第7話 「圧倒的な力」
「準備はいいか?」
「うん」
二人は休日にも関わらず、学校の敷地に足を踏み入れる。
「こんなの、いつ作ったんだろうな」
「暗いね」
そこには、SF映画に登場する軍事基地のような空間があり、学校の地下から入る事ができた。
二人が足を踏み入れたと同時に、地下へ続く入り口に、照明が点灯し始める。
まるで合せ鏡を覗いているように、手前から奥に向けて順々に光るライトは、どこか天国か地獄へ続く階段のように思えた。
『ようこそ、死ぬ覚悟はしてきたかな?』
二人は当然、その場所へ入る前に変身を終えている。
春香は水月に、凪沙は衣通姫の姿になっている。
「俺たちは死なない」
「うん」
『この先には、大きな実験場が用意してある。そこに入れば、君たちは私の作品と対面することになる』
「約束は忘れていないな?」
『もちろん、私は約束を反故にするような無粋さは持ち合わせていない』
それだけ言うと、黒沢博士は通信を切った。
周囲には静寂が訪れる。
「凪沙、昨日はごめんな」
「いきなりどうしたの?」
「意地を張って、凪沙の言ってくれたこと、考えないようにしてたんだ。壁を作って、もう聞きたくないって」
「別に気にしてない。それに、縁起でもないことはやめて。これじゃあまるで――」
遺言みたいと言いそうになって、口を噤む。言葉にしてしまったら、本当になってしまいそうな気がした。
「敵を倒そう。そして、今度また、一緒にゲームしよう」
「なにそれ、そこはデートとかじゃないの?」
昔から春香はゲームが好きだった。それが分かっているから、凪沙はその言葉が冗談ではないと分かっていた。
そして、その言葉を聞いて、笑いがこみ上げてきた。
「うん、これが終わったら、ゲームしよう」
「そういえば昨日【バトル・エクスチェンジ】をプレイしてたら、お知らせとして新しい機能が追加されるって書いてあった」
「そうなの?」
「何でも、キャラクターごとのシナリオが追加されて、対人バトルが解放されるんだって」
意味のない会話をしつつも、春香は緊張していた。それを解きほぐすために、少し先の未来を想像しながら、楽しみにしていることを語る。
二人が経験した襲撃は、命の危険がビシビシと感じられるほど、壮絶なものだった。
迫り来る黒い化け物は、ただでさえ恐ろしい猛獣や蜂を、大きくして邪悪にしたような形をしていた。
『最後の歓談は終わったかね』
「ああ、もう十分だ」
黒川博士の指定した【実験場】までの距離は、歩いて十分かかる長い道のりだった。
『さあ、開幕だ。まだ死なないでくれよ? 最後のお楽しみが残っているのだから』
その言葉で、二人が今まで進んできた道が塞がれる。そして、体育館のような広さのある【実験場】では、それまで檻に入っていた黒い生物が解き放たれる。
「グラァァァァァッァァ」
周囲に獣の咆哮が響き渡る。
虎や熊などの猛獣、今まで見たことのない怪獣から、前に戦った蜂を更に巨大化させた生物まで、広場を満たす勢いで押し寄せてくる。
「はっ」
春香が右手に持った剣を振りながら、まずは目の前に迫った化け物を切り伏せる。
――キン。
凪沙が二本の短剣を打ち合わせると、澄んだ音が周囲に響く。
「「ッガアアアオオオオ」」
それと同時に、凪沙の前方へ扇状の破壊が広がっていく。
「凄いな」
「私も、自分で驚いてる。けど……」
凪沙の攻撃は、膨大な数の化け物を倒していた。
それは、ひとことで言えば蹂躙とも言えるレベルで、圧倒的な戦闘力を見せ付ける。
「連発は出来ないみたい。使えるのは三十秒後」
「そうだろうな……」
十体以上を倒した凪沙の攻撃は、しかし後続から湧き上がる化け物の前では、一割も倒せていないと思われた。
春香は近くに迫る敵を、ちまちまと削っていく。
数が多いのを考えれば、晴嵐で戦うという選択肢もあったが、近距離の戦いが壊滅に苦手という性質を考えると、キャラクターを変更することは出来なかった。
「なかなか、しんどいな」
「うん」
キャラクターに変身しているとき、二人の身体能力は人間の限界を超えている。
思い切り地面を踏みしめれば、十メートルの距離でさえ一瞬で詰めることが可能になる。
それでも、まだ二人には余裕があった。一撃で確実に敵が倒せるから、すれ違いながら場所を変えて切り伏せて行く。
『足の踏み場に気をつけろ』
戦場には、二人の舞姫が踊っている。
肉体を操作しているのが、キャラクターであるのかも分からないほど、二人は気持ちよく駆けていた。
周囲には血の香りが満ちているが、それを不快と感じることなく、むしろ沸き立つような闘争心を感じていた。
頭の中に聞こえる水月の声は、春香が考えもしなかった戦場の様子を、正確に教えくれる。見れば、倒してきた化け物たちの死骸で実験場は既に埋まりそうな勢いだった。
ただし、残っている化け物の数は、既に目算で数えられるほどになっていた。
「これで、終わりだ!」
落ちる勢いを利用しながら、膨大な数を切り伏せたとは思えないほど、切れ味の良い剣で化け物を頭から両断する。
時間差を置いて、熊の姿をした化け物は、左右に捌かれて倒れてしまう。
『お見事』
振りかぶる勢いで、春香は剣に付着した血を吹き飛ばす。びしゃりと音を立てて、剣から液体が削ぎ落とされる。
「まだ、最後に何かあるんだろう?」
『そう、これは私の取って置きだ』
――。
世界から音が消える。いや、耳では聞こえない周波数で、とてつもない音量がプレッシャーのように春香たちを襲う。
「ぐぅ」
血塗られた手で、それを気にする事なく二人は耳を押さえる。
「な、に?」
突如として、耳鳴りのような痛み。それは十秒ほど続き、そして収まった後もしばらく音が聞こえなくなる。
実験場の中心が、円形を半分にしたように割れる。それはリフトになっており、どす黒く巨大な翼の生えた生き物を乗せてくる。
「ドラゴン?」
『ワイバーンと呼んでくれ』
それは御伽噺に出てきそうなドラゴンに見えた。大きさは約十メートルほど、長い尻尾を地面にペチンと叩きつけながら、瞳には知性を湛えて睨んでくる。
――怖い。
今までの化け物とは比べものにならない程の敵意。
『さあ、これが最後だ』
「っあああああ」
気合を入れるように、春香は剣を携えてワイバーンに突進する。
「グルウウ」
しかし、ワイバーンは春香を気に掛けることなく、胴体で剣を受け止めた。
視線だけを動かし『何かしたか?』と興味なさそうに、人間を見る。
ぺちん。
振るう尻尾が春香を捕らえ、実験場の壁まで吹き飛ばす。
「っ」
肺から全ての空気が抜けてしまい、呻くことしかできない春香。
脳が揺らされたのか、その一撃だけで継戦が不可能なほどダメージが入ってしまう。
凪沙が短剣を打ち合わせるも、その攻撃すらそよ風のように流される。
――勝てない。
春香と凪沙は、その絶望を感じてしまった。
黒沢 博士はその様子を、楽しそうに眺める。
「これで終わりかい?」
マイクを切った状態で、聞こえることがない呟きを二人に向けて発する。
「やはり、私の研究こそが、一番だと証明されたようだな」
(いや……)
凪沙はもう、立っていることが出来ずに崩れ落ちる。
それを馬鹿にするかのように、ワイバーンはゆっくりと凪沙の前へ歩みを進めてくる。
(ダメ……動けない)
食われてしまうかもしれない。そうでなくても、殺されるのは必至だと直感が伝えてくる。キャラクターとの親和性が上がったことで、ワイバーンから向けられる殺意を自覚できるようになっていたから。
――その様子を、脳震盪から回復しつつある春香は、遠くから眺めることしかできない。
凪沙は死ぬのが怖かった。それでも、自分ひとりだったらまだ受け入れていた。
だけど、自分が死ぬことよりも、何もできずに自分が殺された後で、春香が殺されるのが恐ろしかった。
(どうすればいいの?)
そう思ったときには、ワイバーンが目の前で嗤って立っていた。
(まだだ)
春香は携帯電話を取り出す。
まだ希望があるとすれば、それはもう『ガチャ』以外になかった。
最初に水月を引いたように、この状況を打開できる何かが必要だった。
『十連ガチャを引きますか?』
気になっていた十連ガチャ、黒い背景の上に、赤い文字で警告文が浮かび上がる。
それはまるで、血で書かれているかのように生々しい。
『本当に引きますか?』
くどいほど、繰り返して警告を送ってくるゲーム画面。
『寿命を十年消費します。操作を取り消せませんが良いですか?』
『YES』
SRキャラクター『群雲』。
SRキャラクター『迦具土』。
SRキャラクター『出雲』。
SRキャラクター『織姫』。
SRキャラクター『大物主』。
SRキャラクター『佐久夜』。
SRキャラクター『夜刀神』。
SRキャラクター『百花』。
SRキャラクター『九十九』。
SSRキャラクター『斉天大聖』。
(きた)
『斉天大聖に変身しますか?』
「ああ……やるしかないだろう」
その視線は、人を見下したように鋭く、甘い微笑みを浮かべている。
赤いドレスと羽衣を着て、右手には棒を持って佇んでいる。
――そして、春香は新しいキャラクターに変身する。
『我を呼んだか?』
「ああ、呼んだ」
『何を望む?』
「あの化け物を倒したい」
『良かろうっ』
鈴のように笑いながら、斉天大聖は肉体の制御を春香から奪う。
「はぁぁ」
深く息を整えながら、身を沈めて棒を構える。
「っ」
気力が充実したタイミングで、地面を思いっきり蹴る。
そして、いままさに少女を食い殺そうとしたワイバーンに対し、側面から猛スピードで衝突していく。
『早すぎる!?』
意識がはっきりしている春香は、その光景を見て気絶するかと思った。
背後からは爆音が聞こえ、それは踏み込む足が地面を蹴ったときの音だと気付くのは、さらに一瞬遅れてからである。
思考が加速していくのが感じられ、棒を振りかぶった際に、全てが止まって見えた。
――ワイバーンと、目が合った。
その黒く輝いた瞳に、突き出された棒が正確に刺さる。
「他愛ないのだな」
全てが遅れて見える春香には、ワイバーンが絶命して倒れるまでの時間が、永遠にすら感じられた。
「……」
『……』
「皆の者、どうしたんじゃ? もう終わりなのか?」
凪沙も、黒沢博士すらも、何も言えずに呆然としていた。
手持ち無沙汰になった斉天大聖は、ワイバーンに突き刺した棒を引き抜くと、華麗に棒を振り回して決めポーズを取る。
「ふふふ。我は美しいだろう?」
楽しそうに体を動かす斉天大聖は、ただ無邪気な子供のように笑っていた。