第1話 葬儀場の午後
色は、重さだった。 初めは、私をひとりきりで水底に引きずり込む、呪いの重さ。 けれど今は、この両腕で抱きしめる、愛おしい魂の重さ。
これは、私が世界から色を奪われ、そして、たった一つの自分の色を取り戻すまでの物語。 ピクセルに散りばめられた、心の重さを知る物語。
初めて『心の色』を見たのは、小学三年生の夏だった。二十一歳になった今でも、あの日の空気の重さ、肌にまとわりつく湿気、そして世界が塗り替えられてしまった瞬間の衝撃を、昨日のことのように思い出せる。あれは、私の世界から無垢な透明さが失われた、最初の記念日だった。
じりじりと肌を焼くような陽射しが、葬儀場の黒い屋根瓦を照りつけている。どこまでも続くかのような蝉時雨が、読経の声と混ざり合い、むせ返るような熱気の中で奇妙に響いていた。汗で首筋に張り付く、借り物の喪服がちくちくして気持ち悪い。私はこっそり襟元を引っ張り、生ぬるい空気を送り込んだ。
畳と、たくさんの花と、そして線香の煙が混じり合った匂いが、部屋の隅々まで満ちていた。大人たちはみんな、黒い服を着て、見たこともないような神妙な顔つきで座っている。退屈だった。祖母が死んだ、ということは何となく分かっていたけれど、それがどういうことなのか、九歳の私にはまだうまく理解できなかった。ただ、もう二度と、あのしわくちゃの手で頭を撫でてはもらえないのだということだけが、胸のあたりにもやもやとした塊になって居座っていた。
視線を彷徨わせると、部屋の中央に置かれた大きな木の箱が目に入った。その周りには、白や黄色の菊の花が、これでもかというほど飾られている。祖母は、あの中にいるのだと母は言った。眠っているみたいに静かな顔をしているのだと。でも、私にはそれを見に行く勇気がなかった。
読経が終わり、大人たちがざわざわと動き始める。私は部屋の隅で、そんな光景をただぼんやりと眺めていた。その時だった。母が、祖母の遺影の前で、静かに泣き崩れたのは。
最初は、しゃくりあげる小さな声だけが聞こえていた。ぎゅっと唇を噛み、耐えるように肩を震わせる母の背中は、いつもよりずっと小さく見えた。父がその肩にそっと手を置く。その瞬間、何かが弾けた。母の周りの空気が、ふっと揺らいだように見えたのだ。
目を凝らす。気のせいなんかじゃなかった。
母の体から、まるで霧雨のように、細かい光の粒子が噴き出していた。それは、深く、どこまでも吸い込まれそうな藍色をしていた。一つひとつの粒子は、テレビの画面を虫眼鏡で覗いたときに見える、四角いピクセルのようだった。それらが無数に集まって、静かな雨のように、母の周りに降り注いでいる。デジタルな雪が、音もなく舞い落ちてくるような、非現実的な光景。
「……なに、あれ」
思わず声が漏れた。けれど、私の小さな呟きは、蝉の声にかき消されて誰にも届かない。周りの大人たちは、誰もその不思議な光に気づいていないようだった。私だけだった。この世のものとは思えない、藍色のピクセルの雨が見えているのは。
それは、ただ美しいだけの光ではなかった。見ているだけで、胸の奥がぎゅうっと締め付けられる。ずしり、と重たい鉛を飲み込んだみたいに、息が苦しくなる。その藍色の粒子に触れると、肌がひやりと冷たくなるような錯覚さえ覚えた。冷たい雨の匂いがする藍色。悲しみが形になったものなのだと、言葉ではなく、魂の深いところで直感的に理解してしまった。
母の嗚咽が深くなるにつれて、藍色の雨は勢いを増していく。それはもう雨ではなく、滝のようだった。空間そのものが藍色の光で飽和し、視界がぐにゃりと歪む。頭の芯が、キーンと鋭く痛み始めた。私は両手で耳を塞ぐようにして、強く頭を抱えた。
見たくない。見たくない。見たくない。
心の中で叫んでも、その光景は網膜に焼き付いて離れなかった。悲しみは、こんなにも重くて、冷たくて、そして痛い色をしているのか。蝉の声が遠のいていく。線香の煙が、藍色の光に溶けていく。私は、この日、この瞬間に、世界が今までと同じ姿をしていないことに、たった一人で気づいてしまったのだ。




