09_後日談
◇
「昨日は、あれでよかったのか?」
「なにが?」
部室の床に散らばった羊皮紙を拾い集めながら、僕はソフィアに尋ねた。ソフィアといえば、あちらこちらに散らばった本を本棚に戻す作業に取り組んでいる。しかしながら、ソフィアは先ほど拾った本を読んでばかりで、片付いている気がしない。
「リリィとアナスタシアの件だよ。結局アナスタシアがどこにいるのかは分からず仕舞いだし、解決したというには程遠いんじゃないか?」
「その話ね~。リリィもアナスタシアも昨日の夜のうちに帰ってきたみたいよ」
「え?誰から聞いたんだその話」
「紅茶研じょうほー」
ソフィアは拾った本を手にしたままソファに座り込み、本から視線を外さないままにそう答えた。
「最後は読み違えたけどね」
「最後?」
「私、昨日寮に帰った時にモリーナ寮長に言ったじゃない?リリィは家庭の事情で明日の朝帰ってきます、って」
「ああ、そういうこと」
「もうちょっとゆっくりしてから、帰って来ればいいのにねえ~」
そうしてソフィアは最早、ソファに寝ころびながら本を読んでいた。片付ける気力はどこかへ霧散してしまったようだ。しかし年頃の女の子なのだから、多少はスカートに気を使ってほしい。
「あら、お年頃かしらん?」
こちらの視線に気づいたのか、スカートの端を指で持ち上げてひらひらさせながら、ソフィアは口角を上げてニヤニヤと憎たらしい顔をしている。
「丸太に欲情する趣味の人間が居るとは知らなかったな」
その途端、ペンが僕の顔のすぐ横を通り過ぎて壁に突き刺さった。
「まぁ!片付けるつもりが手が滑ってしまいましたわ」
何を片付けるつもりだ……。僕は壁からペンを引っこ抜いた。
「……ま、木こりぐらいなら興味のある人種もいるかもしれん」
―――
床に散らばっていた羊皮紙を全て集めて分類し、束にして机の上に置いたところで、ソフィアが甲斐甲斐しくも紅茶を淹れてくれたので、一休みする事にした。
客人用のソファにソフィアと対面するように座った僕は、ふと思い出したことを聞いてみた。
「そういえばソフィア、君が呪詛師の家系だとは知らなかったな」
「昨日限定ですわ」
まったく悪びれもせず、ソフィアは自慢げにそう言ってのけた。
「……そんなことだろうと思った。まったく知らないであんな話をしたのか?」
「まったく知らないって程じゃないけれど、呪詛返し、なんてのは手に余るわね」
僕は呆れてものも言えなかった。大ボラを吹いてリリィを追い詰めたわけだ。
「それにしても、リリィはなんでわざわざここに来たんだろうな。僕たちのせいで、結果として彼女の目論見は叶わなくなってしまったし」
「カモフラージュ、だったのかしらね。でも、それだけでは無かったのかも。リリィ自身も悩んでいたのかなって」
本格的な捜索が始まってしまえば、リリィも、アナスタシアもどうなっていたか分からない。その行き着く先は、破滅だったかもしれない。彼女も、心のどこかでそう思ったのだろうか。
「ところで呪いと言えば、呪詛士の友人から聞いた話があるんだけど、聞きたいかしら?」
ソフィアはいたずらっぽい笑みを浮かべ、こちらに身を乗り出してきた。琥珀色の双眸は嬉々として、こちらを見つめてくる。聞いてやらねば不機嫌になるんだろうな、たぶん。
「話してみてくれ」
「しょうがないな~、じゃあ話してあげよう!問題形式でいきますわ。最も恐ろしい呪いって、なんだと思う?」
最も恐ろしい呪い。自分の意識を奪われるとか、記憶を奪われるとか、そういうことだろうか。
「最も、というからには万人に共通する普遍性があるものなんだろうな。そのうえで、その個人の状態によらないとすれば……。やはり、死の呪いなんだろうか」
「ぶっぶー!」
待ってました、とばかりに即答である。彼女は僕が間違えたことがいかにも嬉しかったように見える。
ひとしきり笑ったあと、はたと彼女は一瞬、寂しさを感じさせるような表情を見せた。
彼女は時折、こんな物憂げな顔をする。それが何を思ってなのか、僕にはわからないのだが。
「ただ、普遍性、という観点では惜しいところかしらね。私は結構その友人の話に得心が行ったんだけど。最も恐ろしい呪い。それはね――」
「愛よ」
彼女の唇から発せられたその言葉は、僕の中に残響のように残った。
「愛はこの世で最も恐ろしい呪いですわ。万人を狂気に駆り立てる。その狂気の向かう先が、たとえ愛する人だったとしても」
愛。自己愛。他者愛。わかる気がする。愛があるから、人は嫉妬し憎悪し、時に信じられないような行動に走ってしまう。
「……リリィにかかっていた愛という呪いは、解けたんだろうか」
「どうかしらね。ただ、私は解けない方がいいと思うな」
「どうして?」
「確かに愛は最も恐ろしい呪いかもしれない。でもそれと同時に、最も祝福すべきものであると思う。だって愛がなければ、熱情がなければ、人は人として生きていけませんもの」
そう言うとソフィアは紅茶を一口飲み、傍らの本を手に取って、再び本の世界へと戻っていった。
~第1話 終~