恩は仇にしたくにゃい
――夢の中。
私は娼婦たちの控え室で眠っていた。
騒がしいママたちの声。お化粧品の匂い。お客様が置いていったお菓子が投げ込まれたベビーベッドで、泣きながら眠るあの日。
「おいてめえら、自分たちで世話するっつっただろ!? 何だこりゃ!」
どかどかと入ってきた部屋で、ビッグボスが私をひょいとつまみ上げて険しい顔をする。
「きったねえ。さっさと着替えさせてやれ、世話できねえなら売り飛ばすぞ!」
「「「「はーい」」」」
ぶーぶーと言いながら、ママたちは面倒そうに私を綺麗にしてくれる。
基本的にはかわいがってもらえるけれど、忙しいときや虫の居所が悪いときはネグレクト気味だったなあと、今更思い出す。
それでも生きられるから幸せだと思っていた。
綺麗にされてみいみいと鳴く私を、ビッグボスが目を細めて撫でた。
「ったく、お前は手がかかるしかたねえやつだな。さっさと元気に育てよ」
その言葉はきつかったし、指は煙草のにおいでくさかった。
それでも、ビッグボスは少なくとも、私が死なない程度には目をかけてくれていた――
◇◇◇
目を覚まして、私は眉間に皺を寄せる。
「んもー、こーゆー絆され、一番だめにゃああ」
朝日の中、んみんみと眉間の皺を伸ばして身支度をする。
踏み台を使って洗面台で顔を洗って、お着替えして食堂へ。
朝の柔らかな光の中、焼きたてのパンを準備してくれているクリフォードさんがいた。
「おはようございます、ミルシェットさん」
「おはようございましゅ……」
私はぽてぽてと近づいて、クリフォードさんの足にぎゅっとくっつく。
膝の裏あたりに顔を押しつけて、んみんみぎゅっぎゅと腕に力を込める。
「おやおや、朝から甘えんぼですか」
「みー」
シトラスさんが玄関を開いてやってくる。
「おはようございまーす! ……あ、ミルシェットちゃんそこにいたんだ」
「おはようございましゅ」
「うん、おはよ」
明るい笑顔で頭を撫でられる。いい匂いがする。
早速三人でそろって取る朝食はとってもおいしい。
朝の納品にやってくるラメル商会の姉弟も、明るくて元気で、私にとってもやさしい。
怒鳴られることも、ばっちいこともなにもない。
幸せだ。
――同時に、やっぱり。
ビッグボスが今、慣れない姿でどんな風に過ごしているか心配になってきた。
「また考えてたやろ、あの人のこと」
「み」
「ミルシェットちゃん、考え事してるときは尻尾がふにゃっふにゃって揺れるからすぐわかるよ。はてなまーくみたいな形して」
「みー」
「……ったく、あんな奴の事なんてわすれていいのに。だってそうでしょ? ミルシェットちゃんを利用して儲けてさ、昨日だって襲撃してきて。悪い事をしてきたんだから、因果応報だよ」
「私も悪いこと、してきまちた。だって密造ポーションつくってたんでしゅもん」
そう。
結局私がんみんみと悩んでいるのは、罪悪感なのだ。
自分だって捕まるようなことをしてきたのに、まっとうに生きるキラキラした人たちの中で、今も密造ポーションをしょこしょこと作って生きている。
まっとうなスレディバルの皆さんやシトラスさんはもちろんまっとうで。
一人だけ一番胡散臭いでしゅ! と思っていたクリフォードさんさえ、実はすごい過去を持つ立派な人だったなんて。
この悩みをもごもごと話すと、シトラスさんは肩をすくめる。
「なんねそんなこと。僕だって昔から結構、」
「結構?」
「……ごほん」
咳払いをして、肩をすくめて続ける。
「生きるために仕方なかったんでしょ? 故意に人を傷つけたり、迷惑かけたりするためにやってたんじゃないんだから、悩んでもしかたないよ」
「んみー」
「今はミルシェットちゃんも新しい人生やりなおして、皆を元気に笑顔にしてるから、過去のことなんて考えなくていいんだって」
「みー……」
シトラスさんがテーブルをぴかぴかに拭いてくれるので、私はランチョンマットを席に一枚一枚敷いていく。チェックの可愛らしい木綿の生地を揃えながら、私は小さな声で呟いた。
「……でもそれって、多分……ビッグボスも……同じだから……」
「なんかいった?」
「言ってないでしゅ」
私はぴるぴると首を振る。聞こえなくて良かったと思う。
シトラスさんが聞いたらきっと、「一緒じゃなかやんね!」と言ってくれると分かってるから。
◇◇◇
結局。
お仕事中もなんとなくずっと考えてしまった。
夕方、シトラスさんが外の片付けに行ってくれた間、私はカフェの椅子に腰掛けて外をぼんやりと眺めていた。
「ミルシェットさん」
「みっ」
頭を撫でられ、ぴくっと耳が跳ねる。
クリフォードさんが隣に座って、頭を撫でてくれていた。
「気になるんでしょう? ビッグボスのことが」
「みー……」
「やさしいですね。その優しさがつけ込まれます」
「うっ……」
「5歳だけどしっかり者だとは思っていますが、あまあまです。あなたは危なっかしいです」
「うみー……」
「心がひねくれる前に、あなたを助けられて良かった」
クリフォードさんは眩しそうに私を見つめて、はっきりと断言した。
夕日になりかけた光の中、クリフォードさんの金色にも琥珀色にも見える瞳に私が映っている。
「危なっかしいくらいでいいんですよ、子どもは。世の中に対する安心感、優しい気持ちが根っこになければ、人生は生き辛いものとなります。疑ったり身を守ったりするのは大人になってからでいいのです。……あなたが、優しい子でよかった」
「クリフォードしゃん……」
クリフォードさんは視線を外に向ける。
夕日で金色の庭を風魔法でシトラスさんが掃除している。
「提案があります。ビッグボスとの関係に、けじめをつけませんか」
「けじめ……でしゅか?」
「あなたも、そして彼女も、過去にけりをつけて前を向く必要があります。今なら私もシトラスもいます。安全に、あなたとビックボスのお別れの時間をプロデュースできます」
気がつけば、私はクリフォードさんにくっついていた。
みいと、子猫の声で鳴いてしがみ付く。
クリフォードさんは黙って私の背中を撫でてくれた。
「招待状を出しましょう。日程を決めて、メニューを決めて、未練や罪悪感を、きっちりと精算しましょう」




