たくさんのママと『飼い猫』ミミ
――気づいた時は、ママがたくさんいると思ってた。
お化粧品の匂い、香水のかかったリネンの匂い、代わる代わるに私にキスをして、ミルクっぽいものを飲んだり、吞まされたり。
そこが娼館だと気付いたのは視界が開けた生後八ヶ月くらいのときで、私がガーランド代わりにきゃっきゃと戯れていたのは、干してつるされた紐みたいなランジェリーだと気付いてしまった。
「あああああ!!!!」
「ちょっとロディーナ、ミミが泣いてる。ミルク足らないんじゃない?」
「びえええええええ」
「あー、ミミうっさいなあ」
ミミじゃありませーん!
ミルシェットですううう!
私が拾われたとき、産着を見て誰かがミルシェットって言ってましたからあ!!
「忙しいー、確かその辺にジュースの残りあるから飲ませといてー」
「りょうかーい」
りょ・う・か・い・じゃっ・なーい!!!!!
「びえええええええ」
「は? なんなん? 今朝まで全然言うこと聞いてたのになんなん?」
「反抗期なんじゃねーの? しらんけど」
「そっかーそろそろおっぱい出てきて客取れっかな」
「ははは」
えーん! 生育環境最悪! 最悪の極み!
ちょっと臭い明らかに悪くなってるジュースを吞むのを必死に拒否しながら、私はどんどん覚醒していくのを感じた。
私は転生者。
前世の住所も電話番号も各種ログインパスワードもそらで言える。
私はよちっと気合いをいれてベビーベッド――代わりに使われているソファから身を起こし、大きな鏡に映る自分を見た。
ふわふわに広がった三毛猫色の髪。大きな瞳は緑色。
肌は真っ白くて頬はばら色、頭の上からはぴょっこりとふさふさの猫耳がはえている。
「にゃっ」
お尻をふりふりすると、長いかぎしっぽがゆらゆらと揺れる。幸運をひっかけるかぎしっぽ。
脱ぎ散らかされたハデな服に化粧品の山、肌もあらわで煙草を吸うママたち。
見る人が見れば発狂しそうな生育環境で、私という美少女――ミミは育てられていた。
「きゃっきゃっきゃ」
笑ってなきゃやってらんないでしゅ。
「鏡見て笑ってら。自分大好きじゃん、ミル」
「あんたはかわいーよねほんと」
ママたちが私を見ながらしみじみという。煙草を吸いながらだったりするけれど、皆の目はほんとに優しい。
柄は悪いけど、いー人たちではあるのだ。
私は生母を知らない。
娼館の前に捨てられて泣いていたのを、売り飛ばそうとしたビッグボスをママたちが引き留めて、
「聖猫族の子なんて面白いから飼おうよ」
なんて言って、自分たちが私の世話をするという条件で私を飼う許可を得てくれたのだ。
生育環境最悪なんてやっぱ嘘!
みんな一般常識ないけどママたちみんな優しい!
ありがとうママ! ビッグラブ!
「ママ、私ミルクがほしいでしゅ。それかお水がいいでしゅ」
突然しゃべり出した私に、ママたちはぎょっとする。
「えっなになに? 成長早くない?」
「天才じゃん。うちら育児の天才じゃね?」
「すっげー! ミルやるじゃん!」
育児知識がザルなママたちは、シンプルに私の変貌に目を丸くして拍手してくれた。ぱちぱち。
「ほらミルクやるよ」
「ありがとうでしゅ。せめて粉は熱湯で溶かしてくれると嬉しいでしゅ。下痢の回数が減りますでしゅ」
「注文多いな~」
「そこをなんとかでしゅ」
「おねだりかわいいなお前~~!!」
そして無事に正しい溶き方をした粉ミルクを口にした私は、強く誓ったのだ。
生まれてしまったからには、絶対平穏無事に生き抜いてみせると。
たとえ粉ミルクを溶いたマドラーが洗ってない長いネイルをした指だろうが、哺乳瓶が洗ってなかろうが、粉ミルクになんか浮いてたきがしようが、私は生きるのだ!
◇
転生者だと自覚してから月日は流れ、私は3歳になった。
相変わらず、私は娼館で育てられている。
「レイラママ~、今朝の朝刊読み終わりまちた! 次の雑誌ほしいでしゅ!」
「おっけー、でも客ピが置いてった魔術ゴルフ雑誌しかねえわ」
「読みまちゅ! まちゅ! ぴちゅ!」
「まじで? 天才じゃん。自力で魔術とか使えるようになりそう」
「だはは、そしたら一発で逮捕じゃん~!」
ママたちが乳房ぶるんぶるんさせながら煙草を吸って笑っている。
夜通しはたらいた後の一服を邪魔しないように、私は雑誌とレターセットを山ほど貰って、よじよじと部屋のソファに登って本を読む。
私は本や雑誌を貰うかわりに、ママたちがお客様に渡すお手紙の代筆もしているのだ。
3歳児の字でいけるのかって?
嘗めちゃあいけない。
ママたちのほとんどは読み書きができないのだ!
ママたちは私が代筆でお手紙を出すようになってから、リピーターが増えたしチップもふえたと大喜びだ。
読み書きができる女だと思われるだけで、ちょっとしたトラブルも回避できるらしい。
知は抑止力! 知は暴力!
私は読書を通じて、常識や情報を手に入れた。
身の回りには、有り難いことに子どもの発達段階に関する知識がザルな人間しかいないので、私は当たり前のようにのびのびと新聞を読み、ママたちやお客さんの会話に耳を澄ませ、自分が置かれた状況で最大限の情報収集と努力を行えていた。
ママたちは優しいけれど、私の未来は絶望的だ。
獣耳がある人間は娼婦としてはゲテモノ。
いずれ売り物になる年齢になったら、ビッグボスは私をアレな客に売り飛ばすだろう。
生きるには売りたくないと思わせるしかない!
手に職!手に職!手に職!
――そしてある日、私は一つの結論にたどり着いたのだ。
この世界は前世の私がプレイしていた買い切り作業ゲームの世界であることに。
『魔女のポーション工房』
王都ちかくの森に住む魔女の女の子が、先代から譲り受けたポーション屋さんを運営するゲームだ。
デ○リー○トアのように何でもちょこっとずつ置いてある便利屋のような設定で、ポーションから食料品、魔道具まで売ってるお店だった。
彼女は店番をお父さんに任せて、自分は森や海で素材を集めたり、裏の庭で薬草を育てたりしていた。
ゲームが進行すると、レア素材を手に入れるために魔物討伐を依頼したり、行商人を雇ってよそで売って貰うこともできたりした。
私が転生したのは、この世界だ。
国の名前が同じだし、お金の単位が同じだし、ケモ耳がある人種がいたりするのもそっくりそのまま同じ。
違うのは――年代。
ゲームの中で、魔族の大暴走ーー『大竜厄役』は20年前の大事件だった。
しかし新聞を見る限り、『大竜厄役』は10年前。
今はちょうど、ゲーム開始時点より10年前だ。
ゲームの世界だと気づいても、すぐには喜べなかった。
ゲームの時間軸ーー10年後の世界では民間ポーション作りが合法だとしても、現状民間人のポーション製造は犯罪だ。
けれど私は生きたい。売り飛ばされたくない。
力が欲しい。生きていくための力が。
私は、ぎゅっと小さな手を握りしめる。
「みつぞーぽーしょん、作るしか……ないでしゅ」
密造。わるいことだ。
でも――私が生きるにはそれしかない!
『魔女のポーション工房』では、クズ魔石でのポーション作りから店の商品作成が始まる。
この娼館にはクズ魔石がたくさんある。
きらきらして綺麗だから、娼館の周りにいっぱい敷き詰めてあるのだ。
これでポーションを作れるなんて今の時代の人はまだ誰も知らない。
「ママー、ここのお石、貰っていいでしゅか」
「いいよー」
「ここの……お水も、貰っていいでしゅか?」
「綺麗な水ほしかったら、一階で貰ってきなー。ついでに聖水も貰ってきて。聖職者のやつ、終わったら聖水で体洗いたがるんよ」
「うっ…………あ、ありがとうございましゅ」
聖職者、娼館に来るな(戒め)
ともかく。
クズ魔石で、密造ポーションをつくれるように……ならなければ!