何度目の君
虫とか、獣とか。
そういったものに君が生まれ変わっていたら、その瞬間に心が折れていただろうなと思う。
☆
この前再会したときの君は、黒髪に黒目があの頃を彷彿とさせる姿だった。
だけど慎ましくおとなしやかで、あの頃とは全然違う。
そして何より、君はやはり僕を覚えていなかった。
そうして、諦めが一つ降り積もる。
僕はいわゆるエルフである。それも、護国の賢者と呼ばれるエルフだ。
年は、そうだな、百年は超えたけど千年はまだといったところ。
護国というには理由がある。
この国を守護する神に頼まれて、国を魔物から守るための加護の魔法を使い続けているのだ。
人より寿命が長く、病にかからないエルフは神の代わりに魔法を行使するにはうってつけってわけだ。
もちろん対価はある。
というか、先払いだった。
そして、仕事を真面目に続ければボーナスもある、と言われていたのだが……。
☆
「王国は我を謀る気か」
僕はできるだけ威厳が出るように、低い声を出した。
目の前には人間たち。この王国の貴族や騎士といった人種だろう。
そしてその中心に、年若き男女がいる。
男の方はこの国の王子、女の方は新しく誕生した聖女、だそうだ。今そう名乗られた。
そんなことあるはずがない。
なぜなら自称聖女は王子の腕に絡みついているのだから。
そんなことあるはずがないのだ。
なぜなら、聖女とは、護国のエルフ、つまり僕の花嫁の異称であるからして……。
「偽者を仕立て上げるとは。我が加護がそうも惜しいか」
最近聖女が現れないなあ、とは思っていたんだ。最近というのは百年くらいか。
だからってこれはない。これはないよ。
加護は神との約束だから打ち切ったりしないけど、こんなことをする人間の顔を見るのは嫌だ。もう、数百年くらい引きこもっていようか……。
そう考えかけた僕の耳を一つの声が叩いた。
「あの!」
切羽詰まった少女の声。僕もそうだが、自然とその場の全員の視線が彼女に集まった。
皆の注目する中、少女は必死に言葉を紡ごうとする。
……ああ。
「賢者さま。少し、手違い──そう、手違いがあって」
「手違い?」
ああ、わかっている。見た瞬間に、わかった。
「ええ。わたくしが聖女です」
金の髪に緑の瞳。貴族としては平凡な顔立ち。
君の面影はないけれど、それでもすぐにわかった。
少女は手のひらをこちらに向け、その上に光で編んだ花を顕現させた。
「この通り、わたくしが聖なる力をいただきました」
ああ、そんなパフォーマンスなんて、いらないのに。
……手違いと言うのが何のことかはよくわからなかったし、人間の事情なんて詮索する気もないが、彼女の様子から、たった今まで聖女である自覚もなかったのだろうなあ、と察することはできた。
なんだろうね、聖女の自覚って。
かつての聖女には、海を割り、山を砕き、一夜にして都市を廃墟にする力を持つ者もいた。
僕と暮らしたあの世界の情報を覚えていて、新しい文化をこの国にもたらした君も。
──だけど、僕のことを覚えている君は、一人もいなかった──
反応の悪い僕に焦ったのか、君はこんなことを言う。
「賢者さま、わたくしが聖女である証とお近づきの印に、どんな花でもお見せしましょう。何でも仰ってください」
……その時、ふと浮かんだのは、君が好きだったあの花。
もう二度と見ることは叶わないと思われた、二人で観たあの花だ。
都会だけあって、間取りにしては家賃の高かったあの部屋のベランダから見た……
「そう……だな。空に花を」
「空に花? ……ええと……たとえば、虹のようなものでございますか?」
そう言って空に虹を描こうとする君に、僕ははっとした。
「いや、つまらぬことを言った。気にするでない」
「はあ」
……もうここにはいたくない。
「たとえ聖女が現れずとも、我が生命のある限り、加護を絶えさせることはせぬから安心しておれ」
それだけ伝えて、僕は虹の下を歩き去った。
……そうだ。
どんな姿でも、そばにいることができなくても、君が生まれる可能性のある国の加護を、途絶えさせたりなんて決してしない。
するわけがない。
☆
君と二人で暮らしたあの部屋。
下の階に危険物を積んだ車が突っ込んで炎上し、瞬く間に避難は不可能になった……。
「目が覚めたかね?」
「……?」
気がついたら、真っ白い空間に僕はいた。目の前にはひげを生やした老人がいる。
と思えば、その姿は若々しい青年になった。そして、肉感的な女性に。
じっと見ているのにぬるりといつの間にか変わってしまう。だまし絵のようだ。……僕は察した。
「……あなたは、人間ではない……神様ですか?」
「ええ、そう呼ぶ者もいるわね」
神は言う。僕は一度死んでしまった。だが、神様の世界は慢性的な人手不足である。
特に魔物が現れるような世界の管理をする者が足りない、と。
そこで、こうやって死者の中から魂が代行業務に向いていそうな者をスカウトしているのだという。
「やってくれるなら、お兄ちゃんには第二の人生をあげるよ。それなりの権限もあげる」
利発そうな少年の姿の神は言い渡した。
「あとね、願いとか、望みもある程度は叶えてあげられる」
「願い……」
そう言われても、僕はそれまでの人生に割と満足していた。望むものなど──
「!! 彼女は、彼女はどうなったんですか!?」
美女の姿の神は目を伏せた。
「君と一緒に暮らしてた子かしら? 残念ながら……。……でも、あなたが仕事を受けてくれるなら、同じ世界に転生させてあげることはできるわ」
「……お願い、します……!」
絞り出すように言ってから、ふと気づいた。
「……あの、他の部屋の人達は……?」
「…………」
神は老人の姿で笑った。
「ははは、君は強欲じゃな」
「すみません……」
「……そうじゃのう。たまたま家を留守にしていたり、在宅じゃったが軽傷で済んだ、ということにはできるじゃろう。ただし、それをするなら、君の任期は長く、彼女との再会は難しくなる。……いいかの?」
それを聞いて、よくないです、とはもはや言えなかった。
「うむ、よろしい。では、エルフ、という存在を知っているかの?」
☆
君は怒るだろうか。
勝手に転生させて、この世界に縛り付けたようなものだ。
もう、何百年にもなる。
その間に、虫とか、獣とか。
そういった、本能で番いを作るような生きものに君が生まれ変わっていたら、その様子を見たら、その瞬間に心が折れていただろうなと思う。
だけど君は最初は植物に生まれて。野の小さな花とか。森のはずれの蔓草とか。
ああ、竹だった頃が一番長かったかな。
僕はただ君のそばにいるだけで満たされてた。本当だよ。
そのうち、人に生まれ変わるようになった。いつも女の子だった。
僕が君をいつも見つけ出すのが、人間たちによって、賢者への嫁入りとみなされるようになって……。
君には常人ならざる力があったり、前の世界の記憶があったりしたから、気味悪がられることもあったのが、僕という特別な存在に縁付くことで肯定的に見られるようになったりもして。
──ああ、だけど、君は僕を思い出さない──
……もう、いいかな。
僕はエルフだ。悪意で傷つけられて命を落とさない限り、このやり直しをまだずっと繰り返すことができる。
でも、もう、いいか。
君には、きっと他に、ふさわしい誰かがいる。
☆
光の花の聖女は、ああやって置き去りにしたというのに、僕の住処の近くまで面会を求めに来たようである。
同族のエルフに教えられ、僕は情けなくもこそこそと隠れた。
何日かして、彼女たちの一行が人里に向かって帰ろうとするときには、ついつい心配になって遠くから見守ってしまった。
何をやっているんだ、と思うけれど、このぐらいの心配りは許してほしい。
仕事は、ちゃんとするから。言われていたボーナスがなかったとしても。
そう心のなかで神に語りかけていた僕の目に、信じられないものが映った。
真っ黒な夜空。
尖塔の向こうに打ち上がるまばゆい光。
君の気配が漂う、色とりどりの魔力。
開いた大輪の花。
……花火大会がベストポジションで見られたあの部屋。家賃は場所代だ、と言って笑った。
まさか。
僕は君のいる場所を目指して、身を翻した。