空に花を
前回の「夢で見た話」が好評だったので、ついでにもう一本載せてみます。
こちらはそんなにトンチキではありませんが、気に入っているので皆様にもお気に召せば幸いです。
あっ。私、聖女だった。
シャルロッテがそう思い出したのは、あわや一触即発というぎりぎりの刻だった。
★
国の外れの乾いた荒野、白と茶色の岩に彩られた道。シャルロッテの視線の先には煌びやかな衣服を纏った男女がエルフと対峙していた。
男のほうはこの国の王子。女のほうは、時たまこの世に現れるという、聖女である。
聖女はひしっと王子の腕にしがみつき、王子はそうさせたまま、エルフを睨んでいる。
聖女が世に現れると、数々の吉兆が起こるという。確かに彼女が学園に入学した春、敷地中の花壇や庭園では季節はずれのものも含めた花々が一斉に満開になり、王家には瑞獣の目撃談が寄せられた。
シャルロッテのような下々の貴族には預かり知れぬところで、聖女は王家に認定され、この日を迎えた。
世に現れた聖女は王家に保護され、いにしえの契約に従い、永い時を生きるエルフに目通りしなければならない。そのため学園で彼女を見いだした王子の音頭取りで、聖女と護衛、見届け人の我ら貴族がこの辺境まで参じたというわけだ。
……本来、シャルロッテはそんな責任も栄誉も負うような立場ではない。だが、吹けば飛ぶような木っ端役人の父の上役が身内を出すのを渋って、いろいろあった結果、お鉢が回ってきたのだ。
周りを見回せば、自分のように代理の代理とか名代の名代みたいな者が多い。それが一様に困惑していた。
……ぶっちゃけ、きな臭さは感じていた。
というのも、聖女が現れたにしては瑞兆の数がずっと少なく、また内容もしょぼかったからだ。本人が成したという奇跡の逸話の一つもない。
――聖女はまだ覚醒しておられないのではないか。
――いやまさか、王家が認定したのだから覚醒ぐらいは。
そんな噂まで流れていたというのは、旅に出てから知ったのだが。
そして本日。御披露目の晩餐会を辺境の城で行うに先立ち、エルフを招きに上がった面々は、彼の逆鱗に触れることとなった。
「王国は我を謀る気か」
え、と狼狽える人間たち。
「聖女の出現が間遠になったとは思っていたが、ついに偽物を仕立て上げるとは。我が加護がそうも惜しいか」
なんてこと。
慄く見届け人や護衛の騎士たちを後目に、王子と聖女はいきり立った。
こちらが本物の聖女だ。お年をとって目が曇ったのか。
罵詈雑言を連ねる小童に、エルフが鬱陶しげに手持ちの杖を握り直し、護衛に緊張が走る。……その瞬間、シャルロッテの脳裏に稲妻がひらめいた。
「──あの!」
少女の切羽詰まった声に、場は一時、注意を引き付けられる。
シャルロッテは物々しい大人たちの視線に負けじと息を吸って、続けた。
「賢者さま。王国はあなたを謀ろうなどとはしておりません。ただ少し、手違い──そう、手違いがあって」
「手違い?」
エルフの顔つきにも険は残っていたが、耳を傾けてくれる。よかった。
「ええ。わたくしが聖女です」
告げながらエルフのほうに一歩踏み出し、手のひらを向けた。
その中央に光が集まると、あっという間に蕾になって花が咲く。
「この通り、わたくしが聖なる力をいただきました」
「……ほう」
シャルロッテは必死だったから気付かなかったが、この間に、賢明な見届け人と数名の護衛がバカップルをその場から引き離し、黙らせていた。ファインプレーである。
「賢者さま、わたくしが聖女である証とお近づきの印に、どんな花でもお見せしましょう。何でも仰ってください」
エルフは、虚を突かれた顔をした。
……ややあって、ちらりと視線を上に向ける。
「そう……だな、空に花を」
「空に花?」
空に花を咲かせてみせよ、あるいはなんかの比喩だろうか?
「ええと……たとえば、虹のようなものでございますか?」
シャルロッテにはエルフがはっと我に返ったように見えた。
「いや、つまらぬことを言った。気にせずともよい」
「はあ」
よくわからなかったが、虹は出しておいた。簡単なので。
では賢者様、改めてお城のほうへ、と言う人間たちを制してエルフは苦笑した。
「それには及ばぬ。そなたらのみ、水入らずで楽しむがよい。……そうそう、たとえ聖女が現れずとも、我が命のある限り、加護を絶えさせることはせぬから安心しておれ」
喜んでいいのか、引き留めたほうがいいのか困惑する人間たちを残し、虹の下を歩き去ったエルフの背中が、シャルロッテにはどこか寂しく、──そして不思議な既視感があるように感じられた。
★
「いやあ、本当に助けられました。王国臣民の無事はあなたの申し出てくださったおかげです」
一行は城へ戻ると、遅れて到着した宮廷魔術師に出迎えられた。
シャルロッテは道中から厳重に護衛をつけられていたが、ここでようやく魔術師の鑑定を受け、正式に聖女であると認められた。
疑問はたくさんあったが、まずはあれだ、偽の聖女を押し立てていたことについて聞かねばなるまい。
「面目次第もございません。ご存知の通り、聖女が現れたのは数百年ぶりでしたため、聖女や瑞兆の現れを軽んじる風潮がはびこっておりました。まさか王族が、と某も思いましたものの、殿下は誰の入れ知恵か譲ろうとされません。ゆえに先んじて辺境へ向かわせ、城に留めさせている間に都で調査を致し、結果を持って某が追いつく手はずでございましたが」
調査が届くと、都合の悪い者がいたのだろう。暴走する王子と偽聖女が謁見を強行するまで止めることができなかった。
まぁ目星はついております、と魔術師は笑みを浮かべる。
学園の花々や瑞獣については明らかに聖女の出現を知らせるものだったため、調査には慎重を期したとの説明も受けた。
考えてみれば当然である、実際、偽聖女と同じ春に本物のシャルロッテが王都に出たのだから。
「しかしですね」
魔術師は声をひそめる。
「実は聖女の皆様方のお力につきましても、代を重ねるごとに……その、はばかりながら減衰される一方で」
そういえば、シャルロッテも聖女が何をできるのかよく知らなかった。さっきのあれは、なんか出せそう、と思ったら花やら虹やら出ただけなので。
「かつての聖女様は、海を割り、山を砕き、一夜にして都市を廃墟とするお力をお持ちだったとのこと」
「わお。まさかの怪獣ベクトル」
「……カイジュ……とは?」
聞き返されてはっとした。どこから来たんだこの語彙は。
しどろもどろになったシャルロッテに、魔術師はそうでしょうと言わんばかりにうなずいた。
「ええ、ええ。聖女様はご自分のものではない知識や知恵を、神から与えられていると聞きます。あなた様がまだ、それらに馴染まれていないのも無理はありますまい」
なるほど。
……そして魔術師からの敬意の眼差しのレベルが一段階アップしてしまったような……。
まあ、シャルロッテも自分が聖女だということは否定する気がしないので仕方ないのだが、かといって聖女が何をする存在なのかもわかっていないのだ。
それを聞くと魔術師は、意外なことを言った。
「先程も申しましたとおり、聖女のお力は代によってゆるやかに弱くなって――失礼、まいりまして、それに、代ごとに得意であられることも違っていたのです。整地や開墾に向かれた方、癒やしのお力に長けておられた方、魔物を倒すことが得意であられた方、など。……ですので、これができたら聖女様、というべきものはございません。ただ一つ、果たさねばならないのが」
ここで魔術師は咳払いした。
「……護国のエルフの賢者にお目通りして、その伴侶として認められること、この一点のみにございます」
え、……えー。
突っ込みたいところは山程あったのだがとりあえず一番はこれだ。
「じゃあ、他の男の腕にしがみついてる女とかって最初から駄目じゃないですか」
「ええ、駄目ですね」
そりゃ怒るわ。ある意味偽物でよかったー。
「いやあもう……まことに聖女様のお申し出くださったお陰でして……これで向こう数十年はこの国もご加護をいただけます」
そんなに簡単にこちらを聖女認定して大丈夫なのか、学習しとらんのか王国上層部、と突っ込みたい気持ちも芽生えたが、もっと気になることがあった。
「……あの、賢者様はたぶん、聖女が未来永劫現れなくても、加護を打ち切ったりはなさらないと思うんですよ」
魔術師は、きょとんとした。
★
さて、その日の晩餐だが、これがなかなか出てこなかった。
というのも、エルフと聖女を歓待するために準備していた素材を使ってしまっていいか、なかなか判断がつけられなかったからである。
それを小耳に挟んだシャルロッテは、自ら厨房へお邪魔した。結果、
「生肉は使っちゃわないとやばくない?」
暫定的に現在ここでもっとも高位なのがシャルロッテだという(宮廷魔術師の地位はさほど高くない)。そこで、コックに指示を出して大量の生肉を調理してしまうことにした。
調味料や付け合わせを見て考えた、今日のメニューは「ハンバーグ」だ。
表面上おそるおそる供すると(料理人の腕もよく、実際は得意げにしたいところだったが)、これが大好評。特にここのところ、アホ王子と偽聖女のおかげで要らぬ気苦労を味わっていた騎士たちからは大歓迎された。
料理の名を聞かれて答えると、確かかつての聖女が残した記録にある……と言われる。これはいよいよ前世の知識だ。
そして翌朝、シャルロッテの今後について相談がもたれる。城主や宮廷魔術師、見届け人の代表者らと検討し、まずはやはり改めてエルフへの詫びをしなければならないだろう、との結論に至った。
まずは目通りを求めるため、エルフの集落があるという北西の山へ向かうこととなった。
メンバーは彼女と魔術師、見届け人の貴族が数人、それに護衛の騎士たち。
山はなだらかで歩きやすかったが、雪に覆われていた。魔術師がシャルロッテに周囲の影響を和らげる魔力の使い方を教えてくれたおかげで、旅自体はさほど困難ではない。
ただ、分け入っても分け入っても遭遇できそうな様子はない。
……気配はあるのだ。
周囲に生える竹に混じって、複数の存在にじっと観察されているのは感じている。おそらく、エルフであろう。
しかし、賢者様にお詫びを申し上げるため参った、とシャルロッテや貴族の代表者が声を張り上げても、まったく近づいてくるそぶりはなかった。
何日かの野営を挟み、とうとう一行は断念した。最終的に承認を得るとしても、宮廷と相談の上、他の手段を模索しなければならないだろう。
……シャルロッテはもやもやした。加護をずっといただけるというなら、顔を見せてくれるぐらい構わないのでは。
そんなに拗ねなくてもいいじゃないか。
……拗ねる、というのは不敬だったかなと、首を振って打ち消す。……あの後ろ姿が眼裏に焼き付いている。
やはり、もう人間の女を嫁にすることに飽きたのだろうか。自分としては、……やぶさかではないのだが。そのちょっと、……何人目になるんだよみたいなことはちょっとだけ、気になるが。
悶々と考え続けていると、見届け人の貴族|(難なく山行についてきていた)に気遣われてしまった。いえ大丈夫です、とりあえず帰って、あったかいもの食べて、体を伸ばして眠ってから考えましょう。
余談だが野営では、護衛の希望で毎度シャルロッテが料理を振る舞った。貴族らにも、かなり、評判だった。
★
山を下りればすぐに城下町だ。先に魔法で不首尾は知らせてある。
ところが、出立の時にはなかった賑わい。民の様子も心なしか浮き立っている。
「お祭りでしょうか?」
日が落ちかけた町の広場に、大きな鉄製の湯船のようなものが準備されている。
「聖女様の登場を祝って、いにしえの聖女様がもたらしたという料理を振る舞うんですよ!」
それはいい、と魔術師が料理の名前を聞いた。愉しげな民が答えていわく。
「カレー、と言うそうです」
――カレー!! めっちゃ好きだった!!!!!
そういえば、転生してから食べてない。
……もはやシャルロッテは、自分が転生者であることを疑っていなかった。
材料を検める。山積まれたジャガイモに、タマネギ、にんじん。肉もあったが、ルーがない。そりゃないよな。
スパイスを一からブレンドする知識はない。しかし、いにしえの聖女の残した記録がないだろうか……そう思ったとき、ふと脳裏をとあるイメージがよぎる。
都会の一部屋。狭いベランダに、ガーデンチェアとテーブルを出した。
カレーはあの人も好きだった。私はルーにこだわりはなかったけど、彼は……何だっけ。ひらがなのあの銘柄が好きで。売り場で探して買うということを覚えた。
缶ビールが二本。くつろいだ服装で。
家賃の割にさほど広くも便利でもない住み処だったが、毎年、花火大会をベストポジションで鑑賞できるところが、二人とも気に入っていた。場所代に払っているのだ、と言って笑いあうほど。
――空に、花を。
あの人をずっと待たせていた。死んだのは一緒だったのに、長命だから、きっとたくさんの聖女を見送らせてしまった。
城の尖塔のさきに求めていた気配を感じた。
――空に、花を。
黒い夜空に向かって、彼女の打ち上げた色とりどりの魔力が迸っていった。




