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第11話 新曲披露! 嘘と真実の『愛してる』


 都内近郊の巨大な撮影スタジオ。

 天井から吊るされた無数の照明が、真っ白なホリゾントを昼間のような明るさで照らし出している。

 

 今日は新曲『Secret Wedding ―秘めたる真実の愛―』のミュージックビデオ撮影、そのクライマックスシーンの収録日だった。

 

 桐島美玖は、純白のドレスを翻しながら、カメラの前で静かに佇んでいた。

 傍らには、同じく白を基調とした可憐な衣装に身を包んだ早乙女梨乃。

 


 響社長から下された新コンセプトは、あまりにも過激ストレートだった。


「ビジネスとしての『ガチ』を極めろ」


 その号令のもと、今回の新曲は、ファンが待ち望んでいた「二人の結婚」をテーマにした、いわば究極のファンサービス・ソングだ。

 

 美玖は、ドレスの裾を握りしめ、心の中で自分に言い聞かせた。

 

(仕事。これは仕事。社長が求めている『究極のビジネス百合』という名の芸術よ。……だから、今から私が梨乃にする全てのことは、アイドルとしての完璧な演技。誰にも疑われるはずがないわ)

 

 自分を納得させるための、強固な理論武装じこあんじ

 美玖は深呼吸をして、氷の姫の仮面を被った。

 

「――美玖先輩、準備いいですかぁ?♡」

 

 梨乃が、小悪魔のような微笑みを浮かべて顔を近づけてくる。

 その瞳の奥には、美玖の動揺を見透かすような、確信犯的な光が宿っていた。

 

「ええ。最高のパフォーマンスを見せましょう。……仕事としてね」

 

「あはっ。そうだね、美玖先輩。お仕事、お仕事ぉ♡」

 

 二人のやり取りを、モニター越しに凝視している男がいた。

 今回のMV監督、鬼才として知られる映像作家の黒田だ。

 黒田は、何かに取り憑かれたような手つきで、モニターの彩度を調整している。

 

「いいか、二人とも。今回のコンセプトは『隠しきれない真実』だ。世界中に嘘をついている二人が、ただお互いを見つめ合う時だけに見せる、あの本物の、喉が焼けるような渇望しんじつを表現してくれ」

 

 黒田の注文は、既に演技の範疇を超えていた。

 彼は知っている。自分が今から撮影するのは、単なるアイドルのMVではなく、この世で最も贅沢な「真実のドキュメンタリー」であることを。

 

「本番、いきます! ミュージック、スタート!」

 

 荘厳なパイプオルガンの音色をサンプリングした、アップテンポなダンスナンバーがスタジオに響き渡る。

 

 二人の身体が、吸い寄せられるように重なり合った。

 

 指先を絡め、お互いの体温をダイレクトに感じる振り付け。

 美玖は、梨乃の腰を引き寄せ、彼女の首筋に顔を近づけた。

 

(――ああ、梨乃。いい匂いがする……)

 

 鼻腔をくすぐる、梨乃特有の甘い香り。

 美玖の理性が、メルトダウンを起こし始める。

 カメラが回っていることも、スタッフが注視していることも、全てが遠のいていく。

 

「……美玖先輩、目が怖いですよぉ♡」

 

 梨乃が、耳元で微かに囁いた。

 その声は、美玖の鼓膜を甘く痺れさせ、脊髄に突き刺さる。

 

「……うるさい。……演技よ。これも全部、演技なんだから」

 

 美玖はそう答えながら、歌詞のラストフレーズ、「秘密のキスをしよう」というパートに差し掛かった。

 

 台本では、唇が触れる直前で止める、いわゆる「寸止め」の演出だ。

 

 だが、美玖の眼前に広がる、梨乃の潤んだ唇。

 挑発するように少しだけ開かれた、その境界線。

 

 美玖は、気づけば一歩、踏み込んでいた。

 

 触れ合う寸前、熱い吐息が混じり合う。

 

「……っ!」

 

 一瞬、スタジオ中の時間が止まったかのような静寂。

 

「……カットォォォ!! 最高だ!! 完璧だ!!」

 

 黒田監督が、椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。

 彼の眼には、狂喜と興奮が満ち溢れている。

 

「今の、今のコンマ数秒の『迷い』! そしてあの、一線を超えようとした瞬間の瞳の揺らぎ! 美玖君、君は天才だ! あれを演技でやれるなんて、君は歴史に残る名優だよ!」

 

 美玖は、弾かれたように梨乃から飛び離れた。

 顔は、着ていたドレスよりもずっと赤く染まっている。

 

「あ……あ、ありがとう……ございます。……ええ、そうよ。究極の『ガチ恋』を表現するために、限界まで感情を追い込んでみたの。……ね、梨乃?」

 

 美玖は、震える声で梨乃に同意を求めた。

 梨乃は、少しだけ乱れた髪を指でいじりながら、余裕の笑みを崩さない。

 

「うん! 美玖先輩、すごかったぁ。私、本当に食べられちゃうかと思ったよぉ♡ やっぱりビジネスパートナーとして、私たちって最高に息が合うよねっ!」

 

 二人は、自分たちの「演技力」が今回も周囲を欺いたのだと、固く、固く確信していた。

 

 だが。

 

 撮影現場の隅っこ。

 モニターをチェックしていた若手スタッフたちの間には、絶望にも似た「悟り」が広がっていた。

 

「(……今の、絶対に寸止めじゃなかったよな。一瞬、唇が物理的に触れてたよな)」

 

「(ああ。美玖様、カメラの死角で梨乃ちゃんの腰を、グイッて自分の方に引き寄せてたし……。あんなの、演技でやるには筋力が本気すぎだろ)」

 

「(ビジネス……ビジネスね。俺も、あんな風にビジネスで愛を囁かれたいもんだよ……)」

 

 スタッフたちは、もはや「隠蔽」という単語を辞書から削除する時期が来たことを悟り、そっとモニターから目を逸らした。

 

 そして。

 

「……佐々木さん。胃薬、補充しますか?」

 

 アシスタントが、震える手で新品の胃薬の箱を差し出した。

 マネージャーの佐々木恵は、無言でそれを受け取ると、三錠一気に飲み干した。

 

「……いらないわ。……もう、私の胃壁は既に、彼女たちの『愛の熱』で焼き尽くされて、痛みすら感じない領域に達しているの……」

 

 佐々木は、虚空を見つめながら呟いた。

 

「(社長も監督もスタッフも……全員が『知ってる』っていうこの状況で、よく堂々と『完璧なビジネス』だなんて言い切れるわね。……美玖さん、あなたのその無駄に高いプライド、時々本気で怖くなるわよ……)」

 

 佐々木は、手元のタブレットでSNSをチェックする。

 既にMVの予告画像がリーク……もとい、事務所の手によって戦略的に拡散され、世界中を狂乱の渦に叩き込んでいた。

 

『【悲報】みくりの、ついに挙式か』

『予告映像の十秒目、美玖様が梨乃ちゃんを抱きしめる力が「お仕事」のそれじゃないwww』

『「Secret Wedding」じゃなくて「Public Wedding」でしょ、これ』

『#みくりの結婚しろ #というかすでにしてる』

 

 ファンたちは、もはや「公式発表」など待っていない。

 二人がどれだけ「秘密」を強調しようとも、そこから溢れ出す糖度は、全人類を祝福するには十分すぎる量だった。

 

 ***

 

 撮影終了後の、薄暗い機材搬入口。

 二人は、送迎車を待つ間、コンテナの影でこっそりと寄り添っていた。

 

「……梨乃。今日の、最後のシーン。……やりすぎじゃなかったかしら」

 

 美玖が、少しだけ不安そうに梨乃の袖を引いた。

 

「大丈夫だよぉ、美玖先輩。だって、監督もあんなに褒めてくれたし。それに、ビジネスとして『ガチ感』を出すのが社長の命令だったでしょ?」

 

「……ええ。そうね。……でも、あんなに近くで、あなたの顔を見ていたら。……なんだか、本当に……私、……っ」

 

 美玖が俯き、言葉を詰まらせる。

 梨乃は、そんな美玖の顎をくい、と持ち上げ、その唇に、今度は本当に、音を立ててキスをした。

 

「……んむっ!? ……り、梨乃! ここ、外よ!」

 

「あはっ。大丈夫だよ、みんな機材の撤収で忙しいもん。それに……もし見られたとしても、『MVの延長で練習してた』って言えばいいだけでしょ?」

 

「……それも、そうね。……完璧な言い訳だわ」

 

 美玖は、再び自信を取り戻し、満足げに微笑んだ。

 

 自分たちの愛が、どんな言葉で粉飾され、どんなラベルで定義されているのか。

 そして、そのラベルを貼っているのが、実は自分たちだけであるということに、二人は永遠に気づかない。

 

「ねえ、美玖。新曲の発売記念イベント……もっとすごい『演技』、考えちゃおうか?」

 

「ええ。望むところよ、梨乃。……世界の誰をも騙し通す、究極の『百合営業』を見せてあげる」

 

 二人の笑い声が、夜のスタジオに響く。

 

 嘘が真実を飲み込み、真実が嘘を加速させる。

 新曲『Secret Wedding』。

 その幕開けは、最高に甘くて、最高に不器用な、二人の「隠蔽」という名の求愛そのものだった。

 

 その背後で、佐々木マネージャーが予備の胃薬を求めてカバンを漁る音は、夜風にかき消されていった。

次回は後輩の宣戦布告(?)。明日18:30。

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