やまなし、ちんぽの影もなし - 1
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「おっはよーう! って、あれ? もしかして今日って、万城目さんしか来てなかったりする……?」
あちゃー、という手振りをする瀬々先生の背中を見やってから、わたしは何の気なしに視線を横へ向ける──と、そこには名札掛けらしきものの姿があった。
部員数が少ないという話は事前に聞いていたけれど、何人くらい在籍しているんだろうか。とりあえず、万城目さんという人はこの部室内にいるようだけれど。
室内をじろじろと見回すのも憚られたので、わたしはそのまま名札掛けにぶら下がっているプラスチック製の名札群を眺めることにする。
表向きになっているものが三枚と、裏向きが一枚。
丸っこい文字で『新堂』という苗字が記載された板には何やらシールが貼ってあって、いかにも女の子です、といったような雰囲気を醸し出していた。とは言えシールはごくごく簡素な意匠のものなので、単に何かの目印として貼ってあるだけかも知れない。
その隣にある名札には、止め跳ね払いがきっちりとしたペン字書きにてフルネームが記載されていた。『茂神・颯月』。少し男性的な印象を受けなくもない感じの名前ではあるけれど、どんな人なんだろうか。
先生が先程呼びかけた万城目さんのものらしき名札はその二つの下に掛けてあって、未来、という言葉だけが書かれていた。
多分みきとかみくとか、あるいはそのままみらいとか、可能性は低いがみこ等と読む名前なんだろう。適当な感じで書かれているそのサインペンを筆記具として用いたと思しき文字は、他の名札のそれよりも比較的新しいもののように見えなくもない。
「お疲れさまーっす。センパイがた、資料室でなんかの整理してるみたいすよ」
一応敬語っぽくはあるものの顧問の先生に対して投げかけるにはあまりにも気だるげな、そんな口調でのろのろと返事され、先生がぱん、と手を打った。その音に引き戻されるようにして、わたしは再び先生の背中へと視線を向ける。
「それならよかった! ちょっと部の見学をして貰おうと思って、私のクラスの子を連れてきたんだけど……」
「見学ぅー? 二年生が? こんなタイミングで? こんな部活の?」
「いや、こんな部活って……万城目さんもこの部の一員のはずなんだけどな……まあいいか。美柚さん、少し待ってて貰えるかな?」
座って座って、と促され、わたしは部室に入ってすぐのところに配置してあった椅子へと座るに至る。そうして初めて、先程から先生と話していた万城目さんと思しき少女の姿がわたしの目に入った。
多分一年生。死語ではあるが俗に言うところの人を駄目にするソファに半ば沈み込むようにして腰かけていて、話しかけられるまでは読書をしていた様子。横になって本を読むと目が悪くなるからやめた方がいいと思う。現に、彼女は眼鏡をかけているし。
あと、あんまり人の体型とかには言及するべきではないと思うけど、ちょっとぽっちゃりしてるかな。とは言え顔はかわいい感じだし、あとその体型も相まって胸は結構豊満な感じだから、もしここが女子高でなかったら一定数の男子からの人気は得られたりしそうな気もする。
いやその評は流石に失礼すぎる。他人の美醜を審判するとか何様なんだわたしは。自制しろ。
数秒程度の時が経ったのを確認してからわたしは心内で自己批判するのをやめて、まあ何にせよ、と、改めて彼女の姿を眺める。
誤解を恐れずに言えば、そして若干失礼な物言いかも知れないが、率直に言うならば、こう……何というか、性格に難がありそうな感じではあるのは確かだ。不愛想すぎないか、この子。我見学者ぞ?
見られていることに気づいたのかどうかは定かではないが、ちらり、と彼女がこちらへと視線を向けた。わたしと目が合ったのに気づいた彼女はごくごく小さく会釈するようにして頭を下げると、再び読書に戻ろうとする。
いつの間にか先生は他の部員を呼びに資料室とやらへ行ってしまったようだし、わたしはどうすりゃいいんだ。
「……あの、万城目さん、でいいですか? ちょっと、部室を見て回っても構いませんでしょうか……?」
「いいよぉ、ゆっくりくつろいでいって。ウチもそうしてるから、お気づかいなくー」
彼女はそう告げると、改めて本を読み始めた。覆いが掛かっているのでよくわからないが、少し古めかしい感じの本を読んでいるようだ。
気遣われるべきは一年生である君じゃなくて二年生にして見学者の身柄たるわたしの方なんじゃなかろうか、とは思ったものの、顧問の教師とその部員という形で瀬々先生と近しい位置にいながらあの調子であるということなら、性根は悪い子ではないのかも知れない。あるいは、このゲーミングちんぽ華道部の部員として優れた能力を持っているとか。
ゲーミングちんぽ華道部員として優れた能力って一体何?
ふとそんな疑問が頭をよぎったりはしたものの、考え始めるときりがなさそうだ。わたしは立ち上がり、不躾ではない程度に部室を見て回ってみる。
といっても、この部屋はそれほど広くはないし、見通しも悪くはない。
絨毯マットが敷かれた室内はごくごくありふれた──この高校以外の場所は映画や漫画、あるいはアニメやゲームでしか見たことはないのだけど、ともかくそういうものに存在する文芸部に似たような感じの部屋だな、と、わたしには感じられた。
部屋の片隅には本棚があり、その横にはソファがあったりクッションが置いてあったりしている。談話や休憩のために用意されたと思しきそのスペースは今現在万城目さんに完全に占有されており、よくよく見てみれば彼女は素足で寝転んでいるようだった。仮にも来客があったというのに寛ぎ過ぎでは?
まあ、そうやって寛ぐのにはちょうど良さそうな場所だなとわたしも思いはするけれども。
ともかく。
この学校が女子高であるということに由来するのか、あるいはこの部屋の管理をしているであろう先生または部員の趣味によるものかは分からないが、何となく女性らしい印象を受ける部室だ。
ちんぽとかも置かれたりはしていない。当たり前だ。女子高にちんぽがある訳ないだろ。
でも、ゲーミングちんぽ華道部の部室としてはむしろ不自然なんだろうか?
さっき聞いた話だと、この部活動では光り輝くちんぽ──もとい、ディルドを使ったりするという話だったはずだ。そりゃまあ剥き出しの状態のそんなものがでん、と部屋の真ん中に置かれたりしていたとしても大変反応に困るけど、この室内にある棚やら何やらにそういう類のものが隠されているとも思えない。引き出しや戸のついた家具はないし、カラーボックスやら本棚の中には箱だったり袋だったりの姿は一応あるものの、それらは部屋中に分散して置かれている。資料室がどうのこうのと言っていたし、そっちにちんぽがあるのかも知れないけど──
ゲーミングちんぽ華道部の部室がどのような形状をしていればいいのかについては全く分からないまま、わたしはかぶりを振る。すると視線の片隅に、出入口付近に分厚いカーテンのようなものが掛けられるようになっている部屋の扉の存在が飛び込んできた。
何の部屋だろうと思い、一瞬わたしは読書中の万城目さんに尋ねてみようとし──そして、その直前で思いとどまった。読書に没頭する人の邪魔をするのはよくない。
仕方がないので、わたしはひとまず推理してみることにした。
本が日焼けしたりしないように暗幕をかけている、ということはあるかも知れない。学校の資料室にそういう厳重な対処が必要な稀覯本の類がたくさん存在するとも思えないけれど、もしかするとゲーミングちんぽ華道という部活動はその手の本をたくさん所有しているような由緒正しくて歴史的なものという可能性もある。
本当にそんな可能性あるか? 混乱してないか? しっかりしろ、わたし。
もう何が何だかよくわからなくなって室内をうろうろとし始めたところ、わたしは重要な手掛かりを発見する。
現場百篇、百聞は一見に如かず。何のことはない、暗幕付きの扉がある方の真反対側の壁面にはもう一つ扉があって、その木製の扉に刺されたピンには『資料室』と書かれたホワイトボードがぶら下がっていた。成程、資料室とはこれのことか。
いや、じゃああっちの部屋は一体何だろう。わたしはさっき見た暗幕付きの扉の方を振り返ろうとし──傍らの扉を開けて勢いよく出てきた瀬々先生と、わたしは危うく正面衝突しそうになってしまう。
「おっまたせ──おおっと!? 美柚さん、座って休んでればよかったのに。結構待たせちゃったかな?」
「うわっ!? あっ、えーっと……すみません、室内をちょっと見せて貰おうかと思って、というか現にこうやって見て回っていて……」
資料室の扉がこちら側に開くタイプのものじゃなくて本当によかった──心の底から、本当に心の奥底の深層にある魂の淵からそう安堵しながら、わたしは改めて先生へと向かって深々と謝罪のお辞儀をした。
『やまなし』編も二部構成です。あと、更新頻度が下がるかも知れません。最低限でも週一は保ちたい……
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登場人物紹介にあたる編に“やまなし”って小題つけるのはどうなの、という話はありますが、まあそれはさて置きまして。
やまなし、というと例の隠語(山なし落ちなし何とやら)が思い浮かぶ方々も多いかとは思われますが、ここで言う所の『やまなし』とは宮沢賢治先生の短編童話の名称のことです。
一時期は小学校六年生用の国語教科書に掲載されていたりもした様子ですが、最近はどうなんでしょうか?
やまなし(新字旧仮名) - 宮沢賢治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/472_42317.html
“『クラムボンはわらったよ。』/『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』”という蟹の子供たちの台詞に代表されるように、全体の雰囲気としては何処かほのぼのとした風の作品ではある──の、ですが。
それでいて明らかに死と生を主題としているという辺りがある種異様とも思えるような、まあ『銀河鉄道の夜』とかも死と生を題材に取り扱っていたりはするんですけれども、童話でありながらも劇中で直接的な殺生の描写が行われるという点において、『やまなし』は特異であるように思えます。(個人の感想です)
以前の後書きにも記述した通り、賢治氏は仏教(特に法華経)の熱心な信者であったので、そんな彼が持つ死生観が現れた結果としてこのような不思議な雰囲気を持つ物語となった──と、簡単に理由付けして説明することも出来はするのですが。
こと『やまなし』に関しては、恐らくその理由だけ挙げるのは不完全と言いますか……こう、宮沢賢治氏という一人の人間が送ってきた人生に対して敬意を払うのであれば、当然考慮しなくてはならない事柄があるよな、という作品でもあるんですよね。
次の後書き部ではその辺りに言及するような内容の解説を書こうかと思います。本編の進捗はどうした。
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やまなし(新字旧仮名) - 宮沢賢治
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