第23話 Final mission
バクは感じていた。
満期まであと一つ、ラスワンだ。俺の中は様々な悲しみで満ちている。幸い時々甘酸っぱいのがあったから、俺自身が折れないで済んでいる。でもな、最後の一つが一番厄介なんだ。バクは時を待った。
そしてその夜、世間では十五夜と呼ばれる満月の夜、バクはシャワーのあとアイスをくわえて満足げなアイリに話しかけた。
「アイリ、折り入って話がある」
「ん?何? バクもアイス食べたいって? 今夜の定番はお団子だよ」
「んなものは食わん」
「ほぉー、我慢できるかな、あたしが美味しそうーに食べてるの見てるだけって」
「あのな、真剣な話なんだよ。取敢えずアイスを口に入れちゃいなさい」
「えー、何か勿体ない」
「文句言うな、時間ないんだ」
「ほお」
「まずは礼を言う。アイリ、キミがコネクターになってくれたお陰で随分助かった。この星のいろいろなものを見せてもらったし感じさせてもらった。それに、そのお蔭で刑期が短くなった」
「ケーキ?」
「ケーキじゃない、刑期だ。食いもんしか頭にないのかアイリは」
「んなことないよ、只今高速漢字変換中。景気・計器・刑期…ん? どれ?」
「あのな、最後のだよ」
「えー? 刑期?」
「ん。真面目に聞けよ。ボクはいろいろ偉そうに言ってたけど、実はこれは刑なんだ。ボクは罪人なんだ。人を悲しませてしまった。誤って味方を撃ってしまった。てっきり敵だと思ったんだ。彼には家族がいた。悲しんでいた。ボクの星では、罪のない他人を悲しませるようなことをした者には『悲しみの刑』が科される。違う世界で自分が仕出かしたのと同じ悲しみを受けて、それを感じて、感じ抜いて初めて罪を贖うことが出来る。これがボクの星のルールだ」
アイリは初めて聞くバクのちゃんとした話に心が揺れた。
刑期? 罪人? バクが? うそ。
「刑が終われば、空の向こうの元の世界でボクは元に戻る。アイリのこともすっかり忘れてしまう。本当は…本当はキミのこと、忘れたくないんだけど…」
マジ? 帰るの? え? 唐突過ぎる…。
アイリも何だか悲しくなった。元の世界とやらでバクが一体どんな人なのか判らないけど。これまで二人で見てきた悲しみとそれを躊躇いなく食べて行ったバク。それで悲しみが薄くなったのは判った。神々しかったよ。ちょびっと素敵だったよ。バクがいたからあたしも好きに言えたってのは確かなんだ。このままバクが居なくなってしまったら…、空っぽのシューズバックが本当に空っぽになっちゃう。あたしの気持ちだって、空っぽになっちゃう。
「いつ…帰るの?」
「もうすぐ。最後のミッションを果たしたらだ」
「どんな?」
「アイリは気がつかないミッションだ。だからいきなりいなくなるが、アイリもボクがいた事を忘れるから大丈夫だ」
「そうなの?」
「そうでないと困るだろ。ボクがいなかった世界に戻るだけだ。若干歪みは修正されるだろうが、アイリやサスケは気がつかない。何も心配要らないよ」
「…」
「だから今のうちに礼を言っておく。アイリのお蔭でいろんな事に気付かされた。それはこの星だけのことじゃないんだ。本当に有難う」
バクの最後のミッションはコネクターの『別れの悲しみ』を食べる事だった。アイリの今の悲しい気持ち、それはバクが刑を最終ステップまで務めた事を示していた。それから…バクは秘めていた想いを心に浮かべた。アイリのあの占星術、恋愛は空の果てに消ゆ。アイリだってまだ気づいていない。それでいいんだ。所詮成就する筈もない。恋心はそのまま空の果てに消ゆ。俺の中でも同じ事だ…。
バクは前脚でアイリに敬礼した。
「嫌よ。なんだかそれは嫌。もうちょっと先に延ばそうよ。他にもほら悲しみあるじゃん。世の中にはたくさんあるじゃん。それを食べてってよ。みんなの悲しみを軽くしてあげてよ」
バクは首を横に振った。
「みんなの悲しみを軽くしたのは、実はボクじゃない。アイリ、キミだよ。一緒に見てきたからよく解る」
「そんな…」
「それにボクはもうあと一つしか食べられない。今まで食べた悲しみはボクの中に充満している。ボクもそれを追体験してるんだ。もう壊れそうだよ。これ以上食べるとボクは悲しみで破裂して、撒き散らされた悲しみがこの世界に拡がる。悲しまなくていい人まで悲しむことになる。だからこれでもうおしまいなんだ」
ベッドの上でアイリも首を振った。それはそうかもだけど、だけど… 涙が、涙が溢れてくる。だって、本当に楽しかったもん、バクと一緒の生活。バクが人だったら、そしたらって、思ったこともあるんだ。
「今のアイリの気持ち、ボクは嬉しい。ボクはまた搭乗員に戻るけど、今度地上を見下ろす時、少し違った気持ちで見られる気がする。アイリのお蔭だ」
アイリはティッシュを一枚抜くと目に押し当てた。勝手に喉が震える、声が上がって来る。駄目だよ、急過ぎる。
バクもアイリを直視できなくなっていた。バクは大きく口を開けた。
「アイリ、明日の朝には晴れやかに起きられる。だから、今日はぐっすりお休み」
バクは鼻から軍機密の粉を吹き出した。1回分しかない最終兵器、銀色の粉はきらきら舞いながらアイリを覆う。まるで星屑で出来た衣を纏っているようだ。最初キョトンとしていたアイリは間もなくすーっと寝入ってしまった。
「有難うアイリ。キミのことは忘れたくないけど、忘れてしまうけど、だけど有難うの気持ちは忘れない。アイリ、好…、いや、幸せになれよ」
言葉を飲み込んだバクは、漂っていたアイリの悲しみの残りをそっと食べ、壁をすり抜けて表に出た。銀色の粉の噴出とともに、仕込まれた帰還プログラムがバクの中で起動した。
外に出たバクは、アイリの部屋を一度振り返り、そして、トボトボ歩く。バクはアイリに隠れてこっそり読んだ、竹取物語の最後を思い出していた。
『ふと天の羽衣うち着せてたてまつれば、翁をいとほし、かなし、と思いつることも失せぬ。この衣着つる人は、物思ひなくなりにければ、車に乗りて、百人ばかり天人具してのぼりぬ』
最後も似ている…。この星にこのような話が語り継がれていたとはな。アイリもまさか現実にあろうとは思わなかっただろう。しかし、アイリだけじゃなく、俺だってきっと、天の羽衣を打ち着せ掛けられて、何もかも忘れてしまう。淋しいことだ…
かぐや姫が帰って行ったという月の光を浴びて、バクの身体は次第に透明になってゆく。この光も天の羽衣なのか…。白い光がバクを通り抜け、短い尻尾を通り抜け、最後に… 涙を浮かべたバクの瞳を通り抜けた。
バクが消えた路地には、白い光がただただ路面を照らすだけだった。




