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迷子の迷宮  作者: またさん
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先輩へのお願い

 午前中の仕事は多忙を極めた。しかし、その中でも、僕の頭の片隅には、常に麦わら帽子と、幽霊のことがあった。そんなことを考えながら仕事をしているものだから、これは例のごとくといってもいいことだけど、またしてもエマさんに注意されてしまった。

 それでも、僕は刻一刻と進んでいく時計をちらちらと、眺めては、まだだ、まだだ、と落胆を繰り返していたのだった。そんなことを何度繰り返しただろうか、ようやくお昼の時間が来た。僕は慌てて屋敷から飛び出すとと、裏庭へとかけ出した。

 屋敷から飛び出した僕は、裏庭へ続く森のなかを一心不乱に駆け抜ける。ただ一心、あの麦わら帽子が、まだあの枝に引っかかっていることを願って。本当に大切な麦わら帽子なのだ。あれは、母さんが生きていている間に、もらった多くもない物の中で、今も残っている、唯一のものなのだ。どうか、まだあそこにあってくれ。そう願って僕は、走る。

 そうして、息もきれぎれになった頃、ようやく僕は花壇へとたどり着いた。

 膝に手をつき、はぁはぁ、と息を吐く。少しの間、そうしている間に、呼吸も落ち着いていくる。僕は、屋敷の三階の窓の側、麦あわら帽子が引っかかっているはずの、枝を見上げた。

 枝を見上げた僕は、その場に呆然と立ち尽くしていた。

 もうすでに、これは、当然一つの可能性として予想をし、覚悟を決めてもいたことではあったが、それでも、僕はどこか楽観的に思っていた、まだそこに帽子は残っていてくれるのではないかと。

 そう、そこにはすでに、麦わら帽子はなかったのだ。

 じっと、麦わら帽子があったそこを、僕は穴が空くように見つめ続けた。だけど、いくらそこを見ていたって、なくなってしまった帽子が戻ってくるなんてことはないのだ。

 いくら、考えても、いくら思っても、どうしようもないことがある。後悔した。どうして、あの時すぐに帽子をとりに行かなかったのかと。だけど、いまさら後悔したところで、後の祭りだ。もう、あの帽子は戻ってこない。

ははっと乾いた笑いが溢れ出る。

 だけど、このまま帽子のことを考えていても、しょうがなかった。何か、他のことを考えよう。今の、この悲しい気持ちを忘れてしまえるような何かを。いろいろ考えを巡らす間に、ふと、一つのことを思い出した。そういえば、あの時見た幽霊。ひょっとしたら、また、見れないかな。

 半ばやけっぱちになった僕は、さほど興味もなかったが、気を紛らわすために、ちらりと、あの幽霊がいた窓へと目を向けた。

 四角い窓、真っ白な窓枠、そして、純白のカーテン、そこには、当然、幽霊の影などなく、いつもと変わらない景色が広がって……。そう、いつもと変わらない景色が広がっている、そんな風に思いかけた時、カーテンによって遮られた窓際、おそらく窓とカーテンの間に、何かがあることに気づく。これまで時折、あの窓を見ることはあったが、あそこにものが置かれているのは初めての出来事だった。今日という日に突然現れたその何かを、僕は思わず興味を惹かれ、じっとそれを見つめた。

 それは、丸くて、茶色で、何か、水色のリボンのようなものが、垂れているようだった。どこか見覚えのあるそれ。そこまで来て、僕は気づく。それが、僕の麦わら帽子にそっくり、いや、まさにそのものだということに。

 なくなったと思っていた、麦わら帽子が、そこにあったのだ。

 どうして三階の、それも開かずの間と呼ばれていたあの部屋に入っているのかはわからない。まさか、幽霊が、部屋の中に麦わら帽子を入れたなんてことは無いだろうけど、それでも、なくなったと思っていた帽子がを見つけることができたのは素直に嬉しくて、そんな疑問はすぐに消し飛んでしまった。

 あとは、あの部屋に行って、帽子を取ってくるだけ。そう、あの開かずの間に入って、帽子を取ってくるだけ。開かずの間に……入って?

 そこで、ようやく気づく。あそこは開かずの間なのだ。では、どうやってあの部屋へ行けばいいというのだろうか。

 僕は、立ち尽くす。そして、どうにか手段がないか、必死に考える。あの部屋へ繋がるかもしれない、例え繋がっていたとしても、開かないことは先日自分で確かめていた。では、どうすればいいのか。色々と考えてみて、一つの可能性に行き着く。

 やはり、これしかない。僕は、そう思うとその場を後にした。

 森を抜け、再び屋敷へと入った僕は、食堂へと向かう。おそらくこの時間、そこにいるはずの人物の元へ目指して。広い廊下を抜け、食堂へと辿り着く。

 食堂からは、良い匂いが漂ってきた。おそらくお昼に出ているスープの匂いだろう。そういえば、お昼休みに入ってすぐ、裏庭へ行ったため、何も食べていないことに気づく。ぐーっと、お腹が鳴る。だけど、今は、そんなことに構っている場合ではなかった。

 僕は、食堂の扉を開く。そして、部屋の隅、使用人が食事を摂るテーブルへと目を向けた。

思っていた通り、目的に人物は、まだ食堂で食事をとっていた。

 彼女は、持ち前の口煩さで食事の時も、回りにいる人と話してばかりで、たいていの日こんな時間まで食事をとっていることが多いのだ。

 僕は、テーブルの方へ近づいていく。すると、彼女も僕の姿に気付いたようで、あっという声が聞こえた。頬張ろうとしていたパンを下ろすと、激しく机を叩き立ち上がる。ばんっという音がなり、そして立ち上がると同時に僕を指さしてまくし立てるように言った。

「君、君、今朝はよくもやってくれたね。 君があんな行動に出るとは、この私としても予想がつかなかったよ。 まさか。君ごときに、綺麗に巻かれてしまうとは。 あの後、君のことを探しまわっているうちに、またしても、そうまたしてもだ。 エマさんに叱られてしまったじゃないか!」

 そう、目的の人物とはエミリーのことだった。僕は、開かずの間に行かなければならない。そのためには、さんざ断ってきた、彼女の怪しい計画に乗るしかないのだ。正直、彼女の計画とやらに付き合って、碌な目にあった覚えはない。今回のこれも、おそらく酷い目に合うだろうことは、予想に難くない。だけど、あの帽子のために、僕は行かなくてはならないのだ。

僕は、真剣な眼差しで、エミリーをじっと見つめる。

「先輩、頼みたいことがあるんです」

はじめは、今朝の出来事に対する愚痴をつらつらと並べていたエミリーだったが、僕のその言葉に、興味深げな顔を見せる。その可愛らしい瞳が、きょろりと僕の方へと向いた。

「おや、君にしては珍しく、妙に積極的だね。 どういった要件だい?」

 エミリーは、物珍しい様子で僕を眺める。改めて考えてみると、エミリーに頼み事をするなんていついらいだろう。そう思いながらも、僕は話を切り出した。

「先輩が昨日話していた、開かずの間の件、僕も一緒に行かせてくれませんか」

 それを聞くとエミリーは、きょとんとした顔を浮かべる。

「おやおやおや、ふーん、ふーん、これは、一体どういう心変わりがあったのかな。」

「エミリーも知ってますよね。 僕の麦わら帽子。 実はあの帽子が、どういうわけか、あの部屋に入ってしまったんです。 僕は、あれを取りに行かないと。」

「あらあらあら、あの帽子は君がえらく大切にしていたものじゃないかー。それは大変だねー。」

「そうなんです。大変なんです。だから、お願いします。」

 それを聞いたエミリーは、僕の方から視線を外すと、何もないだろう天井の隅の方へ目を向ける。

 僕は、正直、あれだけしつこく誘っていたエミリーのことだから、この件もあっという間に一緒に行こうという流れになるだろうと思っていた。だけど、僕の予測に反して、エミリーからの返事は「でもなー」という言葉で始まった。

「でもなー。私があんなにまじめに頼んでもきいてくれなかったのが、いまさらそれはなー。どうしよっかなー。」

 僕の方をちらちらと見ながら、まるで僕の反応を伺うようにそう言ってくる。

 考えてみれば、エミリーの答えは当然のものだ。これまで、さんざエミリーに誘われて置きながら、その都度、無碍に断ってきた。昨日と、そして、今朝と。あれだけ、断り続けてきたんだ、それを、いまさら自分の用事ができたから、連れてってくれ、なのだ。相手がエミリーだからといって、これはあまりにも、虫がよすぎる。 エミリーが怒ってしまったとしても、それはしょうがないことだ。

 僕は、ふとエミリーの顔を見る。 エミリーと僕の目があった。エミリーは慌てたように視線を僕から逸らしてしまう。やっぱり、怒っているのだ。

 だけど、と僕は思う。そう、それでも僕は、あの部屋へ行かなくてはならない。今は亡き、母からもらった大切な、そう大切な帽子なのだ。諦めるわけにはいかない。

 再び部屋の隅を見つめるエミリーは、ちらりちらりと、こちらへと視線を向けてくる。それが、どういう意味を持つのかは、僕にはわからなかったけど、とにかく、今は、僕のできることをするしかない。

 僕は、覚悟を決めると即座に動いた。今やれる、最大限のことを。

 がっと、激しい音がなった。

 「お願いします。 僕を一緒に連れて行ってくれませんか!」

 僕は、地面に手を付け、頭を下げていた。

 「本当に、勝手なお願いだということはわかっています。 それでも、お願いします。」

 頭を下げる僕には、今エミリーがどんな顔をして僕を見ているかはわからない。 だけど、今の僕には、こうして、ただ頼み込む以上のことはできない以上、エミリーがうんと答えてくれるまでこうするしかないのだ。

 じっと、いつまででも頼み込む覚悟で、僕は頭を下げていた。

 だけど、僕のそんな覚悟に反して、エミリーは、僕が頭を下げた直後に、叫ぶように言った。

 「えっと、君、ちょっと、待ち給えよ、 そんな、急に、君、急に何をやっているんだい」

 「お願いします。」

 「いや、なんでそんな急に、というか、そんなことより、いいから頭を上げてくれたまえよ」

 慌てたようなエミリーの声、だけど、僕は認めてくれるまで頭を挙げないつもりだった。

 「お願いします。」

 「お願いしますじゃなくて、話を聞いてってば」

 「お願いします。」

 「あぁ……もう、わかった、連れて行く連れて行くから。 とりあえず、顔!頭をを上げてってば!」

 その言葉を聞いて、僕は即座に顔をあげる。そして、おそらく今日一番の笑顔を浮かべてエミリーの方を見た。

 「本当!? ありがとう、ありがとうエミリー。」

 顔を上げた僕を見て、エミリーは、一瞬ホッとしたような顔を浮かべると言った。。

 「まったくもう、私があれだけ誘っていたんだから、断るなんて冗談に決まっているだろうに。 驚いてしまったじゃないか、もう。 本当に君は変なところで真面目なん……」

 喜びで胸がいっぱいになっている僕の耳には、その時のエミリーの言葉は入っていなかった。 それどころか、感激のあまり、エミリーの言葉が終わる前に、体が動きだしていたのだ。 僕は、エミリーの両手をぎゅっと握って「ありがとう!」と感謝の言葉を述べていた。

 僕は、掴んだ両手をぶんぶんと振り回しながら、お礼を言う。

 「なっ、ちょっとま……手って……えっ手……」

 そんな言葉が聞こえたと思ったら、急にエミリーは黙りこんでしまった。

 ふと気になって、僕はエミリーの顔へと向けた。 その時のエミリーの顔は、心なしか赤く染まっているようだった。

 「あれ、先輩、どうしたんですか。 顔がちょっと赤いですよ? 熱でもあ……」

 僕がその言葉を言い切る前に、エミリーは動きだした。ばっと僕の両手を振りほどくと、急に走りだしたのだ。

 「えっと、先輩、待ってくださいよ。」

 僕のその言葉を気にも留めない様子で駆け抜けるエミリー。だけど、廊下へ続く扉の前まで走っていったと思うと、急に何かを思い出したかのように立ち止まった。そして、扉に顔を、つまり、僕に背を向けたままで、

 「とっ、とにかく、君は、今日の私の計画に参加することは、これで決定、そう決定なのだからね。 時間になったら屋敷にきたまえー!!」

 そう叫ぶと、勢い良く扉から飛び出して行ってしまった。

 嵐のごとく去って行ってしまったエミリー。彼女の去っていった扉を見つめていた僕はふと思い出す。

 まだ昼飯を食べていなかったのだ。

 とはいえ、ただでさえ昼休み始まってすぐに裏庭の様子を見に行ったこともあり、時計を見るともう時間は残されていなかった。

 僕は、泣く泣く昼食抜きで午後の作業にとりかかることを覚悟したのだった。

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