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ある家庭教師の話-11

 ………。

 

 男教師との出会いがあったその次の日。

 私は、いつものように少年に勉強を教えていた。

 少年はしばらくは黙って真面目に勉強をしていたが、何所となく落ち着かない様子でいて、ふと私に視線を投げかけると口を開いた。

 「ねぇ、先生」

 「うん?」

 どうしたと言うのだろう?

 「こないだのね、原因を探してみたんだ」

 「こないだの?」

 「あの、日本では発達はしていないけど女性原理が強くって、それで集団主義になってしまっているってヤツ。どうして日本がそういう社会になちゃうのかな?って思って、原因を探してみたの」

 少年は目を輝かせている。

 勉強の方は動きを止めてしまっていた。しかし、こんな顔をされたら、この雑談にのらない訳にはいかないだろう。

 この話がしたくて、少年は勉強に身が入っていなかったのだ。

 恐らく、うずうずしてしまって、勉強が終るまで待てなかったのだろう。

 「ふーん。 で、その原因だと思える事が見つかったのかい?」

 それに、

 「うん」

 内発的動機付け。

 「家にある、心理学の雑学書を引っ張り出してきて、探したんだ。そしたらね…」

 こちらの方がむしろ本当の意味での勉強、否、本当の意味での学習である。

 ………。

 「どんなのがあった?」

 これは私も流石に、どんな事を言ってくるのか見当も付かなかった。

 「あのね、アメリカだとか個人主義の文化を持つ社会に比べて、日本では圧倒的に子供の頃のスキンシップの量が多いってのを見つけたんだ」

 スキンシップ。

 私はそれを聞いて思わず唸ってしまった。

 確かに、スキンシップは最も原始的かつ最も重要なコミュニケーションの手段だと言われている。

 子供の頃のそれは特に重要で、生育に大きな影響を与える。

 だから、その差が、社会の性質に大きな影響を与えているという可能性は、充分に考えられるのだ。

 「ほら、日本だとかなり大きくなるまで、子供と一緒にお風呂に入ったり、布団で一緒に寝たりする習慣があるでしょう? 個人主義の社会では、アメリカの場合しか本には書かれてはいなかったのだけど、アメリカの場合だと、結構小さな頃から自立心を育てる為だとか言って、独りきりにさせてしまうらしいんだ」

 赤ちゃんや犬など可愛い者を見ると、人はそれに触れたがる性質を持っている。

 頭を撫でたり、頬ずりをしたり。

 その性質は、子供の頃のスキンシップの重要性を物語っているのではないだろうか?

 スキンシップが重要だから、人間はそんな性質を持っているのだ。

 アメリカでは、日本に比べて精神異常(性的に殺人を嗜好する、など)が原因の殺人が異常に多い。また、多重人格(解離性同一性障害)の顕著な例も、アメリカで発見される事が一番多いらしい。もちろん、結論は安易に出してしまうべきではないが、これらの事柄がスキンシップの不足と無関係であるとは私にはとても思えない。

 「あ、それとまだ面白い話があったよ。関係があるのかどうなのかは分からないけど、子供の頃はスキンシップの量は圧倒的に日本人の方が多いのだけど、大人になると日本人のスキンシップ量は一気に減ってしまうんだって。反対にアメリカ人のスキンシップ量は増えるらしいけど。これは、なんか言われなくても分かるよね。アメリカ人、握手とか大好きだし、抱き合ったりとかも日本人よりも多くしてるっぽいもん」

 (ほぉ)

 その時私は、少年の語るその内容を聴いて、ある面白い事に気が付いた。もしかしたら、といった程度のモノだが。

 私は、直ぐにそれを少年に言おうかとも思った、がその前に、

 「なるほどね。確かに面白いよ。でも、そのスキンシップに差があるというデータを知って、君はどう考えて、個人主義社会と集団主義社会の差が生じると思ったんだい?」

 と、少年の意見をもっと詳しく聴いてみる事にした。もしかしたら、少年も似たような事に気付いているかもしれない。

 そう思ったのだ。

 すると、少年は説明を始めた。

 「スキンシップってさ、言語化されないコミュニケーションでしょう? はっきりしない感覚での、コミュニケーションだよね? という事は、女性原理男性原理で言うのなら、女性原理だと僕は思うんだ。そして、日本人がスキンシップによる快感を子供の頃に多く味わっているというのなら、それは女性原理を中心に物事を捉えるという事を多く体験しているという事になると思う。で、たくさん経験すれば、それが発達をするのは当たり前だから、それで女性原理が強くなって、それによって集団主義社会になってるのじゃないか、と僕は思ったんだ」

 私は少年の説明に頷いた。

 私もその部分には同意見だったからだ。

 「うん。良いと思う。明確な論理だね。私も君と大体同じ様な事を考えていたよ。全くその通りかどうかは分からないけれど、少なくとも無視できない見解であるとは思う。後、集団主義社会を形成する要因は、まだ他にも存在する可能性があるという点にも注意をしなくちゃいけないけどね」

 私がそう言うと少年は嬉しそうな表情を作った。

 私は、それを観ると、一旦間を置いてから更に続けた。

 「ただ、私は、君の話してくれた事から、もう少し別の事にも気付いたよ。別の視点からも、スキンシップによって女性原理が強い社会になっている、その事の証拠になりそうな事柄を導き出せるね」

 私の言葉を聞くと少年は、表情は嬉しそうなままで、

 「えー? 何かまだ分かる事があるの? たったこれだけの情報から?」

 と、言葉ではしっかりと悔しがっていそうな事を言って来た。

 私は笑いながら応えてやる。

 「まぁ、もっとも、かなり不確定な推論だけどね。データが足りないから、信頼性は君の言った見解よりも各段に低いよ」

 一応、断りを入れておいたのだ。そして、それから説明を始めた。

 ………。

 「さて、先ずは質問から始めるよ。人がさ、尊敬する人や好きな人の前で、緊張をしてしまうのは何故なんだろうと思う?」

 少年は、その私のいきなりの質問を聞くと、キョトンとした表情を見せた。

 「ん?」

 戸惑っているようだ。

 「そんなに深い事は聞いていないよ。簡単な答えで良い」

 私がそう言うと、少年は、

 「嫌われるのが怖いから。かな?」

 と、自信なさそうに答えて来た。

 私は、オーケーのサインを出してやる。

 「うん。それでいいと思う。受け入れてもらえるかどうか不安になるのだね。受け入れてもらえなかった場合のショックが大きい事を予想して緊張をしてしまう。だから、何とも思っていない相手の方が自然に話しかけられたりする。 さてと、この事を踏まえた上で、さっきの話を思い出してみないか?」

 「さっきの話?」

 「大人になると、日本人はスキンシップ量が減ってしまうという話だよ」

 少年は、私にそう言われると、一瞬間を空けて、

 「ああ、そうか」

 と、呟いた。

 こんな簡単な事だったのか、というような呟きだ。

 「つまり、それでスキンシップができなくなっちゃうのか」

 私は、そうだね、と答えてから、再び説明を始めた。

 「日本人はスキンシップによる快感を多く味わっている。それで、きっと人が好きになっていて、で、だから相手に好かれようとするのだろうね。そして、人と触れ合うのに緊張してしまい、大胆な行動を執る事ができなくなる。多分、受動的であるというのも、この点に関係してくるのじゃないかと思う。そして、相手に受け入れてもらおうとする事、つまり相手に好かれようとする事、それは気持ちでの捉え方で、つまりは女性原理的だといえる」

 少年は溜め息を漏らしてから言った。

 「なるほど、大人になるとスキンシップ量が少なくなる、という日本人の特性から、女性原理が強くなるのに、子供の頃のスキンシップ量が関係しているのではないか?って事を導き出せるのか」

 そして、その後に、ポツリと「全然、気付かなかったや」とも付け加えた。

 今度は明かに悔しがっている。

 「これは、帰納的思考による結論だね」

 私はそんな少年の様子を観ながら、

 「だけど、あまりこの考えを重要視し過ぎてもいけないよ。さっきも言ったけど、これは、まだ足りない情報からの判断に過ぎないのだからね」

 と念を押しておいた。

 少年が感心し過ぎている、と思ったからだ。

 あまり、印象での判断を強くし過ぎてはいけない。主観が入り込み、事実を歪めて捉えてしまう。

 少年は、うーんと考え込みだした。

 何を悩んでいるのか?

 自分がこれを思い付けなかった事か、それとも、今話した内容をもう一度考え直しているのか。

 恐らく、そのどちらもを悩んでいるのだろうが。

 私は、そんな少年に向けて、こんな事を語り掛けてみた。

 「前に、集団主義社会の利点についての話をしたろ? あの、色の変わるボールのモデルの話の時に」

 少年は何も言わずにコクリと頷く。

 「論理ではなくて、印象で物事を判断するから、宗教など教義が矛盾するモノ同士でも共存できる。これだけ平和な社会なのもそのお陰だって、確かそんなような話をした。あれは、女性原理が優位な社会での利点の話でもあった訳だよ。直結していた訳だね、話が」

 少年はそれを聞くと、考え込むのを止め、ハッとなって私を見た。

 「女性原理男性原理、それぞれにメリットがありデメリットがある。例えば、皆が同じになろうとする女性原理の集団社会だと、皆が同じな訳だから、進歩する事ができない。これは、前にも言ったけどね。一方男性原理の個人社会ならば、争い事が多くなってしまうから、これもいけない。教育にも問題が生じてしまい易くなる」

 少年は黙って私の話を聞いていた。

 もう、何度も同じ様な話をしているが、学習にとって“繰り返し”は重要な要素だ。その度に理解が深まって行く。

 少年にもその事が分かっているから、大人しく話を聞いているのかもしれない。

 「東西の、西洋と東洋の論理学の違いを指摘した本があるよ。西洋の論理学では、純粋に論理性のみが追求されているのに対して、東洋の論理学ではそこに感情が入り込むのだそうだ。つまり、正しい間違っている、を追求するのではなくて、如何に相手に受け入れられるか、という要素が加わってくるんだ。そして、日本ではその傾向は特に強いらしい」

 少年は、そこまでを聞くとやっと口を開いた。

 「つまり、そこも女性原理と男性原理?」

 「うん。そうだろうね。その事の証拠になる話だ。また、こんな話もあるよ。ヨーロッパでの戦争は悲惨で、ドイツでは、人口の三分の一か、四分の一が殺されてしまった事もあったらしい。つまり、男性原理の社会のデメリットの証拠が、ここに観られる」

 それを聞くと、少年は渋い顔をした。

 少年は、以前集団主義の社会に対しての、強い反感を見せた事があった。

 「だけどもちゃんと利点もある。男性原理が強いから、純粋に論理性を追求する論理学が生まれ、それが科学の発展に結びついた。もちろん、それだけじゃない。個人主義の社会の場合、個性を評価する能力に優れているから、個人の影響を社会全体に伝え易い。つまり、だから、社会は発展し易い。これは科学の発展を観ても言える事だし、社会システムの発展にも言える事だよね。近代資本主義システムは、ほとんど西洋の文化から生まれている」

 それを聞くと少年は言った。

 「集団主義の社会の場合、皆が同じになろうとして、個性を潰してしまうし、そもそも論理性が欠如しているから、幾ら正しい事を個人が言っても、それを理解できないで無視してしまうんだね」

 「その通りだね」

 私はそれに同意を示した。まだ集団主義社会に対して少年は反感を持っているのだな、とそう思いつつ、だが、それだけでなく、

 「でも、おかしいとは思わないかな?」

 疑問を投げかけてみた。

 「では、どうしてその集団主義の日本社会で、高度経済成長が起きて、しかも技術力も高い水準を誇っているのだろう?」

 それを聞くと、少年は驚いたようだった。

 考えた事もなかったのかもしれない。

 分からないかな?

 私は言葉にはせず、視線でそう問い掛けてみた。

 少年は何も応えない。

 黙ったままだった。

 私は口を開いた。

 「まずは、人とのコミュニケーションが多いと、神経の発達が促される、というのがあると思う。つまり、思考能力や技術力が上がるね。細かい作業なんかも巧くなるんだ。それと、女性原理は内発的動機付けに関与している。だから、報酬が少なくても、研究だとかその事自体が面白くて、それを続ける、という人を発生し易くする。これは、今の資本主義の常識にはない見解だけど、でも、実力主義でない日本の技術力が高い背景には、絶対にこういった要素があると思うよ。そして、最後に“同じ”にするという特性だ。これのお陰で、日本人は所得が平均的になった。世界の中でも珍しい程にね。そして、所得が平均化している、という事はそれだけ多く消費者が存在している、という事でもある。消費者が多ければ、金の循環もスムーズになる。つまり、経済は発展する訳さ」

 既に、何が言いたいのか、少年には理解できているようだった。

 「分かってるよ」

 口を開いた。

 「集団主義社会にだってメリットがある事くらい。まだ、ちょっと気持ちの整理がつかないだけで」

 「うん」

 私はそれに対して、にっこりと微笑んでやる。

 そして、それから、

 「でも、今の日本社会の危機状態は、集団主義のメリットじゃ解決できないのだけどね。しかも、お得意の海外の真似もそれほど効果はないかもしれない。何故なら、日本と海外じゃ条件が違い過ぎるからね」

 続けて、そう言ってやった。

 少年は、そんな事を言った私の事を不思議に思ったらしく、じっと見つめて来た。

 何を言い出すのだろう?と、戸惑っているようだ。

 「個人主義のメリットを活用しなくちゃ、多分乗り越えられないだろうね、今の状態は」

 ますます不思議そうな顔になった。だが、僅かに気付き始めたようでもあった。

 「集団主義に抗う事も必要だ」

 私の言っている事に。

 「先生?」

 「もちろん、ただ滅茶苦茶に反発しても駄目だよ。良い結果が出せなくちゃ何の意味もない。目指すべきなのは、女性原理と男性原理が補完し合う状態だ。良い方法を見付けなくちゃね。その為には、色々と考えなくちゃいけないし、試してみなくてはいけないだろう。厳しい道かもしれないけれど、さて、できるかな?」

 (私達に……、)

 そう。

 私は、少年と一緒に、この集団主義社会を否定してやったのだ。

 少年を否定するのではなく。

 「うん!」

 少年は、大きな声でそう応えた。

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