やかましい先輩
僕が今いる食堂は、屋敷で働く仕様人が使うために用意されている。とはいえ、皆が同時に食事をとるわけではないので、毎日皆が顔を合わせて食事をとるわけではない。調理場の横に用意された食堂には、粗末な作りの机が一つ置かれている。同時に食事をとれるのはせいぜい4人といったところだ。どうやら、この時間に食事をとるのは僕だけのようで、机にはまだ誰も席を取っていなかった。
僕は、調理場で働くおばさんから、プレートに並べられたパンと野菜のスープを貰い机まで向かう。
やはり、まだ厳しい仕事は任されていないとはいえ、お昼まで働くとなると、相応におなかが空くものだ。
僕は、スープを先に飲むか、パンを先に食べるかを考えながら向かう。
どちらを先に考えるか、という事は、なかなかにバカにできない事だ。
何せ、この昼食は、お昼からの仕事を乗り切る上でのモチベーションとなる大切な時間。それを適当に済ませるわけにはいかない。
先にパンを食べれば、口の中が乾いてしまう。スープを飲めば、それは解決する。では、これをどのような順序で行うか、という話になると、それは熟考が必要だった。特にその最初の一歩、一口目をパンにするかスープにするか。それによって、この食事全ての評価が変わってくる。
しかし、いつまでも悩んでいては、肝心の食事が覚めてしまう。それでは、本末転倒もいいところだ。
僕は決心する。
そうだ、そうしよう。
僕は、先にパンを食べることに決めた。
そうなれば、迷ってはいられない、食事の時間は限られているのだ。
「おー、食べてるねー!」
そんな元気な声が背後から聞こえてきたのは、まさに僕がパンに齧り付こうとした瞬間だった。
ふっと、その声に後ろを振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべた少女の姿があった。
「結構結構。元気が一番。ところで聞いたよ~またエマさんに叱られたんだって?」
愉快そうに僕に問いかけてくる彼女の名前は、エミリー・ライトバーン。このお屋敷で働くメイドの一人だ。僕が、ここで働き始める前から、この仕事についている、僕の先輩である。
「いや、別に叱られたって程の事ではないですよ」
「ほうほう、そうなのかい。 てっきり、また何かやらかしたのかとばかり、ほら、君が初めてこの屋敷に来た日だって、ガラス割ったり大変だったよね」
「いつまで、その話を掘り返すんですか。 それ、もう一年も前の話ですよ。 僕だって、今更そんな失敗はしません」
「ほんとかなー」
そう言って、にやにや笑って僕の顔を見てくる。
それは、確かに今日のようにエマさんに注意されることはあるが、仕事の失敗はほとんどなくなっている……と思う。
それは、確かにまだ細かい所でよく注意されはするけれど、それだって……。
と、僕が一人、ここ数日の仕事の中での失敗を頭の中で反省している間に、エミリーは、食堂のおばちゃんから食事を受け取っていた。
彼女はとても社交的な人だ。初めて僕が、ここへきて仕事をしているときも、年の近い僕に話しかけて安心させてくれたり、色々気を回してくれた。それに気付いたのは仕事に慣れた頃だったが、改めて考えても感謝はしている。
そして、その社交性は、例えば今のような食事を貰う場合にも有効に活用されており、ちゃっかりパンを二つもらってきていた。
エミリーは僕の隣に腰を掛けると、「ふふん」と鼻を鳴らすと僕にパンを見せつけるように食べ始める。
パンをちぎり、口に入れながら彼女は言う。
「やっぱさー、この仕事お腹すくのよね。 お昼は大事だわ~」
美味しそうにパンを頬張る彼女の横顔を眺めながら、僕も再び自分の食事に戻る。
エミリーとは休憩の時間が合うのか、二人で食事をとる事は良くある事だった。
その日も、僕と彼女は、横に並んで食事をとる。
食事を彩るのは、会話だが、ほぼ毎日顔を合わせていると真新しい話も少ない物だ。そうなると、必然的に、仕事の話ばかりになる。
今日の、洗濯は大変だったとか、夕方から雨が降るらしいから、午後の水やりはいらないわね。とか、そんな他愛の無い会話が続く。
そうこう話ながら食事する内に、気付くと僕の食器の中は空になっていた。
お昼からの仕事もある、そう思って先に席を立とうとした時だった。
「ところでさ」
そんな風にエミリーは、会話の口火を開いた。
急に声をかけられた僕は、立ち止まると彼女の方へと顔を向けた。
エミリーは楽しそうな笑顔を浮かべて僕を見ていた。
その様子に、思わず僕は危機感を覚えていた。彼女は、優しい女性ではあるが、如何せん好奇心が旺盛、というよりも、過剰な位ある女性でもあった。そんな彼女が、今、まさに浮かべているその笑顔は、僕の経験上、彼女曰く面白い事、僕からしたら碌でもない何か、を始めようとするときに、決まってみせるものだったのだ。
僕は巻き込まれてはたまらんと、早々に立ち去ろうとする。だけど、それは叶わなかった。なぜなら、僕が去ろうとしたのに気づいたのか、彼女が、僕の腕を強くつかんで引き留めていたからだ。
「やぁやぁ、どこへ行くのかなー。 そんな風に行かれると寂しいじゃないか」
「いやいや、でも僕、これから仕事の準備があるんで」
「聞いてくれたまえよ。 仕事も大事だけど、先輩の言う事は聞くものだろう?」
「いえいえ、仕事の方が大事ですので」
「つれないことをいうなよー」
ともあれ、いくら油断ならないとはいえ、いつも良く世話をしてくれる先輩の頼み、それも話を聞くだけ、なんてことをむげにするのも心苦しかった。話を聞くだけで、彼女の気持ちがおさまるなら、と、僕は彼女へと問いかける。
「で、何の話なんですか?」
そんな僕の反応を見て、彼女は嬉しそうにふふんと鼻を鳴らすと、「よくぞ聞いてくれました」と、話始めた。
「君はさ、開かずの間の話を知ってるかい?」
「開かずの間?」
聞いたことが無い話だった。
エミリーは、ぽかんと彼女を見つめ返す僕の様子を見て、僕がその話を知らないことを読み取ったのだろう。「そうだろ、そうだろ」と楽しそうにしている。
「聞きたいかい?」
「いえ、別に」
それを聞いた彼女は、ぎゅっと口を十文字に結ぶ、そして、
「君は! どうして! そうなんだい!」
そう言って僕の腕をぽかぽか叩いてきた。
「聞きたいかい?と聞かれたら、耳を澄ませて、聞かせてください!、っていうのが後輩の常ってものだよ!」
そんな話は聞いたことも無かった。それよりも、腕を叩く勢いがどんどん増してきて痛かった。
「すみませんすみません、わかりました、聞かせてください」
「まったくもって、最初から、素直にそう言えばいいのに! ……で、どこまで話したっけ」
「えっと、開かずの間がどうとかって」
「そうそう、ってまだ何も話していないじゃないか!」
彼女は、おほんと咳をすると再び話始める。
「さてさて君、まず君に一つ聞きたい事がある。 君は、このお屋敷の開かずの間を知っているかい?」
くりっと頭を捻って思い出してみるけれど、僕はそんな話は聞いたことが無かった。
「いえ、知りません。」
「そうだろう、そうだろう。 それでは、少し具体的な話をしてあげよう。 ほら、君、このお屋敷にはたくさん部屋があるけれど、一回の東、廊下の一番奥にある扉、あそこが開いてるとこを見たことがあるかい?」
言われて思い出してみる、東廊下の一番奥の部屋……。あまりはっきりとは覚えていないが、他の扉と変わり映えのしない木製の扉があった気がする。
「えっと、確かに、あそこにはまだ入ったことがありません。 いつも、鍵がかけられているって話は聞いていましたけど……。あの部屋が開かずの間なんですか?」
僕の答えを聞いて、エミリーはちらっと僕の方へと視線を向ける。
「いや、実のところそうじゃない。 だけれども、そうではないとは言い切れない」
その言い回しに、僕は疑問の目を向ける。
「まぁまぁ、待ちたまえ、君の疑問はわかるけれど、私の話をちゃんと聞いてくれたまえ。 君にもう一つ質問しよう。 君は、このお屋敷の構造を知っているかい?」
「構造ですか?」
僕は、ふと思い出してみる。毎日仕事をしているお屋敷だ、その構造はすでにあ球の中に入っている。だけど、特に目立って思いつくほど奇異な点はないように思えた。
「そう、構造だよ。 まずこのお屋敷は二階建て、そしてその四隅にはそれぞれ1つずつ、合わせて四本の塔が建っているよね。 四本の内三本の塔は、私も何度か掃除の名を借りてこっそり行ったことがある。 だけど、最後の一本、君がよく水を上げている花壇の傍にあるその塔だけは、私も入ったことが無いんだよ。」
今、さらっと掃除をさぼっているようなことを言った気がしたけど、とりあえず今は聞かなかったふりをした。
「えっと、つまりその塔が?」
「その通り、そこが開かずの間だと考えている」
「でも、それだとさっきの一階の扉の話は何だったんですか?」
「慌てるなと言っているじゃないか。 これから、その話をするところだよ。 私は、兼ねてよりあの東の塔へと行ってみたいと思っていてね、やはり、掃除の名を借りて道を探していたんだ。だけど、これまで一度もいけたことは無い」
「それは、どうして?」
「簡単な話さ。道が無いんだよ。屋敷のどこにもね。 他の塔は、通路にそこへと繋がる道がある、だけど、どこを探しても、東の塔だけはそれらしい道がないだ。 それで、私は前々から思っていたんだ。 あの扉こそがあの塔へと繋がる道なのではないかとね」
「なるほど」
確かに、エミリーの話は可能性としてはありそうだ。だけど、その時、ふと疑問が浮かぶ。
「前から、気になっていたっていうなら、どうして急にまた話題になったんですか?」
それは単純な疑問だった。彼女の性格からしてその疑問が昨日今日の者でないのなら、今頃僕は、今みたいに駆り出されていただろう。それが無かったのは、どういう理由なのだろうか。
「いや、それに関しては何というか……」
「何というか?」
「忘れていたのだよ。 だって仕方ないじゃないか! どれだけ探しても見つからなかったんだ。 日中日夜、仕事の合間と、ちょっぴり、本当にちょっぴりだよ、の仕事の時間を使って探し続けたんだ。 それでも見つからなくて、時が経つうちに、その、なんといか、流石に飽きてしまったのだよ。 だから忘れていた」
僕は、即座に頭に浮かんだ、確かに先輩ならそうなりそうですね、という言葉が胸にしまう。話が余計にこじれることが目に浮かぶようだったからだ。
「あーっと、でも何でその一度は飽きて忘れてしまったような事を今更思い出したんですか?」
実の所、僕はどうして、思い出してしまったんですか、と思っていたけれど、これまためんどくさそうな事になりそうだったので、敢えて言葉尻を和らげてそう言った。
「そうだよ、そう! そうなのだよ。何と、私のこの話はこれだけじゃないんだ」
「まだあるんですか?」
「その通り、まだある、そしてこれが本題なのだ」
どうやら、話したくてうずうずしているようだった。
「えっと、何がだったんですか?」
「幽霊だよ!」
「はい?」
突然出てきたその言葉に思わず僕は、失礼な返しをしてしまう。
「何とだね、驚きたまえ。噂の開かずの間、そこに幽霊が出たというのだよ」
改めて、その言葉を聞いた瞬間、思わず僕は、目を部屋の隅へと泳がせていた。
「へー、すごいですねー」
その時、僕が想いの籠っていない返事を返したのもしょうがないと思う。だって、開かずの間ときた直後に幽霊である。オカルトのオンパレードだ。この荒唐無稽な話をどうやって信じろと言うのだか。
だけど、エミリーはそんな僕の反応は不満だった用で、その声が大きくなる。
「なんだい、君、その態度は、さては君信じていないね!」
「いえー、しんじてますよー」
「その口調は、明らかに信じていないじゃないか!」
がっと勢い良くそういったエミリーだったけど、すぐに語調を和らげて続ける。
「ともあれ、君がそう思うのもしょうがないと思わなくもない。 開かずの間ときた後に幽霊だ。 これは確かに出来過ぎの感はある。」
そこで、言葉をきったエミリーは「だけど」と話を続ける。
「この話は、信頼できる話なのだよ」
その自信満々な様子に僕は思わず「どうしてですか」と問いかける。
「なんと、この話、あのフラミー姉妹の、堅物の方である姉の話なのだよ。 自由と平和を愛するとかのたまいながら、実の所自由と横暴をはき違えている妹の方じゃない。 あの誠実こそ美徳、いや、それどころか、自身の存在意義だとすら思っている節のある姉の方だ。 ついでに、言うなら、朝食の目玉焼きに、私がちょっとソースをかけただけで激怒するぐらい堅物な姉の方だね。 全く持って、そんなに潮がいいのだろうか……。っと、話がそれた。 ともあれ、あの姉が証言している話なのだ。私は十分に信頼できると思っている。」
フラミー姉妹。このお屋敷で働く、二人の女の子の姉妹。エミリーが話すようにお堅い姉と、自由な妹。姉の方は、エマさんからの信頼もあつく、普段からそんな冗談をわざわざいうような人でないことは確かだった。ともなると、多少興味もわいてくるものだ。あの普段は固いフラミー姉が、どんな幽霊を見たというのだろうか。
「おやおや、その顔はちょっと興味が沸いたという顔かな? 私がこれだけ話してようやく気持ちが乗って来るとは、君はなかなか罪作りな人だよ、本当に。 まぁ、折角沸いてくれた興味が尽きないうちに、話を勧めようか。」
「それは彼女らが、夕方の花の水やり……、ほら、普段君がやっている、あの東の塔が見える花壇の水やりをやっていた時のことだそうだ。 日は傾き、空は紅と紫が混ざり合う頃、花に水をやる彼女らの影は遠く伸びていた。如雨露を傾け、水をやる彼女らは、丁度、開かずの間の話をしていたらしい。 あの花壇からは丁度その部屋が見えるからな。 特に頭の軽い妹の方は、この手の話が大好きだ。 早く仕事を済まそうとする姉をしり目に、延々と話を続けていたのだろう。 ほら、全く持って普段の彼女らの様子と同じだよ。 つまるところ、誠実に仕事を終えたい姉と、その横で退屈を持て余し常に何か面白い物を探す妹。 ともあれ、そんな様子で二人は水やりをやっていたそうだ。 まぁ、あの二人の事を考えてみると、妹の方が最初にそれを発見したというのもうなずけるものだ。 ん、何をって? それは、ここまでの話を聞いていれば想像がつくものだろう。 つまるところ、幽霊を見つけたんだ。 それは、本当に偶然だったらしい。 開かずの間の話で勝手に盛り上がる妹は、不意に、その噂の元たる塔の窓を見つめたそうだ。 窓はしっかりと締められ、その奥には、白いカーテンが仲の様子を見るのを遮っている。 そんないつもの光景。 だけど、その時は、それが少し違った。 何と、黒い影のようなものが、カーテンの下から顔を覗かせていたそうだ。それはまるで、花の水をやる彼女らを観察するかのように、動かない。 その様子に驚いた妹は、姉へと呼びかける。 あの喧しい妹のことだ、その時もさぞうるさかったに違いない。 最初は、またいつもの騒ぎが始まったかと、相手をしていなかった姉だったが、その時の、妹のしつこさと、いつもと違った真剣みを帯びた態度に、仕方なく妹の話を聞いてやったそうだ。 妹が語るに、何やら、妙なものが、窓に映ったという。 やれやれと、思いながらも少女は妹の言う塔の窓へと目を向けたそうだ。そして、姉の方は、気絶してしまった。 妹は、倒れてしまった姉を慌てて屋敷へと連れて戻った。 だけど、やはり塔の窓の黒い影が気になって、その場を去る直前に、ふと、窓へと目を向けて見たそうだ。 だけど、その時には、もうそこには、白いカーテンが残るだけだったそうだよ。 ちなみに、あとで起きた姉もまた、その窓に何やら黒い影が見たそうだ。」
その話を聞いても、幽霊の話に関してはいまいちぴんとこなかった。そんな、僕が思い出したのは、噂の姉妹に、僕が仕事を変わってもらったのが丁度、昨日のことだということだった。そして、気づいた時には、僕はその疑問を口に出していた。
「それ、ひょっとして昨日の話ですか?」
「ひょっとしても何も、その通りだよ。 だからこそ、今日盛り上がっているのだよ。」
「んー、その話を聞いていて思ったんですけど」
「何かね?」
「見間違いって事は無いですか? 時間も時間ですし、カーテンの影を見間違えたとか?」
「その可能性も無くは無い、だけど、二人揃って同じものを見ている事を考えると、それがただの見間違いとは限らないと思わないかい。 それに、何より」
「何より?」
「見間違いでは面白くないじゃないかい!」
「面白いって……」
「だって、幽霊だよ!幽霊! 一度見てみたいものランキングトップ10に入るぐらいのものじゃないか」
「先輩のそんなランキングは知りませんよ」
「それは、当然だ。何せ、私のランキングだから、君が知らないのは無理もないことだよ。 だけどね、私は見てみたいんだよ!幽霊を!お化けを!ゴーストを!」
どうにも話がおかしい方向に進んで行っている気がする。これではまるで、エミリーが幽霊を見ようとしているようじゃないか。話を聞くだけじゃなかったのだろうか。いや、ひょっとすると最初から彼女はそのつもりで話を振ってきたのかもしれない。彼女の性格を考慮するとそれは十分に考えられる事だ。ともかく、僕は興奮して腕を振り始めた彼女を落ち着かせようと声をかける。
「わかりました。 わかりましたから。 でも、そんなに見たいって言っても、どうするっていうんですか? ひょっとして、僕の代わりに水やりを毎日やってくれるんですか?」
「それはそれで、悪くは無いとは思う。」
「えっと、仕事を交代したいって言うなら、エマさんにちゃんと説明してからにしてくださいね。」
「だけど、私にはもっと良い考えがあるのだよ」
恐らく僕の言葉など聞こえていない彼女は、らんらんと顔を輝かせながら言う。その輝くような笑顔に、僕の中の不安が膨らんでいく。
少しの間、彼女は僕の顔を見て、じっと笑顔を向けてきた。
その様子に、もはや不安の限界だった僕は、先制して口を挟もうとした、だけど、それより早く、エミリーの口が開いていた。
「そう、直接、開かずの間を見に行けばいいのだよ!」
指をピンと立て、まさに名案と言わんばかりの様子。だけど、僕はその話に口を挟まずにはいられなかった。
「先輩知ってますか?」
「なんだね?」
「開かずの間は開かないから開かずの間なんですよ? どうやって入るって言うんです。 ひょっとしたら、先輩の言う一階の扉が塔の開かずの間へと続くと扉なのかもしれないけど、どっちにしても開かないんですよ」
「ふふん、その程度の質問が来ることは想定済みだよ。 私が、何も考えずにこんな話をしていると思ったのかい?」
僕は、意外に思いながらも、それを顔に出さないように彼女の顔を見つめていた。
「えっと、じゃあ、どうするっていうんですか?」
「簡単な話だよ。 なぜ、扉は開かないのかい? それを考えればわかることだ。」
「なぜって……」
その謎かけの様な質問に、思わず僕は黙り込んでしまう。その結果、僕の回答を待つ期待に満ちたエミリーの目がそこにあった。見つめあう二人。その果てに僕は、
「えっと……、鍵が無いから……とかですか?」
何も思いつかないままに、こんなしょうもない答えを返してしまった。
だけど、僕の答えを聞いたエミリーからの返事は、
「その通りだよ」
という、意外な物だった。らんらんと輝く笑顔を浮かべるエミリー。
「鍵が無いから、扉があかない。 開かずの間という言葉に騙され、そんな簡単な事にみんな気付かなかったんだ。 いや、簡単すぎて気づかなかったのかもしれない。ともあれ、鍵が無いなら、鍵を見つければいい」
「いや、でも鍵が見つからないから開かないって話をしてるんじゃ……」
僕のそんな反論は、勢いを増す彼女の言葉の前にかき消される。
「そして、私は、何とあの部屋の鍵に心当たりがあるのだよ!」
「えっ! なんで先輩がそんな部屋の鍵を知ってるんですか?」
僕の驚いた顔を見て、先輩は得意げに鼻を鳴らす。
「開かずの間が鍵が無いから開かない。 そんな当たり前のことだから気づかない。 そして、鍵もまた同じように、あまりにも当然すぎるから気づかない場所にあるのだよ。 まさに、灯台元暗しとはこの事だね。 私が、この事に気付いたのは、まさに、私が今している仕事に関係している。 私はメイドとして、使わない部屋を掃除する事が多い。 ところで、そういった普段使われない部屋というものは、常々鍵がかけられているものだ。 それゆえ、私は、たくさんの鍵がかけられた鍵箱をを良く見る。 そこには、様々な部屋の鍵が置かれているのだが、その中にたった一つだけ、私も使った事のないどの部屋の物かわからない鍵があるのだよ。 これまですっかり開かずの間の事を忘れていたから、その鍵自体も精々離れの倉庫の鍵か何かだろうと思っていたのだけど、改めて考えてみるとそれが怪しいと思うんだ。」
「あれ、でも倉庫の鍵ってエマさんが管理してるんじゃなかったですか? いくら、その鍵が怪しいと言っても勝手に使う訳にはいかないんじゃ?」
「ふふん、それなら何も心配いらないよ?」
「あぁ、ちゃんとエマさんに話を通してあるんですね」
僕が笑ってそう聞いた時、エミリーは僕の方から顔を背けると小さくいった。
「いや……?」
「えっと、それじゃ、どうするつもりですか?」
「いやいや、君は全然心配する事は無い。 私に任せておけば鍵はちゃんと用意してみせるさ」
「あの……先輩? 何か言えないような事をするわけじゃないですよね」
「まぁとりあえず、今晩辺りがいいだろうかね。 君ももちろん……」
やはり、嫌な予感は的中したようで、このままでは僕まで、よからぬことにつき合わされかねない。
「いやです。」
だから僕は、エミリーがその言葉を言い終わる前に、お断りの返事をしていた。
「いやいやいや、まだ最後まで言ってないだろう?」
「聞きたくないです。」
「まぁまぁ、そう言わずにぃ」
「ダメです」
そんなやり取りを数分続けていたのだけれど、やがてエミリーはそのままでは分が悪いと感じたのだろう。急に態度を改めてきた。
僕を見つめるエミリーの目元に、きらりと小さな滴が光った。そう思ったのも束の間、
「きいてよー!!」
と、もはや駄々をこねる感じで半分涙目になって訴えかけてくる。それも、僕の腕をぽかぽか殴りながらだ。
実は、彼女は先輩ではあるが、年齢は僕の方が高かったりする。とはいえ、仕事の場において問われるのは、仕事を取り仕切る能力であり、その点においては経験の長い彼女の実力は認め、先輩として尊敬はしている。だけど、時折このように、年下であることを使って上手く話を勧めようとするあたりは苦手なのだ。
「ねぇねぇ……、行こうよー」
そうこう考えている間にも、彼女は上目づかいで一緒に行こうと誘ってくる。
どうにも、僕は、先ほどの強気な態度ならば、何も考えずに断れるのだが、こう年下をアピールするような態度でお願いされると、無下に断るのがなんだか酷い事をしている気になってしまう。
それを知ってか知らずか、いや、恐らくわかっているのだろう、エミリーは、より積極的に僕を誘ってくる。
このままでは、彼女の勢いに負けてしまう、そんな風に思った瞬間だった。
「エミリー! こんなところにいたのですか!」
稲妻のように鋭く響く声が、食堂にこだました。
僕は驚いて、声のしたほうへと顔を向ける。そこにいたのは、額に指を当て、こちら、いや僕ではなく恐らくエミリーを睨むように見るエマさんの姿だった。
「私は、確かに伝えておきましたよね? お昼休みの内に話しておきたい事があるから食事が終わったらこちらに顔を出すようにと。」
その時、僕の耳にエミリーが小さく「忘れてた……」と呟いたのが聞こえた。
「いや……、あの……」
「いや、でも、あの、でもありません。」
そう言うとエマさんはこちらに歩いてくる。一歩一歩進むたびに、ズシンという音が聞こえてくるかのような迫力に満ちていた。
「君! 助けたまえ!」
そんな風に言われても、僕にはどうしようもない。だって、約束を忘れていたエミリーが悪いのだから。
僕は、エマさんに対して必死の抵抗をするエミリーを笑顔で見ていた。
「こらっ子供じゃないんですから! そんな、駄々をこねるようなことやめなさい」
「いやーだー!」
僅かな抵抗もむなしく、エミリーはあっさり腕を掴まれると、そのままエマさんに引きづられていってしまう。
僕は、そんなエミリーを手を振って見送る事しかできなかった。自分の無力さを噛みしめ、思わず顔の筋肉が緩んでしまっていた。
エミリーが去り際に残した、「わたしは! まだ! あきらめてないからねー!!!」という言葉は、僕の中に小さな不安の波をたてた、だけれども、僕は一先ず安堵したのだった。
その日の午後、僕は一人屋敷の中の掃除をしていた。廊下の窓を一枚一枚丁寧に拭いていく。そして、僕は一階、東通路に差し掛かった時、不意に昼間のエミリーの話が頭をよぎった。噂の扉は、この通路の角を曲がった先にあるのだ。
決してエミリーの話を信じたというわけではないが、妙に気になった僕は、その扉の元へと向かっていってしまった。
その扉は別に他の部屋の物と比べて特別変わったものというわけではなく、木製のどこにでもあるような扉だ。
ふと、その扉のノブに手をかける。ひんやりとした感触が手のひらに広がる。
なぜだかわからないけれど、胸の音はどんどん激しくなっていく。
僕は思い切って、手に力を込めてみた。ドアノブは、ゆっくりと周りだした。一瞬、ドアが開いてしまうのかと思った。だけど、突然、ガチャっという音が鳴ると、そこで回転は止まってしまった。
エミリーの話の通り、どうやら鍵がかかっているらしい。
ドキドキと鳴っていた胸の高鳴りは気付くと収まっていた。
「まぁ……、そうだよね」
開かずの間、開かずの間、その名前には不思議な魅力があるけれど、良く考えてみれば、開かないだけの扉でもある。そんなものは、この世界にはたくさんあるのだ。
僕は、その場から立ち去ろうとした。まだまだ掃除は終わっていないからだ。
立ち去ろうとしていた僕だったけれど、数歩歩いたところでふと立ち止まる。そして、後ろを振り返ってみる。
やはり扉は、閉じたままだった。
のんびり投稿で申し訳ないです




