村岡千香子の捜索事件簿
最初に送られてきたハガキの出だしは私の名前だった。
『村岡千香子さま』
内容はよくある簡易な近況。
『げんきにしているか』
『おれはいつものとおりだ』
『またれんらくする』
『がっこうやすまず』
『ちゃんといけよ』
これだけであった。
差出人は8歳年上の叔父の隼峰宰で、放浪癖があって何時も消印の局は違う場所であった。
時折、こうして送られてきたハガキを元に千香子は彼の行く先を追いかけるのである。
いつも行方の分からない叔父を掴まえるためにである。
そして、今日も叔父から一通のハガキが送られてきた。
出だしはやはり名前だった。
『村岡千香子さま』
内容はこれまで送られてきたハガキと同じものだ。
『3』
『俺の手紙みたら』
『まちのちんみ』
『するメおくれ』
村岡千香子はハガキを手に小さく口元を歪めた。
叔父からの手紙は内容を鵜呑みにはできない。
メッセージなのだ。
それは別に町の珍味であるスルメを送れというメッセージではなく此処にいるから元気にしている、と言うお知らせなのだ。
千香子は「相変わらず」と言うと、ポストに入っていたそのハガキをペラペラと振りながら家の中に入り
「ただいまー」
と両親に声をかけた。
千香子の父親は村岡信一郎。
母親は村岡晴美で旧姓は金沢だ。
つまり、叔父と同じ血が流れているわけではない。
訳あって父である村岡信一郎が千香子と共に彼が大学を卒業するまでのあいだ面倒を見てきたのである。
その理由を千香子は知らない。
ただ、千香子や千香子の両親と彼が決して嫌厭の仲と言うわけではないと思っている。
それもまた彼女の願いのようなもので真実は分からない。
千香子は両親の「「おかえりー」」の声を耳に二階の自室へと上がり、早速手紙の内容を紙に書き写した。
叔父の手紙には法則がある。
解き明かすためには必ず最初の手紙が必要なのだ。
千香子は最初の手紙と今回の手紙を写した紙を机に置いて赤いペンでチェックを始めた。
叔父が家を出たのは春先のまだ少し寒い日だった。
千香子は叔父に仄かな恋心を抱いていた。
だから、家を出ると言われた時は悲しくて責めるような言葉を投げつけた。
「何で!? お母さんやお父さんや私が何かした? 私たちが嫌い?」
だから出ていくの? 酷いよ! と泣きながら叔父を睨みつけた。
叔父は少し困ったように
「どこにいるかは知らせるから、ごめんね。千香子ちゃんに合った手紙を送るから」
許してくれるかな? と告げて去っていったのだ。
彼女はその光景を思い出しながら
「あの時は中学生だったけど……今はもう大学生だよ。大学のミステリー研究会でも鍛えているんだからね」
と言外に
「もう十分、難しい暗号も解けるんだからね!」
と言いつつ、出てきた答えに笑みを浮かべた。
そして、窓の向こうの青い空を見つめると
「よし、明日は土曜日だし……行って叔父さんを掴まえてこよう!」
とクローゼットからリュックを出すと一泊用の着替えを入れてLINEを開いた。
季節は春が過ぎ去ったばかりの初夏。
2週間後にはGWだ。
ただ、GWは混雑もある。
しかも、放浪癖のある叔父が何時までそこにいるか分からない。
彼女は思い立ったが吉日と翌日の土曜日の朝に旅行に出ることに決めたのである。
両親は一人旅行だと大反対するのでボディーガード付きであった。
千香子は心配そうな両親を前に玄関口で待っているお隣さんの同期で同じミス研所属の斉藤孝志に手をあげた。
「ごめんねー、ありがとう」
笑顔で呼びかけた。
斉藤孝志は小さく欠伸をしながら
「いいよ、俺も興味あるから」
と答え、千香子の両親に頭を下げて
「千香ちゃんのことは俺が守りますからご安心ください」
と告げた。
それこそ生まれた時からの付き合いである。
両親も彼がいるので渋々だが承諾してくれている。
千香子は孝志と共にJRの駅に向かいながら書き写した紙を渡した。
孝志曰く
「あ、最初の手紙はもう暗記したから大丈夫」
と言うことである。
「今度からさ、俺もいるからもっと凝ったの送るように言ってくれよ」
とまで言う始末であった。
勿論、自分のことは棚に上げて千香子は「図々しい」と答えているのだが、どちらにしても掴まえないことにはどうしようもないのだ。
二人は東京駅から広島方面へ向かう新幹線に乗り、座席に着くと千香子が開口一番で
「叔父さんは私のレベルに合わせてくれているの。孝志のレベルに合わせたら私わからないじゃない」
と告げた。
孝志は「えー」と不服そうに息を零して
「よし、今度こそ宰さん捕まえて直談判しよう」
とぼやいた。
行先は尾道だ。
最初の手紙の3行目にある。
『またれんらくする』
と
『俺の手紙みたら まちのちんみ するメおくれ』
を見比べて『ひらがな』だけを取り出して最初の手紙の文字を消していけば『ののちみお』が残る。
重なった文字は一つとして『のちみお』並び替えれば『おのみち』になる。
『尾道にいるからな』と言うのが叔父のメッセージだったのだ。
東京から尾道までは新幹線で福山まで出て、そこから山陽本線を利用して漸く辿り着く。
4時間ほどかかる遠い場所である。
千香子は孝志と共にゆっくり列車の揺れに身を任せながら4時間ほどかけて尾道へとたどり着いた。
尾道は海と山が隣接する独特な坂の街であった。
いや、坂と言うよりは家々の間に細い蛇行した階段がいくつもある階段の街と言った方が良いかも知れない。
千香子は列車から降りると
「孝志、先に海の方へ行きたいんだけど」
と告げた。
朝の7時に出て今はちょうど正午だ。
孝志は彼女の心を見透かすと
「どうせ、海鮮が食べたいって事だろ」
とビシッと告げた。
千香子は笑って
「あたりー。腹が減っては戦はできぬっていうでしょ?」
と答え
「叔父さんを探し出して明日は3人で広島へ行ってお好み焼き食べよ。お好み村のビルに沢山店が入っているみたいよ」
と告げた。
孝志はそれに
「よし! それで手を打つ。腹ごしらえをして宿泊施設を当たらないとな」
と答えた。
千香子は頷いた。
2人は意気揚々と改札を抜けて駅舎の中を行きかけた。
が、その時。
駅員の男性が二人に声を掛けた。
「すみません、村岡千香子さんではないですか?」
千香子は振り向き
「え? は…はい」
と答えた。
男性は安堵の息を吐き出して
「いや、貴女宛ての手紙を昨日預かって……来るかどうか分からないが、とは仰っていたんですが」
と言いながら笑顔で胸元から2通の手紙を出した。
それは叔父からの手紙であった。
つまり昨日はいたということである。
男性は笑みながら
「いやぁ、ちょっと世話になりましたね。こうしてお渡し出来て良かった。来なかったら捨てていいと言っておられたんですけど、そうならなくて良かった」
と告げた。
千香子は受け取りながら
「いえ、私こそありがとうございます」
と答えた。
最初の時に追いかけて行ったことを叔父が知ってからこうやって手紙を残していってくれているのだ。
今度こそ掴まえることが出来るかもしれない。
そう思うと千香子はドキドキした。
あの春の日の去っていく叔父の後ろ姿がずっと心の中に鎮座している。
あの背中に手を伸ばしたくて。手を届かせたくて。
時折、送られてくるハガキの場所へと足を向けるのだ。
そんな彼女の表情に隣で立っていた孝志は静かに笑むと
「良かったな」
と告げた。
千香子は笑顔で頷くと
「うん」
と答えた。
二人は駅員に再度礼を言って駅舎を出ると、港の近くの牡蠣小屋に行って『1』と書かれた封筒を開けた。
『村岡千香子さま』
『ここは綺麗な場所だ』
と書かれ、他に徳と竹と巌いう文字が書かれた3つの小さな石が入っていた。
いや、それだけしか入っていなかった。
千香子は目を細めると
「これって、この場所で叔父さんが待ってくれているってことだよね……きっと」
と呟いた。
だからこそこのヒントを人づてに渡してくれたのだろう。
きっとまだ尾道にいる。
漸く会える。
千香子はガッツポーズをすると
「よし! 絶対に掴まえる!」
と告げた。
その隣で孝志が石を見ながら
「しかし、徳って……もしかして、叔父さんに徳を積めば会ってやるって暗に言われているんじゃないのか?」
とぼやいた。
千香子は目を細めて
「は? それって私の性格が悪いってこと? それに竹や巌は関係ないでしょ」
と睨んで石と手紙をスッと引いた。
孝志はあわわと慌てて
「いや、冗談です。俺が悪うございました」
と早々に降参して
「きっと、何かを示しているんだな」
と告げた。
「徳と竹と巌……そして石か」
千香子はう~んと悩むと
「尾道で徳と竹と巌と石、ね」
とぼやきつつ携帯で早速検索をかけた。
「岩屋山巨石群……」
孝志はそれに
「それで、そこに竹林があって綺麗だとか?」
と聞いた。
千香子は顔を顰めて
「竹林のことは書いてない」
と言い
「でも行ってみないと分からないと思うけど」
と告げた。
孝志は頷いて
「そうだな」
と答え
「せっかくだ。恐らく2には詳しくヒントがあると思うけど……宰叔父さんのミステリー案内を楽しんで明日は一緒にお好み焼きだな!」
と告げた。
千香子は笑顔で頷き
「そうね」
と答えて、牡蠣を堪能すると早速岩屋山の巨石群を求めて移動をした。
2人は尾道駅に戻り観光案内所に行くと岩屋山の巨石群の行き方を聞いた。
初めての場所なので地理も何もわからないのだ。
案内所の女性は笑顔で
「岩屋山は対岸の向島にある102mくらいの比較的登りやすい山でこちらからだとフェリーが頻繁に出ておりますので移動を考えてレンタサイクルをしてから向かわれると良いと思います。自転車と一緒に乗れますから安心してください」
と告げた。
千香子と孝志は顔を見合わせた。
「「レンタサイクル」」
未知の土地ではお勧め通りにするのが良いだろうと、駅前のレンタサイクルで自転車を借りて二人はフェリー乗り場へと向かった。
そこから数十分毎に出ているフェリーに乗り、向島へ行くと自転車で岩屋山を目指した。
太陽は燦々と輝き地上を照り付けている。
岩屋山までは10分ほどで辿り着いた。
本当に近かったのだ。
しかも。
千香子は自転車を止めて鍵をすると
「…低い」
と呟いた。
孝志も頷いて
「まあ、ちょうど良いハイキングだな。サイクリング時間も入れて」
と答えた。
それでも山と言うだけあって木々は茂り、空気はひんやりとしていた。
2人は土の道を歩き、ごつごつと所々にある巨石を見ながら天岩戸と言われる口のような形になっている岩の前へたどり着いた。
孝志は笑顔で
「おおー、ここで雨宿りできそうな感じだな」
と中の方へ少し入って見回し
「頂上まで歩いて後10分ほどだから行くだろ?」
と告げた。
千香子は頷いてのんびりと天岩戸を出ると頂上を目指した。
登り切ると竜の頭のような岩があり2人はそれを見て漸く冷静になったのである。
千香子は孝志を見ると
「竹林……なかったね」
と告げた。
孝志も冷静に
「ああ、叔父さんもいなかったな」
と答えた。
つまり、ここではなかったということである。
二人は山を下りると自転車に乗ってフェリー乗り場へと戻った。
時間は午後4時。
まだ明るいが、宿を探さなければならない。
千香子は再び観光案内所に戻ると
「あの、この周辺で宿屋はありませんか?」
と聞いた。
案内所の女性はパンフレットを見せると
「何軒かありますよ」
と告げた。
海側に建つ全室オーシャンビューのホテルに、坂の途中にある民宿のような宿を含めて6軒ほど勧められた。
孝志はその一つを見て
「海の道って宿で良いんじゃないか? 駅にも近いし海にも近い。しかも夜はバイキング形式」
と告げた。
「値段も1万」
千香子は「そうね」と答えて海の道という少しこじんまりとしたホテルに電話をして予約を入れた。
そして、観光案内の職員の女性が
「そうそう、先は向島ってお話だったので渡しそびれていたのですが、一泊されるのでしたらこれをどうぞ」
と2人に大きな周辺地図付きの尾道観光案内チラシを渡した。
孝志はそれを受け取り、案内所を出ると
「明日はお好み焼きを食べてから東京へ戻りたい」
と呟いた。
そのためには謎を解いて千香子の叔父と会わなければならないのだ。
千香子は息を吐き出して
「徳と竹と巌……か」
と呟いた。
孝志はそれに
「石に書いているっていうのもヒントだろうな」
と呟き、案内チラシの一角で手を止めると目を見開き
「俺、わかったかも」
と告げた。
千香子は目を見開くと
「へ?」
とチラシを見た。
「猫の道? ポンポン岩? 何? なに?」
孝志は「おいおい」と言うと
「もう適当に言ってるよな」
と苦笑して
「俺の予測では2通目の手紙の中には『25』って数字が入っていると思う」
とビシッと指で示した。
千香子は2通目の手紙を手に
「え!? 25?? 益々わかんない!」
と叫んだ。
だが。
明日、広島へ行って3人でお好み焼きを食べようと考えると2通目を開けるしかない。
千香子はカッと目を見開くと
「じゃあ、開けるわ!」
と言うと封を切ると中から手紙を出した。
『冨 田 下 谷 25』
確かに25と言う文字が書かれていたのである。
千香子はひゃーと声をあげると
「あった! 確かに!!」
と孝志を見た。
孝志は笑むとチラシを見せて
「恐らくこれだ。文学のこみち……徳冨蘇峰、竹田・竹下・伯秀、そして、巌谷小波で25名の石碑がある」
と告げた。
「千光寺から下へと続く道に25石碑があるって書いている。叔父さんこれを見て書いたんだ」
千香子は息を吐き出すと
「それで石に書いたのね」
と言い
「千光寺公園からの眺めが良いって書いてるわ。行く?」
と聞いた。
孝志は頷き
「もちろん」
と答え、2人は千光寺ロープウェイを目指した。
時刻は夕刻。
空は茜に染まり2人が辿り着く頃が一番美しい情景となっていた。
しかし。
叔父である隼峰宰の姿は無かった。
ただロープウェイの職員に千香子宛ての手紙がつい十数分前に託されていたのである。
ホンの『十数分前』だ。
『急な仕事が入ったのでまた手紙を送る。大学サボらずに頑張れ』
少し前までいたのだ。
それに手紙は暗号ではなく普通のモノで手早く書いたような感じであった。
つまり本当に急な……イレギュラーな仕事が入ったのだろう。
それが無ければ……自分を待ってくれるつもりはあったのだ。
千香子は息を吐き出すと
「あぁ……岩屋山が失敗だった」
とがっくりと呟いた。
今回も手が届かなかったのだ。
2通目を早くに開けていれば……とも思ったが、恐らく案内チラシを見なければ分からなかったかもしれない。
孝志は落ち込む彼女の肩に軽く手を触れ
「次こそ掴まえればいいだろ。また手紙をくれるって言っているんだ」
と言い、海の方を指さすと
「ほら、凄く綺麗だぜ。きっとこの景色を千香に見せたかったんだと俺は思う」
と告げた。
千香子は茜色に染まる山と海が織りなす叔父の宰が教えてくれた光景に目を見開いた。
確かに綺麗だった。
こんな綺麗な景色を教えてくれたのだ。
きっと。
きっと。
……叔父さんが家を出て行ったのは私たちが嫌いになったからじゃないよね? ……
……きっと、きっと、そうだよね……
千香子はそう祈るように心で呟き
「叔父さん、綺麗だよ」
と呟いた。
翌日、2人は広島へ行くとお好み焼きを堪能して帰宅の途についた。
千香子は東京へ帰る新幹線の中で流れる車窓の風景を見つめ
「次こそ、掴まえるからね。叔父さん」
と心で呟くと、隣で眠りこけている孝志に小さく笑みを零して瞳を閉じた。
前日の夜。
彼女の叔父の隼峰宰は新大阪で新幹線を降りると千石村という大阪と和歌山の県境にある村を目指して在来線の列車に乗り込んでいたのである。
そこで起きている事件を解決するために。
最後までお読みいただきありがとうございました。
楽しんでいただけたなら幸いです。