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ソフィア・リーグレットの探偵日誌  作者: 高円寺くらむ
第1話
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01_依頼人

 少女が笑っている姿に、酷く不安を覚えた。

 いつもと変わらない日常。そんなこと、思う必要は無いはずだ。けれども、一度燻ぶったこの感情は次第に大きくなって、じきに私を押しつぶしてしまう、そんな予感がした。


 少女が私の名前を呼び、微笑みかける。私は、少女に微笑みを返した。

 うまく、笑えただろうか。

 醜く蠢く感情が私の仮面の内側から泥のように溢れ出て、清廉で純真な少女を穢してしまうことが、私は怖かった。



 ◇



 机の上に山のように積まれた本に、床に散らばるのは何枚もの羊皮紙は、部屋主の頭の中のようである。

 銀髪の青年、マルク・プレドナーはこの散らかった部屋をなんとかして片付けねばなるまいと、思案していた。


『私が帰ってくるまでに片付けておいて!』


 マルクは数刻前の彼女の言葉を思い出していた。

 自分で散らかしておいて、よくもまあ、あのように図々しく言えるものだ。しかも掃除をしたら掃除をしたで、あれはどこへやった、だの私なりの整理がある、だのぐちぐちと文句を言うのである。迷惑この上ない。

 ソフィア・リーグレット――彼女のきまぐれには散々振り回されてきた。このアリティア学園に入学したのも彼女に引っ捕まえられたから、というのが大きい。最も、私自身の意思が少なからずあったことも、否定するところではないが――。


 コンッ、コンッ。

 小さくドアをノックする音が、部屋に響いた。


「あのっ、ソフィアさんはおられますか……?」


 今にも消えてしまいそうな弱弱しい声だった。


「どうぞ」

「し、失礼します」


 ゆっくりとドアを開けて、入ってきたのは栗色の髪をした少女だった。部屋をおずおずと見回す少女と目線が合うと、少女は長い前髪で目を隠すように、俯いた。


「ソフィアさん、いない……ですか?」

「ミザリア先生に呼び出しを食らっていましてね。授業中に魔術をぶちかまして教室を吹き飛ばしたので、その修繕に」

「そうなんですね……」


 少女はソフィアがいないと聞いて、そわそわしたように手先を弄び始める。


「御用ですか?もし、よろしければ伺いますよ」

「で、でも」

「倶楽部に御用があったんでしょう?どうぞ」


 部屋の中央にあるソファに積まれていた本をどかして、少女に促した。

 少女はおずおずと、床に散らばった紙をよけながら慎重に歩いて、ちょこんと浅くソファに座る。


「それで、どういったご用事ですか?」

「その……行方不明になった友達を、探して欲しいんです」


 少女はそう言って、語り始めた。



―――



 少女の名は魔術学科2回生のリリィ・アーデルハイドといった。彼女は紅茶研究会に所属し、同じく2回生のアナスタシア・ルルベルと懇意にしていたという。

 そんなアナスタシアが数か月前のある日、紅茶研究会の活動を休んだ。リリィがアナスタシアの友人に尋ねたところによれば、彼女はその日、授業も欠席していたという。リリィは寮にも訪ねて行ったが、アナスタシアはいなかった。


 アナスタシアからは何も話を聞いていなかっただけに、リリィはアナスタシアの突然の不在に戸惑いながらも、私事で学園を離れているのだろう、と想像していた。

 アナスタシアはその次の日も、そのまた次の日も、学校にも紅茶研究会にも、来なかった。


 なにかただ事ではないことが、アナスタシアの身に起こっているのではと心配したリリィだったが、その明くる日、アナスタシアはようやく、紅茶研究会に現れた。その日のアナスタシアの調子には特に変わったところはなく、ここ数日間の不在の理由を尋ねると、家庭の事情で学園を離れていた、と語った。


「その時は、特に細かい話を聞いたわけじゃなかったんです。本人が言いたくないことなら、無理に聞き出すのもどうなのかな……と思って。でもそれからなんです」


 アナスタシアは、ぼうっとすることが増えたという。リリィと会話しているときでも、紅茶研究会のほかのメンバーと会話しているときでも、心ここにあらず、というように虚空を見つめていたという。


「私、アナスタシア――、ターシャちゃんのことが心配になって、何か悩み事でもあるのって聞いたんです。すると彼女は笑って、大丈夫だから、って」


 リリィの声が震えている。


「それからまもなくでした。彼女が行方不明になったんです」


 今日でアナスタシアが行方不明になって4日目という。


「寮のルームメイトや、先生は何も知らないのかい?」

「何も知らないみたいでした」

「行方不明になる前に、彼女は何か言ってませんでしたか?」

「特には……記憶にありません」

「そうですか。では何か、彼女の居所のヒントになるような心当たりは――」


 突然、勢いよく部屋のドアが開け放たれた。入ってきたのは金色の長髪をおさげにした少女だった。


「おかえりソフィア。こちらの彼女は」

「まったく!教室が脆すぎるのよね!そもそも魔術演習をやるなら校舎全体に硬化魔術くらいかけなさいっての!職務怠慢っ!」


 おさげ髪をぷらぷら揺らしながら、少女は部屋に進み入る。来訪者などまるで眼中にないかのように、そのままソファを通り過ぎていく。


「ミザリア先生もミザリア先生よ!大いなる力には大いなる責任が伴うって、それあの人が掃除したくないだけじゃん!生徒に責任押しつけんなぁー!」


 開いた窓からそう叫ぶと、まだ肩で息をしているものの、ようやくソフィアは多少落ち着いたようだった。リリィは呆気にとられ、ポカンと口をあけっぱなしにしている。


「それで」


 少女はそして、身を翻す。

 琥珀色の瞳が、いたずらっぽく煌めいた。


「このアリティア学園探偵俱楽部にどういった御用かしら?」



―――



 突然の出来事に言葉を失っていたリリィだったが、ソフィアに勧められた紅茶を飲むと、調子を取り戻したようだった。

 リリィは、先ほど語った話と同じ話を、ソフィアにもう一度説明した。


「最近、紅茶研には顔を出せていなかったけど、そんなことになってたのね」


 ソフィアをぽーっとした表情で眺めていたリリィが、くすくすと笑い始めた。


「ふふ、ごめんなさい。なんだかソフィアちゃんがいつもと全然違うのが、おかしいなって。部活では、おしとやかな子、って思ってたから」

「外ヅラだけはいいですからね、この子」

「心外ですわ。環境に溶け込むのが得意、と言ってくれない?」


 フフン、とソフィアは胸を張る。

 彼女の持つ顔を言い表すのに、十面相では足りないだろう。

 ソフィアは、このアリティア学園に存在する入会可能な倶楽部、研究会、同好会他、数十はくだらない組織の、そのすべてに入会している。桁外れの好奇心のなせる業だろうが、本人曰く『謎は待っていても、やってこない』らしい。実際に彼女の狙った通りに、こうした謎が舞い込んでくるのであれば、彼女の草の根活動も、あながち馬鹿にできない。


「とりあえず、先生や寮のルームメイトにもう一度話を聞いてみるのがいいかしらね。何かわかったことがあれば、報告するわ」



―――



 リリィが部屋を出ていくのを見送ると、ソフィアはカップに残った紅茶を口に運んだ。


「さあ、これからどうする?」

 

 僕はソフィアに尋ねた。ソフィアはまるで僕の言葉がきこえなかったかのように、目もくれず悠然と紅茶を飲んでいる。


「どうするって?愚問ね。少なくとも貴方がひとつ、するべき事があるんですけど」

「もう何か気が付いたのか?」

「……掃除」


 眉間にしわを寄せながら、ピシッと床を指差すソフィア。指差す先には散らばった羊皮紙が何枚も重なり合っている。


「今更だろう。それより」

「こんな言葉を知ってる?賢者は1を聞いて10を知るが、愚者は1すら聞き流す」

「誰の言葉だ?」

「今考えた」


 ソフィアはにやり、と笑った。掃除で10を知る事ができる人間はソフィアぐらいだ、と喉まで出かかった言葉を僕は飲み込んだ。


「例えばそうね、リリィを見て何か気づいたことはある?」


 言われて、リリィの姿を思い浮かべる。目が隠れるほど前髪が長く、華奢な姿。歩く様子も緊張からか、どこかぎこちなかった。


「リリィ?大人しそうで可愛らしい子、とか」


 氷のように冷たい目で、ソフィアは僕をじっと見た。どうやら不正解らしい。


「そういう観念的な話ではなく」

「紅茶が好き、とか」

「……彼女の横を通り過ぎた時、僅かだけれど磯の香りがしたわ。そして、彼女の生家、アーデルハイド商会といえば、港に居を構えるこのエフィーラ市でも指折りの交易商。彼女、しばらく実家の方へ帰っていたんじゃないかしら」

「磯の香りがしたからって、そうとは限らないだろう?海へ遊びに行っていたかもしれないじゃないか」

 僕は納得できずに反論した。


「リリィには日に焼けた跡もない。磯の香りが髪に移る程度に、ある程度滞在していたとすれば、実家に居たというのが私には自然に思えるわ。彼女の人となりを鑑みても」


 たしかにリリィが海辺で遊んでいる様子はなかなか想像に苦しい。どちらかと言えば木陰で本を読んでいる方が、彼女には似合っている。


「でもその話と掃除に何の関係があるんだ?」


 ソフィアはゆっくりと、首を横に振る。そして力の籠った眼差しを寄越した。


「いいですか?雑音があれば大事を聞き流してしまうなんて容易いこと。雑然とした環境では不要な情報を削ぎ落とさないと、見るべきもの、聞くべきことを逃しますわ」


 散らかしているのは自分なのに、よくもまあ抜け抜けと弁を弄することができるものだ。


「僕にはこの部屋が雑音そのものに見えるが……。それよりいいのか?いつも言ってるじゃないか、謎は時間と共に失われるって」 


 ソフィアに呆れながらも、僕は彼女のいつもの口癖で反駁した。


「それも一理ある。ので、今日は許すことにします。明日は掃除をすること!」


 手にしていた紅茶を勢いよく飲み干すと、興奮を隠しきれないように、ソフィアはすくっと立ち上がった。


「さて、私たちも行きましょ!謎はナマモノ、ですわ!」

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