肆
『山沢町一家3人死亡 心中か?』
嘘だ。
『今朝未明、新聞配達員の通報により警察が……』
「山沢ですって。近いわねぇ、あんたも気をつけなさいよ」
確かに近い、でもそういうことじゃない。
「まあ心中らしいけどねぇ」
凶悪犯が野放しというわけではない、でもそういうことじゃない。
「……いってきます」
口元に手を当てて足早にリビングを抜ける。
身体が覚えている感覚だけで玄関に向かう。
視力はほとんど使ってなかったと思う。
目は開いているのに、視界は先ほどのテレビ画面ーー家族の写真で埋め尽くされていた。
ワイドショーに映る父母娘は、昨日見たばかりだ。
見間違えはない。
スニーカーを履けているだろうか。
お母さんに「行ってくる」と告げたかどうかも怪しい。
山沢は、山河線の山深方面の駅だ。
あの家族が昨日、向かいのプラットホームにいたことが全てを裏付けていた。
「うぷっ……」
川辺野の駅に向かう住宅街の脇、電柱に手をついてうずくまる。
胃から食道にかけてこみ上げる酸味が不快で仕方ない。
ああ、なんであんなにまじまじと見てしまったのだろう。
茜色の陽炎に揺れていた向かいのホーム。
お父さんもお母さんも笑顔だったのに。
「うあ……」
家庭事情なんか存じ上げないけどさぁ。
「うっ……」
女の子が両親を見上げていたのだ。
大きく、キラキラした瞳だった。
茜色のビー玉のように澄んでいた。
お父さんとお母さんを、信じ切っていた顔だったのに。
ああ、嗚呼、何であんなにまじまじと、まじまじと目に焼き付けてしまったのか。
全ては、すべてはあの赤い急行のせいだ。
あの不気味な電車が駆け抜けたせいで、ホームの人々を連れ去ったせいで、ホームに残った家族に注目せざるを得なかったのだ。
そう、あれがホームの人たちを消してしまったせいで。
「……ハナ。ハナは!?」
私は電柱にすがって立ち上がると、駅に向かって駆けた。
不気味な電車が走り抜けたホームにいたハナは、消されてしまったハナは、今回も無事なのか?
震える指でスワイプして、SNSには「今日掃除だっけ?」とだけ残した。
既読だけ付けば内容はどうでもよかった。
息切れしながら川辺野の駅。
動悸が収まらないまま電車に乗り込んで、手に届いたのは短いバイブレーション。
既読、そして返信があった。
――そだった。
――ごめん。
「……良かった」
戦々恐々と張り詰めた心が解放され、私はスマホを抱きしめた。
もう一度筐体がプルっと震える。
私は寝坊か何かだろう追加の言い訳を確かめるべく、再び画面に視線を落とした。
――近所の婆ちゃんが事故って。
――バイクで轢かれたって。
「……は」
――病院送ってた。
――遅れるわ。
「……なに、それ」
するりと手の平を抜けたスマホがゴトンと落ち、慌てて拾い上げる。
気づけば山河線は川辺野駅から滑り出して、5駅先の九田部を目指していた。
頭の中、リフレインする顔は、あの家族のものから……その前日、向かいのホームに立っていたお婆さんのものへとすり替わっていた。
あのお婆さんが事故にあったとは言い切れない。
それにハナの無事も確認できた。
それらのプラス思考を杖にした。
しかし尚もモヤモヤと、不気味な急行電車に思考を支配されながらを部活へと向かう。
一体どういうことなのか。
急行が過ぎ去った後……消されなかった人たちが不幸になる?
あの家族の顔と光景は脳内をぐるぐる回って思考をかき乱すのであった。
「呑気に、掃除当番なんかしてて、いいのかな」
掃除当番は部活の前時間に更衣室と校庭の倉庫を開放し、床を掃いたり、窓を拭いたりする。
顧問のおっさん先生曰く、自分たちの使うものを前後に綺麗にするのは当たり前だそうだ。
どうせ部活が終われば全員で掃除して帰るのだから、まったく無駄な当番だと思う。
今はそれよりも九田部駅に潜む謎を突き止めることの方が、大事なのではと、思う。
思うが、何をすればいいのかわからないまま、私は高校に着いてしまうのだった。
◇◇◇◇◇
「おはよございます……先生」
結局不安を抱えたまま、掃除当番の使命のまま、職員室にカギを受け取りに行った。
ジャージ姿のおっさん先生は職員室の机からカギを取り出し、折り目正しく渡してきた。
「おうおはよう鮫島。当番、横下は?」
「ええと、近所お婆さん病院に連れてくんで遅れてくるそうです」
「おおー、人助けは仕方ないか。来たら一応職員室に声かけろって言っとけ」
私はチャラリとカギを指に下げると、職員室を後にしながらハナにメッセージを打つ。
『ゴリラに言っといた』
『わるい』
幸いにも返信の雰囲気はいつも通り。
一昨日の失態は時間が解決してくれただろうか。
不気味なあの急行電車の件がなければ、少し安心したいところなのだが。
そう、きっと、この不可思議に落しどころさえ付けば、全ては元通りになるのだ。
そんなことを考えながら校庭脇の体育倉庫へ向かう。
靴箱の並ぶ下足所に差し掛かった私は、視界に見かけない人影を見つけた。
私とは入れ違う形で、表から下足所に入ってきた女生徒。
朝日の差し込む中を、ところどころ跳ねた黒髪が揺れている。
紫淵のスクエア眼鏡。
すらりと背の高い彼女は、小脇に大きなベニヤ板を抱えていた。
何故に夏休みに学校に。
何故にベニヤ板。
疑問は口に出さないまま、挨拶もしないまま、私はスニーカーに足を突っ込んでトントンと踵まで収めると表に出る。
下足所玄関の外壁には、まだ数枚のベニヤ板が立てかけられていた。通販か何かで取り寄せたのか、それらを束ねている紐に納品書がくっついていた。
『九田部高校 オカルト研究部』
「オカ研……?」
そんな部活がこの高校にあるなんて、初めて知った。
まあ体育会系の部活に所属する私が知っている文化系の部活など吹奏楽部と手芸部、演劇部くらいだ。
あとは友人が所属でもしていない限り知らない。
「……が、ベニヤ板?」
首を傾げつつ校庭に駆け出し、体育倉庫に掃除用具を取りに向かった。
オカルトというフレーズが、私の身に起きていることを解決できないかを考えながら。
◇◇◇◇◇
パラパラと集まりだした部活の面々を迎え、今日も日常が始まる。
1時間後程、ハナと合流して、その無事な姿に改めて安堵する。
しかし、デリケートな人間関係の部分は未だ完全修復とはいかなそうだった。
校庭を走って、汗を落として、水を飲んで……時折、朝のニュース映像が過る。
このノイズが常に日常を10%くらい削っている状態が気持ち悪くて、追い出す方法を画策する。
どこか上の空の部活。
ちなみに今日の部活は午前で終わりだ。
暑い暑いと文句を垂れながら、更衣室にすし詰めにされて着替える。
大体の場合、この後は皆でファミレスでたむろするのだが。
「ごめん、私今日ちょっとやることあって、先帰るね」
その楽しい時間にまで入り込んでくるだろうノイズを先にどうにかするべく、私は皆の誘いを断った。
ハナとの一件を活かし、下手な嘘はつかなかった。
ただ詮索されないように、そう言ってからすぐに、バビュンと音がするくらい早く更衣室を去った。
向かった先は……第二校舎の2階片隅。
おっさん先生にカギを返す時に聞いた、オカ研の部室だ。




