結婚しても姉は暴君
姉が領地へ引っ込んだ後、私は中等科、クロエは初等科へ進学した。
私達は姉の行状をずっと見てきたので、ああはなるまいと自らを律して生活していた。
お陰で私もクロエも成績は良く、先生からの信頼も厚い。ただ、いかんせん真面目過ぎて面白みのない人間に育ってしまった。姉のように自分勝手に生きられたらどんなに楽か、と思うこともなくはない。
やがて、姉は男の子を産んだ。孫が生まれると母はすっかり夢中になった。そして父に、姉夫婦を呼び寄せて一緒に暮らそうと言い始めた。
「あんなに可愛い子を田舎で育てるなんて勿体ないわ。王都で育てて、将来の伯爵に相応しい教育をするべきです」
父は気が進まないようであった。ずっと可愛がっていた長女に裏切られたという思いがわだかまっており、心を病んでいたのだ。そしてついに床に臥してしまった。
父が倒れると、母はすぐに姉達を呼び寄せた。姉の産んだ男の子はマイケルという名前である。私とクロエにとっても甥っ子であるマイケルはとても可愛らしかった。母がすっかり魅了されているのもわかる。だが姉の方は相変わらずだった。
「マイケルの部屋が欲しいわ。子供部屋を空けてちょうだい」
姉がいなくなった後も私とクロエは子供部屋で一緒に過ごしていた。ずっと二人だったし今さら部屋を移るのも面倒だったから。ところが姉は、広い子供部屋をマイケルに与えて、私とクロエは姉が使っていた一人部屋に移れというのだ。
「あの部屋は二人では少し狭いわ。マイケルはまだ小さいしベッドに寝てるだけなのだから、小さい部屋でいいのではないかしら? 私はあと数年で出て行くのだし、それから部屋を交換してもいいと思うの」
すると姉はギロッと睨みつけたかと思うといきなり泣き始めた。
「ひどいわ。赤ちゃんには日当たりがいい場所が最適なのよ。だからお父様お母様が私達をあの部屋で育てて下さったのでしょう? それなのにジュリアはマイケルが暗い部屋で過ごせばいいと言うのね」
「そんなことないわ。一人部屋も日当たりはいいでしょう、お姉様はよく知ってらっしゃるはずよ」
私はそう言ったが、泣き始めた姉にはもう何を言っても通じなかった。機関銃のように文句を言い募り、母も味方につけて二人で責めてきたので私も根負けした。
「最初からそうしてくれればいいのに。本当に嫌な子ね」
そう言って私達を追い出すと広い部屋の真ん中にベビーベッドを置き、自分達は大人の住む棟の客間を一部屋空けさせてそこに陣取った。マイケルの世話は乳母に任せるらしい。何のために広い部屋を奪ったのか、訳がわからない。結局、奪うことが目的だったのかもしれない。
姉の夫、ポールは何もせず毎日屋敷でダラダラしている。倒れてはいるが家長は父であるから、姉夫婦は本来は『居候』である。だが姉の方が母よりも強いので女主人として屋敷内で振舞い、ポールも当然『主人』として扱われることを望んだ。
食事の時も中央に陣取り、味が薄いだの酒が足りないだの文句ばかり言っている。姉はそれにいちいち賛同し、メイドを叱りつける。姉夫婦が来てから食事の時間が苦痛でしかない。だから私とクロエはサッサと食事を終え、『勉強があるから』と部屋に引っ込むことにしている。
「可愛げが無い上にそんなに勉強ばかりしてたら嫁の貰い手がないぞ」
食堂を後にする私達の背中に、からかいの言葉を投げつけるポール。
「結婚しないのは勝手だけど、卒業したらこの屋敷からは出て行ってもらうからね。居候を置いておく義理はありませんから」
そんな事を言う姉。
自分達が居候のくせに何を言ってるんだ、と思ったが無視して食堂を出た。
「ちっ、全くいけすかない妹共だ」
ポールがそう吐き捨てるのが聞こえた。
私が中等科三年になったある日のこと。
初等科で親子懇談があり母とクロエは学校に行き、姉は友人とのお茶会に出掛けていた。
部屋で一人で勉強していると、ノックも無くポールが入ってきた。
「よお。またガリ勉中か」
「何ですか? 勝手に部屋に入ってくるなんて失礼でしょう? 出て行って下さい!」
立ち上がってドアから追い出そうとしたが、ポールは手首を掴んで逆に私を部屋の奥にあるベッドの方へ押し込んでいった。
「何するの! 離して」
「お前生意気なんだよな。勉強ばかりしているから可愛げがないんだよ。俺がいいこと教えてやる」
そう言って私をベッドに押し倒して覆い被さってきた。
「やめてよ!」
「サマンサはこれですっかり従順になったんだぜ。お前も男を知ればちっとは女らしさが出てくるだろう」
私は腕を押さえつけられていたが、必死で暴れた。暴れるうちに偶然、膝がポールの腹に当たり、一瞬力が緩んだ。その隙にベッドから逃げ出し、ドアへ向かった。
「このやろう」
ポールは追いかけて来たが、私がドアを開けるのが早かった。そして廊下に出ると何とそこには姉がいた。
「お姉様!」
私は思わず姉に縋った。それ程に恐ろしかったのだ。
「どうしたのジュリア? 私はお茶会が中止になったから帰ってきたんだけど」
そして私の後ろにポールがいるのを見ると目を吊り上げた。
「何してるのよ、ポール!」
ポールは一瞬だけ、しまったという顔をしていたがすぐに言い訳を始めた。
「やあお帰りサマンサ。早かったな」
「早かったなじゃないわ。あなたジュリアの部屋で何をしていたのよ」
「勉強を教えてやってたんだよ。そしたらジュリアが誘惑してきてさ、俺はちゃんと断ったんだけど」
「何嘘ばかり言ってるの? 急に襲ってきたのはそっちじゃない!」
私は泣きながら反論した。
「誘惑って、どんな風に?」
「サマンサより私の方が若くて綺麗だってさ。俺が愛してるのはサマンサだけだって言っても諦めてくれないんだよ、何とかしてくれよ」
姉は私の方を振り向いたと思うといきなり平手打ちをした。
「お姉様何で……?」
私は頬を押さえて呆然とした。
「前から思っていたのよ。あなた、ずっとポールに色目使ってたわよね。私やお母様がいないからって部屋に連れ込むなんて信じられない!」
声を上げて泣き始めた姉を、ポールが優しく肩を抱いて慰めた。
「泣くなよサマンサ。誘惑はされたが誓って何もしていない。俺は君以外を抱いたりしないよ」
「ジュリア、今度こんな事したらすぐに出て行ってもらうわ。二度とポールの近くに寄らないで」
ポールに腰を抱かれ泣きながら立ち去る姉の後ろ姿を見ながら、もうこの人達とは一緒にいられないと感じた。
早く、家を出なければ。だがまだ学生である私は一人で生きていくことは出来ないのだ。それに、クロエを置いて行くわけにもいかない。
(クロエまでポールに襲われたら大変だわ。鍵を掛けることを徹底し、絶対に一人にさせないようにしなくては)
この日のことは姉もさすがに母に話すことはなかったようで、表向き何事も無く生活は続いていった。
私はますます勉強に集中し、やがて中等科を卒業する時期となった。