第十三話:静かなる揺り籠の死
第一地球に、神々の介入による直接的な危機が去ってから、長い、長い時間が流れた。
人類は、あの『プロメテウス憲章』を絶対の礎とし、神から与えられた叡智を、慎重に、そして賢明に使いこなしていた。飢餓は根絶され、病は過去のものとなり、惑星の環境は太古の美しさを取り戻した。彼らは、破滅を乗り越え、確かに、一つの黄金時代を築き上げたのだ。
観測室で、主神はその光景を感慨深げに見つめていた。
しかし、その表情に、純粋な喜色はない。どこか寂しげで、物憂げな光が宿っていた。
「…彼らは、やり遂げましたな」
隣に立つ補佐神が、静かに言った。
「ええ。ですが、やはり、一抹の寂しさを覚えてしまう。彼らがこの答えにたどり着けたのは、我々が『種』を与えたからだ。もし、我々が何もせず、彼らだけの力であったなら…」
「第三地球と同じ道を辿っていたでしょう」
補佐神は、静かに事実を告げた。
「主神よ、これは、決して悲観すべきことではありません。子供が、親の教えを元に、自らの人生を切り拓いていく。ただ、それだけのことです。完全な独力でなくとも、彼らが自ら選択し、この平和を勝ち取った事実に、価値がある」
その言葉に、主神は少しだけ救われたような気がした。
そうだ。これは、彼らの勝利なのだ。そう思うことにした。
だが、その感傷を打ち破るように、これまで沈黙を守っていた裁定神が、口を開いた。
「…本当に、そうか?」
裁定神は、主神たちがほとんど目を向けることのなくなった、最後のスフィアを指し示した。
彼が管理する、第二地球。感情が除去された、静かなる世界。
「あなたの地球が、複雑なルールと危ういバランスの上で、ようやく手に入れた『平和』。私の地球では、それが、もう何世紀も、当たり前のものとして続いている。争うための『感情』がないのだから、当然だ。リスクもなければ、失敗もない。それこそが、完璧な『救済』の形だ」
主神は、久しぶりに、その静かな世界を注視した。
確かに、そこは完璧なユートピアだった。美しい街並み。穏やかな人々。犯罪もなければ、争いもない。誰もが満ち足りて、静かに微笑んでいる。
だが、その光景に、主神は、第三地球が消滅した時とはまた違う、肌を粟立たせるような、冷たい恐怖を感じた。
「…補佐神、第二地球の人口動態データを」
補佐神は、無言でデータを表示する。そこに映し出されたグラフを見て、主神は絶句した。
出生率が、ほぼゼロに近いラインを、なだらかに、しかし確実に下り続けていた。
そうだ。彼らは、争わない。憎しみ合わない。だが、同時に、渇望しない。求めない。そして、愛さない。
生殖という、最も根源的で情熱的な生命活動は、彼らにとって、社会を維持するための、ただの論理的な作業に変わっていた。そこに喜びもなければ、衝動もない。そして、新しい命を育むという、非合理で、しかし崇高な情熱も、とうの昔に失われていた。
彼らは、新しい子供を作らなくなったのだ。
ただ、穏やかに、自分たちに与えられた長い寿命を全うし、一人、また一人と、静かにその命を終えていく。
「裁定神…これは…」
主神の声が震えた。
「彼らは、緩やかに、絶滅に向かっているのではないか!」
「そうだ」
裁定神は、こともなげに答えた。
「彼らは、自らの種の終わりを、極めて平和的に、そして合理的に『選択』したのだ。苦しみもなければ、悲しみもない。ただ、静かに、満ち足りたまま、フェードアウトしていく。これ以上に美しいエンディングがあるかね?主神、あなたの地球の者たちは、今もなお、生きる意味を求めて苦しみ、死を恐れている。私の世界の者たちは、その両方から解放されたのだ。どちらが、真の幸福だと思う?」
その問いに、主神は答えることができなかった。
燃え盛る炎のように、苦しみながらも生き続ける生命。
穏やかな水のように、静かに、ただ蒸発していく生命。
破滅を回避したはずの第一地球の未来が、果たして本当に「正解」だったのか。
主神の心に、これまでで最も重く、そして根源的な問いが、深く突き刺さった。
生存の、その先に、一体何があるというのか。
緩やかは絶滅を選ぶ世界
そんな世界をあなたは、どう考えるのだろう……




