ファルカ視点
あの子猫の強引な押しに負けて、あたしたちは向かい合っていた。
目の前にいるのは、アントニー。
あたしの元婚約者で、あたしをこっぴどく振った男。
ちゃんと話し合うまで、帰してもらえないだろう。
今日の配達はここが最後で、後の仕事はない。それはアントニーも同じなのだろう。
最初からはめられていたというわけだ、内心苦笑いする。
私は諦めて一つのクッキーを手に取り、ぱきっとクッキーを割った。
鮮烈な赤の短冊が出てきた。なんだか、目の前がきらきらと光った気がした。
彼もその赤の短冊を見ていた。
短冊から私に視線をうつし、彼はぎこちなく口を開いた。
「……まだ、そのリボンつけていたんだな」
「そうだよ」
この短冊と同じ、真っ赤なリボン。
アントニーに誕生日プレゼントとして貰ってから、ずっとつけていたリボンだ。
「あたしのお守りだったんだよ。心の支えだったんだ。……今更、取れないよ」
「似合うよ。……君は、やっぱり鮮やかな赤が似合うね」
彼は力なく言う。
その諦めた言い方がなんだか悔しくて、あたしは言葉を重ねる。
「あんた、これくれたときにさ。あたしの長い髪を褒めてくれただろ? 綺麗だ、どこにいてもすぐにあたしだってわかる、トレードマークだって」
「? ……ああ、うん」
目をぱちぱちとするとぼけたような態度に、あたしはますますくやしくなる。
どんなきもちでつけていたと思ってるんだ。
「あたし、父さんが倒れてから、商会を引き継いで……散々嫌な思いしたよ。仕事相手のオヤジたちは厳しいし、若い女だからすぐ根を上げるだろう、甘い気持ちでやってんだろってなめられるし。……ちゃらちゃら髪を伸ばして色気づいてんじゃねえって、虫の居所の悪い奴に髪を引っ張られたことだってある。あたしだってまだ……小娘だったからさ、悲しくって、髪切っちゃおう、男になろうって思ったんだけど」
あたしは気付けば髪を撫でていた。
どんなに男まさりに働いていても、自分が女性らしさを忘れないでいられたのは。
「あんたが……あたしの髪を綺麗だって言って、リボンをくれただろ。このリボンはあたしがあたしらしくいながら強くなるための、お守りだったんだ。あんたが褒めてくれた自分の良さを、しっかり守りながらいっぱしの商人になってみせるってね」
「そんな……」
「おどろいた? ……あたしは、離れていても、毎朝毎晩、いつだって、あんたのことを思ってた」
涙が溢れそうになる。恥ずかしいと思う。
ぐっと堪えて、あたしはふっと微笑む。
「あたしのこと、綺麗って言ってくれる奴なんていなかった。でもあんたは誰にからかわれても、冗談って馬鹿にされても、あたしのことを綺麗って言い続けてくれたし、あたしを彼女扱いしてくれただろ? ……嬉しかったんだ、本当に」
自然と、口から言葉が続いた。
「……ありがとう。あんたのおかげで、あたしはあたしでいられたんだ」
「そんな優しいこと言わないでくれよ。俺は……俺は、こんなに情けないのに」
ぐしゃっとアントニーの手元でフォーチュンクッキーが割れる。
中から出てきた短冊は、窓辺の光を浴びて輝く銀色だった。
まるで折れた剣のように、くしゃっと彼の手の中で曲がる。
「……君を守れるような男になりたかったんだ。ずっと家族を支えて、笑顔で前向きに突き進む、太陽のような君が、頼れるような男になりたかった。だから出世して、君を助けたくて……騎士を目指したのに……俺は……みっともないよ」
彼は銀の短冊を弄びながら、ぽつぽつと話した。
平民騎士の演習の過酷さ。貴族騎士のストレスのはけ口扱いされる屈辱。
自分がただのドブネズミだと思わなければやっていけない、心を殺されるような騎士団内部の現状。いびりの標的になっていた同期を庇ったら、自分が標的になり、徹底的に暴力を加えられていたこと。同期たちはこれ幸いに、誰も助けてくれなかったこと。
状況に疲弊していき、次第に心と体を壊していったことを。
震える手を、あたしは両手で包んだ。
「……話してくれてありがとう」
「ごめん、……かっこ悪い男で……」
「あたし、あんたのことかっこ悪いなんて思ったことないよ。今だって」
驚いて顔を上げるアントニーに、あたしは微笑む。
「まずは生きて帰ってくれて良かった。そしてそんな場所に馴染まなくてよかった。聞いてほっとしたよ。あんたがそんな場所に慣れて、そういう男になって帰ってきてたら、あたしは悲しかったよ」
「ファルカ……」
「あたしが好きなあんたはさ、自分の気持ちに嘘をつけない、まっすぐで優しいあんたなんだ。誰かを庇えるってすごいじゃん。そしてしっかり帰ってくる選択できるってすごいじゃん。……あたしのことだって、気にして別れを告げてくれたんだろ? ……優しいじゃん。あたしが好きなアントニーのまんまだよ」
アントニーの姿がぼやける。声が震える。手をつないだままだから、あたしは涙を拭えない。
気付けばあたしは素直な気持ちが口に出ていた。
「あんたのこと大好きだよ。……大好きなあんたがボロボロになって、別れを告げてきても、心配でたまんないよ……あたしのことが本当に嫌になったなら、まずは体直して、元気になってから振ってくれよ……じゃないと、ずっと未練が残っちまうよ……」
「それじゃ意味ないだろ、俺がファルカの足手まといになりたくなくて」
「ならないよ! 好きな男と一緒にいられなくなることほど、辛いことはないよ……っ!」
顔を覆って、あたしは恥ずかしいくらい素直に泣きじゃくっていた。
アントニーが椅子から立ち上がり、あたしを抱きしめてくれるのが分かった。
背の高さは変わらないけれど。
すっかり痩せてしまったけれど。アントニーの腕は広くて大きくて。
あたしの頭を撫でてくれるアントニーの手に、あたしはまた、大好きだと確信した。
「大好き……離れないで……おねがい、一緒に…………」
「わかったよ。ファルカ。ごめん。……俺と一緒にいてくれ。一緒に……生きてくれ」
こくこくと、言葉にならない気持ちを頷いて示す。
泣き止んだころ、あたしたちはようやくテーブルの上のクッキーに目を向けた。
赤い短冊、そして――もう一つの短冊は、先ほどの銀色から金色に変わっていた。
「あれ? 金色だったっけ?」
「見間違えてたのかもしれないな。ほら、俺たちそれどころじゃなかったし」
微笑むアントニーの優しい顔は、あたしが大好きなアントニーに戻っていた。
「クッキー、食べよっか」
「ああ」
泣きじゃくった照れ隠しにあははといつもの調子で笑い、お互いフォーチュンクッキーをもう一つずつつまむ。
割って出てきた中身は――あたしのクッキーも、彼のクッキーも、キラキラとしたピンク色の短冊だった。
「……すっごいな。これどんな技術なんだ?」
「王都でも見たことないよ。どうやってるんだろう……」
二人で眺めていると、店の店長がアイスティーのおかわりをつぎにやってきた。
ひょろりとした長身の黒髪美形は、にっこりとあたしたちに微笑んだ。
「企業秘密です……強いて言うなら、愛の奇跡、ですね♡」
「んだよ、うっさんくさいなあ」
思わせぶりなウインクに、あたしは笑った。
アントニーも笑う。
キッチンの奥からぴょこっと覗いたネコミミが、ほっとしたようにぴるぴるっと揺れた。




