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第1回:氷の姫と小悪魔の秘密



鼓膜を突き破るような大歓声が、ステージの床から足裏を伝って全身に響き渡る。


網膜に焼き付くのは、数千本のサイリウムが描く極彩色の光の海だ。


私は、桐島美玖。

「氷の姫」という、ファンが勝手に作り上げ、私が完璧に維持している偶像。


汗の一粒さえも宝石に見えるよう、計算し尽くした角度で首を振る。


隣で、早乙女梨乃が天使のような微笑みを浮かべて、客席へ向けて指を差した。


その指が、一瞬だけ、私の指先に触れる。

レンズ越しの火花が散るような、痛いほどの熱が走った。


「本日は、誠にありがとうございました。皆様の応援が、私たちの力ですわ」


完璧な、お嬢様口調。

完璧な、一分の隙もない礼。

客席からは「みく様ー!」という絶叫が上がり、私はその熱狂を背中で受け止めながら、優雅にステージ袖へと消えた。



重い防音扉が閉まった瞬間、世界から音が消える。

通路の蛍光灯は無機質な白さを放ち、先ほどまでの熱狂が嘘のように冷たい。


私は一歩、また一歩と、楽屋へ向かって歩を進める。

背筋を伸ばし、顎を引き、気高いアイドルの仮面を維持したまま。


しかし、その指先はわずかに震えていた。

隣を歩く梨乃が、ふふ、と小さな、毒を含んだ蜜のような笑い声を漏らす。


「美玖先輩、今日も完璧でしたねぇ。ファンの皆さん、あの氷のような視線にメロメロでしたよぉ?」


公の場での梨乃は、計算し尽くされたあざとい後輩キャラを演じている。

私はその言葉を、プロ意識という名の盾で受け流した。


「当然のことですわ、梨乃。私たちは、夢を売るビジネスパートナーなのですから」

「ビジネス、ねぇ。……あ、楽屋、着きましたよ?」


梨乃がドアノブに手をかける。

カチリ、と。

その音が、私の理性という名の氷を溶かし始める合図だった。



楽屋に入った瞬間、私は背後の鍵を、誰にも、それこそマネージャーの佐々木さんにさえも悟られないほどの速さで閉めた。


閉鎖された空間。

舞台用メイクの粉っぽい匂いと、梨乃のシャンプーの甘い香りが混ざり合う。

私は、崩れ落ちるように梨乃を背後から抱きしめた。


「……梨乃、不足。今すぐ、補給して」

「ええっ? さっきまでの『お嬢様』はどこへ行っちゃったんですか?」

「うるさい。梨乃が、ステージの上で、あんな男たちにウィンクしたからでしょ!」


立場は「完璧なアイドル」から「嫉妬深い恋人」へと反転する。

梨乃は私の腕の中で、満足げに喉を鳴らした。


「あれは営業ですよぉ? ファンサってやつです」

「営業でも許さない。貴女の視線は、全部私のものでしょ。……こっちを向いて、梨乃」


美玖の独占欲が、プロ意識という名の仮面を完全に剥ぎ取る。

私は梨乃の体を強引に回転させ、彼女の華奢な肩を壁に押し当てた。


「……ん、強引だなぁ。でも、そういう美玖も、だーいすき」


梨乃の小悪魔的な本性が露わになり、美玖を支配し返す。

梨乃の柔らかな指先が、私の首筋を這い上がる。

冷え切っていた私の指先が、彼女の体温を吸い取って、火傷しそうなほど熱くなる。

衣装の絹が擦れる音が、静かな楽屋に不自然なほど大きく響いた。


梨乃の唇が、私の耳朶をかすめる。

「ねぇ、美玖。まだお仕事モード抜けないの? そんなに力んじゃって。……壊れちゃいそう」

「……貴女のせいでしょ。貴女が、あんなに可愛く笑うから……理性が、溶ける」


私は梨乃の首筋に顔を埋め、深く、深く、彼女の香りを吸い込んだ。

心臓の鼓動が重低音となって、自分の胸を打ち抜く。

独占欲という名の劇薬が全身を巡り、思考が砂糖漬けのように甘く、濁っていく。

この瞬間、私は世界で一番縛られていて、世界で一番満たされていた。


私たちは、完璧に隠せている。

この異常なまでの執着も、楽屋の鍵一つで隔離されたこの甘い熱も。

誰も、私たちの真実に気づくはずがない。


私は梨乃を強く抱きしめ、その確信をさらに強固なものへと変えた。



***


楽屋の扉の外。

佐々木恵は、手にした栄養ドリンクの缶を眺めながら、深く、深い溜息をついた。


ドアの隙間から漏れ聞こえる衣擦れの音。

そして、かすかに響く「梨乃、梨乃……」という、普段のクールな担当アイドルからは想像もつかないほど情けない、甘えた声。


佐々木は時計を確認した。

次の仕事まで、あと十分。


(……鍵閉めても筒抜けなのよ、君たちの甘い声は)


廊下を通るスタッフたちが、何かに気づいたように足を止めかける。

佐々木は、持ち前の危機管理能力をフル回転させ、瞬時に営業スマイルを張り付かせた。


「あ、すみません! 中では二人が、次のステージに向けた……ええ、非常に『熱い』打ち合わせをしておりまして! 入室はご遠慮くださいね!」


スタッフたちは「ああ、さすがプロですね」「ごゆっくり」と、生温かい笑みを浮かべて去っていく。


スタッフや業界だけではない。

ファンの間では既に「#裏みくりの」というタグが、ドーム公演並みの盛り上がりを見せていることを、楽屋の中の二人はまだ、知らない。


幸せな、あまりにも幸せな勘違いの夜は、まだ始まったばかりだった。

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