伍
教室の区分は恐らく多目的室。
スライドドアの上枠に、プラスチックのプレートで「オカルト研究部」と書いてある。
ドアの正方形の窓には内側から幕か何かが張られており、内部を伺えない。
いかにも何か出そうだ。
入るべきか、止めるべきか。
ドアの引手にピトと指をつけ、離し、また付ける。
そんなことを、割りと1時間とか続けたかも知れない。
やがて、意を決して引き戸をガラと開ける。
「あの!」
室内は、電気を点けていなかった。
多目的室の両端には、天板を合わせて積まれた学習机。
窓は全開なので採光は取れている。
窓枠の端で、ゆるく束ねられたカーテンがパタパタとはためいている。
「あの、ごめんください」
そして教室の中央には、直列繋ぎに並べられた机と、切れ端の散らばった黒い幕、床にはハサミとノリとセロハンテープ……つまり工作の跡。
それらに囲まれて、黒い畳状の何かを持ち上げている女生徒。
「ん、君は……確か朝の」
彼女は紫淵の眼鏡に私を映すと、珍しいものを見るように眉を上げた。
「はい、ええと、陸上部2年の鮫島です」
「陸上部? はー、随分とまあ陽キャが来たもんだね」
「よ、陽キャ?」
どこか飄々としているというか、物珍しい喋り方だと思った。
「申し遅れたね。私は3年の橘ククリ、オカルト研究部部長だよ。今日はどうしたんだい?」
というか、痛い喋り方だなと思った。
凄い演技がかって聞こえる。
今日日「申し遅れたね」とか「どうしたんだい?」とか言うか?
「え、えっと、その、ちょっと最近気になることがあって、その、ちょっと霊とか関係してないこともないかなって思ったりしまして、相談、的な?」
一応先輩なので、下手に、丁寧に言ってみる。
ちょっと痛い人なのかも知れないので、断られたらそれはそれでいいと思った。
「なるほど、うんいいよ」
しかして、あっさり承諾されることとなる。
「いいんですか? そんなあっさり?」
「うんうん、いいからさ、まずその、板のそっち、持ってくれないかな」
「あ、すいません持ちます持ちます」
駆け寄って黒い幕に覆われたそれに手をかける。
やはり中身は板。
朝の光景を思い返すに、あのベニヤ板だ。
とりあえず先輩の指示に従って、板を直列に配置された学習机の上に乗せる。
どうやら支え棒を取り付けてあったようで、黒幕の板は机の上で自立した。
「いやー、助かった。流石は体育会だね、こっちはもう指の力入らないよ」
「いえどうも……この板は?」
「これかい? これはオカ研の文化祭の出し物さ。板に穴が空いているだろ。覗いてみてよ」
黒い幕に覆われているので気づかなかったが、畳大の面には二つ、顔が収まるほどの穴が空いていた。
興味を持ってしまった手前断ることもできず、私は言われるがままに右の穴に顔を入れる。
「こ、こうですか?」
すると、どういう仕掛けか、中には蛇か何かの妖怪の絵が見える。
「おお」
「本番はヘッドホンも取り付けてね、妖怪の解説付きで見てもらおうと思ってる。こっちも見てみて」
言われるがまま、左の穴にも顔を突っ込む。
今度は牛の妖怪だ。
「ま、こんな感じ」
切り上げたと思われる言葉に釣られて、私は穴から顔を外した。
「これ結構面白……」
言いながら振り向くと――そこには牛の顔があった。
鬼にも似たツノ、般若のような顰め面
煌々と赤く、血涙を流す牛の顔がそこにあった。
「きゃあああ!?」
思わずひっくり返って腰を抜かす。
「あっはっは」
牛が声だけ笑った。
「それくらい驚いてくれると手応えあるね。本番が楽しみだ」
「ななな、何を……」
牛の顔には、女子高生の身体が付いている。
先輩がお面を被って驚かしてきたことは明白だった。
「演出だよ。こう平和に顔を穴に嵌めて行ってもらって、最後に顔を抜いたタイミングでこのお面で驚かせるの」
「心臓に悪いですよ!」
「そうだねぇ、心臓発作でも起こされたらあれだし、少しお面に可愛げでも追加しようか」
お面で驚かすコンセプトは直さないらしい。
「それともう一つ、君みたいなスカートの短い子はひっくり返すとパンツ丸見えになっちゃうね」
残念そうにぼやかれたデリカシーゼロの発言に、バッと股を閉めスカートを抑える。
「これもコンプライアンス的に不味いかもしれないし、驚かすのは男子だけに留めるかな。
あー、でもカップルも来ることを考えるとわざとパンモロさせて彼氏の情欲を刺激、不順異性交遊を誘発させて少子化に歯止めをかけるって手もあるか」
ねーわ。
「はっはっは、そうねーわって顔しないで」
お面をベニヤの脇に置いて、先輩はやっと私に椅子を勧めた。
対面するように座って、先輩はコンビニの個包装のチョコを机に散りばめた。
「どうぞ。さあ出し物の試運転まで付き合ってもらったんだ。相談にはしっかり付き合うよ。どういう話だい?」
ようやく本題に入れるわけだ。
しかし私はここまでのあまり普通ではあり得ないやり取りのせいで少々疲れている。
どのみち本題の前に言わなければならないので、息を整えがてら、まず断りを入れた。
「えーっと、あの、その前にですね、二つほど約束をお願いしたいことがありまして……」
そう持ち掛けると、先輩はチョコを一つ口に放り込んで、事も無げに言った。
「笑わないことと、他言無用ってとこかな」
なんでわかった。
「なんでわかるんですか」
「エスパーだからさ」
「いやそういうんじゃなくて」
「冷たいなぁ軽口くらい付き合ってよ」
こちらは真剣な悩みを持ってきているのだ。
少し視線を厳しくして、口を尖らせて、不満を表情に出す。
「はいはいわかったよ。君のその二つの約束はここに来る子の常套句だからね、予想がついたわけ」
種を明かされてみれば大したことはなかった。
考えることは皆同じなのだろう。
「みんな周りにオカルト信じ込んでるって思われたくなくて必死だよね。
ここに来てる時点で100%信じてるのに、嘘つきだよね」
嘘、という言葉にハナの顔がちらついて、私は黙りこくった。
「オーケー、その二つは了解。約束は守るよ。
これでも毎年廃部ギリギリの部員でやってるんだ。悪評立てられたら堪らない。その代わり……」
先輩が前屈みに顔を突き出すと、その前でピースした指を私に向ける。
「こっちからもいいかい? 二つほど」
「は、はあ」
「一つ、私に相談しても君の悩みが解決する保証はできない。
私は霊能力者でも霊媒師でもない普通の女子高生だよ。
この断魔の剣を振るったところで霊を払えるわけじゃない」
段ボールに銀紙を巻いた小学校の工作レベルの剣を振りながら、表情は真剣そのものだ。
「そしてもう一つ、これは君の条件と同じだ。私が君の相談を受けたこと、誰にも話さないでほしい」
それは、少し意外なお願いであった。
オカルトを信じていると周囲にバラしたくない私たちと違って、オカ研に身を置く彼女はそういうことを気にしないでいいように思える。
「ええ、はい、それは構いませんけど……先輩としては、相談を受けたことアピールしたいんじゃないですか? 相談実績というか……部員ギリギリって言ってましたし」
「広まるのが良い噂だけならそうしたいさ、ただ……」
先輩は人差し指を口元に、言葉を区切る。
「もし誰かが死んだらうちが曰く憑きの部活になっちゃうだろ? ますます人が寄り付かなくなると困るからさ」
だから他言無用か。
「な、なるほど……先輩、大げさです、ね?」
特に、誰かが死んだらのところとか。
朝の家族の写真がまたちらついた。
「笑い飛ばさないんだね。これは少しヤバめの案件のようだ」
だから、今は斜に構えた笑みが心強かった。
「じゃあお互いに条件を呑んだってことで、早速聞かせてくれるかな。君の悩みってやつを」
「……はい、実は一昨日から……」
私は事の最初から包み隠さず話した。
友人のハナと歩く茜色の駅前。
ひょんなことから目をやった向かいのプラットホーム。
不気味な急行電車が通り過ぎると、お婆さん一人を残してホームの人々が消えてしまったこと。
そのお婆さんかはわからないが、山深住みのお婆さんが事故に遭ったこと。
次の日も、同じようにホームから人が消え、残ったのが父母娘の三人であったこと。
そして、その三人が今朝、心中事件で亡くなったと報道されていたこと。
話し終わって黙りこくる私の前、先輩は口元を手で覆い隠し、考える素振りを見せた。
指の間から半月のように笑む唇が見えたのは、見なかったことにした。
「なるほど確かに奇怪だ。オカ研に来るのもわかる」
「何か、心当たりはありますか?」
「あるにはある」
「あるんですか!?」
「そう縋るように見ないでくれ。さっきも言ったが私は霊能力者じゃない。ただ可愛いだけの女子高生だ」
さっき可愛いとまで言っていただろうか。
「心当たりはあくまで連想できる事柄を思いつくってだけさ。
オカ研の部長してるからやっぱり連想するのはオカルトの話。
君の言う現象を引き起こしそうな妖怪に心当たりがあるって話だよ。
というか、そういう妖怪について話すことしかできないから、ほぼ役に立てるとは思わないね」
「それでも、何もわからないよりはマシだと思うんです。教えてください」
「ほいきた」
真摯な眼差しを送ると、先輩は足を振り上げ反動で立ち上がる。
ペタペタと上履きを鳴らし、先のベニヤ板が立てかけられた机の傍らに佇む。
「話を聞く限り、連想できるのはまずこの妖怪だ」
手に取ったのは私を驚かせたあの牛の面だ。
「そのお面……」
それを顔に被せ、牛女がこちらを向いた。
「『件』って妖怪さ。
人偏に牛って書く件って漢字があるだろ? あれの別の読み方が件。件の如しとか、日常的に使う漢字だよね」
言いながら先輩はペタペタと黒板まで歩き、「件」の字を書いて見せた。
「伝わってる妖怪の見た目は漢字のまんまで人面の牛とされてる。まあ牛面の赤ん坊って説もあるから、迫力的にこの面は牛にしてるけど」
言いながら先輩は面をつけたままカクカクと不思議な踊りを披露する。
なんか怖い。
何故踊る。
「じ、じゃあその妖怪が、あの家族を……その、殺……」
「殺したわけじゃないと思う」
先輩は踊りを止めてビシッと人差し指を向けた。
「件は自ら手を下すタイプの妖怪じゃない。
主には災害の予兆として描かれていることが多いね。
山で出会った人面の牛が凶作を予言しただとか、生まれた赤子の顔が牛で疫病を予言してすぐ死んだだとか。
だから、君が見たのは件による凶兆の予告だった、って説はどうだい?」
ずいっと牛の面が迫ってきて、私はまた仰け反って避けた。
凶兆を予告、とはどういうことか。
人が消えることとどう関係しているのか。
頭が混乱気味なのはわかっているので、言葉で先輩に尋ねていく。
「……少し、強引かなと思います。
件って妖怪がいるのはわかりましたけど、私が見たのは牛なんかじゃなく電車だし、ハナたちを消す理由もわかりません。
ハナには凶兆? ってのも降りかかってないみたいだし。
まだ神隠しとか起こす妖怪のほうがしっくり来るっていうか……」
「一応私もその点くらいは考慮してるさ」
言いながら、牛の面はチッチと指を振る。
「まず、妖怪も不変じゃない。
着物の幽霊がいつしか白いワンピースを着だしたように、時代に合わせて変容する。
牛は昔、牛車があったように人や物を運ぶ象徴だった……現代の列車がそうであるようにね。
だから現代では、電車に扮しててもおかしくない。
それに君の友人を消すってとこだけど、こうは考えられないかな?」
彼女は面を外して眼鏡をクイと上げた。
「不幸を予言された者以外が見えなくなっただけ、と」
私ははっとした。
一応、筋は通っている。
「ダメ押ししておこうか」
先輩はお面を見つめ、そして流し目で私を捉える。
「私がなんで都合よく件のお面なんか作ってたと思う?
なんでいきなりの振りにも関わらず、こんなに件に詳しいと思う?」
「そ、そういえば……」
「答えは簡単。ご当地ものだからさ。この地の名前は『九田部』……件の古い呼び名も同じ響き――クダベだ」
一気に信ぴょう性が増した。
「地名ってさ、結構昔頻繁に起こっていたことが由来になってたりするよね」
こくこくと首を振って、私は先輩に縋った。
この人は、思ったよりずっと思慮深く、頼りがいのある人なのかも知れない。
「わ、私、どうしたらいいんですか」
「……例えば、こういうのはどうかな。丁度今から帰れば夕暮れ、逢魔ヶ刻だ。検証に行ってみようじゃないか」
ーー窓の外は、既に朱が射していた。
そんなに、時間が経っていただろうか?
「……今から、駅へ?」
「ああ、事情を共有している二人なら怖くないだろ? それに、私もオカ研部長として興味がある」
そっちが本音、とは言い切れないので追及はしなかった。
「でも、そんなことして、大丈夫かなって。また、人が消えたり死んじゃったら……」
「幽霊の正体見たり枯れ尾花。
意外とタネを明かせば大したことないかも知れない。
行ってみようじゃないか、件の駅にね」