魔術師『凪』だった者の独白(クリフォード視点)
――深夜。
クリフォードが後片付けをしている間に、ミルシェットは眠ってしまったようだ。
キッチンの隅で丸くなって、くうくうと寝息を立てている。
テーブルには綺麗に作られたパンケーキがあって、見事だ。
彼女はやはり賢い。そして天才なのだろう。
「天才だとしても、子どもは子どもです。……無理を、させてしまいましたね」
クリフォードはミルシェットを抱き上げる。
5歳とは思えないほどしゃきしゃきとした子どもだから、眠った姿は何倍もあどけなく見えた。
二階に彼女を運んで、ベッドに寝かせる。
昨日からのプレオープンの大騒動で、きっと疲れたことだろう。
「うっかりしましたね。カフェのメニューを忘れていたなんて。……私も、焦っていたのでしょうね」
寝顔を見ながら、クリフォードは彼女との出会いのきっかけを思い出す。
ミルシェットには、数ヶ月前からポーションの件で目をつけていた。
宮廷魔術師に送られてくる膨大な報告書の中に、妙な密造ポーションの話が上がっていた。
密造ポーションがマフィアの間で出回ることはよくあるが、妙なのは密造した魔術師がいないことだった。
――ポーションは魔術師が魔力をかけて生み出す。それが常識だ。
しかし『妙な密造ポーション』は、魔術解析をかけても密造者の魔力を辿れなかった。
普通、宮廷魔術師は魔術解析で分からないものを、わざわざ調査しない。そんなもの、ありえないから。
だがクリフォードは密造ポーションの出所を己の足と調査で探った。
直感的に『何かある』と踏んでいた。
そして見つけた。
通称ビッグボスが元締めをする娼館で飼われた『飼い猫』を。
それは『ミルシェット』と書かれたタオルケットを敷いて、魔石クズを散らかして丸まって眠る、聖猫族の子どもだった。
彼女は、特別な能力を持っていた。まだ宮廷魔術師すら未発見の珍しい能力を。
彼女を宮廷魔術師局で保護するのが筋だ。
しかしクリフォードは彼女をマフィアからも宮廷魔術局からも隠し、保護する道を選んだ。
「……『凪』のように、何も知らないまま大人の道具になる子どもが目につくと……ほんっと、駄目なんですよねえ……」
ミルシェットの髪を撫でながら、クリフォードは苦笑した。
クリフォードは『凪』という英雄として祭り上げられた子どもだった。
過去の己を助けるように、クリフォードは大人に才能を搾取される子どもを放っておけない。理屈では無い、性分だ。
◇
――クリフォードもまた、孤児だった。
長きに渡る『大竜厄役』で家族を失ったクリフォードを拾ったのは、喫茶店を営む老夫婦だった。
赤子から5歳まで喫茶店で暮らした時間。クリフォードにとってたった唯一の家族の思い出だった。
5歳の時。
国は『大竜厄役』への対抗手段として、全国民に対する一斉魔力検査を行った。
魔術師適正のある子どもを招集し、宮廷魔術局の『強化魔術師第一期』とするためだ。
クリフォードも招集され、修行し、10歳で唯一無二の魔術師となった。
その日からクリフォードは『凪』として働いた。
子どもでもなく、人間でもなく。
魔物を掃討する兵器として扱われた。
最後には『大竜厄役』を終わらせた英雄となった。
全てが終わったとき、もう老夫婦は没し、店も畳まれていた。
帰る場所を失ったクリフォードはそのまま、兵器から『平和な時代のお飾りの英雄』になった。
戦場は対魔物から対人へ。
日々社交界の見世物にされ、愛憎を向けられ、日々が過ぎていくようになった。
――兵器。英雄。生きた魔術書。血を残すための種馬。
空虚で多忙な日々を過ごし、次第にクリフォードは何のために生きているのかわからなくなっていた。
かつての自分と同じような子ども、ミルシェットを見つけたのはこの時だ。
――もう疲れました、『凪』でいるのは。
――全部捨てて田舎でのんびりと、カフェでも営んで過ごしましょう。
『凪』を辞して彼女を保護すると決めたのは、ほぼ衝動だった。もう、限界だったのだと思う。
少なくとも、目の前の子どもを見捨ててまで、しがみついているべき肩書きではなかった。
それに自分も誰かの家族になってみたいと思ったのだ。
かつてのひとりぼっちだった子どもを、あの日、老夫婦が助けて育ててくれたときのように。
◇
「クリフォードしゃん、クリフォードしゃん」
揺すられて目を覚ますと朝だった。
ミルシェットが自分を揺すっている。
どうやらベッドに送ったまま、ベッドの横に座って眠っていたらしい。
「私を運んだまま、寝ちゃったのでしゅか?」
「ふふ、そのようです」
「もー、お疲れすぎでしゅ」
愛らしい子どもはクリフォードを見下ろし、しかたないですね、と大人びた顔になる。
「あの、クリフォードしゃん」
「なんでしょう」
「クリフォードしゃんは大人で、ぱぱでしゅけど。一人で抱え込まないでくだしゃいね」
「……ミルシェットさん……?」
「大人だって万能じゃないんでしゅ。私たち、一蓮托生の契約親子じゃないでしゅか」
まっすぐな大きな緑の瞳で見下ろすミルシェットの眼差しは、心からこちらを案じる様子だった。
「役に立てないことも多いでしゅけど、頑張りましゅから。あなたは助けて貰った恩人なんでしゅし……か、家族、なんでしゅから。いちおー」
胸がじんと温かくなるのを感じる。
眠っているときはあどけないのに、目を覚ますとなんてしっかり者なのだろう、この子は。
それだけ苦労をして生きてきたのだろう。
「ありがとうございます。パパは嬉しいですよ。ミルシェットさん」
「みー」
クリフォードは微笑んだ。
この子との暮らしがどうなるかは、今日のメニューくらいわからない。
それでも、クリフォードは必要とされるかぎり、彼女の家族でありたいと思った。
ーーどうやら彼女は、自分の密造ポーションの本当の謎について気づいていないようだし。
ただクズ魔石を配合して、ポーションができる?
そんなことができているのなら、必ずこれまでに誰かが気づいているはずだ。
けれど、彼女以外にはクズ魔石のポーションは作れない。
答えは一つ。彼女はまだ未知の固有スキルを持っているのだ。
守ってやらなければ。
気づいた誰かに目をつけられてしまえばーー『凪』のように、なってしまう。
「さて、今日のメニューはどうしましょうか」
「きょっ…………待ってくらしゃい、あのっ! えっ!? もう朝日がのぼ……」
「ふふ、いい日になるといいですね、ミルシェットさん♡」
「にっこりイイ笑顔、してる場合じゃねーっしゅ!!!!!」
ぴえーっと叫ぶミルシェットに怒られながら、今日も一日が始まる。