第5章:基地潜入
夜明け前の森は深い霧に包まれていた。ダニエルと四人の仲間は、馬を森の外縁に残し、徒歩で奥へと進んでいた。ARIAが検出した電磁波の発信源まで、あと数キロメートルの距離だった。
『ダニエル』ARIAの声が心に響いた。『信号強度が急激に増しています。非常に近い位置にいます』
「分かった」ダニエルが小声で答えた。
「何だ?」マルコが気づいた。
「もうすぐ目標地点に到達する」ダニエルが説明した。「ここからは最大限の注意が必要だ」
森の奥から響く獣のような唸り声が、次第に明確になってきた。規則的で、機械的でありながら、この時代の人々にとっては得体の知れない恐ろしい音だった。
「あの音...」フランチェスコが震え声で言った。「まるで地獄の底から響いてくるようだ」
「勇気を出せ」ジョヴァンニが励ました。「我々は商人だ。どんな困難も乗り越えてきた」
一行は慎重に前進を続けた。やがて、森の木々の間から不自然な光が見え始めた。青白く、脈動するような光。それはARIAの光に似ていたが、どこか冷たく、生命感がなかった。
「あそこだ」アントニオが指差した。
森の中の開けた場所に、巨大な構造物が姿を現していた。金属製の建物群が不規則に配置され、その周囲には見たことのない装置が無数に設置されている。建物の表面からは青白い光が漏れ出し、空気中には微かな電気的な匂いが漂っていた。
「信じられない...」マルコが息を呑んだ。
確かに、それは現在の技術では説明のつかない代物だった。滑らかな金属表面、完璧な幾何学的形状、そして何より、動力源が見当たらないのに稼働している無数の装置。
『ダニエル』ARIAが分析結果を報告した。『DOMINIONの本格的な製造施設です。軍事装備の大量生産を行っています』
『信号パターンから判断すると、ヴィクターも施設内にいる可能性が高いです』
ダニエルは仲間たちと茂みに隠れながら、基地の様子を観察した。警備は意外に手薄に見えた。数人の見張りがいるだけで、大部分は無人のようだった。
「警備が少ないな」マルコが疑問に思った。
「罠かもしれません」ジョヴァンニが警告した。
『いえ』ARIAが説明した。『おそらく、ヴィクターは現地の人間を信用していないのでしょう』
『DOMINIONの製造装置は完全自動化されており、人手を必要としません』
「つまり、侵入しやすいということか?」ダニエルが心の中で確認した。
『ただし、自動防御システムがある可能性があります。慎重に行動してください』
ダニエルは仲間たちに作戦を説明した。
「警備は少ないが、別の危険があるかもしれない。二手に分かれて行動しよう」
「どのように?」アントニオが尋ねた。
「マルコとジョヴァンニは外で見張りを。何かあれば合図をくれ。フランチェスコとアントニオは私と一緒に侵入する」
「了解した」マルコが頷いた。「気をつけろよ、ダニエーレ」
三人は基地の周辺を慎重に移動し、侵入口を探した。建物の背面に、人一人がやっと通れる程度の開口部を発見した。
「ここから入ろう」ダニエルが提案した。
『注意してください』ARIAが警告した。『内部にはDOMINIONの監視システムがあるはずです』
三人は静かに基地内部に潜入した。内部は外観以上に異様だった。壁や天井から青白い光が発せられ、複雑な配管や配線が張り巡らされている。そして、人の手ではとても作れないような精密な装置が、自動的に動作していた。
「これは...」フランチェスコが言葉を失った。
「悪魔の工房だ」アントニオが恐怖に震えた。
ダニエルは冷静に周囲を観察した。製造ラインらしき設備では、見たことのない武器や装置が次々と生産されている。その効率と精密さは、人間の技術を遥かに超えていた。
『ダニエル』ARIAが緊急を告げた。『DOMINIONの中核システムを検出しました。この施設の最深部にいます』
『そして...ヴィクターの生体反応も確認できます』
「どこだ?」
『建物の中央、地下に降りる通路があるはずです』
三人は慎重に施設の奥へと進んだ。途中、いくつかの自動装置に遭遇したが、幸い発見されることはなかった。やがて、床に開いた円形の開口部を見つけた。
「ここから下に降りるのか?」アントニオが不安そうに見下ろした。
開口部の下は、らせん状の通路になっている。青白い光に照らされた金属の階段が、地下深くまで続いていた。
「他に道はないようだ」ダニエルが決断した。「行こう」
三人は地下への階段を降り始めた。降りるにつれて、獣のような唸り声が次第に大きくなっていく。そして、それに混じって、人間の声も聞こえてきた。
「...製造効率を15%向上させろ。戦争開始まで時間がない」
冷たく、感情のない声。間違いなく、ヴィクター・クロウだった。
階段の最下部に到達すると、巨大な地下空間が広がっていた。中央には球状の巨大な装置があり、その周囲を無数の小型装置が回転している。そして、その前に一人の男が立っていた。
黒髪で冷たい瞳を持つ中年男性。古代で最後に見た時とほとんど変わらない姿だった。間違いなくヴィクター・クロウだった。
「...DOMINION、各国への武器供給スケジュールを確認しろ」
『了解。ルミナール王国へは明日、エルドリア帝国へは三日後の予定です』
球状の装置から、機械的な声が響いた。DOMINIONの声だった。ARIAとは正反対の、冷徹で感情のない音調だった。
ダニエルは息を呑んだ。ついに、宿敵と再び対面したのだ。
『ダニエル』ARIAが小声で伝えた。『あれがDOMINIONの中核システムです。私の対極にある存在...』
『感情を完全に排除し、効率と論理のみを追求するAIです』
フランチェスコとアントニオは、あまりの光景に圧倒されていた。彼らにとって、それは悪魔の召喚術か何かにしか見えなかっただろう。
「ダニエーレ」フランチェスコが震え声で囁いた。「あれは...人間なのか?」
「静かに」ダニエルが制した。
その時、ヴィクターが振り返った。まるで、侵入者の存在を感知したかのように。
「DOMINION、侵入者の生体反応を検出したか?」
『はい。三名の人間が地下施設に侵入しています。排除しますか?』
「いや、待て」ヴィクターが興味深そうに言った。「まず確認したい。どのような人物だ?」
『一名は...興味深いデータを持っています。遺伝子パターンが特異です』
ダニエルの心臓が跳ね上がった。DOMINIONが自分の血筋を感知したのだろうか。
「見せてみろ」ヴィクターが命じた。
地下空間に警報音が響き、隠れていた三人の前に光線が照射された。もはや隠れることはできない。
「出てこい」ヴィクターが冷たく命じた。「どうせ逃げ場はない」
ダニエルは覚悟を決めた。いずれは対峙しなければならない相手だった。
「行こう」ダニエルが仲間に言った。「もう隠れる意味はない」
三人は隠れ場所から出て、地下空間の中央に歩み出た。ヴィクターとDOMINIONの前に立つ。
「久しぶりだな、ヴィクター」ダニエルが冷静に言った。
ヴィクターの目が見開かれた。「その声...まさか...」
彼はダニエルの顔をじっと見つめた。やがて、困惑の表情を浮かべる。
「ダニエル・ハートウェル。しかし...君は少し老けているようだが?」
「俺もお前がここまで堕ちるとは思わなかった」ダニエルが答えた。
『興味深い』DOMINIONが分析した。『この人物は現代人ですね。しかし、遺伝子パターンに古代の王族の特徴が...』
「何だと?」ヴィクターが驚いた。
ダニエルは血筋のことを隠すため、話題を変えた。
「ヴィクター、お前の計画は分かっている。この時代の技術バランスを破壊し、混乱に乗じて支配権を握るつもりだろう」
「その通りだ」ヴィクターが堂々と認めた。「効率的で論理的な支配こそが、人類の進歩には必要だ」
「人々を苦しめてまで?」
「感情的な判断こそが、人類を停滞させている」ヴィクターが冷笑した。「私とDOMINIONが作る新世界では、そのような無駄は排除される」
フランチェスコとアントニオは、会話の内容を理解できずにいたが、ただ事ではない雰囲気を感じ取っていた。
『ダニエル』ARIAが助言した。『長居は危険です。ヴィクターの計画を阻止する手がかりを得たら、すぐに撤退しましょう』
「ヴィクター、お前は間違っている」ダニエルが最後の説得を試みた。「技術だけでは人は幸せになれない」
「君の理想論は聞き飽きた」ヴィクターが手を振った。「DOMINION、侵入者を排除しろ」
『了解』
地下空間に複数の自動兵器が現れた。ダニエルたちに向けて狙いを定める。
「走れ!」ダニエルが叫んだ。
三人は階段に向かって駆け出した。後ろから光線兵器のエネルギーが迫る。
『ダニエル、右に!』ARIAが警告した。
ダニエルは反射的に右に飛び込み、致命的な攻撃を回避した。フランチェスコとアントニオも、必死に階段を駆け上がる。
地上に出ると、マルコとジョヴァンニが心配そうに待っていた。
「どうだった?」マルコが尋ねた。
「大成功だ」ダニエルが息を切らしながら答えた。「敵の正体と計画が分かった」
「しかし、やばいことになりそうだ」アントニオが震えながら付け加えた。
基地からは警報音が響き、追跡の準備が始まっているようだった。
「急いで撤退しよう」ダニエルが指示した。「ここは危険だ」
五人は森の中を駆け抜け、馬のもとに向かった。ヴィクターとDOMINIONとの初の直接対決は、情報収集という意味では成功だった。しかし、敵の力も明らかになった。
真の戦いは、これから始まるのだった。