撥
件が、プラットホームの全員に凶兆を予言した。
だから気が動転しっぱなしだった。
そのせいで駅員に囲まれ、警察に通報され、挙句親まで呼ぶと言われる。
駅の1階改札窓口の中の更に奥。
駅員の事務室まで連行され、私は椅子に座らされていた。
女性警官が「おうちは」「高校は」と、提出した生徒手帳を見ればわかる面倒な質問ばかり寄こす。
正直それどころではない。
私のもっと大事な質問、「あの電車止めてください」やら「脱線とか土砂崩れとか大丈夫なんですか」やらは、何を言っているのかと全て流されてしまう。
この場にいたのではスマホすら触れない。
一刻も早く、ハナに連絡をしなければならない。
先輩に件のことを報告もしたい。
冷静になった、というよりは大人たちに絶望して、私はしおらしく口をつぐんだ。
やがて、車でお母さんが迎えに来た。
一緒に頭を下げて、棒読みの謝罪。
無言で、バスロータリーに停まった我が家のミニバンの後部座席に乗る。
お母さんは、何も言わない。
ドアを閉める音と、発車前の溜め息が少しいつもより荒々しかった気がする。
夜の市街地を抜けると、道路の舗装が荒くなった。
流れていく景色は街頭でかろうじて輪郭を留めている田んぼと畦道ばかりだ。
私は、沈黙を利用してスマホに目を落とした。
SNSにはハナから、「なに」「さっきの」とだけ。
――気を付けて、できれば戻ってきたほうがいい。
そう伝えたいのに、伝え方がわからない。
私の持ってる確信は、私だけが見える件という妖怪によってもたらされている。
これは他人に主張するには弱すぎる論拠だ。
しばし途方に暮れて、次に先輩に連絡を取ってみようとした。
電話番号を頼りにメールを飛ばす。
――先輩、件が大変な予言をしました。
しかしその内容は、何度送っても送信失敗に終わる。
なんで、なんでよ!
歯をギリリと噛んで、繰り返しメールを送るも、結果は変わらない。
一抹の不安を覚え、私が先輩に電話をかけようとした時だった。
「ごめんね、メグ」
「え」
運転する母の後ろ姿が、沈黙を破って謝った。
もはや叱られるのみと諦めていたので、その言葉が意外だった。
「この前の朝から、ちょっと気分悪そうにしてたよね」
この前の朝――心中事件が報道された朝だろうか。
「多分、毎日部活で身体が疲れてるのよ。気づいてあげられなくてごめんね。帰って、来週はちゃんと休みましょ」
まともな思考からくる優しい言葉。
それに感動と、落胆を同時に覚えた。
ちゃんと私を見てくれて、許してくれて、気遣ってくれるお母さん。
そんなお母さんは、きっと真剣に件のことを話しても信じてくれないだろう。
焦り、混乱、感動、落胆、無力感――色んな感情が混ざりに混ざって。
俯くとスマホの液晶にパタリと涙が落ちた。
それからは泣くばかりで思考も行動もできず、私は打ちひしがれて家に着くのだった。
◇◇◇◇◇
駅でのことを、母は他の家族に黙っていてくれた。
「車なんか出してどうした」という父にも、「ちょっと遠くで買い物を」と嘘を吐いてくれた。
お母さんの嘘は、弱り切った私を助けてくれた。
同じ嘘なのに、ハナを傷つけて不信感を持たせてしまった私の嘘とは全然違った。
ふらふらと階段を上がり、自分の部屋へ。
――もう、疲れちゃった。
もしかしたら、お母さんの言う通り本当に疲れからくる妄想だったのかもしれない。
毎日暑い中、部活に励んでたんだもん。
十分にあり得るよ。
ボフッとベッドに身を投げた。
髪が散らばり、汗ばんだ服がピトッと肌に貼り付く。
しかしそれぞれの不快さはさして気にならなかった。
これも全部幻想だ。
あの急行電車も、陽炎も、先輩も、不機嫌ハナも――全部全部、疲れからくる幻想だったのだ。
だから、きっと眠ってしまえば元通りだ。
私はハナと一緒に帰りながら、軽口を叩いて、花火に行く約束をする。
ハナとの会話は長く持たないから、いっぱい話題を準備しなきゃいけない。
共通の友達を誘うのもいい。
嗚呼、嗚呼、楽しみだ。
当日が楽しみだ――
◇◇◇◇◇
――うっすらと、月明かりが瞼を狙い撃ちにした気がする。
楕円形に広がる視界には、ベッドのシーツと無造作に転がるスマホ。
スマホの画面が淡く光っている。
私は目をしばたかせながら、それを手に取り引き寄せる。
ロック画面のデジタル時計には「02:04」と表示されている。
同時に通知が一件来ていることに気づいて、ロック画面を解除した。
――助けて。
横下ハナからであった。
「ハナ!?」
私は飛び上がってベッドに座り直し、SNSを起動する。
早く連絡をと焦る気持ちを押さえつけるように、SNSのトップ画面に文字が躍った。
衝撃的な見出しだった。
『N県Y市山深にて山火事』
「ちょっと……」
『町内で花火イベント、飛び火か消し忘れか』
「ちょっと……!」
航空写真には、煌々と燃え盛る山が収められていた。
全員だ。
全員――あのホームにいた全員の家が範囲に収まるほどの山火事だ。
「ちょっと! ハナ!」
ベッドの上、手が震えて何度もスマホを取りこぼしながら、私は必死に電話帳の名前欄を探した。
横下ハナを探した。
「繋がれ……お願いだから……!」
プッ……プルルルルルル……。
かかった。
プルルルルルル……。
「ハナ……」
プッ……サァー――。
風音?
画面が、藍色の夜空と、それを縁取る火の手の明かりを勝手に映した。
「テレビ通話? 何で……?」
私は普通に電話かけただけなのに。
「……グ」
そんな疑問は吹き飛んだ。
「ハナ? ハナ聞こえてる!?」
聞こえた声に呼びかける。
スマホが映す夜空がぐるんぐるんとアングルを回し、煤だらけの頬のハナを映した。
「メグ! メグなの!?」
それは、久方ぶりに向かい合って見る友人の顔であった。
「ハナ、ハナ良かった……! 大丈夫なの!?」
「大丈夫じゃない!」
ハナは酷く錯乱した様子で、頬の煤を涙で濡らしながら、理不尽を嘆いた。
「父さんも母さんもまだ町で、助け呼ばなきゃで!
それで私、麓駅まで、せめて山沢まで行かなきゃって!」
揺れる画面の奥、彼女の後ろにはカーブするレールと枕木が見えた。
「山沢、山沢駅? ハナ、今線路を辿ってるの!?」
「電話、なんで繋がるのよ……さっきまで、助けも全然繋がんなかったのに!」
「落ち着いてハナ! 私が通報する! だから今どこら辺か、教えて!」
「……ねえ、メグ、あんた、このこと、知ってたの?」
「今はそんなこと言ってる場合じゃ!」
「だって駅であんなこと! 言って……」
食らいつくように怒鳴ったハナが、急に勢いをなくす。
視線が泳いで、おろおろと取り乱し始めた。
そして、耳に馴染みのある音が届く。
――タタン、タタン。
「あ、ああ……」
ハナの顔から血の気が引いた。
きっと私も、同じように血の気が引いた顔になっている。
――タタン、カタン。
「また、またあいつが来た……!」
ハナの後方が、橙色に照らされだした。
火の粉が、鱗粉のように舞った。
後ろから、何かが来てる?
「あいつ? あいつって誰! ハナ!」
半分正体には予想がついていた。
もはやハナは心ここにあらずという感じで、顔面蒼白で固まった。
それを動かしたのが、大分近くまで来たあの音だ。
――カタン、ガタン。
「ひっ、嫌、来るなぁ!」
またもアングルが暴れた。
「ハナ!?」
スマホの持ち方を変えたのか、画面はまたぐるんぐるんと夜空やら遠くの火やらを映して……腰でも抜かしたのか転んだのか……ジャッと大きな音がしてアングルを定めた。
「……来ないで」
消え入りそうなハナの声は、画面の上あたりから聞こえる。
視界は、レンズに指をかけてしまっているのか三分の二ほどが影に覆われて、残る三分の一が、線路を脇から映していた。
――ガタン、ガタン。
暗がりの線路が、少しずつ赤光に照らされていく。
「やだ……見ないでよ……」
見ないで?
「ハナ、どうしたの!? 何が来るの!? 何が……」
そして私も、それを目にする。
――ガッタン、ガッタン。
煌々と光っている、燃え盛るように。
車両は血を被ったかのような真っ赤。
ゆっくりとレールを転がる錆びた車輪。
車両の横顔は――怒りを滲ませた巨牛の横顔。
「ひっ」
引き絞った声で胸が締め上げられた。
呼吸、できない。
そいつは……件は、プシュゥウと鼻息で砂利を巻き上げ、ハナの前で止まった。
怒りに満ち満ちた眼が、今にも襲い掛からんとこちらを睨みつけている。
スマホの画面が小刻みに震える。
嘘だ。
私の知る見た目は、山河線の急行車両というだけで、こんな化け物ではなかった。
こんな、こんな……。
「……メグ」
震える視界から名前を呼ばれた。
「……私、死ぬ、殺されちゃう」
映像が割れ、画面が乱れた。
電波障害? 件の仕業?
……時間がない?
「ハナ大丈夫! そいつは何もしてこない!」
私はスマホに向かって必死に叫んだ。
今、今精一杯伝えなきゃ!
「きっと予言が外れそうで怒ってるの! だからハナは線路進めば助かる!」
思ったことを、正直に!
「そいつは伝えることしかできない! ハナを殺す力なんかない! はったりだよ!」
ノイズが激しくなる画像、赤みもどんどん増していく。
火の手が、迫っている。
「だから動いてよ! 逃げて! 死んじゃうよ!」
震えが増して、ノイズが増して、赤みが増して――
「逃げ……!」
――プツリと。
映像が途絶えた。