残される悲しみと
日の出を迎えるころ、またカレーの匂いが漂ってくる。実は昨晩もカレーの匂いがしてきていたのだが、毎食カレーは嫌だったのと動いていないのとで、食欲が無かったから食堂には行かなかったのだ。
「朝ご飯はどうするの?」
「情報交換の為にも学食へは行った方が良いだろうね。カレーは食べたくないけど」
彼女の問いにそう答え、警戒しながらも食堂へと向かう。やはり、食事の時間は静かすぎるほどで、襲われている人はいない様だった。
食堂には大半の生徒が集まっているようで、半分近くの席が埋まっている。ここで夜を明かした者もいたのかもしれないが、皆の顔色が一様に悪くて眠れずに夜を明かした子もいるようで、不用意に声を掛けることに躊躇する。
そんな中に、かなり憔悴した様子の及川を見つけて話しかける。
「顔色が悪いけど、三食続けてのカレーがそんなに嫌なのかい」
すると、彼はこちらも見ずにつぶやく。
「長谷部が死んだ」
「え? 死んだって、どうして……」
突然死んだと言われて戸惑いつつも、原因を聞きださなければと彼の前に座る。
「俺ら七人で行動しているところを、魔女に襲われたんだ。五人が刺されたんだが、長谷部だけは刺されたとたん、砂のようになって崩れ去った」
「――他の四人はどうなった」
「俺も含めて大丈夫だ。しばらく気を失っていたが、いまは問題ない。もっとも、一緒にいた女の子たちはパニックになって、まだ落ち着かないから残してきた」
長谷部は運動が苦手ではあったが、持病を持っていたとは聞いたことが無かった。彼と僕らに何の違いが有るのかを知らないと、僕もいずれ死を迎える可能性がある。
「長谷部だけが君らと違うものを持っていたとしたら、それに心当たりは有るかい」
そう問いかけると聡い及川だけあって、ある確信的な答えを寄こしてきた。
「あいつはオタク気質だったからな。どちらかと言えば、持っていないものの方が多かったんじゃないのか。そう、女子と仲良くした経験とか……」
そうだ、魔女は異性との記憶を奪っている。奪うものが無ければ、その器は用済みなのかもしれない。及川も薄々は感じていたのだろうが、確信を持っていた訳ではない様子だった。
「及川、取り敢えず女子たちと出来る限り行動を共にしろ。ただ距離はちゃんと保って、間違っても無理強いとかするなよ。嫌われたらアウトだからな」
「翔真たちは大丈夫なのか? 二人だけで行動しているみたいだけど」
「俺たちの事はいいから、自分の事だけ考えろ」
そう忠告して席を立ち、亜里沙が向かった厨房へと歩みながら愚痴をこぼす。
「正直、カレーを食べる気分じゃないんだよなぁ、でも、腹が減っては何とやら」
先に来ていた亜里沙は何かを探しているようだったが、僕がやって来たのを感じると、舌打ちしつつも調味料入れを持って立ち上がる。
「海苔や梅干しでもあればと思ったんだけど、塩おにぎりでも良い?」
そう言っておにぎりを握り始めた。
二人分のおにぎりを洗い直したトレーに乗せて食堂へと戻ると、それを見た女子たちは「それなら食べれるかも。私たちも作ろう」などと言って厨房に移動して行き、男子たちは「俺たちの分も作ってくれよ」などと集まり始めた。
まぁ、そういった輪に入らずカレーを食べている連中もいない訳ではないが、あまり忠告めいた事を言うと、逆に反発されかねないので無視しておく。
僕には亜里沙がいてくれるが、他を見ると男女で一緒に行動していそうなグループはあまり見当たらず、特に大きな女子のグループは男子を拒絶するように距離を置いている。
僕らが生き残るためには意識して接触を持たないとならないのに、仲違いしていても困るのだ。男が一人減れば、それだけ僕の襲われる確率が上がるのだから。
仮に僕を含めた男子が居なくなったら、次は女子の番かもしれないし、そうならない為にも僕は生き延びなければならない。彼女を守り抜くためにも。
彼女の握ったおにぎりは、コンビニなどで売っている物より小振りだったが、そのサイズが僕には丁度食べやすく、塩にぎりなのにとっても美味かった。贅沢を言わせてもらえば、たくあんや味噌汁も欲しかったが口には出さなかった。
お腹を満たした僕たちは、補習を受ける予定だった教室に立ち寄る。
教室は昨日の騒ぎのまま放置されていたようで、椅子がひっくり返ったりしていたが、荷物はそのまま残っていた。窓際後ろの席に行って自分のバッグを開けると、昨日来る時に持ってきた菓子パンがレジ袋に入ったままで残っている。
「賞味期限は明日までだったかな。持って行って夜にでも食べようか」
そう話し掛けると、レジ袋の中を覗き込んできた彼女がつぶやく。
「――チョコ・コロネ」
たしかに三個あるパンの一つはチョコ・コロネで、残りは大きめのコロッケパンと焼きそばパンである。
「そうだね、もしかして好きなのかな」
「うん、大好きなの。でもなんで……」
僕がそのパンを持っている事が不思議だったようだが、確かに好んで食べるかと言えばそんな事は無い。運動をしていない今の僕にとっては、パン三個は一回の食事量としては多いし、なんで買ってきたのだろう。
「じゃぁ、コレは君が食べるといいよ」
「うん。ありがとう、お……。お礼は何がいいかな」
「そんな気にしなくていいから。まぁ、膝枕のお礼とでも思ってよ」
たかがパン一個でお礼なんて大げさな、と思ったけれど喜んでくれてよかった。
音楽準備室に戻ると、再び肩を寄せ合って息をひそめたけれど、黙っていると恐怖感が増してくるので小声で話をする事にした。
彼女は僕の事をけっこう知っていて、食べ物の話になれば好物がポンポン出て来るし、気付いていなかった癖まで得意げに教えてくれる。その時の表情はとても生き生きとしていて可愛さを感じるけど、彼女の事に触れようとすると急に眼が泳ぎ誤魔化すような話しぶりになる。
やはり彼女には秘密がある。それでも、それを問いただすことに妙に気が引けるのは、知ってしまうと今の関係が崩れてしまう恐怖があるからだと思う。
日も暮れてきたので、パンでも食べようかと腰を上げかけて不安が込み上げてくる。食事の時間になると漂ってくるカレーの匂いがしてこないし、その割には校舎内が静かすぎると感じた。
このまま隠れてやり過ごせる保証も無いので、食堂へと慎重に向かって行くが、静まり返った校舎がより不気味さを感じさせる。たどり着いた食堂には女子の集団と男子が二名いるだけだったが、男子たちとは面識も無く、風貌からは運動部というよりもヤンチャなグループに入っていそうな、こちらから近づく事のない部類の輩だ。
「なぁ、なにが有ったんだ。他の連中は?」
近い方の男子にそう声をかけると、うつろな目でこちらを見る。
「残っているのは、俺らだけだ」
ぼそりと聞こえた言葉を拾いきれず、聞き返すと怒鳴り返してくる。
「みんな消された! 男で残っているのはここに居る三人だけだ。もう、終わりだ……」
尻すぼみになる言葉を、憐れむような表情と蔑むような目で見る女子がいる。
「男子全員が居なくなれば、私たちは解放されるかもね」
グループの中心にいた須藤さんと呼ばれている子が発した言葉に、亜里沙が激しい口調で言い返す。
「何バカな事を言い出すの!」
「だって。男子が生きている間は、絶対に帰れないのよ」
「そんなの判らないじゃない。それに、帰れる保証だって無いでしょ!」
「ふん。いいわよね、貴女には関係ない事だもの」
「――何の話よ」
「貴女は相羽君さえいれば満足なんでしょ。望みがかなった世界だものね。だから二人でコソコソと、あぁ気持ち悪い」
「!」
亜里沙が言葉に詰まったところで肩に手を掛け、悔しそうな顔でこちらを振り返った彼女に、黙って首を横に振る。
「申し訳ないが、僕はこんな所で死ぬつもりは無い。それは自分勝手な考えだと君らは思うかもしれないけど、少なくとも君らの為に捨てる命は持ち合わせていないからね」
僕らを睨み付ける須藤さん達にそう告げると、亜里沙の手を引いて食堂を後にする。
食堂から聞こえて来るヒステリックな声を無視して、黙ってついてくる彼女に次の行動を示す。
「僕はこのまま校庭に行って、魔女を待つ事にする。君は隠れていてくれないか」
「いや! 私も一緒に行く」
その決意のこもった表情と発言に、なぜか心が温まる。ならば、少しでも和やかな雰囲気でも演出してみようか。
「それじゃ二人して生き延びて、大好きなチョコ・コロネを食べないとね」
「半分こする?」
「いや、甘いパンは好きじゃないから遠慮しとくよ」
そう、好きではないのだ。だとすると僕は彼女の為に、補習後に一緒に食べる為にあのパンを買っておいたのだろう。彼女が知らないところを見ると、サプライズだったのかもしれないが……。
木刀を左手に持ち校庭の真ん中で立っていると、残っていた男子もやって来る。
亜里沙は十歩ほど後ろに立ち、男子二人は邪魔にならない程度の距離を取って金属バットを構えると、その時を待ちわびたかのように魔女が姿を現す。その右手にはナイフを持ち、いやらしい笑みを浮かべて悠然と歩み寄ってくるのだ。
相手はナイフなので、間合いはこちらの半分以下だろう。出来る限り相手の間合いに入らない様に距離を保ち、場合によっては他の男子を囮に使ってでも、確実に仕留めなければならない。
意を決して手加減など一切しない突きや打ち込みを見舞うが、魔女は死角である左へ左へと回り込む様に躱し続ける。その動きと言ったら、まるで体重が無いかのような身軽さで、威力を犠牲にした小振りな打ち込みさえも、決して打ち合う事も撥ね退ける事もしない、余裕のある動作だった。
「ちっくしょう、動きが早すぎる!」
その声が合図になったのか、合間を縫って残り二人も攻撃に参加する。が、バットを振り回すだけの幼稚で隙だらけの攻撃だから、囮の役にも立たずに邪魔なだけだった。こんなんでよく生き残ってこれたものだと逆に感心してしまう。
「危ないから下がれよ」
邪魔で仕方がないので怒鳴ったが、二人共に聞く耳を持たないで攻撃を辞めない。
「邪魔だって言ってんだよ。どけ!」
怒鳴られるとは思っていなかったのだろう、ビックリした顔でこちらを見てくる。やっと二人が引いたので打って出ようとすると、魔女の動きが突然変わった。
引いた一人の後ろに回り込むように僕の視線からその姿を隠すと、突然それまで人だったモノは砂像となり、足元からザーと音を立てて崩れ去る。
「えっ!」
初めて目の当りにする光景に足が止まってしまうと、その隙を突くように崩れる砂像の右側から魔女が飛び出してくる。避けながらも辛うじて反応し突きを見舞うが、手ごたえを感じることなく体が泳いだ。
「避けて!」
悲鳴のような亜里沙の声が聞こえたかと思うと、脇腹に衝撃を受けて痛みが走る。フェイントに掛ったと見るや、低い姿勢からガラ空きの脇腹にナイフを突き立ててきたのだ。
「こんのっ!」
そう右手一本で木刀を水平に振り回すが、足に力が入らないので威力も何もない。
「これで最後、とっても美味しかった」
たまらず膝をつく僕にそう言い残し、魔女は残る一人を砂に替え消えていく。
最後と言う事は僕も死ぬのだろうか、彼女を守りきる事が叶わなかったのか、そんな事を考える僕に女の子が駆け寄ってくる。
「…………」
霞む目で見上げると、彼女が何かを言っている様だが聞こえない。魔女と入れ替わる様に降り始めた雨が意識を刈り取ろうとする中、僕は彼女に支えられながら校舎を目指して歩き始めた。