旅立ちの門出
昨日帰ってきた父を含め、久しぶりに家族四人そろっての朝食が済み部屋で着替えていると、習慣になってしまったのか真理佳が指輪を嵌めた。そのまま学校に行っては騒がれるだろうと注意すると、とんでもなく意外な答えが返ってくる。
「式場にもって行くんだから、忘れない様にケースにしまいなよ」
「大丈夫。予行練習の時に校長先生が指輪は未だなのかって聞いてきたから、家にありますって言ったの。そうしたら、卒業式くらい嵌めてきてもいいよって」
「いや、クラスでなんて説明する気だよ」
「女子は全員知っているよ。男子だって知っているんじゃないかな」
「……」
昨日の登校時、誰もそんな素振りは見せていなかったはずだけど、もしかして僕だけが隠しているつもりになっていたのだろうか。
「だから、翔真も嵌めて行ってね」
「――分った」
そうしてクラスに着くと、女子が群がる中で真理佳が指輪を見せびらかす。その中には島崎さんも交じっていて、「うらやましい」と言いながらも憧れるような目で見ていた。男子が騒がない所を見ると知っていたようで、誰から聞いたか問いただすと「神崎から」と口をそろえて答える。当の神崎は「口止めされた訳ではない」と、悪びれもせずに言い放つので何も言えなくなってしまった。
さらに卒業証書を受け取る際には、指輪か確認してきた校長先生から「おめでとう」ではなく「お幸せに」と言われて会場の空気が変わり、真理佳にも同じ言葉がかけられると保護者席がざわつく。マイクが入っているのだから配慮してほしかった。
保護者がざわついているが、校長先生が口を開くと静まり返った。
「皆さんと一緒に卒業するはずだった、五十一名の生徒がここに参列できませんでした。この夏に起きた出来事で一六名が亡くなり、いまだ三十五名が行方不明のままです。二名の生徒が生還し、そこで起きた事を語ってくれましたが、彼らはひどく後悔をしていました。皆さんはこれまでも、そしてこれからも色々な局面で選択を余儀なくされますが、最善を選んだとしても後悔は付きまといます。それでも前を向いて歩いて行ってほしいと思います。おおいに悩み、決断を下し、自らの意思で歩いて行ける大人になってください。
そうして、幸せになる事を願っています。」
まだ話は続いているが、耳に入ってこない。
あれから幾度となく思い起こしては『もし……だったら』と考えた。それでも真理佳を救えない手段は有りえないし、取れた手段で他の子も救えたかと言えば可能性は限りなく低い。だから悔いは無いと思いたいが自分でも解らないでいる。
真理佳は未だにうなされ、汗びっしょりになって起きることが有るから、同じ思いを抱いているのかもしれない。
正月に真理佳が母に言ったように、あの出来事は忘れようも無く、それでも僕達は前を向いて生きて行かなければならないのだ。将来に生まれるであろう子供のためにも。
なんとか式も終わりを迎え、教室へと向かう廊下で神崎に呼び止められる。
「翔真。写真撮影には直ぐ向かうのか?」
「――木下さんに聞いたのか。真理佳は十二時半には着いていないといけないが、僕は少し遅くなっても構わないよ」
「いや、終わるのは何時かと思ってさ。みんなで食事でもどうかと」
「三枚撮るだけだから二時ぐらいには終わると思うけど、さすがに待てないだろうから、夕食にしないか」
「そうだな、それじゃ店が決まったら木下さん経由で連絡するよ」
そう言い残して、神崎は小走りに教室へと向かう。『お好み焼きだと匂いが付くからなぁ』などと考えていると、沙織ちゃんと真理佳が追い付いてきた。
「神崎から夕飯の誘いがあったけど、みんなってクラス全員かな」
「いえ、初詣のメンバーよ」
真理佳に問いかけたつもりが、沙織ちゃんが答えてくれた。既に話が付いている様だ。
「服なんかに匂いが付くから、お好み焼きは止めてもらいたいんだが。駅前の居酒屋なんてどうだろう。師範だって飲みたいだろうし」
「そうだね。入った事ないから、この機会に行ってみたい気もする」
「解ったわ、美紀ちゃんとも相談して連絡入れるわね」
そんなに長話をした覚えは無いけれど、立ち話を終えて教室に入ると僕ら以外は揃っていた。慌てて席に着くと、「機会が有ったらまた会おう、それでは解散」と実にあっけない一言で高校生活が締めくくられた。
いろいろと有った一年間なんだから、もう少し言葉は無いのかと思ったものの、井口先生だって苦労続きだっただろうし、晴れて沙織ちゃんとの関係をオープンに出来るのだから、早く終わらしたい気持ちも解らなくもない。
特に誰からも呼び止められなかったので、両親と合流して式場に向かう事になった。着替えなどは駅のコインロッカーに預けていたので、そのバッグを引っ張り出して電車に揺られる。
女性陣は支度に時間がかかるので、着いて直ぐに係の人に連れて行かれてしまった。僕と父はコーヒーのチケットを貰えたので、ティールームで一息ついてから着替えに向かう事にした。
「今更だけど、父さんはこれで良かったと思っているのかな」
「大々的にすれば引き取った経緯から話さないといけないし、お祖父ちゃん達を呼べればよかったのかもしれないけど、仕方ないんじゃないかな」
「それもだけど。――僕が真理佳と結婚した事の方だよ。大事な一人娘じゃないか」
言い出したのは僕だが、あの日から思わなかった日は無いくらい悩んでいる。どさくさに紛れる形で許可をもらい、暴走気味な母に振りまわされたのではないかと。更には、大事な一人娘の幸せを願うなら、もっと相応しい相手が居たのではと思うのだ。
「そうだな。結婚が早かったとは思うし、真理佳のためを考えれば相応しい相手に嫁がしたいと思うのは親心だ。それでも、翔真以上に相応しいと感じた男がいないので、良かったと思っている」
ならばこれ以上の言葉は不要だろうと、コーヒーを飲み干して着替えに向かう。
「真理佳も用意が出来たわよ」
タキシードに着替えて髪を整え、父と控室で待つこと数分で母が入ってきた。その後ろには真理佳が続き、ブーケをもって恥ずかしそうに頬を染めている。
「嫁に出すわけではないが、娘の花嫁衣装を見るのは何とも言い難いものだな。いや、綺麗だよ真理佳。おめでとう」
「そうね。翔真、真理佳、おめでとう」
両親から祝いの言葉をもらい、真理佳が晴れやかな笑顔になったところでスタジオに移動する。予定通りのカットを取り終えると、カメラマンが外でも撮りましょうと言ってきた。どうやらチャペルが空いているので、そこでも一枚撮らないかとの誘いだった。
ワンカット増えても、金額的にはたいしたことは無い。
せっかくだから取ってもらう事にして、係の女性について移動する。チャペルには脇から入場し、来ていた神父さんの前で数枚撮影をしたところでカメラマンにお礼を言ってお終りになる。
何故だか控室へ戻るのに、ニコニコした係の女性に後ろの扉へと案内される。
「これは当式場からのサービスです。お二人並んでお立ち下さい」
そう言われて扉が開かれると、そこには制服姿のクラスメイトが列を作っていた。
「それでは、お進みください」
驚いて立ちすくむ僕らだったが、言われるままに進み出ると、おめでとうの言葉と共にライスシャワーが降り注ぐ。うれし涙を流す真理佳に耳打ちして最後まで歩き終わると、振返って礼を返す。
「集まってくれて、こうして祝福してくれてありがとう。本当にうれしいよ。ところで発起人は誰だろう」
案の定、黙って手を挙げたのは沙織ちゃんだった。真理佳と頷き合って後を譲る。
「みんなありがとう、幸せになるね。本当だったらブーケトスするのだろうけど、お礼に沙織ちゃんにあげていいかな」
異論は出なかったので手招きし、直接受け渡すのを見届けて列に向かって声をかける。
「次に結婚するのは沙織ちゃんらしいから、ここで公開プロポーズをしてもらおうと思うけど、言葉は用意しているよね、井口師範」
皆の視線が集まりギョッとする師範は、それでも臆することなく歩み出て沙織ちゃんの前に立つ。
「橘さん、六年前に初めて道場で会ってから、その真っ直ぐな澄んだ目に心惹かれていました。師匠と弟子、教師と教え子として接した今でもその心は変わりません。貴女の隣りに立ち、貴女を守る理由を私に頂けませんか」
淀みなくそう言い切った姿は、僕が憧れ続け目指した理想の背中だった。
「はい。初めて会った六年前から、隣にありたいと願い続けたのは貴方です。末永く宜しくお願いします。でから、帰りに予約をしていきましょうね」
いつもの微笑みを浮かべて言い切った沙織ちゃんに、式場スタッフからも拍手が上がって盛り上がる。そうして幸せな気分に浸りながら、僕らはそれぞれの道に、足を踏み出すのであった。
この作品は、作者の初作品となります。
一章のラストに当たる場面がふと浮かび、それを文章として残して見たくなって書き出しました。
最初は短編程度の作品にでも仕上がればと思っていたのですが、一章を書き終わる頃には主人公達が足らないと言い出して、卒業までを描いて見た次第です。
二人共に大学へ進学する予定でしたが、やはり結婚してハッピーエンドを迎えさせたい親心から、就職に落ち着きました。
逆に名前もなかったモブの二人(井口先生と沙織ちゃん)は、後半の重要なポストを担い始め、作品から飛び出して別作品で活躍してしまいました。
作者の実力が上がれば、その都度手直しを入れて行きたいと思います。なぜなら、思い入れのある大事な作品だからです。
ここまで読んでいただいた読者の方にとって、この作品が記憶に残る作品であれば、作者冥利に尽きると言うものです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
 




