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第12話 宣戦布告? 純情すぎる後輩たち



 大型音楽番組『ミュージック・エンドレス』の生放送当日。

 テレビ局の長い廊下は、出演を控えたアーティストや慌ただしく走るスタッフでごった返していた。


 その一角、静かな威圧感を放つ場所がある。

 トップアイドルユニット『みくりの』の桐島美玖が、出番前の最終確認として、壁に貼られたタイムテーブルを冷徹な眼差しで見つめていた。


(――よし。今日のパフォーマンスも完璧に。そして、梨乃との『距離感』も完璧に。昨日のMV撮影では少し感情が乗りすぎたけれど、今日は生放送。一分の隙も見せてはならないわ)


 美玖は、ドレスの袖を整え、氷の姫としての自尊心を再構築する。

 そんな彼女の背後に、二つの小さな影が近づいてきた。


「……あの、桐島先輩! 少し、お時間をよろしいでしょうか?」


 美玖が振り返ると、そこには事務所の後輩ユニット『ルミナス』の二人が立っていた。

 センターのひまりと、その相方の美央。二人とも、期待に胸を膨らませた研修生あがりの新人だ。


「……ええ。何かしら。出番までなら、少しは構わないけれど」


 美玖は努めて低く、威厳のある声で応じた。

 ひまりは、決死の覚悟を固めたような顔で、一歩前に踏み出す。


「桐島先輩! 私たち、先輩たちの『Secret Wedding』のMVを見ました! あんなに……あんなに素晴らしいビジネス百合、見たことがありません!」


「……ビジネス……百合……?」


 美玖は、その言葉に微かな動揺を覚えた。

 だが、プロとして即座に冷静さを取り戻す。


「ええ。あれは響社長の意向による、高度な演出よ。……それが何か?」


「私たち、悔しいんです! 先輩たちはあんなに完璧に『愛』を演じているのに、私たちにはまだ、ビジネスとしての割り切りが足りません! 美央と手を繋ぐだけでも、なんだか本当の友情を汚しているような気がして……!」


 ひまりの純粋すぎる言葉。

 美玖は、内心で激しくむせ返った。


(な、何を言っているのこの子……! 私たちが演じている? ビジネスとして割り切っている? ……逆よ! 逆なのよ! 私たちは本物の愛を『ビジネス』という仮面で隠すのに必死なだけなのよ!)


 美玖は、喉まで出かかった叫びを飲み込んだ。

 ここで「実はガチなの」などと言えば、この純真な後輩たちの夢を壊すことになりかねない。


「……ひまり。ビジネス百合とは、ある種の自己暗示よ。相手を『ただの仕事道具』ではなく、『最高の演出素材』だと思うこと。……そこに私情など、一塵も挟んではならないわ」


「演出素材……。さすが美玖先輩、おっしゃる重みが違います!」


 ひまりが目をキラキラさせてメモを取る。

 美玖は、良心の呵責に耐えきれず、わずかに視線を逸らした。


「――おやおや。私の美玖先輩を捕まえて、何のお話かなぁ?♡」


 背後から、砂糖菓子に毒を混ぜたような、甘美な声が響いた。

 早乙女梨乃だ。

 彼女はいつの間にか美玖の背後に立ち、その細い腰に、誰が見ても不自然なほど自然に手を回した。


「あ、早乙女先輩! あの、今、ビジネスの極意を教わっていたんです!」


「ビジネスの極意? あはっ、いいなぁ。私も美玖先輩から『濃厚なご指導』、受けてみたいなぁ♡」


 梨乃が美玖の肩に顎を乗せ、ひまりたちをじっと見つめる。

 その瞳には、後輩への慈しみなどは欠片もなく、ただ「私の所有物に近寄るな」という、剥き出しの独占欲が宿っていた。


「梨乃。……離れなさい。後輩が見ているわ」


「えー? いいじゃん。これも『営業』の練習でしょ? ね、ひまりちゃん。私たちのみくりの、今日もバッチリ営業できてるかな?」


 梨乃は、美玖の耳たぶを指先でなぞりながら、ひまりに問いかけた。

 その仕草は、もはや生放送前のアイドルというよりは、夜の部屋での一幕そのものだった。


「す、すごいです……! カメラがない場所でも、こんなに完璧に『相方を愛しているフリ』を貫き通すなんて……! プロ……プロの鑑です、お二人とも!」


 ひまりは感動のあまり、その場で涙を流し始めた。

 美央もまた、呆然とした様子で立ち尽くしている。


(違う……違うのよ。これ、フリじゃないの。本気なの。梨乃は今、本気で私を誘惑しているし、私は本気で腰が抜けそうなのを必死に堪えているだけなの……!)


 美玖は、心の中で血の涙を流した。

 完璧に隠せている(と思っている)自分たちの愛が、あまりにも純粋な後輩の目には「究極の演技」として映ってしまう。

 この情報格差による悲劇。


「……じゃあ、私たちは準備があるから。……ひまり、美央。しっかりやりなさい」


 美玖は、梨乃を半分引きずるようにして、足早に楽屋へと向かった。


 ***


 楽屋の鍵が閉まった瞬間。


「…………もう、無理。一歩も動けないわ」


 美玖はドアに背を預け、ずるずると座り込んだ。

 顔は、限界まで充血したように赤い。


「あははっ! 美玖先輩、顔真っ赤。あの新人の子、面白かったねぇ。ビジネスだなんて、本気で信じ込んじゃって」


 梨乃が、座り込む美玖の前に屈み込み、その顔を覗き込む。

 梨乃の手が、美玖の頬を包んだ。


「……梨乃、あなたはやりすぎよ。あんなところで、あんなことを……」


「だって、あの子、美玖先輩のこと尊敬の眼差しで見てたんだもん。……私の美玖先輩に、あんな純粋な目を向けるなんて、許せないでしょ?」


「……相変わらず、独占欲の塊ね」


「美玖先輩だって、そうでしょ? あの子に教える時、少しだけ『優しい先輩』の顔になってた。……お仕置き、必要だよね?」


 梨乃の瞳が、獲物を狙う猛獣のそれに変わる。

 美玖は、抗うことなど既に諦めていた。

 五年前のあの日から、自分はこの『天使』の皮を被った捕食者の虜なのだから。


「……望むところよ。……生放送が始まるまで、しっかり教育してあげるわ。……営業じゃ、ないやつをね」


 美玖が梨乃の首に腕を回し、力強く引き寄せた。

 二人の唇が重なり、甘い吐息が楽屋の静寂を塗りつぶしていく。


 ***


 一方、楽屋の外。

 廊下を通りかかった『ルミナス』の二人は、まだ感動の余韻に浸っていた。


「すごいね、美央。桐島先輩、あんなに冷たく梨乃さんを突き放そうとしてたけど、目はすごく真剣だった。あれこそが、私たちが目指すべき『究極のビジネス・ツンデレ』だよ!」


「……ひまり。……ちょっと、いい?」


 相方の美央が、震える指でドアの隙間を指差した。

 古い楽屋のドアは、鍵がかかっていても、わずかな建付けの悪さで隙間が空いていることがある。


 そこから、ひまりの目に飛び込んできたのは――。


 冷徹なはずの桐島美玖が、梨乃に押し倒されるようにして、恍惚とした表情で彼女を抱きしめている姿だった。

 そして、二人の唇は、ビジネス上の演出では到底不可能な、粘り気のある角度で重なり合っていた。


「…………えっ?」


 ひまりの思考が、一瞬でオーバーヒートを起こした。

 彼女の脳内で、先ほど美玖が語った「ビジネス百合の極意」が、バラバラに砕け散る。


『私情など、一塵も挟んではならないわ』


 美玖のその言葉。

 ……今のあの顔、私情以外の何物でもない。

 ……というか、愛だ。あれは、全人類が「愛」と定義する、剥き出しの熱量だ。


「…………っ、…………っ!!」


「ひ、ひまり!? 大丈夫!?」


 ひまりは、あまりの衝撃と「尊さ」の過剰摂取により、その場に崩れ落ちた。

 だが、その瞳には、先ほどまでの「ビジネスへの憧れ」を遥かに凌駕する、狂信的な光が宿っていた。


「……美央。……私たち、間違ってた。……先輩たちは、演じているんじゃない。……この世界を欺くために、命懸けで『ビジネス』という盾を構えて、自分たちの愛を守り抜こうとしているんだ……!」


「ひまり……?」


「私、決めたわ。……私、先輩たちの『秘密』の盾になる。……一生、あの二人を見守る、最強の『観測者』になるわ!」


 ひまりは、聖なる啓示を受けた預言者のような顔で立ち上がった。

 彼女はこの瞬間、純真な新人アイドルから、重度の「みくりの・ガチ勢」へと転向したのである。


 ***


 その様子を、数メートル先から見ていたマネージャーの佐々木恵は、静かに胃薬を四錠、水なしで飲み込んだ。


「(……また一人。……また一人、犠牲者が増えたわ……。純粋だった後輩まで、あの二人の毒気に当てられて……)」


 佐々木は、楽屋のドアから漏れ聞こえる、不自然に高い梨乃の笑い声と、それに抗うような美玖の喘ぎ声に、深く、深くため息をついた。


「(ひまりさん。……あなたの決意は立派だけど。……あの二人、実はあなたが思っているほど、命懸けで隠そうとはしてないわよ。……ただ、隠せていると信じ込んでいるだけの、お馬鹿さんなだけなのよ……)」


 佐々木のスマホには、既にファン掲示板からの通知が届いていた。


『ルミナスのひまりが楽屋前で失神。理由は「尊さの致死量」との説。』

『ひまり、お前もこっち側に来たか。歓迎するぞ。』

『今日も楽屋の防音は仕事をしていないようだな。みくりの、一生結婚してろ。』


 佐々木は、空になった胃薬の箱を握りつぶし、これから始まる生放送の「演出」という名の「真実の垂れ流し」をどう言い訳するか、絶望的な気分で考え始めた。


 トップアイドルの秘密は、今日もこうして、意図しない協力者たちを巻き込みながら、最強の公認へと近づいていく。


「美玖先輩……。生放送、頑張ろうね♡」


「……ええ。……最高の『営業』を、見せてあげるわ」


 楽屋から出てきた二人の、不自然に潤んだ瞳と、わずかに乱れたリップ。

 それを「完璧なプロの仕上げ」として拍手で迎える、ひまりたちの温かい(狂気に満ちた)視線。


 誰もが真実を知り、誰もが嘘に付き合う、最高に歪で幸せな物語。

 カーテンコールは、まだ始まったばかりである。

次回、看病回。隠しきれない独占欲。明日18:30。

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