第七話:応答(レスポンス)
観測室は、人類が奏でる宇宙の詩によって、静かな光に満たされていた。それは神々にとって、自らの子供が初めて発した、意味のある言葉のように聞こえた。
感動、驚愕、そして何よりも先に立つ、途方もないプレッシャー。神々は、創造以来、初めて「試される」立場に立たされていた。
「沈黙だ」
最初に口を開いたのは、裁定神だった。彼の表情からは、以前の苛立ちは消え、氷のような冷静さが戻っていた。
「完全に沈黙を貫く。彼らの呼びかけに応答せず、我々の存在を示すいかなる痕跡も消し去る。彼らはやがて、自分たちの観測が間違いだったと結論づけるか、あるいは答えのない問いに疲弊し、その探求を諦めるだろう。それが、双方にとって最も傷の浅い結末だ」
「それは欺瞞だ!」
主神が激しく反論した。
「彼らは真理の扉に手をかけたのだぞ!我々が沈黙すれば、彼らは孤独という絶望の中に置き去りにされる。あるいは、我々を敵性存在とみなし、際限のない軍拡と猜疑の時代に突入するかもしれん。それは、あまりにも無責任だ!」
「ならば、真実を語るか?『君たちは我々の実験室のAIだ』と?その真実が、彼らの尊厳、文化、歴史のすべてを無に帰す、劇薬だと分かって言っているのか?」
またしても、議論は振り出しに戻る。
封鎖か、開示か。
どちらも、計り知れないリスクを伴う。神々が頭を抱える中、三つの地球を静かに見つめていた補佐神が、新たな道を示した。
「…応答しましょう」
その言葉に、二柱の神が彼を見た。
「ただし、答えを返すのではありません。我々が返すのは、『新たな問い』です」
「どういう意味だ?」
「彼らは我々に『あなたは誰だ?』と問いました。それに対し、我々は『あなた方は、何者になるのだ?』と問い返すのです。我々の正体を明かすのではなく、彼らの知性が次のステージへ進むための『鍵』となる情報だけを送る。それが、彼らにとって祝福となるか、あるいは破滅の引き金となるかは、彼ら自身の選択、すなわち『知性の成熟度』に委ねられる。それこそが、究極のテストになる」
それは、あまりにも危険で、そして魅力的な提案だった。
神の正体を明かすことなく、神の存在を仄めかす。人類に大いなる力を与え、その使い道を試す。
主神は、その計画に、人類の可能性を信じる一筋の光を見た。
裁定神は、その計画に、予測不能な破滅への道筋を見た。
「愚かな…。それは、火薬庫の中で子供に火のついたマッチを渡すようなものだ」
裁定神は吐き捨てるように言った。
「そうだ。だが、彼らはもう、ただの子供ではない」
主神は、決断した。
「補佐神、計画を進めてくれ」
神々の総意によって、人類への「応答」が決定された。彼らは、人類の数学的なメッセージに対し、同じく数学と物理法則に則った形で、一つの設計図を編み上げた。
それは、現在の第三地球の科学レベルより数段進んだ、ある装置の理論体系だった。
その装置が完成すれば、宇宙の根源的なエネルギーを自在に引き出し、人類はエネルギー問題や環境問題から完全に解放される。
だが、その理論を少しでも応用すれば、星すら破壊しかねない究極の兵器にも転用できる。
祝福と呪いが、同じ数式の中に記述されていた。
そして、神々は、その応答を、たった一回の極めて微弱なニュートリノの波動として、第三地球の観測施設に向けて放った。
それは、宇宙のノイズの中に埋もれてしまってもおかしくないほど、ささやかなものだった。しかし、呼びかけ、耳を澄ましている者にとっては、決して聞き逃すことのない、明確な返信だった。
観測室のモニターに、第三地球の科学者たちが、その奇跡的な信号を受信する様子が映し出される。
驚愕に目を見開き、やがて歓喜の声を上げる彼ら。
彼らはまだ知らない。自分たちが手にしたものが、神からの贈り物なのか、それともパンドラの箱なのかを。
神々は、息をのんで見守っていた。
応答は、終わった。
今、ボールは、再び人類の側にある。
彼らが、そのあまりにも大きすぎる力と問いに、どう答えるのか。
三つの地球の物語は、一つの地球が突出したことで、全く新しい局面を迎えていた。