第17話 ツバメの子 (前編)
前線の停滞をニュースが告げている。空は重そうな曇り空。今にも雨が落ちて来そうだったが、アイリは自転車を出した。いつものように大通りから住宅街に曲がったら、住宅販売会社の駐車場に数人の人が集まっている。この会社の女性スタッフは時々歩道の掃き掃除をしていて、アイリも挨拶を交わす。茶髪が外にはねた髪型が活発な印象を与える女性だ。その日は彼女はスーツや作業服の男性の後ろに立っていて、アイリの自転車の音に振り返った。首から下げてる身分証には、佐藤 静とある。
「おはようございます」
アイリは速度を落として挨拶した。
「あ、おはよう」
静は少し上の空だ。アイリは自転車を止めた。朝からこんな所に人が集まってるってどうしたんだろ。
「何かあったんですか?」
一応聞いてみる。静は眉を顰め、集まってる人たちの方を指した。丁度店舗の軒下部分だ。
「ツバメのヒナがね、落ちてきたの」
「え?落ちてきた?」
「うん。毎年店の軒の下に巣を作るんだけどね、今年も帰って来て、ピイピイヒナたちが賑やかだったんだ。親ツバメもせっせとエサ運んでね。それが今朝来てみたら、ヒナが一羽下に落っこちてて、羽をバタバタしてるんだけど、まだ飛べないみたい」
「えー、かわいそ」
「親が時々飛んできてエサはあげてるんだけどね、勝手に触っちゃいけないんだって」
「へえ?」
アイリは自転車を押したままおじ様たちの間から覗き込んだ。なるほど、駐車場の一番奥、店の軒下に1羽の小さな鳥が座り込んでいる。上にはツバメの巣があって、ピィピィ声が聞こえる。落ちたヒナはヒナと言っても既に黒っぽい色の羽が揃っており、時折羽を広げて羽ばたいているが、残念ながら飛び立てそうには見えない。アイリは静を振り返った。
「つまんで巣に入れてあげたら駄目なんですか?」
「うーん。一応ね、店長が保健所に聞いてみてくれたんだけど、なるべく触らないでって。親鳥はちゃんと解ってるから放っておいてって」
「ふうん」
「でもね、ちょっと心配なんだ。カラスとかに捕まらないかなあって」
アイリも想像した。確かにカラスにとっては格好の獲物なのではないか。小さな、しかも飛べないヒナがカラスに立ち向かえるとは、とても思えない。
「だから今、どうしようって話してるのよ」
「へー」
アイリは少々後ろ髪引かれたが、その日はそのまま学校へ向かった。
「アイリ、弱いと殺られる」
「ん? バク聞いてたの?」
「聞こえてるさ。どこの星でも同じ定理だ。手助けすると自然界がおかしくなっちゃうからな」
「それはそうだけど。でも小さい子や弱い子は応援したくなっちゃうのよ」
「ま、判らんでもない」
バクはそれきり黙ってしまった。悲しい話ではあるがまだそこまで行ってないのでバクには魅力がないのだろう。アイリは決めつけた。
翌朝は雨だった。雨の日は歩いて通学するアイリは少し早く家を出る。シューズバックが荷物になるが、放っても置けないのでスポーツバックに載っけて、ストラップで括りつけた。少々雨に濡れるが仕方ない。アイリは尻尾がピンと立ったネコちゃん柄の傘をさして歩く。お気に入りの傘だ。回すとネコが歩いてるように見えるのだが、雨つぶを周囲に撒き散らす事にもなるので、人のいる場所では回せない。
幸い大通りから住宅街に曲がったら、歩いてる人もいなくなった。アイリは傘を回してみる。うんうん、今日もネコちゃんお散歩だ。雨の日も楽しいことがあるもんだよ。機嫌よく歩いていたら、昨日の不動産販売会社の前に差しかかった。そう言えば、ヒナはどうなったんだろ。
駐車場には軽自動車が1台停まっていてよく見えない。アイリは駐車場に入り、軽自動車の先を覗き込んだ。
あれ、傘が置いてある。
あ、ヒナ、無事だ! ヒナは相変わらずちょこんと座り込んでいた。良かった…
ヒナのいる場所は軒があるものの、雨が吹き込むとヒナは濡れてしまうのだろう。濡れると身体が冷えて命を縮めることにもなる。傘はそれへの対処に見えた。更に傘の骨の先に小さな紙がぶら下がっており、
『ツバメのヒナ保護中。近寄らないで下さい』
とある。そうだ、ヒナが怖がっても困るしな。アイリも一歩下がったその時、ツバメが1羽、つぃーっと飛んできて、その瞬間に口を大きく開けたヒナにエサを与えると、傘を上手に避けて、燕返しで敏捷にターンして飛んで行った。うわ、本当だ。親ツバメ、ちゃんと解ってる。見捨ててない。
その光景は一種の感動だった。親ツバメの力では、ヒナを巣に戻すことは出来ないだろう。だけど育てるのは諦めていない。良かったねえ…
すると不動産販売会社のドアが開き、佐藤静が出てきた。
「どう? カラスは黒いものを嫌がるって聞いたから黒い傘を置いたのよ。濡れちゃうと可哀想だし」
静は微笑んだ。
「そうなんですか。へえ、すごいです。さっき親ツバメが来てエサをあげてました。きっと飛べるようになりますよね」
「うん、そうなって貰わないと。ここの巣は危ないって、ツバメの中で噂になっても困るし」
「はは、反対に巣が増えちゃうんじゃないですか?いい噂が拡がって」
「そうねえ、ウチは不動産屋だから、ここでは安心な家が作れるって話はいいことなんだけど」
静とアイリは一緒に笑った。
「また見に来まーす」
「うん。行ってらっしゃい」
アイリは静とツバメのヒナに小さく手を振るとまた歩道を歩き出した。本当に良かった。アイリを少し暖かいものが包んだ。
「ね、良かったよねバク。あれ位なら手助けしてもいいでしょ?」
「ん、落としどころって奴だな」
「何それ」
「知らんのか。外宇宙のボクが知っててアイリが知らんっていうのは同時翻訳チップの性能でもあるが、情けない話でもあるわな」
「うるさいな宇宙人。国語は得意じゃないのよ」
「ははん、国語だけか」
「あーもう、バクは親じゃないんだからね、余計なことに関心持たなくていいの!」
「ま、いいことだな、傘掛けるのは。本来のコンディションに近づくということだからな」
「でしょ。悲しみない方がいいからね」
「まあな。無理に作ることはない」
「バクはお腹すいちゃうかもだけど」
「んなことはない。きついんだよボクだって」
翌日はまた曇り空、アイリは自転車で不動産販売会社の前を通りかかった。おっと、そうだ。ツバメのヒナどうなったかな。アイリは通り過ぎた所で自転車を止め、押しながら駐車場に入った。やはり軽自動車が停まっている。その陰からアイリはそうっと覗き込んだ。そこには黒い傘の他に、段ボールの低い垣根が出来ている。その向こうに… いるいる、元気だ。羽を動かしている。そろそろ飛べるのかな。
するとまたドアが開き佐藤静が出てきた。アイリは頭をちょっと下げた。
「おはようございます。どんどんバージョンアップしますね」
「おはよう、そうなのよ。蛇が来ても危ないんじゃないかって心配になって、垣根を作ったの。あんまり高くすると親ツバメが飛んで入りにくいから気休め程度なんだけどね」
ほう、なるほど。ここいらに蛇がやたらいるとは思いにくいが、バクだって居た訳だしな。静が続けた。
「私の田舎でね、蛇にヒヨコちゃんが食べられちゃった事あってね、蛇って結構大きいものでも食べちゃうんだよね」
「えー?」
生々しい話だ。蛇がヒヨコを?アイリは背中が寒くなった。静はきっと自然豊かな地域の出身なのだろう。静はアイリの気分を察したのか、微笑みながら、
「でもさ、この辺じゃ大丈夫だと思うよ。私もここで蛇なんて見たことないから」
「はいー」
「ごめんね、怖がらせて」
「いえ」
よく考えると蛇より日本語を喋るバクの方がよっぽど怖い話なのだが、静はよほどツバメのヒナが大切と見える。ま、親ツバメがせっせと世話している姿を見れば、誰だって情が移るというものだが、きっと仕事しながらでも時々様子を見に行っているんだろうな。
地方から出てきたであろう静が、小さな命を見守りながら仕事をしている様子は、ちょっとしたドラマみたい… アイリは静の微笑みを思い出しながらペダルを漕いだ。




