ナギサの邂逅
私の名前はナギサ、この世界に来るまではもう少し長い名前だったと思う。
でもいまはもう思い出せない。
私がこの世界に迷い込んだのは六年前の秋だ。
肌寒さを覚える時期だったことを覚えている。
年齢でいえば10歳の時、小学校五年生だった。
当時私は、親から虐待を受けていた。
父と母が離婚して母子家庭の私は、毎日母から殴る蹴るの暴力を受けた。
おかげで私の服の下はアザだらけだ。母は、新しい若い男と一緒にいることが多かった。
子供の私でも自分が邪魔な存在だと自覚していた。
私はそのことを誰かに相談することはなかった。
だって、情けなくてみっともなくて言えなかった。
私にできることは毎日母の怒りに耐えてやり過ごすことしかできなかった。それが私の日常だった。
その日も散々殴られて外の物置に投げ込まれたことを覚えている。
そして、目を覚ましたとき、私は見知らぬ森の中で目を覚まして途方に暮れていた。
寝ているときにとうとう山の中にでも捨てられたのかと思ったくらいだ。
私はこの森で死ぬのだろうと他人事のように考えていた。
このとき既に私は生きる気力を失っていた。
しかし、私がこの森で死ぬことはなかった。
たまたま、狩りをしていた猟師のおじいさんに助けられたからだ。
私はおじいさんに保護された後、この家へと連れて来られた。
温かいスープと暖かい寝床は、私の冷え切った心に癒してくれた。
私はおじいさんとの会話でここが住んでいた世界ではないことは直ぐに悟った。
そして、不思議なことに私はこの世界の言語を理解していたことに自ら驚いた。
同時に住んでいた世界の言語を思い出せなくなっていた。
自分に何が起きているのか理解が追いつかず、私は困惑する。全ては謎だらけだ。
私が知らない言葉を話せることも、この世界に迷い込んだことも偶然なのか必然なのかわからない。それでも当時の生活に救いを求めていた私にとってこの家での生活は、オアシスだったと断言出来た。だから私は、去年亡くなったおじいさんに大変感謝している。
恨み言があるとすれば、私を残して逝ってしまったことくらいだろう。
おじいさんは、基本畑を耕し、狩りをして生活していた。
山で山菜を収穫したり、川で魚を釣った、薬草もこしらえて村の商人に売ったりもしていた。おじいさんは、物知りの上に働き者だった。
私は、掃除や洗濯、料理の他、雑事を請け負い、年を重ねる度に狩りの仕方や野菜の育て方など、幅広く教わった。
いま思えば、自分が死んでも私一人で生きていける術を教えるためだったのだろう。
あの人は聡明で優しかったから、赤の他人である私を本当の家族のように扱ってくれた。
私が忘れていた家族の温もりを思い出させてくれた。
生きる喜びと自信をくれた。
なのに私はおじいさんになにも返せなかった。
おじいさんが死んだとき私は大泣きした。
私にとっておじいさんは、血の繋がった家族より、家族だったからだ。
そんな大切な家族を失って半年が過ぎ、私が森で狩りをしたいた二週間前。
山菜を採りに出かけたとき、森で座り込んでいる彼を見つけた。
その衣服から、自分と同じ境遇であることは、一目瞭然で、思うところがあった私は自分の方から声を掛けた。
助けはいるか?とそんな言葉を投げ掛けたと思う。
相手は頷き、その後、彼と一言二言会話して私は彼を助けることにした。
あの日私がおじいさんから貰った優しさを返すように。
私はこの二週間で彼が知りたいことを知っているだけ伝えた。
そして、求められた狩りの技術とおじいさんが使っていた装備を一式貸し与えた。
もし死人に口があるならば、おじいさんならそうしたと思うから。
彼の名前はコガネと言うらしい。私より一つ年上の17歳。
冒険者として生きていくことを即決した彼は、いづれ私の手から離れ、この村から出て行くだろう。
だから、私はコガネと距離を置くことにした。
別れの日が寂しくならないようにと――。