ある家庭教師の話-9
私は、今回の少年の物語を読み終えると、そっと目を閉じた。
少年はまだ続きを書く気でいるようだ。
………。
この物語に出て来た、夜道怪という世捨て人のような存在。このキャラクターは、間違いなく私が部分的にはモデルになっている。
しかし、同時にこの夜道怪は少年自身の事でもあるようだ。
今回の物語“夜道怪”の記述の中には、私の話の影響と思える部分が数多くあった。しかし、それは私の言葉全てそのままではない。少年の言葉になって書かれている。
もしかしたら、私と関わり、私の話を聞き、そして少年自身に受け入れた結果、物語の中に現われたのが、夜道怪というキャラクターなのかもしれない。
女性原理と男性原理の話の影響だろう、記述もあった。
世を疎む記述も私と被る。
山中での自問自答。
だが、何処までが私の言葉で何処までが少年の言葉なのかと問われれば、それは分からない。恐らく、それは少年自身にも分からないのだと思う。否、分かる訳がない。
私は少年に受け入れられているのだ。そして、少年の中で私という存在は取り込まれ、既に混ざり合っている。境界線は既に曖昧になってしまっているはずだ。
山中での自問自答には、特にそれが現われているような気がする。否、少年が私を取り込んだ過程の心理が顕れているような気がする。
短絡的な考えかもしれないが、夜道怪が山篭りをする記述には、少年の登校拒否の心理が少しは投影されていると観て良いと思う。そして、ならば当然、私と触れ合った結果生じた心理が、自問自答の中にはあるはずだろうと思えるのだ。
反骨だけでは駄目だ、というような事を私は確かに少年に語っていたはずだ。ジキの物語を読んだ何日か後に。
そして、夜道怪が己の中の反骨を反省する記述が、自問自答の中にはあった。
………。
物語の中で夜道怪は、ジキと妖マリの保護者のような存在として描かれようとしているようだ。
もちろん、女性原理と男性原理の事を話した後なので、少年は意識的にそれを行っているかもしれない、だから、どうだかは分からないのだが、もしかしたらそれは、女性原理と男性原理を成長させる心的な装置のようなモノとして、その部分が機能しようとしている証拠になるかもしれない。
もちろん、確かな事は何も言えないのだが。
女性原理は、気持ちを捉える。だから、それが一緒にいたいと思える相手で、相手が怒ったのなら、相手の気持ちを何とか静めようとし、
“ごめんなさい”
この言葉が、出るのかもしれない。
ならば、やはり妖マリの存在は女性原理の象徴として観るべきだという可能性が高い。
そして、男性原理は行動を中心に捉える。相手が攻撃の意志表示をしたなら、防御行動を執ろうとするはずだ。
この場合の防御は相手への攻撃の意味も含まれている。怒りは少年が物語の中で書いていた通り、防衛本能だ。
ならば、やはりジキの存在は男性原理の象徴として観るべきだという事になるのかもしれない。
夜道怪が父親なのか母親なのかは分からない。否、恐らくどちらでもあり、どちらでもないのだろう。それは少年の中の心的なそういう存在なのだ。そして、バラバラであったジキと妖マリの物語は、ここに一つの物語として昇華をされた。
つまり、それぞれが女性原理、男性原理の象徴なのだとすれば、少年の中で、この二つが互いを補完し合おうとしているという事がいえるかもしれないのだ。
心的な装置によって。
相互に影響し合い、それは成長をする。
もちろん、これは私の希望的な推測に過ぎないのかもしれないが。
ただ、近頃の少年の様子を見るのなら、それはあながちそうとばかりも言えないと思う。少年は確実に明るくなっている。前を見て歩き出しているのだ。
或いは、未だに、真っ暗闇の中にいるのかもしれないが、それでも、少なくとも少年は光を探そうとはしている。光を探す力を身に付けようとしている。
………。
さて、全く別の事柄なのだが、今回の少年の物語を読んでみて、私には一つ不可解な点がある。
少年の綴った記述の中に、私がまだ少年には語っていないはずのモノがあったのだ。
理論的思考と情報の関係。
この事を、私はまだ少年には語っていなかったはずだ。
しかし、物語の中で、ちゃんと重要要素として出てくる。
(思い返してみれば、ジキの物語の中にもそれに触れた記述があった)
他にも、少年にまだ語っていない事柄で記述されているモノが幾つかあったのだが、それらは自分の心理を観察すれば推察できる類のモノだし、或いは本などによっても手に入れる事ができる知識だった。それらを少年が書いている事に別に不思議はない。しかし、非常に基本的で当たり前の事なのだが、否、だからこそなのかもしれないが、理論的思考と情報の関係について書かれている本は非常に少ないのだ(あの、自然科学の帰納的思考に関する話とほぼ同じ内容を示しているのだが)。
少年が自分で考え出したのだろうか? その可能性ももちろんあるがしかし…、
私は、何故か、漠然とした不安を覚えた。
…………。
――――。
フロイトのエディプス・コンプレックスに代表される父親的存在に対する心理的解釈。
私は、それを父親的存在と限定せず、全ての対象に対して展開されるべきだと思っている。
つまり、男性原理的発想で自分に接してくる全ての存在に対してそれはあるのではないかと考えているのだ。
それは同じ人間に対してでも、部分としてそうである部分とそうでない部分があるのだと思える。
だから、例え母親にだってそれはあるのだろう。
フロイトの場合は、父親に対して特にそれを強く持っていた為、その観察が父親のみに限定され論が展開されたのではないだろうか?
幼児性欲説は、そのまま受け入れるにはやや無理がある。
男性原理的発想においては、自分と接する相手を支配服従の関係で見ようとし、女性原理的発想においては、相手を同じ存在として自分の主体に受け入れようとする。
つまりは、人と接する時に生じるこの葛藤の顕れこそがエディプス・コンプレックスの根本的な正体なのではないだろうか?
私はそう考えている。
もちろん、これは単に別の表現をしているだけで、結局エディプス・コンプレックスと同じ事を言っているのかもしれないが。
(こんな夢を見た事がある)
人が人を気持ちで理解をするのには、自分も同じ気持ちを持ち、それを理解する事が必要になってくる。
ならば、もし、この世の中の誰もが理解しえないような苦しみを、自分一人がたった独りで強く強く持っていたとしたなら、一体どうなるのだろう?
他の誰も、この自分を理解できないのじゃないだろうか?
他の誰も、この苦しみを分かってくれないのじゃないだろうか?
他の誰も、受け入れてはくれないのじゃないだろうか?
少なくとも、女性原理的には。
手を伸ばしてみても、誰も触れてはくれなくて
誰も握ってはくれなくて
頭の中にいる、小さな自分は、いつも真っ暗闇の中で膝を抱えて座っていた。
助けてくれって叫んだんだ。
確かに叫んだんだ。
叫んだんだ。
自分のこの永遠の孤独を……。
私は、その日少年の家庭教師をしながら、その夢の事を思い出していた。
女性原理的発想は、男性原理よりも優しさだとかいった事に結びつき易い。しかし、気持ちで受け入れられないモノ、同じでないモノに対しては、それだけに極端な拒絶反応を示す。
世界から、自分以外のモノを排除しようとする。
印象での判断で、傲慢なままに。
他人の心理を読む時、人は自分の心理を読む。それは同時に、自分の心理にない感情は理解ができないという事を意味している。
そして、もし仮に、その場所が稚拙な発達をしていない女性原理に支配をされている場所だったとしたら、どうなるだろうか?
稚拙な発達をしていない女性原理は、多種多様で複雑な気持ちの流れを自分の中に感じられるまでには至っておらず、受け入れる範囲が極端に狭い。違う、自分とは違う存在というモノを感じる事すらできないでいるのかもしれない。
だから、その場所は閉鎖的になってしまう。
服を着せられた犬が、ストレスによって死んでしまう事がある。
そして、例えばそのようにして、それはこの世界へ不都合を生じさせる。
無理に同じにしなくても。
人それぞれの価値観を。
…。
気付くと、少年がこちらを向いていた。問題が全部解き終わったようだ。
確かめると、全問正解だった。
「お、凄いな。今日はもうこれで終りだ」
私がそう言うと、少年はこくりと頷いた。しかし、それでもまだ何か期待をしているような視線を、少年は私に向けて浴びせ続けていた。
私はそれで思い出した。
少年に物語を返さなくてはいけなかったのだ。そして、ならば当然、
「どうだった?」
少年は、私が少年から受け取ったノートを取り出したのを見た瞬間にはもう、そう声を上げていた。
そう、当然感想を言わなければいけない。
「んー そうだね。今回のも面白かったよ」
私は取り敢えず、そう応えてみた。
それを聞くと少年はエヘヘと笑う。
「それと、社会に対する記述の部分で気になる所があったかな」
「社会の記述?」
少年は不思議そうに声を上げた。
「そう。世の中の人々が、論理でなく、印象で物事を判断している、というような記述があったけど、そこの部分」
「どうして、その部分が気になったの?」
私がそう言うのを聞くと、少年は瞳を好奇心でキラキラとさせてそう問い掛けて来た。
私はちょっと間を空けると、
「うーん、ちょっと説明が遠回りになってしまうけども…。ほら、前にさ、あのボールのモデルの話をしたろう? あの周りの色を真似るボールの集団の話」
と、説明を始めた。
巧く手短に話せる方法がないかと考え、結局諦めたのだ。
「うん」
「あのボールのモデルの話は、どうして人間社会のモデルに使えたのだと思う?」
少年はその質問を聞くと、考え始めた。しばらくしてから口を開く。
「人には人を真似る性質があるからじゃないのかな?」
「うん。その通りだと思うよ。でもさ、じゃあ、どうして人は人を真似る性質を持っているのだろうね? これはちょっと難しいのだけども」
少年は、今度の質問には流石にしかめっ面を見せた。
ただ、私が難しい質問だと断りを入れたからだろうか、案外直ぐに負けを認めた。
「うーん、分からないよ」
私はにっこりと笑うと、説明をした。
「まず、人は集団で生活をする動物だ。だから、他の人間と一緒にいたいという欲望を本能的に持っている。という事を念頭に置いてくれ」
少年は私のその言葉を聴くと、しっかりと頷いた。
少年は、夜道怪の物語の中で今私が語ったような事を書いている。あれは恐らく、少年が登校拒否を行い自身の心理を観察し、人間を動物として捉えるという発想で何かの本を調べ、そうして結論出した事なのだろう。
私の発言に明確な反応を示したのは、自分も同じ考えを持っていたからなのかもしれない。
「そして、コミュニケーションには二つの方向性がある。もう何度も言ってるけども、女性原理と男性原理だね」
少年はそれにも頷いた。
「この内、男性原理の場合、行動で捉えるから、役割の分化が生じやすい。相手が自分と同じではなくても、それを受け入れ易いのだと言える。けどね、」
少年は私の話を真剣に聴いている。目が勉強をしてる時よりもよっぽど集中をしているのが分かる。
「女性原理の場合は、気持ちで捉えるのだから、相手の気持ちと同じ気持ちを自分の中に持っていなくては相手を理解する事ができず、それを受け入れる事ができないんだ。人は他人の心理を読む時、自分の心理を観ているって話をしたろ? 加えて、人間には変化を嫌がるという性質がある。だから、周りとは違った心の動きを持っている人間を排除しようとしてしまうのだよ。理解不能なモノだとしてね。理解の及ばない存在を、人は恐れるから」
つまり、
「つまり、それで皆同じになろうとするんだ。集団の中に存在する為の安心感を得る為にね。理解の及んだ相手同士で群れているんだ。それは印象での判断なのだから、髪形や着ている服の種類なんかにも影響が出る。皆同じ格好をしようとする」
私がここまでを話すと、少年は私の言いたい事を理解したようだった。
「あ、そうか。僕の書いた世の中の描写は、それと同じ事を書いていたのか」
自分が、意図的でないにしろ、集団主義社会の記述で、その本質を穿っていた事に気付いたのだろう。
「そう。君が物語の中で、人々は印象で判断しているのだ、というような事を書いていたのが興味深くてね。印象は、気持ちでの捉え方に結び付いているから。あれは、一応この日本の事を観察して、なのだろうし」
私は笑いながら答えてやる。
しかし、その後に少年は首を傾げてこう訊いて来た。
「ねぇ、という事はさ。この日本社会は、女性原理の強い社会って事?」
私は少し黙った。
「そういう事になるだろうね」
この少年ならば、当然気付ける事だろう。
「だからこそ、日本は集団主義なんじゃないかと思うんだよ。女性原理が強いから、気持ちで物事を捉えようとして、皆で真似し合って集団主義の社会になる。だから、平等は同質平等になり、異質なモノは排除しようとしてしまう」
「……でも、それなら」
少年が何を言いたいのかは分かる。
「そうだね、女性原理が足りないって批判はなんかだか変な事のように思えるね。一見は」
「一見は?」
「そう、一見は」
私は少年の顔を見ると続けた。
「でも、実際は足りていないんだ。というか、未発達なのだね。未発達な女性原理が世の中に蔓延している。それに、前にも言ったけども、女性原理、男性原理がそれぞれ適した場所で使われてもいない。教育なんかは女性原理が重要な代表例だと思うけど、男性原理的に行われてしまっているよね。これは受験教育なんかを見ると分かり易いのだけど」
少年は考え込んでいる。私の述べた事が正しい事なのか何処かはおかしいのか結論を出しかねているといった様子だ。
これは、良い態度だ。
盲信はいけない。
「女性原理が発達をしていないから、広い範囲の心理を理解する事ができず、受け入れる範囲が狭くなる。一方、男性原理的な部分もない訳じゃないけど、こちらも発達をするはずはないから、稚拙な女性原理と稚拙な男性原理で社会が成り立っている事になる」
そこまでを私が語った所で、少年は口を開いた。
「これは、もちろん男女平等とは別なんだよね? つまり、生物的な性別の平等とは」
「もちろん、そうだね。未発達な女性原理と男性原理で成り立っている社会では、むしろその平等は進み難いはずだ。男達は、稚拙な女性原理で、自分達とは当然違う“女達”を排除しようとするはずだからね」
少年はまだ考え込んでいる。
「しかも、これで男性原理が未発達だと更にいけない事になる。規則通りに動かず、不正を行ってしまう。もちろん、女性原理が稚拙で欲望のコントロールも自分達ではできないから、だね」
「政治家とかの話を聞いてるみたい。というか、そのまんまなのかな?」
少年はそう感想を述べた。私はその通りだと頷いてやる。
「両方とも稚拙で、相補的に作用もしてない。影響を与え合って、互いを成長させるような事も起こってはいない。それどころか、女性原理的発想を男性原理的発想に変えてしまって、擬似ルールみたいなモノまで作り出している。そして更に、女性原理を強く出すべきじゃない場面で女性原理を強く出し、男性原理を強く出すべきじゃない場面で男性原理を強く出したりしている。これじゃあ、問題だらけの社会なのも当然だよ。ま、問題があるのは日本だけじゃないだろうけどね」
「日本はリーダーを育てるのが苦手な社会だって聞いた事あるけど…」
「それは男性原理が未熟だからだろうね。作業の分化というモノが進んでいないんだ。日本人はプロフェッショナルという考え方ができないで、全てできなくては駄目。というような考え方をしてしまうと言われているけども、それも多分、男性原理が未熟な事の表れだと思うよ」
私が言い終わると、少年は自分の意見を出すといった感じで発言をした。
質問というよりもむしろ。
「あのさ。なら、先生の言った男女平等の女性原理を補うってどういう意味なの?」
つまり、反論のニュアンスが微妙に含まれていたのだ。
私はそれに対して慎重に応えた。
印象が、論理的思考の結論に影響を与えてしまう事がないように、慎重に言葉を選んだのだ。
「まず、女性原理男性原理というモノがあると自覚する事ができなくちゃ始まらないと思うけど、女性原理のメリット、デメリットを考え、整理し、女性原理のメリットを活かせるようなシステム、或いは女性原理のデメリットを抑制するようなシステムを考え、施行して行く。この際に、女性原理的発想を持っている人間は重要になってくると思う。すると、当然、元々女性原理的発想を持ち易いだろう生物的な女性は重要になりそうだよね? 僕が言ったのはそういう意味さ」
すると、私の応えを聴いてからしばらく考え、少年はこう返した。
「なんか、うまく言えないけども、微妙に違う気もする。それは、平等って発想から出る事なのかな?」
少年は首を傾げた。
私は微笑みながらその言葉を受けた。
「そうだね。その可能性はあるかもしれない。無理に、平等って考え方で女性原理男性原理を捉える必要もないかもしれないね。でも、こっから先は情報がなくちゃ論が進められないと思う。不確定な事として認識しておくべきだよ」
すると少年は、煮え切らない顔をしつつではあるが、
「うん。気持ち悪いけど、そうするしかないよね」
と、私の意見に同意をした。
充分な情報がなければ論は進められない。
これは少年だって分かっている事であるはずだ。自分で、小説の中に書いていたのだから。
そして私が少年の反応を見て、そんな事を考えていると、少年は不意にこんな事を話し出した。
「でも、あの学習の内発的動機付けの話とかで、女性原理が稚拙で教育にはあまり使われてないってのは良く分かる。論理じゃなくて印象で教育制度もやってしまってるから、理論的に考えれば不適切な事なのに、皆で真似して、テストの点を競い合うだけの受験教育になっちゃってるんだろうね。稚拙な男性原理で、教育を行ってしまているんだ」
そして、私はそれを聞いて、少年の見解の鋭さに驚きつつも、思い出してしまっていた。
そうだ。少年は、内発的動機付けの話も知っていたのだ。情報と論理の関係の話だけじゃなく。
何故なのだろう?
「そうだね、稚拙な女性原理男性原理が相互作用して、そういう事も起こっているかもしれない。稚拙な女性原理が原因となって、適切でない場所に男性原理を適応してしまうような事がね。稚拙な男性原理で、適切じゃない場所に女性原理を適応って事もあるだろうし」
少年の見解に感心した私は、少年の発言に対してそう同意を示した。が、どうしても、少年が内発的動機付けの話を知っていた事が気になってしまい、その後で更に続けてこう問い質した。
「ところで、その話何処で知ったのだい? 内発的動機付けの話」
すると少年はキョトンとした顔を見せ、
「え? だって、先生が教えてくれた事だよ?」
と、そう言ったのだ。
私は唖然としてしまった。
「ほら、塾の頃に授業で」
私はそれを聞いた途端思い出した。
そうだ、なんで忘れていたのだろう?
私は脱線の多い講師だった。それでしょっちゅう、そんな話を授業でしていたのだ。だから、少年がそれらの事々を知っていたとしても何の不思議もなかったのだ。
特に、内発的動機付けの話は、新しい子供を受け持つ度に毎回していたような気がする。
確か、情報と論理との関係の話も授業中にした。
『君達が勉強をする事は、決められたレールの上に載せられた知識でしかない。本当の論理的思考というのは、必要な情報がなくては成立しないんだ。君達が勉強をするたくさんの知識は、情報が積み重ねられ処理された結果導き出された結論なのだね。だから、それらをそのまま勉強しているだけじゃ論理的思考力なんて身に付かない。まずは物事を疑う事から始め、情報を集め、そして結論を出す能力を身に付けるんだ。もしかしたら、それによっては、これから君達が勉強する知識、勉強した知識が実は間違いだったと、覆される事だってあるかもしれない』
………。
なんで忘れていたのだろう?
なんで気付かなかったのだろう?
私は、その事で、自問自答に陥ってしまった。
なんで、私は、その事実を無視していたがったのだろう?
その後、少年とどんな会話をしたのか私はよく覚えていない。だが、気付くと何時の間にか私は少年の家を出ていた。




