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ソフィア・リーグレットの探偵日誌  作者: 高円寺くらむ
第1話
6/19

06_呪われた少女

 ◇


「あっ、ソフィアちゃん」


 リリィ・アーデルハイドがそこにいた。蝋燭で照らされたテーブルの上には、ティーセットが残っている。


「他のみんなはもう帰ったのかしら?」

 ソフィアはゆっくりと、部屋を見渡しながらリリィに歩み寄った。


「もう帰っちゃった。私もこれを片付けたら帰るけど、何か用事?」

「ちょうどよかった。今日貴女に頼まれた件で話があったの」

「何か分かったの?」


 リリィは食器を片付ける手を止めて、こちらを見た。その瞳は前髪に隠され、感情が読み取れない。


「ええ。彼女の部屋でね、こんなものを見つけたの」

 ソフィアが手に掲げたのは、アナスタシアの部屋にあった風景画だった。


「その風景画、ターシャちゃんから聞いたよ。故郷の婚約者から貰ったって」

「貴女もこれを見たことがあったのね」


 ソフィアの問いかけに対して、首を傾けながら思い出すような仕草をするリリィ。僕は、果たしてソフィアが何をリリィに伝えようとしているのか、見当もつかず、その会話を眺めていることしかできなかった。


「もしかして、ターシャちゃんがその人のところへ行ったのかも、ってこと?」

「少し違うわね」

 そう言うと、ソフィアは風景画を裏返してテーブルに置いた。僕は、リリィと一緒になって裏返しになった風景画を覗き込む。


「これは、何かな……?手紙?」

「吸魂の呪<ファル・マーキア>、という、人の生気を消耗させる呪具よ。呪われたら、はた目には体調を崩しているようにしか見えない」

「そんな、呪いだなんて!」


 自らを抱きしめるように、細くて白い腕を体に回したリリィは、絞り出すように言った。その腕は僅かに震えている。


「まったくそう!私もこんなことするやつに腹が立つわ!だから……、一緒に呪い返しましょ?」

「――呪い返し?」

 まるで母親に誉めてもらいたい子供のように、とても楽しそうに、ソフィアは笑った。


「そ、いわゆる呪詛返し。私、呪詛師の家系なの。呪具の思念を辿って、相手を呪い返す、なんて朝飯前。人を呪わばなんとやら、そこが呪詛の怖いところね。ま、私は思念を辿られるなんて素人みたいなヘマはしないけど」

「……はは。でも、そこまでしなくてもいいんじゃ」

「ソフィア。何をするつもりか分からないが、一旦落ち着け」


 リリィの言う通りだ、と思った。それに、他人を攻撃する意図での魔術利用は、学園内だけでなく、国法に照らしても厳罰である。

 ソフィアはリリィの肩に手を置いた。ソフィアの顔は、いたずらっぽい笑顔のままだった。


「言ったでしょ?辿られるようなヘマをしなければ、呪詛返しは誰にも分からない魔術なの。さて、ターシャを取り返さなきゃね!だから協力して?リリィ」

 ソフィアは尚も、リリィから視線を外さない。


「でも、呪いとターシャちゃんの失踪が関係してるか、わからないと思う。気が早いんじゃないかな……」

「そうね。確かなところはわからない。でも、この札の持ち主がターシャを呪ったことは確か。少なくとも、それについては報いを受けてもらわなくっちゃ、気が収まらないわ」


 眼前で、じっとソフィアに見つめられたリリィの視線は、行き場を失って彷徨っていた。


「だから、ね?」

「でも……」

「――やっぱり貴女にはできないかしら?呪われるのが自分じゃ、たまったものじゃないものね」


 ようやくソフィアはリリィの肩から手を離した。その顔はもう、笑ってはいなかった。

 動くもののない部屋に一瞬の静寂が訪れる。


「……ソフィア、君は」

「リリィが仕掛けたものだと言ったのよ。呪具も、ターシャの失踪もね」


 僅かに俯いたまま微動だにしないリリィをよそに、ソフィアは話を続ける。


「リリィ。貴女、ここ最近アーデルハイド商会の実家に帰ったわよね。いえ、答えなくて良いわ。学園の御者のおじさんに聞いたの。貴女をつい昨日、アーデルハイド商会まで送ったってね。そしてその前、ターシャが居なくなった日にも、御者さんを使っている」


 僕は部室でのソフィアとの会話を思い出した。リリィが実家に帰っていたのではないか、というソフィアの推測は当たっていた訳だ。


「それが、なんの関係があるんだ?」

「マルク、まず今回のターシャの失踪、貴方はどう考えた?」

「どうって……」


 ターシャが何処かへふらっと出掛けて行った、というのが1番有力だと思っていた。だが、呪具の存在を鑑みれば、外部の脅威者の存在も考えられる。


「寝込んでいたターシャを、日中に誰かが連れ出した、と」

「私の考えもそう。誰かが彼女を連れ出したとして、まず考られるのはターシャが1人で出て行ったか、あるいは誰かが連れ出したか、この2つ」

 ソフィアは両手の人差し指をピンと立てて、自身の顔の前まで持ち上げた。


「ただし、ターシャが自力で出て行ったというケース、これは考え難い。体調を崩しているような人間が、日中とはいえ常駐している管理人に見つからずに玄関から出るだとか、はたまた自室のある2階から飛び降りるだとか、到底思えませんわ」

 両手のうち、左手の人差し指を曲げて、ソフィアは左手を下ろした。


「ここで、ターシャは誰かに外に連れ出された、と考える訳だけど、外部の人間の存在は、まず考えられないわね。この学園に張り巡らされている結界は、よほどの魔術使いでなければ誤魔化せない。となると、彼女は内部の者に外へ連れ出された可能性が最も高い」


「誰かが手を貸した。それがリリィだっていうのか?そもそもどうやって日中に寮から出たんだ。玄関は管理人に監視されてるっていうのに」

「ターシャが寮を出たのは日中でも玄関でもなかったの」

 ソフィアは僕に向き直って、事もなげに言い放った。


「リリィ、貴女は、ターシャを日中のうちに1階の自分の部屋に匿った。鍵をあらかじめ渡しておいたのか、部屋の鍵をかけていなかったのか、ターシャに自分の部屋に入って待つように言っておいたのでしょうね」

 ソフィアは淀みなく、淡々と話を続ける。


「帰宅して自室でターシャと合流したあなたは、ターシャとともに自室の窓から寮を抜け出した。あとは、手配していた馬車にターシャを忍び込ませて、二人で学園の外へ。こんなところでしょう」


「それはちょっと想像が過ぎるんじゃない……?どうして私がそんなことをしなくちゃいけないわけ?」


 それまで口を閉じていたリリィが、声を上げた。その声はいつもの怯えたような声とは違う、明らかにそれ以外の感情を感じる声だった。

 もしソフィアの言っていることが事実なら、ターシャは自分の意志で学園を出て行ったことになる。しかし、いったい何のために。


「仮にソフィアの考えを認めたとして、どうしてアナスタシアは自分から学園を出ることを選択したんだ?それも、誰にも告げることなく……」

 僕は疑問を口に出していた。


「その原因がこの呪具よ」

 そう言って、ソフィアはテーブルの上の風景画を指さす。


「この風景画があなたを呪っている。婚約者からどこかへ身を隠しましょう。ってね」

「それなら!風景画の裏に呪具が付いていたなら、それはやっぱり贈り主が一番怪しいんじゃ――」

「贈り主である婚約者?」

「そうに決まってるじゃない!」


 俯きがちだったリリィが顔を上げて、これまで聞いたことのない語調で声を荒げた。その時初めて、僕は彼女の瞳をしっかりと見ることができた。彼女の深い碧い瞳は、ソフィアをキッと射抜いている。


 ソフィアは――、静かに笑っていた。


「ふふっ。これは、婚約者からの贈り物なんかじゃないわ」

「何を言ってるの?私はターシャちゃんから聞いたよ」

 反駁するリリィを無視するようにソフィアは風景画を手に取り、絵の裏側の文字を指さした。


「アナスタシアへ、愛をこめて。K.A。……これは人の名前ではなく、”クリサリアグロース”。彼女の故郷、ただの地名よ。過去の便箋を見た限り、贈ったのは彼女の両親ね」

「そんな……!だって、ターシャちゃんは!」

「貴女がそう言ったからターシャは口裏を合わせただけでしょう。貴女は呪具を仕込むときに絵の裏側を見てそう思い込んだだけで、彼女はこれが婚約者からの贈り物じゃないことは当然知っていた。なにより、ターシャは周りの人間に『故郷からの贈り物』としか言ってなかった」


 リリィは、目を見開いて口元を手で覆った。その指先は、微かに震えている。


「……ターシャはなぜ、貴女に合わせて嘘をついたのでしょうね。私はこう考えるわ。貴女の様子がおかしい事、そして貴女と呪具とのつながりに、ターシャは気づいた。だから貴女の言葉が真実であれ、嘘であれ、ターシャは貴女と一緒に学園を出て共に居るべきだと考えたのだと」


 風景画に目を落としていたソフィアはそこで言葉を止め、悲しそうな瞳でリリィを見つめた。


「――つまり。ターシャは貴女のことが、心配だったのよ」

「そんなの、憶測よ……!でたらめよ!そんなおかしいことってないよ、だって」

「そうね。どれだけお人よしなのかしら。自分を呪った相手と一緒に居たいだなんて」

 ソフィアは溜息混じりに、そう呟いた。


「でも、そういう人だから貴女はターシャを好きになったのではないの?」

「……っ!」


 そのソフィアの問いかけに、リリィは答えない。

 これは、魔性の囁きだ。


「そんな彼女だからこそ、貴女は独り占めしたいと思ったのではないの?」

「それ以上言わないで!」

「いいえ。貴女は自分の気持ちにしっかりと向き合うべきだわ」

「いや、やだっ!」


 駄々をこねる子供のように自らの耳を両手で塞いだリリィに、ソフィアはにじり寄っていく。


「よく聞きなさい」


 リリィの両手を耳から無理やり引きはがして、ソフィアは彼女の耳元でささやいた。


「これが貴女の――嫉妬(のろい)よ」


 決して大きな声ではなかったはずのその言葉は、不思議なほどはっきりと、そして明確に響き渡った。


「貴女は認めなければならないわ。ターシャを独り占めしたい、一生私だけのターシャで居てほしい。人気者のターシャの婚約者への、友人たちへの嫉妬が貴女の中の怪物を育ててしまった」

「違う!」

 リリィはソフィアの手を振り払って、その場に力なくしゃがみ込む。


「……ターシャは自分の身を顧みず、貴女を案じていたというのに」

 ソフィアはしゃがみ込んだリリィをしっかりと見据えながら、なおも言葉を止めることはない。

 小さな嗚咽が聞こえた。


「人は変わる。全ての物は移ろいゆく。ひとところに留めておくことなんてできないわ。だからこそ――」

 ソフィアはリリィの傍らにしゃがみ込み、俯くリリィの顔にゆっくりと手を伸ばした。


「受け入れるの。あなたがあなたであることを。ターシャがターシャであることを。そして、かけがえのない今を」


 琥珀色の瞳が、潤んだ碧の瞳と交錯する。

 返事はなかった。けれど、リリィに微笑みかけるソフィアはそれでも満足したように見えた。


「――さて、幸いにも」


 ソフィアはそう言うと、立ち上がってテーブルの上の呪具を手に取り、びりびりに引き裂いた。そして細切れになったそれを、再びテーブルの上に置いた。


「そう。何かが起きたわけではないわ」

 ソフィアが僕の方を見て、目線を送ってくる。


「またお邪魔しますわ。また貴女と、ターシャと、私と……みんなで。楽しいティーパーティをしましょう」


 黄金の髪をたなびかせ、ソフィアは部屋を出て行った。僕はソフィアを追いかけて部屋を出る間際、なおも床にしゃがみ込み、嗚咽を漏らすリリィへ視線を向けた。

 俯いて顔を両手で覆っている少女。その姿を、なぜだか僕は今日見た中で一番、彼女らしい姿だと思った。

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