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 日常とは、些細(ささい)なことで(ゆが)むものだ。

 ほんのちょっと、たった一言、たった一秒間違えると、大変なことになる。


「……ねえ、メグって来週の土曜、空いてる?」


 今日も一緒の帰り道、交番前。

 その崩壊に繋がる質問が投げかけられた。


「あー……多分?」


 多分と答えたことすら少し迂闊(うかつ)だったと感じ、返答を後悔する。

 即座に白々しく予定を思い出すフリをする。


「どうだったっけな……」


 空いてることは空いてるものの、貴重な夏休みの一日だ。

 できれば有意義に過ごしたい。

 この点、ハナには去年痛い目を合わせられている。

 もっと警戒すべきだった。


 だから尋ね返す。


「どうして?」


 結局、何のための質問か、それを見極めてから予定の空きを決めることにした。

 別段悪いことではないだろう。


「……ほらそろそろ、そっちの、川辺野(かわべの)で花火大会があるっしょ? 今年も一緒に行かん?」


 薬局の前、私の眉がピクリと跳ねた。


 ――川辺野では、毎年この時期に河川敷で花火大会を開催する。

 地元テレビで紹介される程度には有名なイベントだ。


 私も今まで毎年、誰かしらと一緒に出向いては出店を練り歩き、友人との合法的な夜間のたむろを楽しんでいた。


「あー……」


 思い出されるのは去年の記憶。

 去年も、同じ誘い方だったような気がする。


 当時高校一年……親友という響きに憧れていた私はハナの誘いに快く応じた。

 そこに綺麗な星空と綺麗な花火、綺麗な友情が用意されていることを信じて。


 結果は、散々であった。

 中学までの友人たちは、皆浴衣で着飾って、時に私をいじり、時に私にいじられ、クラスの誰それの愚痴を言い、先生のものまねを披露し、ノリのいい馬鹿話で私に退屈などさせなかった。


 それがハナとの二人の時間はどうだ。

 おどけるでもなく、愚痴をこぼすわけでもなく、ひたすら出店のこれが美味しいだの雰囲気が好きだのと、毎年来ている私にとって当たり前のことを呟いては、話題も続けずに沈黙する。


 彼女がつまらない人間というのではない。

 ただ、一対一のコミュニケーションには制限時間がある。

 その時間は共通の趣味や思い出の数で決定される。


 ハナとの制限時間は長くて20分、つまりこの下校時間くらいが丁度いいのだ。

 それ以上は一緒にいても退屈な沈黙が続くだけである。


「どう? メグ確か土曜は……」


「来週はね」


 強めの語気で言葉を遮った。


 まさかこの女、去年、社交辞令で言った「楽しかった」を信じているのではあるまいな。

 こちとらその日から、ハナを高校の親友候補から外してるというのに。

 一緒に帰っているから一番仲がいい、そういうわけではないのだ。


「ユリたちと花火行く予定入れちゃってるんだわ」


 これからそういうことにすればいいや。

 ユリは教室で私と同じグループに属している友人だ。

 交友関係が広く、クラスの中心的存在、面白い取り巻きも多い。

 隣のクラスのハナは、顔こそわかるだろうが疎遠(そえん)な関係だ。


 だから、ちょっとした嘘を吐いた。


 だからといって、適当を言い過ぎた。


「え、百合橋(ゆりはし)さんって夏休み中海外から帰ってこないんじゃなかった? 散々自慢されたってメグ言ってたじゃん」


 しまった。

 そういえばそんな愚痴を休みの始めに言ったかもしれない。


 バスロータリー、珍しく2台も停まっている。


「……あー、そうだった、っけ?」


「や、私の勘違いなら、いいけど、さ」


 やってしまった。

 視線を、合わせられない。


「でも……」


 これではまるで……


「……嫌だったら、そう言えばいいんじゃない?」


 お前とは行きたくない、そう言ったも同然だ。


 ハナは納得してない無表情で頬を掻くと、心なしか歩く速度を上げた。

 私は今更焦り出して、無理矢理歩調を合わせた。


「や、嫌っていうか、まあ、私、その日、色々……」


 言い訳が形にならず、言い訳がましい呟きだけが消え行って……改札を抜ける。


 最悪のペースでお別れの時間が来てしまった。

 ハナは釈明(しゃくめい)する猶予(ゆうよ)を与えてくれないまま、不機嫌そうに向かいのホームへと続く階段に向かっていった。


「じゃ」


「あ……ごめん……」


 なよなよした謝罪は逆効果だったかもしれない。

 無言で階段を上っていく後ろ姿から「何に対してのごめん?」と言われた気がした。


「……何よ、謝ってんじゃん」


 謝れてないことは百も承知だ。

 しかしここで私も不機嫌になっておかないと、自分が居たたまれなかった。


 ああすれば良かった、こうすれば良かったと考えながら登り切った階段。

 今日もスマホを取り出す気にはなれない。


 チラリと向かいのホームに目をやれば、ベンチに腰掛け、(うつむ)いてスマホにご執心のハナの姿がある。

 その一心不乱な様子は、(かたく)なにこちらに視線を向けないことを決めているようだ。


「……私だって」


 私だって色々大変なんだから。


 何が大変かは知らない。

 でもまあ、何かが大変なはずだから、そこら辺を(おもんばか)ってもう少しデリケートに扱ってほしい。

 そうすぐに不機嫌にならないでほしい。


 自己弁護のリフレインは、視界の隅にハナを映している限り止まりそうになかった。


「はぁ……電車遅っ……」


 苛立たし気に溜め息を吐いて、電光掲示板を睨み上げる。

 「各停17:58」が来るまでまだ5分もあって、もう一度怒りの溜め息を吐いた。


 この際向こう側のホームでいい。

 とりあえず電車来い。

 私の視界を遮って、向かいのホームを(おお)い隠して、不機嫌ハナを連れ去ってくれ。


 程なく、カタンカタン――と音が近づいてきて、向かいの線路に急行電車が訪れる。


 ーーガタンガタン。


 無遠慮に横切る赤い車両は、私の望み通り向かいのホームを覆い隠してくれた。


 ーーガタンガタンガタン。


 そして車両が駆け抜けた後……向かいのホームは、乗り遅れたのか降り立ったのか、腰の曲がったお婆さんが(たたず)むのみとなっていた。


 カタンタタン――音が遠のいていく。


 どこか清々しつつ、もやもやしつつ、()()()()()()()()、私はバッグからスマホを取り出した。

 もう向かいのホームに不機嫌ハナはいない。

 殊勝(しゅしょう)な振る舞いをする必要もなかろう。

 彼女の怒りが収まった頃にSNSで謝っておけば大丈夫だろう。


 早くも時間が心の傷を癒し始めた頃、私のホームにも電車がやってくる。


『まもなく、電車が参ります』


 オレンジ色の車両が、夕日に影を落としてプシュウと停車した。


九田部(くだべ)~、九田部(くだべ)~』


 間延びした車掌の声と同時にガーっと自動扉が開く。

 私はスマホを持ったまま、画面から視線を逸らし、形だけ足元を注意すると車内に乗り込んだ。


 乗り込んで……違和感の正体に気づいた。


「……ん?」


 踏み込んだ車両の中から、向かいのホームを見る。

 そこには、夕日の陽炎(かげろう)に揺れるお婆さんが一人。


「……んん?」


 乗り遅れたか、九田部駅に降り立ったか、そんなもんだと思っていた。


「あ、れ……?」


 そんなもんなはずがない。


 だって、九田部駅に、急行は止まらない。


 私を乗せた山河線(さんがせん)が、動き出した。

 景色が滑り出して、ガタンゴトンと揺れる。


 ずっと意識を向かいのホームに向けていたのだから、間違いない。

 向かいのホームには、まだ急行電車しか訪れていない。

 急行が走り抜けただけだ。


 なのに、何故プラットホームからハナの姿が消えた?

 ハナだけではない、あのお婆さんを残して、他の客の姿も消えていた。


 走行中の車両に飛び乗った?

 一斉に一階の改札に駆け下りた?


 いずれも考えにくい。

 私の頭は、ひたすらにハテナを浮かべながら、スマホのSNSを起動した。

 そしてハナのアカウントを呼び出し、たった二言。


「さっきごめん。今どこ?」


 既読がついて、返信はなかった。

 それから私は、翌日部活で無事な姿のハナと出会うまで、悶々(もんもん)と過ごすことになったのだ。


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