惨
翌朝。
まだハナの無事を確認する前、部活の直前、更衣室前の廊下。
昨晩の「さっきごめん。今どこ?」は既読スルー。
私が更衣室に入ろうとした時、丁度着替えを終えたジャージと体操着のハナと鉢合わせた。
「あ、昨日は……」
「……ぉはよ」
一応、一晩身の安全を心配してやったというのに、彼女には何一つ変わったところはなかった。
気にしてない風の挨拶がかえって不機嫌さを強調している。
昨日、私の不用意な発言から、ハナとは気まずい雰囲気になっている。
一日経ってもまだ問題は解決してないようだ。
げんなりしながらすれ違って、更衣室の扉を閉めようとした時であった。
ハナのポニーテールが思い出したかのように止まる。
後ろ姿が振り返り、不機嫌な声を発した。
「そうだ」
私の怯えた肩が跳ねた。
「昨日のあれ、何?」
一瞬「昨日の花火を断った時の態度はどういうことか」と言われたのだと思い、冷や汗が滲み出た。
「あのメッセージ、意味わかんなかったんだけど。今どこってやつ」
そっちか。
どうやら一番しんどいところの釈明は後回しにしてくれたようで、胸を撫でおろした。
それが良いことか悪いことかは置いておいて、私は努めて明るく返した。
「あ、あれはね、ほら、ハナ昨日、そっちのホームに急行電車来た後、ホームにいなかったからさ、どこに行ってたのかなって……」
思い返したのは昨日の光景。
ハナを含め数人がいた向かいのプラットホーム。
急行電車が停車することなく駆け抜けた後、ホームにハナの姿はなかった。
だからどこに行っていたの尋ねたのだが。
「はぁ?」
返されたのは、まるで汚物を見るような険しい視線と、苛立った声であった。
「だから、急行が通り過ぎた後……」
「メグ何言ってんの? 昨日こっちのホームに急行なんか来てないよ」
「え、だって私見たもん。き、急行の後、ハナ、ホームにいなかったよね?」
「だから急行なんか知らないって。私もベンチにずっと座ってたし。つか昨日先に電車乗ったのメグだし」
「え?」
頭の中が一気に混乱した。
どういうことだ?
私が見た光景は、向かいのホームを駆け抜けた赤い車両、急行電車。
そして急行が通り過ぎた後に消えたハナだ。
対してハナの主張は、急行電車など来ていない。
ホームのベンチにずっと腰掛けていた。
そして先に電車に乗った私を見送っている。
「だ、だって、昨日急行……その後、お婆ちゃんしかホーム残ってなくて……」
自身に言い聞かせるように繰り返した私の言葉に、ハナの眉間が皺を寄せた。
「マジで意味わかんね。うざ」
踵を返したハナは足取りに迷いなく、廊下をグラウンドの方向へと去っていった。
「誤魔化し方まで雑とか」
そんな捨て台詞を残して。
嘘をついて誘いを断った件を誤魔化すために変な話をでっちあげた。そう思われたらしい。
残された私は、数秒固まった後、更衣室の扉を閉める。
そしてハナの捨て台詞に一人心の中でいちゃもんをつけ続けながら、ジャージへと着替えるのだった。
◇◇◇◇◇
結局、謝ることも不思議のすり合わせもできないまま、部活が終わって夕方。
私はトイレに引きこもって、ハナが先に帰るのを待った。
更衣室に荷物が残っていないことを確認してから、一人帰路につく。
ゆっくり、ゆっくりと歩いて駅前。
駅の外から見上げると、高架をオレンジ色の電車が走り去ったところであった。
茜色の九田部駅が、山深の方面に各駅電車を一本吐き出したのだ。
これでホームで鉢合わせることもないと、安心して改札を通る。
階段を上ると案の定、向かいのプラットホームはがら空きで、私は胸を撫でおろしてスマホを取り出した。
その時である。
向かいのホームの階段から、知った顔のポニーテールが現れた。
ハナであった。
「ちょ、何で」
慌てていつもの並び位置からずれて、背の高いサラリーマン風の男の陰に隠れる。
教室に忘れ物でもしてたのか、駅のトイレでも借りてたのか。
ともかくハナは先ほど出た電車には乗り遅れていたようだ。
彼女はいつも通り、誰も腰掛けていないベンチにドカリと腰を下ろす。
気まずさから視認されたくなかった。
それと、昨日のことがあってか何となく、向かいのホームが気になって視線を巡らせた。
ハナと同様に、惜しくも電車を逃した人々が徐々に揃いだす。
今、向かいのプラットホームには、数えたところ8人がいる。
セーラー服とジャージ下のハナ、サラリーマン風の男、ゆるふわファッションの女、病院帰りっぽいお爺さんと付き添いの中年女性、穏やかな笑顔の父母娘。
昨日いたお婆ちゃんの姿はない。
まあ駅のホームの面子など毎回変わって当然なのだから、それは気にならなかった。
そうして普段まったくやらない人間観察に新鮮な感覚を見出していると、耳があの音を捉えた。
――タタン、タタン。
遠くから、電車の音が聞こえる。
陽炎の向こうから、赤い先頭車両がやってきた。
線路は、向かいのホームのものだ。
「昨日と、同じ……」
二回目だからか、昨日は気にならなかったことに今日は気づくことができた。
カタン、カタン。
アナウンスが鳴らない。
駅のアナウンスは各停であろうと急行であろうと、ホームに電車が訪れれば必ず流される。
急行なら『電車が通過します。黄色い線の内側へお下がりください』だ。
ガタン、ガタン。
結局、アナウンスもないままに電車は向かいのホームに滑り込み、そのまま無遠慮に横切っていく。
普段こちらのホームを急行が通過するときのような空気の押し出し――今の季節は熱風――も感じられなかった。
だがこれは単に風がこちらまで届いていないだけかもしれない。
ガタン、ガタン。
やはりこの急行が異質なのだと確信を持ったのは、赤い車両が通り過ぎた後……また友人の姿が消えたからである。
――カタン、タタン。
「ハナっ……また……」
言い知れない不安に、視線を陽炎に揺れる向かいのホームへとさまよわせる。
ホームに残っていたのは、仲睦まじそうに会話を楽しんでいる父母娘だけだ。
中肉中背、眼鏡に癖毛のお父さん。
ひと房に結んだ長髪を肩にかけ、ポーチを肘に下げるお母さん。
お母さんに手を繋がれ、お父さんを見上げる女の子。
女の子のビー玉のような瞳が、楽しそうに笑っている。
今回は急行が訪れる前にホームの面々を確認していたので、たった今降り立ったわけではないとわかる。
そもそも急行だから降り立つことはないのだが。
ハナは?
彼女を含め、ホームにいた他数名の姿もない。
こちらのホームを見渡せども、異常に気付いているのはどうやら私だけのようだ。
誰も彼もスマホや文庫に目を落とし、周囲のことなどまるで気にしていない。
『まもなく、電車が参ります』
どうやら自分で突き止めるしかない、という自覚を持ちきれない。
流されるまま、自分で動こうとしない、怠惰で適当な性格。
それが私だった。
『九田部~、九田部~』
一度下階の改札フロアに戻り、向かいのホームの様子を確かめに行く。
そういう発想に至ったのは、いつも通り、帰りの電車に乗り込んだ後であった。
ハナに連絡することは、また今朝のように更に不機嫌にさせる可能性があると思い控えた。
異常、異様に気付いていながら、何もしなかった。
それがとてつもなく悠長な、平和ボケしたことか、私は翌朝のニュースで思い知ることになる。
◇◇◇◇◇
帰って、日が沈み。
日が昇り、起きた。
起き抜け、今日も部活がある。
確か掃除当番だかで、早めに行かなければならない。
リビングの母親が朝からお煎餅をバリボリしながら眺めるテレビのワイドショー。
朝食はいつも最寄りのコンビニ、水と栄養食で済ませているから、テーブルの上に食事はない。
ワイドショーはニュースのコーナー。
地方局の元気さが取り柄そうな女子アナが、真面目な表情で原稿を読み上げた。
『それでは続いてのニュースです』
液晶に並べられた写真、切り替わったテロップ。
そのテロップを見た瞬間――吐き気がした。
中肉中背、眼鏡に癖毛のお父さん。
ひと房に結んだ長髪のお母さん。
お母さんに手を繋がれ、お父さんを見上げていた女の子。
『山沢町一家3人死亡 心中か?』