わらずお人形さんみたいに綺麗ね。でも、そんなにカチコチにならなくてもいいのに。……ねえ? もう『家族』みたいなものなんだし」
ドクン、と美玖の心臓が跳ねた。
「か、家族だなんて、滅相もございませんわ! 私たちはあくまで、事務所が定めた最高効率のビジネスユニットであり、互いに切磋琢磨するライバルであって……!」
「お母さん! 美玖先輩の言う通りだよ! 私たち、お仕事ですっごく忙しいんだから。あんまり変なこと言わないでよねっ」
梨乃が慌てて割って入り、母親をソファへと促す。
その様子を楽屋の隅で見守っていたマネージャー、佐々木恵は、既に胃薬の袋を口に咥えていた。
「(……早乙女様。……お願いですから、その『爆弾」、落とさないでください。あの二人、自分が完璧に隠せてるって信じ込んでる『純粋培養のお馬鹿さん』なんですから……)」
佐々木は、もはや祈るような気持ちで、香奈恵が持参した紙袋を見つめた。
「あら、ごめんなさい。つい、昔の癖で。……そうそう、梨乃。これ、実家で見つけたのよ。美玖ちゃんにも見せてあげようと思って」
香奈恵が取り出したのは、年季の入った一冊のアルバムだった。
「……? 何ですか、それ」
「美玖ちゃんが、研修生時代によくうちに泊まりに来てた時の写真よ。ほら、これなんて可愛いでしょ? 二人で一つのパジャマに入ろうとして、破いちゃった時の」
――ッ!!
美玖の脳内に、五年前の記憶がフラッシュバックした。
雨の日の練習の後、梨乃の家に転がり込み、寒さに震えながら一つのフリースに二人で潜り込み、そのまま――。
「あ、ああ、あれは! その……! 極限状態における、体温保持のシミュレーションですわ! トップアイドルとして、過酷なロケにも耐えられるよう、梨乃と二人で合同訓練をしていただけで……!」
「そうだよ、お母さん! あれは『ビジネスお泊まり会』! 友情を深めるためのワークショップだったの!」
二人の必死すぎる言い訳に、香奈恵は「あら、そうなの?」と首をかしげた。
「でも、この写真の美玖ちゃん、梨乃に抱きついて『梨乃がいないと眠れない』って泣いてるように見えるけど……これもワークショップ?」
ページをめくると、そこには、まだ幼さの残る美玖が、梨乃に縋り付いて安らかな寝顔を見せている、決定的証拠が収められていた。
「……っ、それは! ……それは、その。……感情表現のトレーニングですわ! 孤独な聖女というキャラクターを演じる反動で、一時的に幼児退行を装うという、高度なメソッド演技の一環であって……っ!」
美玖は、顔から火が出るほど赤くなりながら、意味不明な理論を構築し始めた。
「そうそう! 美玖先輩はプロだから、寝ている間も演技の練習をしてるんだよ! お母さん、やっぱり何も分かってないなぁ!」
梨乃も、汗を流しながら加勢する。
二人の隠蔽工作は、もはや論理を越えて宇宙の真理へと突き進んでいた。
「(……もう、誰か止めて。……美玖さん、そのメソッド演技、どこの劇団で習ったのよ……。早乙女様も、わざとやってるでしょ。……楽しんでるわよね、これ……)」
佐々木は、空になった胃薬の袋を握りつぶし、そっと目を閉じた。
その後も、香奈恵の「思い出話」という名の爆撃は続いた。
「梨乃が初めて美玖ちゃんを家に連れてきた時、『一生この人を守るって決めたから、お母さんもお義母さんになる準備しておいてね』って言ってたわよねえ」
「――お母さんっ!! それは内緒って……じゃなくて、それは『将来のプロデュース案』の話でしょ!?」
「美玖ちゃんも、私の手料理を食べて『梨乃と同じ味がします。一生、この味を独占したいです』って、プロポーズみたいなこと言ってたわよね」
「――ッ!! そ、それは、その! ……早乙女家の味を分析し、将来の『みくりの・カフェ』のメニュー開発に活かすための、ビジネス的リサーチの報告であって……っ!!」
美玖は、ついにソファの影に隠れてしまった。
だが、香奈恵は全く意に介さず、優雅に紅茶を啜る。
「ふふ、いいわね。二人とも、今も昔も本当に仲良しで。……安心したわ。美玖ちゃん、梨乃のこと、これからもよろしくね。……あ、これ、お義母さんからの差し入れよ。美玖ちゃんの好きな、イチゴのタルト」
香奈恵は、わざとらしく「お義母さん」という言葉を強調し、美玖に箱を差し出した。
「あ……。あ、ありがとうございます……。……その、美味しく……ビジネス的に、賞味させていただきますわ……」
美玖は、箱を受け取る際、香奈恵の「すべてを分かった上での、温かい目」に射抜かれ、完全に戦意を喪失した。
***
香奈恵が満足げに帰っていった後の楽屋は、いわば精神的な焼け野原だった。
「…………梨乃。……生きた心地がしなかったわ」
美玖は、ソファにぐったりと横たわり、天井を見つめていた。
「ごめんね、美玖ねえ……。お母さん、昔からデリカシーがないっていうか、空気が読めないっていうか……」
「……いいえ。……でも、私たちの『完璧な隠蔽』は、なんとか守り抜けたみたいね。……お母様も、最後は『仲良しね』って納得してくださったし」
「うん! やっぱり、美玖先輩の『メソッド演技』の説明が効いたんだよ。さすが美玖先輩、世界一の演技派アイドルだねっ♡」
二人は、互いの奮闘を称え合い、再び固い握手を交わした。
自分たちの「秘密」が、梨乃の母親という最強の身内にすら、完璧なビジネスとして受理された(と信じ込んだ)満足感に浸りながら。
その背後で、佐々木マネージャーは、香奈恵が去り際に残していったメモを読んでいた。
『佐々木さん、いつも娘たちがご迷惑をおかけしてすみません。
美玖ちゃん、相変わらず耳まで真っ赤にして嘘をつくのが可愛くて、つい意地悪しちゃいました。
結婚式、ハワイでも軽井沢でも私は賛成ですから、事務所の調整、よろしくお願いしますね。
あ、アルバムの写真は、ファンクラブの会報に使ってもらって構いませんから♡』
佐々木は、そのメモを無言でシュレッダーにかけた。
「(……お母様。……会報に使ったら、本当に世界が爆発します。……調整って何よ。……なんで私が、アイドルの挙式のスケジュール管理までしなきゃいけないのよ……)」
佐々木は、本日三箱目の胃薬を求めて、カバンを漁り始めた。
一方、SNSでは。
楽屋から出てきた香奈恵の姿が、既に「観測者」たちによって特定されていた。
『【速報】梨乃ママ、楽屋に来襲。美玖様と一時間に及ぶ「家族会議」を実施か。』
『香奈恵さん、帰る時にすっごい満足そうな顔してた。これ、絶対「結納」済ませた後の顔だろ。』
『美玖様、顔を真っ赤にして出てきたぞ。これ、義母に「梨乃さんを私にください!」って言った直後だろwww』
『#みくりの結婚しろ #というか実家公認』
ファンたちは、香奈恵の登場を「外堀が埋まった」という確定演出として受け止め、お祭り騒ぎになっていた。
誰もが真実を知り、誰もが祝福し。
そして本人たちだけが、「まだバレていない」というスリリングな悦びに浸り続けている。
「ねえ、美玖先輩。お母さんが置いていったタルト、あーん、してあげようか?」
「……。……仕方ないわね。お母様の好意を無駄にするのは、ビジネスとして失礼だもの。……あーん」
楽屋の中に漂う、糖分過多な空気。
それは、実家の温かさと、恋人同士の熱量が混ざり合い、もはやどんな隠蔽工作をもってしても、完全に周囲を「あてて」いた。
秘密の誓いは、家族という最強の味方(観測者)を得て、また一歩、逃げ場のない幸福へと近づいていく。
「美玖先輩……大好きだよ」
「……ええ。……私も、あなたの分析には一生をかけるつもりよ」
不器用な愛の言葉が、今日も、閉じられた(ふりをしている)ドアの向こう側で、甘く、深く、響き渡っていた。




