クリフォード視点・兄弟子の秘密、妹弟子の秘密
「大丈夫ですか、シトラス」
「平気です。僕はもう子どもではないんですから」
二階の居間の椅子に座ったシトラスが振り返る。
強がってはいるものの、顔色が酷く悪い。ローブを脱いだ細い背中と首が、彼がまだ14歳であると強烈に示していた。震える指先には気付かない振りをしつつ、クリフォードは温かいハーブティを出す。鎮静作用のある花が浮かんだものだ。
「ミルシェットさんと私の事を考えて、動けなくなったのでしょう。宮廷で第三級魔術師として働けるあなたが、そうそう脆弱とは思いません。足かせになってしまいましたね」
「先生と娘さんを守るのは、弟子としての務めです。……ミルシェットちゃんに助けられて、しまいましたけどね」
彼は皮肉っぽく笑い、ハーブティを口にする。
クリフォードはシトラスの身柄を引き受けたときの事を思い出していた。
◇◇◇
あの時、クリフォードは魔術師『凪』として、『強化魔術師第二期』候補生を集めるために全国各地で、高い能力を持つ疑いのある子どもたちを探していた。
『大竜厄役』が終結したあとも、被害地区通称サイハテでは生活の復旧がままならず、こどもたちの人身売買が横行していた。
クリフォードが見つけたのは、強い魔力暴走で以前の飼い主を殺した経歴を持つ少年だった。
思い出すのも嫌な、とある侮辱的な意味合いを持つ名を与えられた少年は、地下オークションの目玉だった。愛玩の価値しか値踏みされない美少女に比べ、少年はその後の組織員としても利用できるから、オークション参加者のほとんどは彼を狙っていた。
少年は拘束され立たされていたが、その目はぞっとするほど暗かった。
彼の心は折れていないと感じた。
もしかしたら、ここで全員を道連れに死ぬつもりかもしれない、とも。
「二億で買います」
気付いたクリフォードは手を上げ、宮廷の金を勝手に使って彼を買い取った。
奴隷紋を解呪し、クリフォードは二期生として彼を正式に弟子にした。
国のために必要な経費ですとぺらぺらと都合のいい書類を作り根回しする手間は惜しまなかった。
とにかく、少年に学と社会性を身につけさせてやりたかった。
自分が大事にされ、人間として生まれ直したように――彼も生まれ直せるかと。
美少年にシトラスと名を与え、魔術師としてウィグの姓を賜らせ。
無事に『強化魔術第二期』として教育をしていたクリフォードだったが、宮廷より唐突に『強化魔術第二期計画』の終了を通告された。
――これより、平和になった時代、もう平民上がりの魔術師はいらない。
魔術は身分ある人間の学問とする――と。
彼らにこれからも学ばせたかった。
クリフォードは私財をなげうって私塾を開き、そこでシトラスをはじめとする、頓挫した『二期計画』の弟子たちを学ばせた。貴族学園の教師と共に、二足のわらじの生活だった。
そしてクリフォードは彼らの才能を売り込み、なんとか彼らの世代までは宮廷魔術師として働けるように約束させた。貴族しか魔術師になれなくなった将来、能力の低い魔術師の増加を懸念しての配慮だった。
弟子たちの処遇は収まるべきところに収まったが、宮廷はクリフォードに命じた。
第二期生に続いて、第三期生の教育を許可する。だが条件として『お前と同じ教育』を施せと。
クリフォードが受けてきた教育。それは人殺しの道具となるための、心を殺した教育。
命令を受けたとき、クリフォードの脳裏には、一番弟子シトラスのあの強い眼差しが過った。
道具として奴隷として扱われ、ボロボロになって暴走した少年の眼差し。
これから道具として、自分もああいった目をした子どもを育てろと?
クリフォードが弟子たちに魔術を教えるのは、心の無い殺人道具にさせるためではなかった。
生きるために後ろ盾の無い、何の力も無い、かつての自分のような子どもたちに、生きる力を与えるためだ。
魔術とは残酷なまでに平等だ。己の才能と努力だけが物を言う力。
だからこそ貴族は平民から特権を奪う。
クリフォード一人では、何も世の中は変えられない。
でも宮廷魔術師であるかぎり、一人でも多くの才能ある子どもに、実力を与えて生き抜く力を与えることはできる。
だがもう、宮廷でも広く学びを与えることができないならば。
クリフォードは宮廷には、むしろいるべきでは無い存在なのだ。
――自分の存在意義をどんどん見失っていたとき、クリフォードはミルシェットの存在を知る。
宮廷に見つかれば『第三期』にされかねない、特殊な能力を持つ娘。
全てを捨てて消える、いい条件がそろいすぎてしまった。
◇◇◇
「先生、先生」
「……すみません、ぼーっとしてしまいました」
「僕より動揺しているじゃないですか」
呆れるようにシトラスが肩をすくめる。
彼はもう平静を取り戻しているようだった。
「元奴隷の呪い、僕手入れが甘かったみたいです。あとで診ていただけませんか?」
「ええ」
「ところで先生」
シトラスはまっすぐクリフォードを見た。
「僕、先生の居所を突き止めるとき、情報源としてビッグボス――ロビン・スターゲイザーに接触しました。今まで気にしていなかったのですが、奴は妙なことを口走っていました。『密造ポーション』と」
「……」
「あの子は普通の子なんて嘘ですよね?」
空気がしんと冷えていく。
「……よく気付きましたね、実はあのこは普通の子ではなく、とっても可愛い猫ちゃ」
「冗談はやめてください」
シトラスは真剣に続けた。
「あいつらの服を全部溶かしていたポーション、あのポーションは魔術師が作ったものとは感じませんでした。先生が与えた護身用ではない、ですよね」
「……なら、なんだと思うのですか?」
「先生が宮廷や僕たちに隠れながら、非合法の魔術関連の情報を集めていたのは知っていました。かつての僕たちのような、宮廷に拾い上げられていない才能を見つけるためですよね。……彼女は、ポーション作りの才能があるのではないですか?」
「魔力は凡だと、あなたも認めたでしょう」
「現代の魔力判定として、凡なだけでしょう。……あの子は、何者なんですか」
クリフォードはシトラスを見た。
「先生。僕は……本音を言うと、先生に今でも宮廷に戻ってほしいです。先生という防波堤を失った宮廷魔術局は、若輩の僕が見ていても呆れるほどに形骸化している。今の宮廷魔術師たちの実力では、他国からの武力攻撃にも、魔物大発生にも太刀打ちできない。おかしくなってしまいます。そんな宮廷で必死に仕事をしても、むなしい。辛い日々も、先生と一緒なら頑張れると思えるんです……でも」
シトラスは、深呼吸をして続けた。
「先生も……ここで、彼女を守ることで……戦っているんですね?」
「戦ってやいませんよ。かわいい娘とのんびり楽しく、ごく普通の人生を送りたいだけです」
「……ううん、先生は戦ってます。やっとわかりました」
「……」
「だって逃げるなんて、先生らしくないですもん」
シトラスはすっきりとした顔で断言する。
クリフォードは何も言えなくなった。
「世界をかえてしまいかねない強い才能を持った子が、あえて『普通のおいしいカフェ』で、のんびり楽しく過ごせるような平和を……作っているんですよね」
「……そう思うのは、自由です」
シトラスの言葉を聞きながら、クリフォードは聡い子だな、と思う。
クリフォードはシトラスら才能ある子を守るため、教育し、社会的な地位を与えた。
それらは彼らをもちろん助けた。けれど同時に反省もしていた。
才能があるからって、生まれ持って人と違うからって、優しい穏やかな暮らしを送れないのもまた、違う。
「フルーツポンチみたいに、世界で魔術師がごちゃまぜになってると、面白いと思いません?」
「え?」
「……魔術の世界はフルーツポンチなほうがいいんですよ。昔は平民も、当たり前のように魔術を使っていたそうです。どんな田舎にも魔女はいて、どんな町にも、頼れる魔術師がいた。もちろん宮廷魔術師もいたけれど、『魔術の力』が広く使われる世界では、『魔術』は決して、権力者にのみに与えられた暴力では無かった。……フルーツポンチのように、色んな場所で活用されるからこそ、人々は豊かに生きてきたのだと思っています。私は私なりに、面白おかしい世の中にしてみたいと思って、好き放題しているのですよ」
「はい。……先生の気持ち、わかりました」
風が吹く。
ドアベルが、カランカランと鳴る音がした。
シトラスは立ち上がった。
「今日まで、バイトちゃんとしますよ。そしたらいったん帰ります」
「シトラス……」
「宮廷には先生の居場所も、ミルシェットの秘密も内緒にしておきます。僕も足跡を全て消すので、ご安心ください。もうヘマはやらかしませんよ。今日のことは先生の足跡を追うあまりに自己管理ができていなかったのが原因です。反省して改善に努めます」
「……ありがとうございます。苦労をかけますが、よろしくお願いします」
「先生」
シトラスは部屋を出る前に、改めてクリフォードを見た。
「……先生の暮らしは守ります。僕は宮廷で狡猾な歯車となって、先生の箱庭を守りますよ。お偉いさんに媚びるのは慣れているんです。先生とはちがってね」
「頼もしい限りです」
成長した、頼もしい笑顔を向けるシトラスに対して、クリフォードは眩しいものを見るように目を細めた。
「……私は、良き弟子に巡り会えましたね」




