婚約破棄されたけどまっていたのはイケメン執事からの溺愛でした~今さら戻ってきて欲しいと魔王が言ってももう遅い~
「リリス、貴様との婚約は破棄させてもらう!」
魔王様は、高らかにそう宣言し、傍らの令嬢を抱きかかえた。
ここは魔王城。で開催されてるダンスパーティーの途中。
「えっと……」
私は、自身の角を触って考える。考えがまとまらず、尻尾が左右に揺れるのを止められない。
私――リリス・スウィントンは悪魔だ。ここは魔界で、私の婚約者は魔王様だった。
私の赤い髪が――怒りで燃えるかのように、さらに赤くなった。
魔王様の紫の髪と、金の瞳が歪んで――私の視界がぶれる。
(だった?)
(……もしかして私、婚約破棄されてしまったの……?)
(そんな……! それじゃあ私の一族は……!)
「……嫌です」
「……ふむ」
私は、キッパリと拒否を告げる。――せっかく魔王様の婚約者のぼりつめたのに、言われてすぐに諦めるなんて、嫌よ……!
私は、魔王様を見上げた。
「婚約破棄なんて……応じたくありません。私は……魔王様のことをお慕いしているんです」
これは――『嘘』だけど。
私の父は、魔王軍の司令だ。
私は、父のためにも……一族皆を背負って、私はあらゆる競争に打ち勝ち、やっと婚約者のポジションを手に入れたのだ。だから、婚約破棄なんてのは受け入れるわけにはいかない……。
「ふむ。……では、お前は側室に格下げとする。……世継ぎは何人か欲しいしな!」
ッ!?
前言撤回。なんて悪魔なの!?
私は、魔王様を睨む。
魔王様は、冷ややかな視線を私に向けている。
「……参考までに。どうしてなんですか? 私、特に悪事を働いた記憶はございませんけれど」
「もちろん、貴様にはなにもない。……なにもないんだ」
「――と、言いますと?」
「………………ふん」
魔王様は、答える気はないらしい。
私は魔王様にくっついている女を睨んだ。
ユーナリア・ヘイヤー。ヘイヤ―家の令嬢だ。あそこの家もそこそこの家柄だけど。……どうにも腑に落ちないわ。
ユーナリアは、タヌキのような顔で、せせら笑っている。
……ぜったいに、ぜったいにぜったいに、家柄では私の方が上だ。それなのに、この私が側室ですって……?
「馬鹿にしているのですか……?」
魔王様は、ふんと鼻を鳴らして言った。
「俺はもう、真実の愛に目覚めたのだ。お前とは……あいつの娘だから、婚約を承諾していたに過ぎない。俺はこのユーナリアと正式に婚約する。ユーナリア以下は全員側室だ」
ユーナリア以下もなにも、今まで私しかいなかったというのに……。
私はもうすぐ十八歳だ。
十八歳になれば――ようやく結婚式だったというのに……。
「愛していますわぁ~っ! 魔王様~っ!」
ユーナリアが、魔王様に抱きついて誇らしげな笑みを私に向けた。
私は、ギリ……と歯ぎしりをして耐える。
怒りとやりきれなさで、私の体から瘴気が漏れた。せっかく綺麗なドレスを着てきたけれど、……このドレスはもう着れなさそうだわ。
「では、今日のパーティーは終わりだ。皆帰れ」
「魔王様~っ! ユーナリアもご一緒しますぅ!」
魔王様の後を、ユーナリアがちょこちょことついて行った。
周囲から、ひそひそとうわさ話が聞こえる。
「あの子って、辺境魔族の家の令嬢でしょ? こっちへでてきて、まだ一ヶ月らしいわ」
「どんな手を使ったのかしら」
「なんでも、魔王城でメイドをしていて、魔王様に気に入られたらしいわよ」
「えぇ? 辺境魔族なのにメイドを?」
(なんですって……?)
辺境魔族とは、文字通り大陸の端に領地を持つ悪魔だ。だいたいは、広大な大地がないと迷惑がかかるほどの力を持つものが多い。つまりは有力豪族だ。
ヘイヤ―家は、強力な夢魔の一族だったはず。
(……なにかわけがありそうね)
今日のユーナリアは、ドレスで着飾っていたから、分からなかったわ。
メイドとして城に入って――魔王様に取り入ったのね。
私が一歩踏み出すと、地面からジュッと黒い煙がのぼった。
ジュッ……
(でも、だからこそ――、一ヶ月そこらで私の三年間を破棄するなんて……)
ジュッ……
(絶対に、許さないわ!)
ジュッ……
私は、魔王城をでた。
***
今の魔王様は――、十六代目だ。
本人の力で統治していると言うより――彼の家名で統治している。天変地異を起こすタイミングもちゃんと計算してるし、人間界へ送る魔物も、軍を順番に送っている。末端の軍も上流の軍も、どの階級でも人間界へ遊びにいけるように調整している。
魔界は安定している……と思う。
私の父が率いる魔王軍は強いし、その娘の私を妃に迎え入れることで、それは盤石になる……はずだったのだ。
(それが、どうしてこんなことに!?)
私はずんずんと大股で、自宅の敷地を歩く。
外はもう暗いが――でもそんなことは気にならない。
私たちの屋敷は……魔王城の敷地内に立っている。
別個の家だが、庭がつながっているのだ。
魔王軍のトップなので、城に常駐できる距離、というわけだ。
私が自宅の玄関へと入ると、すぐに一人の男が駆け寄ってきた。
「リリス様……っ」
「……出迎えごくろう。マシュー」
やってきたのは、執事のマシューだった。
マシューはさらりとした黒い髪に、ルビーのような赤い瞳をしている。なかなかいい顔の男だ。5年ほど前から、うちで執事として働いている。
執事らしく今日も燕尾服を着ていた。
マシューは、私を見るなり、眉を下げた。
と、いうことは、……
「リリス様、お疲れ様です。パーティーでのこと、うかがっております……」
「……やっぱりね。さすがは、徒歩五分ってところかしら。情報が早いわね」
自虐で、私は投げやりに笑う。
マシューは、私のお世話係だ。私に関する情報を入手するのは、いつもとても早い。
だからまあ、話しが早くて助かるんだけど。
……今日のパーティーにはついてこさせてなかったのに、耳が早いわね。……いつもどこから情報を手に入れているのかしら。
マシューが言った。
「ちょうどいい頃合いではありませんか。……もうあんな男の傍に居ることはないのです。……お屋敷を出ましょう」
「へ?」
(お屋敷を……でる?)
あまりにも真剣な顔で言うものだから、私は目を丸くしてしまった。
「なに言ってるの、そんなことできるはずがないでしょう。お父様が重宝されているから、私たちはここに住んでるのよ」
自分で言ってて気がついたけど、これからも私ってここに住まないとダメなのかしら。
……どうしましょう。
魔王様に婚約破棄されても、……お父様のお仕事のためには、ずっとここに住まないと……。
下を向いていた私の手を、マシューがぎゅっと握った。
「……おれの生まれた国へ行きませんか?」
「……え?」
私は顔を上げると、マシューの顔を見た。
確か、マシューってよその国から奉公に来てるのよね……。出稼ぎでこっちにいるんだったかしら?
彼も、もう二十歳……くらいだったはず。月日が経つのは、早いわね。
「ふふっ。もしかして、心配してくれてるの? ありがと。私がこの屋敷に居づらいと思って、気を遣ってくれたのね」
「いえ、おれは……」
「大丈夫よ。……どのみち、別の高位悪魔との婚約がじきに決まるわ。そしてそれは……やっぱり魔王城の近くなんでしょうね……」
「…………」
家柄を考えると、そうだろう。
私は、ずっと魔王様の近くで生涯を終えてしまいそうだ。
(……はぁ。今から憂鬱。)
私に落ち度があっての婚約破棄ならまだ納得できるが、私は魔王様に釣り合うために、お妃教育に必死に取り組んできた。
でも、魔王様は忙しくて、あまり交流できなかった。
――私も忙しかったというのもある。
私は、ユーナリアの姿を思い出した。
そういえば、私ってあんなふうに魔王様に抱きついたことがあったっけ……?
私たちは、政略婚約だった。
だけど。
「父も、一族も皆、応援してくれたのに――……。」
私は、少し涙ぐむ。
『達成できなかった』ということへの責任感が、重い――。
「……おれは、別に応援していませんでしたよ」
「……え?」
マシューが、ハンカチで私の涙を拭う。
「あんな傲慢な態度の奴にリリス様が嫁がれたところで、幸せになりそうではありませんでしたから」
「……なに言ってるの。『魔王様』は傲慢じゃなくっちゃ」
「でも、それはリリス様を傷つけます」
「…………そうね」
マシューは、膝をついて穏やかに微笑んだ。
マシューはいつも私を気遣ってくれる、一番の執事だ。もう5年前から今日まで――ずっと私の味方だ。
私の涙は、じきに止まった。
「たしかに、歴代の魔王様の中には、側室がたくさんいた方もいたわ。でも、私はそれは――耐えられない。……いつかは愛が生まれると思っていたのよ。そうなった時に……やっぱり私ひとりを愛して欲しいじゃない?」
「……そうですね」
私が言うと、マシューは頷いた。
(そう、お父様のことを思うと、申し訳ないけれど、……側室に格下げられてまで、婚約を続けるのだけは本当に絶対に嫌!)
***
◆side 魔王
俺の靴を、ユーナリアが舐める。
……リリスが絶対にしないことだ。
「……もうよい」
「はぁ~い。魔王様っ!」
ユーナリアが離れた。
にこにこと笑っている。……ユーナリアは、いつも笑っている。
「やっとリリス様と婚約破棄してくださって、嬉しかったです~っ! これからはユーナリアがメイド兼お妃で、魔王様にご奉仕しますね~っ!」
「……ああ」
ユーナリアが城へやってきて。
俺の日々は明るくなった。
リリスは、俺の魔王の性質を嫌がる。それは例えば、おもしろおかしく残虐に、魔王らしく過ごすことなどだ。
それに。
(リリスとは……なんにもなかった。あいつが俺の部屋を訪ねてくることも、俺があいつの部屋を訪ねていくことも)
リリスは顔も……体つきも良い。
だけども、あいつの目は常に俺を映していない。
「ふん……」
思い通りにならない女は、嫌いだ。
だからこそ、妃候補は幾人かあげてもらったのだが――。
結局はスウィントン家に抑え込まれた。さすがは魔王軍を指揮するだけあり、あいつらはしっかりしていた。
……だから俺はそれが一番良いのだろうと思った。
そしてスウィントン家の言うままに、リリスと婚約した。
だが、そんな時、――
ユーナリアが現れたんだ。
「魔王様~ごろにゃんしましょうよぉ~」
「……嫌だ。お前ひとりで滑稽に踊って見せろ」
「はぁ~い!」
ユーナリアは、わざとダンスの基本を崩して――踊った。
しばらくそのまま放置する。
二十分ほど踊らせて――その間におれは執務に励む。
ユーナリアのことをずっと見てなどやらない。
ユーナリアがあきらかに息切れをしてきた頃、俺は手を止め、ユーナリアを呼ぶ。
「なかなかおもしろかったぞ。……そばにこい」
「きゃ~っ! ありがとうございます~!」
俺は、ユーナリアの肩を抱いた。
柔らかな肉が、俺に安心感を与えた。
***
◆side リリス
次の日の朝。
お屋敷は少しざわついていた。
「どうしたの? マシュー知ってる?」
「はい。少々、東方の魔族が暴れているようで……。沈静化させるか、自然に治まるのを待つか、旦那様たちが協議中とのことです」
「は~。なるほどねぇ」
私の家は、魔王軍の基地と言っても過言ではない。家に仕える執事やメイドたちも、ひとたび戦となれば最前線にでることができる。そんな者たちをそろえた屋敷だった。
つまり屋敷の使用人たちは、自分が出撃するかどうかなので、こういった情勢には敏感なのだ。
「マシュー。あなたの国って、どこだったかしら?」
「おれは西の……クアラル国出身です」
「あー。そうだったわね。うん、以前にも聞いたことがあったわね。ベルゼブブ王のとことでしょう?」
「はい。そうです」
クアラル国。獣の悪魔が多い国よね。ベルゼブブ王が治めているっていう。
ベルゼブブ王は、なんとあの魔王様を脅かすほどの力を持つ、大悪魔だ。
魔王様は七大悪魔を平和条約を結び、今日まで和平を築いている。
悪魔が平和条約だなんて、ちょっとおかしいけど。七大悪魔たちはそれぞれ一国の王で、それはそれは強い力を持っている。条約くらい結んでおかないと、魔界はめちゃくちゃになっちゃうわ。
クアラル国には、狼男とか、蝙蝠男とか、黒猫とか、そういう獣っぽい悪魔が多いって聞くわ。ヒトっぽい姿と獣っぽい姿とに変身できるんですって。
「あれ?」
私は、マシューをまじまじと見た。
「じゃああなたも、なにか動物に変身するの?」
「……まぁ、少々」
「そう。どんな姿なの?」
「それは……」
思えば、マシューの変身を見たことない。
わくわくしながら待っていた、
その時――
「リリスちゃ~ん!」
「わっ! お父様!」
お父様が、涙目で私に抱きついてきた。
「リリスちゃん、魔王様とダメになっちゃったの?」
「お父様……! 申し訳ありません……!」
やっぱり、この話題よね。
父は私に甘い。だから……詰られることはないと思うが――……。
「かわいいリリスちゃんには、最高峰の結婚をして欲しくて、魔界NO.1の魔王様との婚約を取り付けたんだけど……」
「…………はい」
「リリスちゃんはどうなの? リリスちゃんが不満なら、魔王様相手であってもこの屋敷総出で反乱するつもりだけど」
「ひぃっ!?」
それは――実質的なクーデターだ。
父の目は冷たく光る。――もしかしなくても、本気のようだ。
しかし……国随一の魔王軍といえど、魔王様個人の魔力に敵うかは怪しい。
それほどまでに……魔王様圧倒的な力で、権力を握っていた。
私のために、お父様や屋敷の人間が犠牲になることは避けたい。
「大丈夫です。魔王様には驚きましたけれど……。次の婚約を待ちますわ」
「そうかね? ……じゃあそうしようかな」
お父様が落ち着いたので、私はほっと息を吐いた。
「それよりお父様! 東方の魔族はどうなったんですか?」
「あぁ。それか……。岩山をいくつか破壊しているようだが……そこに住む魔族も一方的にやられているわけでもなさそうだ。大きな部族間の喧嘩、という見解だ」
「そうですか……。じゃあお父様たちは出撃しなくて良いのですね」
「今はな」
私は、胸をなで下ろした。
強いとは言え、悪魔同士の戦いは激しい。なるべくケガをして欲しくはなかった。
「さて、私はこのことを魔王様に伝えてくる。……今日から妃修行もなしだ。しばらくのんびり過ごすと良い」
「……はい」
私は、お父様を見送った。
控えていたマシューが、口を開いた。
「……リリス様。でしたら今日は、お出かけに行きませんか?」
「お出かけ?」
「はい。……気分転換になれば、と」
「……そうね。あなたって結構気が利くわね」
「光栄です」
マシューは、にこ、と小さく微笑んだ。
ただのおでかけなんて、いつぶりかしら。
そもそも、なんの用事もない日っていうのが、久しぶりだわ。
「朝食を食べるわ。準備させてちょうだい」
「……わかりました」
マシューは、厨房に駆けていった。
「あら?」
マシューの後ろ姿から、一瞬、黒く長いしっぽが見えて――それはすぐに消えた。
(見間違いかしら?)
私は、去って行くマシューの背へ、もう一度目をこらした。
しっぽは見えない。
……そういえば、マシューが何の動物に変身できるのか、聞きそびれたわ。
あのしっぽの形は……猫みたいだけれど。
クアラル国で黒猫といえば、やはり有名な家柄はコネロ家ね。魔女によく召喚される、由緒ある血筋よね。
そういえば、……ベルゼブブ王のお妃様って、コネロ家から嫁いでこられたとお聞きしたわ。
黒猫の血を引く、王子様がいるとか……。
そこまで思い出して――私は吹き出してしまう。
「まさかね。ないない! だいたい、王子様が執事をやってるわけないでしょ!」
私は愉快な妄想を追い出し、食堂へと足を運んだ。
***
◆side ユーナリア
「ふんふんふふ~ん♪」
アタシは、窓を拭きながら――苛立ちを隠した。
(なんとか婚約破棄までたどり着けたわ。これで魔王軍との絆は崩れるはず。そのために……こんなに媚びを売れないといけないなんて……! はぁ~っ。我が家の窓も拭いたことなんてないのに、なんでこのアタシが!)
「あ、あの~ユーナリア……さま……」
「なあに? ……あ~☆ あなた、メイド長ねっ! 見たことあるわ~」
「ここはわたくしどもがやりますので……ユーナリアさまはどうぞおくつろぎなさっててください……」
メイド長がぺこぺこと頭をさげる。
今までと態度が違うわね。まあ、当然よね。魔王様との仲は、昨日発表されたんだから。
(あと少しなんだ。メイドのユーナリアをしっかり演じなくっちゃ。)
「……どうしてですかっ? 私は昨日までと同じお仕事をしているんですけど?」
「でも、もうお妃様になられる……と聞きました。メイド仕事はおやめください」
「う~ん、どうしよっかなぁ~」
(メイドになれば、魔王城で働けるし、魔王様に近付きやすいって思ったら、大当たりだったわ。魔王様はどうやらプライド高い令嬢より、従順な使用人のような女が好みだったみたいだし? このままメイドを続けるべきか、否か……。)
「……じゃあ~。ユーナリアがやるのは、今後魔王様のお部屋の清掃だけ、っていうのはどうでしょ~?」
「えっと……」
「魔王様のお部屋、ユーナリア、お掃除したいんです!」
「は、はい……!」
(本当は、魔王様の部屋なんて掃除したくないけど。でも……部屋の資料も読めちゃうし、最高にお得よね♪)
メイド長は去っていった。
(東方での陽動も始まったみたいだし。長引けばきっと、魔王軍は東方へ軍を出すわよね。ふふふ、楽しみ……♪)
アタシは、住み込みメイド。
そして。
北方の魔族――辺境魔族の期待を背負った、スパイだ。
***
◆side リリス
「良い天気ね~」
「そうですね、リリス様」
私とマシューは、湖に来ていた。
湖のそばにはウッドデッキがあり、私たちはそこへ敷物を広げて座っていた。
朝の不穏なざわめきはどこへやら。
とても良い天気に、私の気持ちも軽くなる。
「リリス様。こちらお飲み物です」
「ありがとう。……あら、これ温かい飲み物なのね」
温かい日差しで屋外なのだから、冷たい飲み物が来ると思っていた。
「はい。……ハーブティーです」
「……へぇ。……良い香りね」
魔界にもハーブはいくつか生えていて、私たちも飲む習慣はあったけれど……これは初めて嗅ぐ香りかしら?
「ねぇ、これなんの葉なの?」
「それは、おれのオリジナルブレンドなんです」
「え? あなたが作ったの?」
「はい」
マシューがにこりと微笑んだ。
「クアラル国では、自分で葉をブレンドしたりするんですよ。……完全におれの好みですが……」
「いいわ。いただくわ」
一口。
スッとした飲み口で――でもじんわりと温かくなるような――そんな味だった。
「…………」
ぽろり
私の目から、涙が零れた。
「リリス様……」
マシューが私の背中をさする。
なんだろう。このお茶が……温かすぎるせいかしら。
「私……っ。魔王様と本当に婚約破棄になってしまったんだわ……っ。お父様は私を叱らなかったっ。そうだと思ってたけどっ。でも、私悔しいわっ」
「リリス様……」
「たしかにね、私と魔王様の間に愛はなかったかもしれないけどっ。じゃあどうすればよかったのっ?! 魔王軍の司令の娘が、政略結婚を目指さなくて、どうすればよかったのっ?!」
「よしよし……」
私の目から、ぽろぽろと涙があふれた。
マシューは、ずっと私の背中をさすり続けてくれている。
「大丈夫ですよ。リリス様は頑張っておられました」
「ぐすっ……」
「妃修行のお稽古も、一生懸命取り組まれていました。……それは魔王様のためには生かせませんが……リリス様の教養となったのです」
「そうよね……っ。そう、よね……っ。ありがとう……マシュー……」
このお茶が――温かいせいだ。つらいはずなのに――胸がじんわりと温かくなって、マシューに抱きついてしまいたくなる。
「……リリス様」
「ふぇっ?!」
マシューがふんわりと私を抱きしめたものだから、私は気が動転してしまう。マシューの胸が、私の目の前にある。
マシューって、こんな匂いだったかしら?
甘い匂いが、鼻孔をくすぐる。
密着する体から、マシューの体温が伝わる。触れているところすべてから、じんわりとぬくもりが広がって――温かい。
「リリス様」
「ひゃあっ!?」
耳元でささやかれて、私はあやうくティーカップを落としてしまうところだった。
「……大丈夫ですよ」
「…………ええ」
マシューは、そのまま私の背中を撫でた。
こんなにマシューが近くに居るのは初めてのことだ。
(な、なんだかドキドキする……? これ、なにかしら……? 動機息切れってこんな感じ? なんだか、こ、呼吸するタイミングがわからない……!?)
息を吸うと、マシューの匂いがする。それがなんだか不思議な気分で――私は不思議と呼吸がしにくくなってしまった。
初めは緊張したけれど、マシューはただ私をなでるだけで、それ以上なにもしないことが分かると、私はほっと息を吐いた。
(……息もちゃんと出来る、かも)
いつの間にか、私の涙は止まっていた。
***
そうして、私とマシューとの穏やかな日々が始まった。
お父様も私を心配して、自由にすごしていいといってくれているし、屋敷の者は皆優しい。
マシューはその後も私をあちこちに連れ出してくれて、そのたびに穏やかな、癒やされる気持ちになった。
「リリス様、見てください」
「まあ、なにかしれ、これ……!」
夜空に光の玉がたくさん浮いている。
「おれの魔力で、夜のお庭を飾り付けてみました」
「綺麗……。素敵ね。でも、これだけの光、どうやって……」
「え? 別に普通ですよ。こう、ぽわ~んとだすだけで」
「そう……」
今まであまり気にしたことはなかったけど、どうもマシューの魔力は高いみたい。
「……リリス様、元気出ましたか? 今日なんだか落ち込んでらっしゃったみたいですが……」
「えっと、……え? そうかしら?」
(私、落ちこんでいたかしら?)
あまり、心当たりがない。
マシューは、眉を下げながら言った。
「リリス様のお気に入りのティーカップが、少し柄が禿げてしまったのは、本当におつらいでしょうけど……」
「ぷっ。あはははっ! なぁんだ、そんなことっ?!」
私は、思わず笑い出してしまう。
確かに、ティーカップは少し禿げてて、残念に思ったけれど。
「それで、こんな仕掛けを? 励まそうと?」
私は、夜空に浮かぶ光の玉たちを指さした。
「は、はい……」
「……ありがとう、マシュー」
マシューは、こうしてよくよく考えてみると、いつもものすごく私を気遣ってくれてるみたい。
それって、とっても幸せなことね。
魔王城から近いお屋敷に住み続けるのってつらいだろうって思ってたけど、今の私はそんなにつらくないの。
そうして私たちは穏やかに、優しい日々を過ごした。
気がつけば、一ヶ月が経っていた。
***
◆side 魔王
「魔王様、いかがですか?」
「ふん。……いいだろう」
俺の部屋へ、使用人がドレスを運んできた。
これはユーナリアの婚約披露宴のためのドレスだ。
「色気があって、なかなかいいんじゃないか」
「普通は婚約発表のドレスは色気は出さないものだと思うんですけど……ひぃっ!」
「ごちゃごちゃ言うな。リリスの着ないようなものを、着せるんだ」
「……はい」
俺は、振り上げた杖を下げる。
「もうよい、下がれ」
「はっ……」
ドレスがさげられる。
そして、すぐにまた扉がノックされた。
「……今度はなんだ」
「魔王様! 魔王軍司令がきています!」
「そうか。通せ」
「はっ」
(あいつの父親か。なんだっていうんだ)
少しして、部屋に入ってきたのはリリスの父――魔王軍の司令だった。
「魔王様。東方の魔族ですが……沈静化させたほうが良いかも知れません」
「なんだ。以前の報告では、あれは部族間の喧嘩との報告だったぞ」
「それが……どうも、住居を優先的に破壊しているようなのです」
「……ふむ」
なにやら、面倒なことが起きてるようだ。
悪魔はどいつもこいつも、すぐに暴れ出す。まぁ、それ自体は悪魔らしいといえばらしいが……。
なにぶん、統治するには面倒事は起きて欲しくない。
軍司令は続けた。
「そろそろ喧嘩の度を超えてまいりました。しかし、あれらくらいでしたら、我が軍で現地での換算二日ほどで沈静化出来ると思います」
「はははっ。……地方に住むからこそ強力な力を持つあいつらを、二日でとは……。頼もしいな」
「移動に一日、現地で二日、帰還に一日で四日ですが……念のため、五日いただければ確実と思います」
「そうか」
まあ、妥当な日数だな。
出撃の許可をだそうと思ったが、軍司令が複雑な顔をしているのが少し引っかかる。
軍司令は言った。
「しかしですね、一点問題が」
「……なんだ。言ってみろ」
「昨今、戦争はありませんでしたから……第二部隊には休暇をやっているのです。今、私の屋敷におります第一部隊しかおりません。もちろん、この人数で先ほど申し上げた日数で完遂はできます。けれど……」
軍司令は、少し申し訳なさそうな顔をした。
「けれど、そうすると魔王城の警備が手薄になってしまうかと……」
「ふん。そんなことか」
俺は鼻を鳴らした。
なにをもじもじしておるのかと思ったわ、しょうもない心配だ。
俺は言ってやった。
「だいたい、何者かが城へやってきたとして――俺が負けるはずがないだろう。俺ひとりでも、軍隊一つは壊滅させられるぞ」
「もちろんです」
「お前たちは明日出発しろ。どうせ悪魔だ。ちょっとのことでは死なん。今日出発しようが明日出発しようが、大差はない。……対応しないままだと、大差はでるだろうが」
「了解しました。では本日は準備にあてさせていただきます。明日、魔王軍を今おります軍のうち八割ほど、東方へつれていきます。二割は念のために残しておきますが……魔王様におかれましては、お気を付けなさってください」
「俺を誰だと心得る。……まあよい。下がれ」
「はっ」
俺は、しっしと手でやる。
軍司令は部屋から出て行った。
「俺ひとりでも、問題あるわけないだろうが」
そもそも、今まで――俺が魔王を継いで以来、城が攻め込まれたことはないのだ。
大丈夫だろう。
「はぁ。……ちょっと気分が悪くなったな。ユーナリアでも呼ぶか」
俺は椅子にもたれかかると、呼び鈴を鳴らした。
***
◆side リリス
次の日。
屋敷は、騒然としていた。
私は、その辺の使用人をつかまえて尋ねた。
「ど、どうしたの?」
「あぁ、リリス様。実は、東方の魔族の鎮圧に動くことになりまして。今から出発なのです。」
「えぇ? 東方へは行かないんじゃなかったの?」
「情勢が少々変わったのだとか。お父上はもう先陣を切ってご出発されたところです」
「……わかったわ。『魔楽器』の整備は大丈夫なの?」
「はい。抜かりなく」
「そう。軍にたくさん持って行かすように」
『魔楽器』での、音楽は、相手に悪夢を見せたり不安にさせたりするためのものだ。武力で一対一で戦ったら、それこそ鎮圧にどのくらいかかるか分からない。広範囲に魔力をかけることのできる魔楽器での音楽は、魔王軍では重宝されていた。
もちろん私も、妃修行の一環で、レッスンを受けていた。
使用人は、パタパタと慌てた様子で去って行った。
代わりにマシューがやってきて、私のそばに控えた。
「おはようございます。リリス様」
「あら、マシュー。おはよう」
……あれから、マシューにはずっと支えになってもらっている。
マシューはいつも穏やかで……いつもそばに控えてくれている。それが心地よかった。
「……あ」
そこで私は思い出す。
「私も自分の魔楽器を取りに行かないと……レッスン室に置きっぱなしにしていたのよね。……自宅に持って帰らないと」
「魔王城に置きっぱなしだったんですか?」
「持って帰るのめんどくさかったのよね。でも持って帰らなくちゃだわ~。……でもでも、魔王城へ行くの、嫌だわ!」
「別に今日じゃなくてもいいのでは?」
「……いいえ。もしかしたら、私も使うことになるかもしれないもの」
「そうですね……」
「そうならなければ、いいんだけどね」
私は遠征にはついて行かない。
でも、お父様が留守の間……なにもないとは言い切れない。
「なるほど、わかりました。おれがおともします」
「よろしくね」
そうして、私たちは、魔王城へと向かった。
***
城に入って、――私は小さな違和感を覚える。
「なにか……変だわ」
「リリス様?」
「マシュー、なにか感じない?」
「えっと……」
マシューが辺りを見回す。
「……なんだか、人が少ないような気がしますね」
「……毎日来てなかったあなたでも分かるのね」
「使用人の数が少ないようですね。なにかあるんでしょうか」
そこへ、メイド長が通りかかった。
私は声をかけ、彼女を引き留める。
「城の使用人の数が、少ないんじゃないかしら?」
「……ええ。」
メイド長は、頷いた。
「南方の魔族の街で、明日から三日間大きな祭りがあるんです。そこの出身の者たちが休暇希望をだしているので……。前日に移動したいからと、今日から休む者が多くて」
「……そう。そんなんで、魔王様のお世話は――……あ」
魔王様のことは……もう私には、関係ないか……。
「いえ、いいわ。……祭りは楽しいことだもの。皆が楽しんで帰ってくると良いわね」
「リリス様……」
メイド長は、なにをどう言ったら良いかわからないといった顔をした。
「じゃあ、そんな忙しい中、引き留めて悪かったわね。もう行っていいわ」
「はい……」
私がにこりと微笑むと、メイド長は頭を下げて去って行った。
マシューが言う。
「……魔王様が、心配ですか?」
「いーえっ! 心配なものですかっ!」
私がツーンと言うと、
「そうですか……」
マシューが微笑んだ。
「……?」
どこか面白かったかしら?
「なんで笑ってるの?」
「いえ、嬉しいんです」
「???」
ますます、分からない。
「ふふっ。まぁいいわ!」
私たちは、二階の音楽室を目指した。
二階にあがった私たちが、廊下を歩いていると――
急にマシューが手で私の口を塞いだ。
「しっ。……誰かいます」
「……!?」
私たちは、柱の陰に隠れる。
マシューの手から、緊張が伝わる。……警戒しているのかしら。……でも、誰に?
私は、小声で話した。
「怪しい感じなの?」
「はい。城で見たことない女です」
私は、体をひねって、前方を窺う。
音楽室の手前――音楽講師の控室に、一人の女がいた。講師ではない。
あれは――、
「ユーナリアだわ……」
そういえば、マシューは城に頻繁に出入りしているわけじゃないから、ユーナリアのことを知らないのね。……なんたって彼女は、まだ二ヶ月しかいないわけだし。
ユーナリアは掃除をしているようでもない。ただ、……だれかと笑いながら話している。
(……どうも、この笑い声、妙な感じがするわね……)
先月のダンスパーティーで会ったときと、少し雰囲気が違う。
私は、先ほどのメイド長との会話を思い出す。
(……なにか問題があってからでは、遅いしね)
私がマシューの顔を見ると、彼は頷いた。
「リリス様のやられること、おれはすべて肯定します」
「……ありがとう」
私は、魔力を控室にむけて送る。
「……魔力展開。脳内スピーカーON。収集先――八メートル先。共有、マシューの脳内」
そして――
ユーナリアに気付かれないように、部屋の隅に小さな『目玉ちゃん』を一つ発生させた。
『目玉ちゃん』は、その名の通り一つ目の、魔界アイテムだ。設置した場所の音声や映像を、脳内に届けてくれる。十メートル以内の位置に発生させることが出来た。
(盗み聞きだけど……念のためだから!)
そしてすぐに、この判断は間違ってなかったのだと、知ることになったのだ。
「だからさぁ! めっちゃ楽勝なのよ! あははははっ!」
これは、ユーナリアの声だ。
目玉ちゃんが拾った映像は、直接リリスとマシューの脳内に映される。
ユーナリアは、机に足を乗せて――電話機を持っていた。
あの電話機は、『蝙蝠ちゃん』ね。ずいぶん古い機種だわ。……魔王城周辺ではあまり見ない機種ね。辺境魔族ほどの家柄でも、まだあんなものを使っているのね。
『蝙蝠ちゃん』は、音声通話だけを目的として作られた魔法具だ。
『目玉ちゃん』のように映像を送ることは出来ない。
[魔王様に取り入ることは楽勝だったわっ! うまく婚約破棄もできたしっ! これで、魔王様と魔王軍との間には亀裂も生まれただろうしねっ! あの女の父親は娘に甘いみたいだから、魔王様への好感度も大幅に下がっているはずよ。魔王様がピンチになったとして、助けに来るかしらね? 計画通りよ! あははは!」
(え……? なに……?)
私の額を、冷や汗が滑る。
ユーナリアは今、なんて言ったの……?
私と魔王様の婚約破棄が、『計画通り』ですって……?
「東方での陽動も上手くいってるみたいだしっ! 魔王軍は今、鎮圧の準備をしてるみたいだわ。時期を合わせたから、使用人は本当に南方に休暇へ行ってるみたいで少ないしっ! 北方の魔族が魔王城に攻め込むチャンスよ!」
「……聞いた? マシュー」
「はい。リリス様」
「……私たち、あの女の手のひらの上だったんだわ……!」
私は、ぎりぃと唇を噛んだ。
ユーナリアは、スパイだったんだわ……!
一ヶ月そこらで魔王様に取り入ることができたのも、きっと下調べをしっかりしてきたからなんだわ……!
ユーナリアが言った。
「じゃあ、アタシは逃げるわね。いつまでも魔王様の汚い靴なんか舐めてらんないのよ。誘導ルートはちゃんと見た? アタシが送ったデータ通りに進軍してきたら、大丈夫だから。アンタたち、うまくやりなさいよ」
「リリス様……! あの女、城から姿をくらます気ですよ」
「ええ、そうみたいね」
私は、考える。
魔王様のところへ報告に行こうかと思ったけれど――そんな時間はなさそうだ。北方の魔族はもう動いている。北方の魔族がどのくらいの数か分からないが……『やれると踏んでやってくる』のだ。一筋縄ではいかないでしょうね。
彼らのルートは、ユーナリアが知っている。となれば……
「マシュー。今ここで、あの女を捕まえるわよ……!」
驚きや否定を予想したが――マシューは頷いた。
「はい。リリス様なら、そう決断されると思っていました」
「マシュー……」
でも、どうやって?
「魔楽器があれば、あるいは……いけるかしら」
ただ、問題がある。ユーナリアがいる部屋は、音楽室の手前だ。音楽室に行こうとすると、気付かれてしまうだろう。窓から逃げてしまうかもしれない。
「あの女に気付かれないように、音楽室から私の魔楽器を取って来れたらいいんだけど」
「リリス様の魔楽器って、フルートをモチーフとした形ですよね」
「ええ。そうよ」
「わかりました。おれが、取ってきます」
「え、でも――」
マシューは、私の顔をじっと見た。
「なに?」
「…………」
マシューは黙ったまま、にこりと微笑んだ。
それは、いつも通りで――いや、いつもと少し違ったのだ。
マシューはその場にひざまずく。
「リリス様……」
「ど、どうしたのマシュー……」
マシューが下から私を見上げた。
……私は、なんだかどう表情をつくればいいのか分からない。
マシューは、私の手をとり――。
私の手の甲に口づけをした。
「っ?!」
今のは、忠誠の証――の、はず……。
それなのに。
一気に、顔が赤くなるのが分かった。
「……リリス様。行ってきます」
そうしてマシューは――
黒猫の姿になった。
(ええっ!? マシューって本当に黒猫だったの!?)
マシューは背を低くしてスタスタと歩いて行く。
ユーナリアはマシューに気がつかない。
猫って気配を消して歩くのが上手だものね。
(さ、さっきのがなんだったのかはあとできくこととしてっ?! 集中しなくちゃ!)
マシューは音楽室に入ると、すぐに私の魔楽器を持って帰ってきた。
「さすがだわ、マシュー! 迅速!」
「にゃー」
私は、ユーナリアから姿を隠したままで――魔楽器の歌口に唇を当てる。
フルートのような形をしたそれからは、やっぱりフルートのような音がした。
私が魔楽器を吹くと、その音は『命令』となってユーナリアへ絡みついた。
『♪捕らえなさい♪縛りなさい♪麻痺させなさい♪動かなくしなさい♪その場から逃れられないように♪』
「ぐっ……?! な、なによこれ! 誰なのぉっ!?」
私は魔楽器を吹きながら、ユーナリアのいる部屋へと近付いた。
『♪捕らえなさい♪ひざまずかせなさい♪痺れさせなさい♪縛りなさい♪この音で♪』
「ア、アンタは……! リリス……っ!」
ユーナリアは、五線譜型の縄で縛られた状態で、床に座っていた。
***
魔王様の部屋の中には、魔王様・私リリス・マシュー・それからユーナリアの姿があった。
「……てなわけで、魔王様は騙されてたのよ。この女はスパイだわ。これが証拠の目玉ちゃんの映像」
魔王様は、目玉ちゃんの映像をしっかり見たうえで――
「……本当なのか、ユーナリア」
問いかけた。
「俺は、お前と婚約しようとしていたんだぞ」
「あら。光栄ですぅ~っ!」
ユーナリアが白々しく目を潤ませた。
皆が黙っていると、ユーナリアは、おちょくるような顔をした。
「で? アンタたちになにができるってんです? 魔王軍はいない、使用人もいない、平和ぼけの毎日で特に訓練もしてない民。でもって? 私たち北方の魔族はもうすぐ魔王城に到着するんですよぉっ!」
「そんなの、俺ひとりで平気だ」
魔王様が、マントをばさりと振る。
ユーナリアはくすくすと笑った。
「うふふ。本当にそうかしら?」
「なに?」
「アタシが夢魔なこと、お忘れ?」
「なんだと……?」
魔王様が手を光を集める。
しかしそれはすぐに霧散してしまった。
「アンタと寝てる間に、魔力を吸い取ってやったわ! ……どーせしばらくしたら復活するんだろーけど、一週間はたいした魔法も使えないわよっ!!!! あははははははっ!!!!」
「なんだと……!?」
「そんな……」
私もこれには驚いた。
魔王様は強い。だから、正直北方の魔族が乗り込んできても、なんとかなるだろうと思ったのだ。
私の魔楽器では数人の拘束しかできないし……。
その時、マシューが口を開いた。
「えっと、北方の魔族軍を倒せばいいんですか?」
「え? え、ええ……。まあ、そうなるわね」
「今どの辺にいるんでしょう?」
「えっと……」
ユーナリアを見る。
ユーナリアは、ツンとしたままだ。
私は魔楽器を吹いた。
ユーナリアの腕がひねられる。
「いだだだだだっ! 言うわよっ! さっきの通話の感じだと、そろそろ北方平原かしらっ? すごいわよ~っ。魔王に不満のあるやつらが、あのだだっ広い平原上を埋め尽くすんだから!」
「なるほど、ではそこへ行きましょう」
「へ? マシュー、あなた……行くの?」
「え?」
マシューは首をかしげた。
「リリス様は行かないんですか?」
「………………」
そうよね。お父様の不在の今、魔王軍の控えを率いて、私が北方へ出向くべきではないかしら?!
「行くわ!」
「はい、おともします」
私たちは、自宅に帰るとすぐに屋敷の者たちに準備を促した。
***
北方平原は、とても広い草原だ。見晴らしもよく、木々も少ない。
私たちがそこに着いた頃、ちょうど平原上は悪魔で埋め尽くされようとしていた。
「すっごい数だわ……」
私は、手をおでこに当てて、遠くまで見た。
「ここまでやってくるのも、この感じだと10分そこらね……。どうする? マシュー」
マシューは、きょとんとした顔をした。
「え? あれを、殲滅してきたらいいんですよね?」
「殲滅って言うか、気絶くらいで……って、そんな都合の良いこと難しいか」
「気絶ですね。わかりました」
「え?」
マシューは、宙に浮いた。
いや悪魔だから羽があるんだけどっ。
それから――両手を広げると、魔法の光の球を作り出した。それはだんだん大きくなっていって――両手からはみ出るくらい大きくなって――
「うそ……」
巨大な光の球となった。
「よいしょっと」
マシューがそれを放つと、――轟音が響いた。
ドドドドドドドドドッ
「うわあああああ?!?!」
「なんだあ?!?!?!」
「ぐえええええええ!!!?!??」
悪魔たちが、次次と叫び声を上げては、倒れていく。
それはもう、バッタバッタと倒れていった。
マシューは、相手の射程の範囲外から、どんどん魔法を打つ。
「ま、マシュー。あなた……」
こんな強大な魔力――魔王様と同等か、あるいは――……。
力の強いベルゼブブ王の治める西方クアラル国出身で――王妃と同じ黒猫の――強大な魔力を持つこの男の人は――……。
「ずっと黙っててすみません。執事生活が楽しくなって来ちゃって。……おれ、クアラル国の王子なんです」
「えぇーっ?! そ、そうだったのぉっ?! なんでなのっ!? どうして私の執事なんてしてるのー?!」
私が姫とかならともかく、ただの魔王軍司令の娘よ!?
「すみません。お話は……全員気絶させた後で」
「え、……えっ?!」
みると、平原はもうほとんどの悪魔が気絶していた。
マシューは、なおも光の球を作ってはぶん投げ、残党に当てていった。
「す、すごい……。マシューにこんなに強大な魔力があったなんて……」
「リリス様……」
屋敷から連れてきた、他の使用人がおず……と話しかけてきた。
私は、フッと笑う。
「どうやら私たち、出番はないみたいだわ」
こうして、魔王様へのクーデターは未然に防がれたのだった。
***
魔王城に戻ると、魔王様が駆けてきた。
「おい! 北方の魔族は……」
「全員気絶しています。それを私の魔楽器で縛りあげてきました。あとの処遇は魔王様にお任せしますわ」
「なっ……?! 全員ですってぇ!?」
「ユーナリア」
ユーナリアは私の縛った紐に繋がれたまま、魔王様に引き連れられていた。
「今、こいつを牢にぶちこみにいこうと思っていたところだ」
「あんだけの数がいたのよっ!? 結構みんな鍛えたのよっ!? それを、どうしてっ?!」
「実は……」
私は、後ろに控えているマシューをチラ見した。
まさか、この執事が最強だったとは思わないじゃない?
マシューは、ユーナリアにさらりと言ってのけた。
「えっと、全然手応えありませんでしたよ。というか、武器も魔法も交えてもいないというか……」
「どういうことなのっ?!」
「楽勝と言うことです」
「きぃーっ!!」
ユーナリアがヒステリックに叫ぶ。
あのダンスパーティーの夜が、嘘みたいだ。
あれからまだ一ヶ月しか経ってないって、本当かしら?
魔王様が、私の手を取る。
「……リリス。すまなかった。もう一度、俺と婚約し直さないか? ……もうすぐ十八歳の誕生日だろう。婚約無しで結婚でも良いぞ」
「へっ?!」
突然の申し出に、私は驚いた。
(えっ? なに? ヨリを戻そうって言われてる?? あの魔王様に?)
魔王様は続けて言った。
「お前が城のため――俺のために、ユーナリアと北方の魔族を封じてくれたこと、感謝している。俺がこんなざまじゃなきゃあ、守れたんだがな……。この女は、偽物の愛だった。俺は、騙されてたんだ。お前が正しかった。お前と婚約したままが、正しかったんだ」
魔王様は、いつになく真剣な顔だ。あの三年間向けられていた、気だるい表情じゃない。
「えっと……魔王様……?」
私は、口を開いた。
「魔王様のためというか、まあ単純に魔界の治安のためなんですけれどもっ。あの日あなたは、『真実の愛を見つけた』とかおっしゃってたじゃないですか。じゃあ牢に入れてもユーナリアを愛すべきでは?」
「だから、それは……っ。騙されてたんだよッ!」
「私、婚約破棄されてとっても傷ついたんです。とっても、悲しかったです。……今さらもう一度婚約をしようって言われても……もう、無理ですよ」
「リリス……ッ! 俺はお前が望むなら領地でもなんでもやるッ! だから――」
「ダメですよ、魔王様。もうリリス様はあなたのものではないんですから」
マシューの声がして――
フッ――と、辺りが薄暗くなった。
「な、なんだ……ッ?!」
「わわっ?!」
ふわり、と私の体は持ち上げられる。
「……軽いですね」
「ひゃっ……」
マシューが、私を抱きかかえた。
マシューの腕が、私の背中とお尻を支えていて……なんだかドキドキしてしまう……。
顔も、触れそうな距離だし、いやなんなら今触れたしっ!?
こんな時なのに――なんだか、マシューのにおいがいいにおいだなんて考えてしまって……。
ちらり、と上目で見ると、すぐにマシューの整った顔があった。
こ、こんなに……顔が整っていたかしら? 本当に今までとおんなじマシューなのかしら?
「ひぇっ……! か、顔が近いぃ……!」
「ふふっ。リリス様、顔が近いとどうなるんですか?」
「か……っ」
「か?」
「かっこいいから困る……」
「いいことですね」
さっきから……妙にかっこよく見えるのだ。
魔王様は、明らかにイライラしている。尻尾がちぎれそうなくらいブンブン振られている。
「貴様、リリスの執事か?」
「………………」
マシューは言った。
「リリス様には、おれがいるんで。では、さようなら。さぁいきますよ、リリス様」
「わわっ」
マシューは、私を抱いたまま、魔王様に背を向ける。
「おい待て、貴様……」
魔王様が、制限されてる手でなお、魔力をもって攻撃を仕掛ける。
しかし、それはすぐに、マシューの放った魔力によって打ち消された。
「なんです? 邪魔ですよ」
「……っ!」
マシューは私を抱えたまま、魔王城をでた。
***
私たちは自宅の屋敷に戻った。
自室について、私はやっとおろされた。
……ここまでずっと抱っこで運ばれてしまった。
こんなことは初めてで……恥ずかしい。
「ねえ、マシュー。魔王様にあんな態度を取って、よかったかしら?」
「あれ? リリス様は、魔王様とヨリを戻したかったんですか?」
「ううん……。それは、無理よ」
「リリス様、まさか魔王様が好きだったんですか?」
「あはは……。こんなこと言うと問題かもしれないけど、政略婚約なのよ。だから、……ね」
「じゃあ、おれのことは好きですか?」
「えっ……?」
マシューが、私の手を取る。
「ね。リリス様。おれじゃだめですか?」
「えぇっとぉ……」
マシューのまっすぐな目が、私をまっすぐに射貫く。
「おれなら、リリス様のこと大事にしますよ。浮気もしませんし。ねっ?」
「ま、マシューあなた……」
ぐいぐいくるマシューに、私は恥ずかしくなって照れてしまう。
「リリス様の好きな食べ物も知ってますし、リリス様の気に入りそうなブレンド茶も用意できますし、リリス様の身の回りのお世話も熟知していますし、リリス様のおやすみのお手伝いをすることもできますし」
「へっ?! えっ?! ひゃっ?! ひゃあーっ!!!!」
マシューは、私の手の甲にキスをした。
ユーナリアを捕らえる前にもされたことを思いだす。
あの時も、私は――
「……忠誠だと思いました?」
「思っ……わなかったわ。私、ドキドキしたもの」
「えっ……!」
マシューが目を丸くした。
ぐいぐいきていた様子と違い、私は少し面食らう。
「ど、どうして驚いてるの?」
「いえ、意識してもらえたらいいなーと思ってキスしたんですけど、まさか本当に意識してもらえていたとは……」
マシューは、私の頬に触れる。
「もっと意識してもらっても、いいですか?」
「えっと、それは……どういう……」
マシューの顔がゆっくり近付いてきて――
私の頬にキスをした。
「……っ!」
(な、なんだ、頬か……。ちょっと……いやかなりドキドキしてしまったわ……!)
うっすらと目を開けると、目を細めて微笑むマシューがいた。
そんな表情されたら……キュンときちゃうわ。
「……どう、ですか? リリス様……。おれのこと、意識してくれますか?」
「えっと……」
マシューは、私の手をぎゅっと握った。
(マシューの手、やっぱり温かいわね。)
「……マシュー、あなたいつから……? どうして私を……?」
マシューが、クアラル国の王子だというならなおさらだ。
マシューはゆっくり話し出した。
「……五年前のことです。おれは猫の姿で首都の偵察というか……様子を見に来ていたんです。そんな時、悪魔同士の喧嘩に巻き込まれ、猫の姿では魔法も上手く使えず、おれはケガをしてしまったんです。そこへ現れたのが――リリス様でした」
「ケガをした黒猫……。あぁ、あったわね……! わたしが屋敷へ連れて帰って、治療をしたんだわ」
私は、記憶を思い出す。
知能のある生き物は珍しいし、なによりかわいいしから、黒猫を見たときはすっごく嬉しかったっけ。
一ヶ月くらい世話をしたときだったかしら。あの黒猫、どこかに行っちゃったのよね。私は泣きながら、すっごく捜したっけ。
そのあとすぐに、マシューが使用人としてうちへきたのよね。
……あれ?
私は、マシューの顔を見た。
「はい。おれがその黒猫です」
「そうだったの?!」
「リリス様。おれは、……」
マシューの手に力がこもる。私の手が、強くぎゅっと握られた。
「おれは、あの日からずっと、あなたのことが好きだ」
「……っ!」
「リリス様には、ぜひともおれの妃となってほしいのです。いっしょにクアラル国へいきましょう」
「マシュー……!」
私は、彼と五年間過ごしてきた。その間不快に思ったことは一度もなくて……いつも私を支えてくれていて、だから私は……
「ええ。もちろんよ。私、あなたと過ごしていると、幸せになれそうなの」
私は――マシューに微笑みかける。
「リリス様……!」
マシューの顔がぱあっと輝いて、再び迫ってくる。
「ちょ、またっ顔が近い……っ」
「顔が近いとどうなるんですか?」
「……かっこいいから、困る……」
「いいですね。……困ってください」
私たちは――口づけをした。
マシューの柔らかな唇が、……っ! ……っ!
「………………っ」
「…………嬉しいです、リリス様……」
マシューはにこにこと今までにないくらい笑顔だ。
私は、恥ずかしくて、顔から火が出そうだけど……!
「で、でも、私が魔王様と婚約破棄しなかったらどうしてたの?」
マシューは、さらりと言ってのける。
「その時は、魔王様と決闘して奪い取ろうかと思っていました」
「正面突破……?!」
「リリス様のためなら、魔王様なんて敵じゃないですよ」
私は、平原でのマシューの様子を思い出す。
「まあ、そうかも……?」
マシューは、私に抱きついて言った。
「……おれとリリス様は、初めて会った時からずーっと一緒です。これからも、ずっと離しませんよ」
「ええ。これからもよろしくね、マシュー」
言ってから、気がつく。
(……あれ? これってもしかして、溺愛の日々が始まるってやつかしら……?)
でも。全く嫌じゃない。
……むしろ、嬉しい。
私は、マシューの腕の中で――安心感に包まれた。
私たちのこれからの未来は、明るい。
お読みいただき、ありがとうございます。
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