ビッグボスあらため、シスター・スターゲイザー視点
――ネモリカの冒険者酒場にて。
カウンターに座って安酒を傾けるシスター・スターゲイザーに話しかける者はいない。
彼女がここに訪れた当初、迫力ある美貌に惹かれて誰もが声をかけたものの、ネモリカのダンジョン荒らしとも呼ばれる実力を見せて以降、なんとなく遠巻きにされていた。
そこに、店で最も高い蒸留酒を出されてシスター・スターゲイザーは驚く。
隣を見ると、黒髪の胡散臭いひょろりとした男が座っていた。
シスター・スターゲイザーはしどけない雰囲気を消し、苦虫顔で舌打ちする。
「何の用事だ、てめえ」
「娘の元の保護者の方に、ご挨拶に来ただけですよ。改めまして、クリフォードと申します」
見かけない人間がいるというのに、酒場のごろつきどもはクリフォードを見ようともしない。
『嵐』と名乗った小僧が宮廷魔術師だった。
その小僧が敬意を払うような魔術師という時点で、相当の使い手なのはわかっていたが。
おそらくこの男は元宮廷魔術師。外見年齢と能力から察するに。
「……お前、『凪』か」
「あ、わかります? よかったー、最近世代が違う子にはわかってもらえないことがありまして、いやあ、平和な時代が来るのはいいものですが、だんだん中年である事実から逃れられなくなり……まだアラサーだからお兄さんって言って貰ってもいいですよね? シスター・スターゲイザーはどう思います?」
「うっざ、好きにしろよ」
酒に口をつけないまま、シスター・スターゲイザーは吐き捨てる。
クリフォードは遠い目をして、バーカウンターのライトに目を向ける。
「私たちの時代は本当に苦労しましたよね。『大竜厄役』の影響で、みな生きるために必死でした。あなたも搾取される側か、する側かの弱肉強食の世界で、ご苦労されてきたことでしょう」
「『凪』なら苦労も何もなく、全部ぶっとばして悠々自適だっただろうけどなあ?」
皮肉を込めてシスター・スターゲイザーは口にする。
だがクリフォードは、二つ名の通りの『凪』の顔で、その言葉を軽く受け流す。
「私は全ての騒乱を『凪』にするべく働きました。そして今は喜ばしい『凪』の平和が訪れている。……ミルシェットさんには穏やかな生活を送ってもらい、才能をまっとうな方向に伸ばしてさしあげたいと思っています」
「だぁから俺はもう邪魔しねえつっただろ。釘を刺しに来たんだとしたらご苦労様だ。今はシスター・スターゲイザーとしてダンジョンで金儲けして生きるしかねえって分かってるよ」
「ミルシェットさんが、後悔しているんです」
シスター・スターゲイザーは目を瞬かせ、クリフォードを見る。
クリフォードは頷いた。
「あの子は優しい子です。過去のあなたのような人相手でも、きちんと育てて貰ったお礼をしたいようです。あの子が書いた招待状、受け取っていただけますか」
バーカウンターに差し出されたのは、場に不釣り合いな子どもの手紙。
『 びっぐぼす(ロビン・スターゲイザーさま、またはシスター・スターゲイザーさま)へ
あたらしいじんせいのきねんとして、しょくじかいにごしょうたいします。
きてください
みるしぇっと』
「ミミ太郎……」
「あの子に少しでも情があったのなら、どうか来てください。美味しいハニートーストをわけっこして食べたいそうです」
「…………だが、俺は……」
「元の共犯者でしょう? お二人は」
クリフォードは用が済んだとばかりに立ち上がる。
魔力の光が体を淡く輝かせている。無詠唱で転移できるなど、まさに『凪』だ。
「それでは。酒には何も入っていませんので、安心してお吞みください。あなたにとっての門出を祝えることを、楽しみにしています」
最後は声だけ残して、クリフォードは消えていった。
「……なんだよ……」
シスター・スターゲイザーは呆然としたのち、バーカウンターに置かれたままのグラスに目を向ける。
隣には、小さな猫のかたちのクッキーが添えられていた。
「…………あの猫め……」
『凪』も『嵐』も、シスター・スターゲイザーをまったく脅威と思っていないのだ。
平気で食事会などに呼ぼうとするなんて。
――ここでゴロツキを集めて襲撃するかもしれないのに。
――弱みで揺すってくるかもしれないのに。
彼らはシスター・スターゲイザーを舐めている。
そして同時に、信じようとしてくれている――ミルシェットの、元保護者として。
「くそが……!」
こういうとき、どんな顔をすればいいのかわからない。
暴力も打算もない、温かな許しを得た事なんてないから、わからない。
それでもシスター・スターゲイザーはクッキーを割ることも、食べることすらできなかった。
美酒を喉の奥に強引に流し込み、行きつけの宿屋までの帰路についた。




