第九話:ゼロ・アワー
神々の観測室は、静かな墓標のようになっていた。
三柱の神は、もはや言葉を交わすこともなく、ただ第三地球で繰り広げられる、人類という種の最終幕を、瞬きもせず見つめていた。
モニターに映し出されるのは、恐怖に支配された世界だった。
神から与えられた叡智は、今や二つの巨大な軍事ブロックによって「神の杖」と「神の鉄槌」という名で呼ばれ、互いの喉元に突きつけられている。
外交という名の罵り合いは途絶え、指導者たちは地下深くの司令室で、モニターに映る敵国のエネルギー指数だけを睨みつけていた。先に撃たせた方が負ける。だが、撃たなければ、撃たれる。猜疑心が生んだ究極のジレンマが、惑星全体を覆っていた。
最初にその叡智を受信した科学者たちは、涙ながらに訴えていた。
「これは、戦うための力ではない!手を取り合うための奇跡だ!」
と。だが、その声は、恐怖と国家エゴが増幅させた巨大なノイズにかき消され、誰にも届かない。
「これが…」
主神は、か細い声で呟いた。
「私が信じた、彼らの『可能性』の、これが結末なのか…」
彼の瞳には、かつて人類の進化に見た輝きはなく、ただ深い絶望の色が浮かんでいた。彼は、救おうとして、滅びを早めたのかもしれない。その自責の念が、創造主の心を苛んでいた。
「違う」
裁定神が、静かに訂正した。
「これは、可能性の結末ではない。必然の結果だ。彼らの基本OSに組み込まれた『恐怖』と『支配欲』というバグが、大きな力を与えられたことで、正常な論理思考を完全に上書きしたに過ぎん。予測通りの、システムクラッシュだ」
彼の言葉は冷徹だったが、その声には、もはや主神を詰るような響きはなかった。ただ、目の前で起きている事象を分析し、結論を述べる、純粋な観測者の声だった。
そして、その時は来た。
片方の陣営の早期警戒システムが、敵国内のエネルギー施設から、発射準備と見られるわずかなニュートリノの揺らぎを「誤検知」した。
それは、宇宙から降り注ぐノイズか、あるいは太陽フレアの影響に過ぎなかったのかもしれない。だが、極限の緊張状態にあった指導者たちは、それを「攻撃の意思」と判断した。
「…総員、第一級戦闘態勢。目標、敵国主要都市。ためらうな。我々がやらなければ、我々がやられるだけだ」
地下司令室に、冷たい声が響く。
そして、惑星の片側で、地平線の彼方まで届くほどの巨大な光の柱が、天を突いた。
神から与えられた、星のエネルギーを操る技術。それが初めて、同族を滅ぼすためだけに使われた瞬間だった。
補佐神が、感情を殺した声で報告する。
「第一目標、発射を確認。目標、対大陸弾道上。エネルギー指数、予測を遥かに上回り、惑星規模の環境破壊を引き起こすレベル。着弾まで、あと…」
主神は、思わずスフィアに手を伸ばした。
止めなければ。今すぐ、介入しなければ。奇跡を起こし、あの光を宇宙の塵として消し去らなければ。
だが、その指は、スフィアに触れる寸前で空を掴んだ。
できない。
これは、彼らの選択だ。
神が介入してしまえば、この壮大な実験そのものが、完全に意味を失う。それは、テストの途中で、親が子供の答案用紙を取り上げてしまうようなものだ。
主神は、ただ、見ていることしかできなかった。
光の槍が、宇宙空間に達し、緩やかな弧を描いて、惑星の反対側へと突き進んでいく。
それは、神々の視点から見れば、あまりにも静かで、美しくさえあった。
人類が自らの手で作り出した、最も壮麗な、自殺の道具。
観測室は、沈黙に支配されていた。
もう、誰も何も言わなかった。
モニターの中で、光は、寸分違わず、その目的地へと吸い込まれていく。
そこに住まう数億の命と共に。
人類が、人類でなくなる瞬間まで、あとわずか。
遂に、はじまってしまいました
人類に未来なんてないのでしょうか