第15話 大物俳優の眼力、見抜かれた真実
テレビ局内でも、そこだけ空気の重力値が異なっているようだった。
スタジオの廊下には、普段は饒舌な若手スタッフたちが、借りてきた猫のように静まり返って整列している。
「……梨乃。いい、今日の対談相手は、日本映画界の至宝と呼ばれる龍崎大吾氏よ」
桐島美玖は、控え室の鏡の前で、一分の隙もない自分自身の姿を確認していた。
今日の番組は、各界のレジェンドが若手のトップランナーと語り合う特別番組『黄金の対話』。
龍崎大吾。七十歳を超えてなお、現役の怪優として君臨する男。日本ばかりか海外でも活躍し、多くの賞を受賞している。
彼の眼光に射抜かれれば、どんな嘘も、どんな虚飾も、一瞬で剥ぎ取られるという噂がある。
「わかってますよぉ、美玖先輩。プロとして、失礼のないようにしなきゃですねっ♡」
梨乃はいつもの「天使りの」の笑顔で答えるが、その手は美玖のガウンの裾をぎゅっと握っていた。
二人の心臓は、共鳴するように速いビートを刻んでいる。
(――大丈夫。龍崎氏は『真実の演技』を重んじる方。私たちが完璧なビジネスパートナーを演じきれば、それはむしろプロとしての矜持として認められるはず。……バレるわけがない。私たちの愛は、この鉄壁のアイドルの仮面の下に、完璧に埋葬されているのだから)
美玖は深呼吸をし、氷の姫としての冷徹なスイッチを入れた。
***
スタジオのセットは、重厚な書斎を模したものだった。
革張りのソファに、龍崎大吾が深く腰掛けている。
その刻まれた深い皺の一つ一つに、半世紀以上の役者人生という名の歴史が刻まれていた。
「……失礼いたします。『みくりの』です。本日はよろしくお願い申し上げます」
美玖が完璧な角度で頭を下げ、梨乃がそれに続く。
龍崎は、ゆっくりと顔を上げた。
その鋭い、すべてを見透かすような瞳が、美玖と梨乃を一瞥する。
「……ふむ。座りなさい」
たった一言。
その低音の響きに、美玖の背筋に冷たい電流が走った。
カメラが回り、対談が始まる。
龍崎の問いに対し、美玖は淀みなく答えていった。
いかに自分たちがプロとして、ユニットのブランディングのために「絆」という演出を徹底しているか。
いかに「営業」としての関係性が、ファンの夢を形作るために重要であるか。
「……なるほど。ビジネス、か。君たちは、自分の感情を完璧にコントロールできていると自負しているわけだ」
龍崎が、ニヤリと口角を上げた。
それは、獲物を追い詰めた猟師が見せる笑みに似ていた。
「ええ。プロのアイドルに、私情は不要です。私たちはファンに『理想の二人』を提供するための、装置でありたいと考えています」
美玖は、揺るぎない自信を込めて言い切った。
横で梨乃も「そうなんですぅ♡ ビジネスだからこそ、私たちは最高のパートナーになれるんです!」と同調する。
だが、龍崎の眼光は、さらに鋭さを増した。
「……桐島君。君は今、隣の彼女を見つめる時、網膜で何を見ている?」
「え……? それは……ユニットの相方としての、梨乃の表情を……」
「違うな。君は、彼女の瞳の奥にある『自分』を見ている。……それも、この世で最も甘やかされた子供のような顔をしてな」
――ッ!!
美玖の心臓が、跳ねるどころか一瞬停止した。
龍崎は、逃がさない。
「早乙女君。君もだ。君のその笑顔、一見して完璧な計算に見えるが、指先が不自然だ。美玖君と視線がぶつかるたび、君の指先はまるで、一番大切な宝物を奪われまいとする獣のように、自分の服の裾を強く握りしめている」
「あ、あの……それは、緊張で……!」
「嘘をつくな。……役者は嘘を吐くのが仕事だが、君たちの嘘は、種類が違う。……いいか、君たち。演技の基本は『対象への集中』だ。だが、君たちの集中は、もはや演技という枠組みを食い破っている」
龍崎がゆっくりと身を乗り出し、二人を真っ向から見据えた。
「君たちの目は、芝居の目じゃない。……それは、魂が混ざり合って、もう元の形に戻れなくなった人間たちの目だ」
静寂が、スタジオを支配した。
カメラの回る音さえもが、不快なノイズに聞こえるほどの沈黙。
美玖の指が震え出す。
梨乃の瞳から、余裕が消える。
完璧だったはずの「ビジネス」の城壁が、この老役者の言葉一つで、砂の城のように崩れていく。
(バレた……。この人は、見抜いている。……私たちが、ただの相方なんかじゃないことを。この震えも、この熱も、全部……!)
美玖が、観念して口を開こうとした、その時だった。
龍崎大吾が、ふっと表情を和らげた。
先ほどまでの峻厳な威圧感が消え、そこには孫の成長を見守るような、深い慈愛の色が浮かんでいた。
「……いい目だ。……実に、いい目だ」
「……え?」
「君たちは、今のその『嘘』を、最後まで突き通しなさい。……世界中を欺いて、その『嘘』の中に、誰にも踏み込めない二人だけの真実を、命懸けで守り抜くんだ。……それが、君たちが選んだ、最高の表現なんだろう?」
龍崎は、まるで聖典を読み上げるかのような声で続けた。
「君たちが『ビジネス』だと言い張るなら、それはビジネスなんだろう。……だが、そのビジネスには、一生をかける価値がある。……そう思わないか?」
美玖は、目頭が熱くなるのを感じた。
否定も肯定もされず、ただ「愛を貫け」と背中を押された。
それは、この世界で最も厳格で、最も温かい『公認』の言葉だった。
「……っ、はい。……おっしゃる通りです。……私たちは、このビジネスを、一生涯、完璧に完遂させるつもりです」
美玖の声は、震えていたが、力強かった。
龍崎は満足げに頷き、カメラに向かって豪快に笑った。
「聞いたか、視聴者諸君! 今の覚悟! これぞプロのアイドルだ! ……あはは、まったく、若者に一本取られたな!」
***
収録後。
スタジオの袖で、マネージャーの佐々木恵は、震える手で十錠目の胃薬を飲み下していた。
「(……龍崎先生。……先生まで、そっち側(観測者)だったんですか……。今の、完全に『お幸せに』って言ってたじゃないですか……。隠せてると思っているのは、相変わらずあの二人だけじゃない……)」
佐々木は、もはやこの世界の重力が「みくりの」を中心に歪んでいることを確信した。
その横では、スタッフたちが感涙に咽んでいる。
「聞いたか……龍崎先生のあのお言葉……。ビジネスという名の愛……」
「美玖様のあの最後の返事、もう『結婚誓約書』にサインしたのと同義だろ……」
「番組タイトル、『黄金の対話』じゃなくて『黄金の披露宴』に改名してくれ……」
SNSでは、既に一部始終が(一部の観測者によるリアルタイム実況により)拡散され、サーバーが悲鳴を上げていた。
『【伝説確定】龍崎大吾、みくりのの「ガチ」を認定』
『美玖様が泣きそうになった瞬間、梨乃ちゃんが反射的に手を伸ばそうとして我慢したの見た? あれが全人類の救済だよ』
『「一生のビジネス」=「一生の伴侶」。翻訳完了。』
『#みくりの結婚しろ #というかもはや伝説』
***
帰りの車内。
美玖と梨乃は、ブランケットの下で、指を強く絡ませ合っていた。
「……梨乃。……龍崎氏には、少しだけ、ヒヤッとさせられたわね」
美玖は、窓の外を流れる夜景を見つめながら、氷の姫の仮面を(ようやく)半分だけ外して言った。
「本当だよぉ、美玖先輩。……でも、最後は私たちの『ビジネス根性』を認めてくれたみたいで、よかったねっ♡」
「ええ。……さすがは大物。私たちの完璧な隠蔽工作の裏にある、プロ意識を見抜いてくれたわ。……これからも、誰にも悟られないように、この『嘘』を磨き続けましょう」
「うん! 世界一幸せな『嘘つきアイドル』になろうね、美玖先輩!」
二人は、自分たちが「バレなかった」ことに心底安堵し、勝利の微笑みを交わした。
その背後で、佐々木マネージャーが「……あ。また、胃に新しい穴が開いた音がしたわ」と呟いたことも知らずに。
龍崎大吾が見抜いた「真実」は、二人の「秘密」という名の宝箱に、また一つ、キラキラとした思い出として仕舞い込まれた。
「完璧」な隠蔽は続く。
……それが、もはや「公認」という名の舞台の上での一人芝居であったとしても。
「ねえ、美玖。龍崎先生に言われた『対象への集中』。……今夜、お家でたっぷり、練習させてくれる?」
「……ええ。……ビジネスのスキルアップのためだもの。……拒む理由はないわ」
車内の糖度は、再び観測史上最高値を更新した。




