それでも俺は生きている
生きるってとても大変だとこの世界に来てから毎日思う。
生半端な気持ちではない。
毎日が生きるか死ぬかの戦争なのだ。
いや、これはものの例えなのだが、、、。
しかし、死活問題である事に変わりわないわけで、、、。
そう、俺は今、森の茂みから見つけたラビットキャットを視界に捉えていた。
白と茶色の斑猫の毛並みに猫のような顔にからぴょんと生えた兎の耳を生やした生き物は、今日の俺の獲物だ。
つまり、狩りの真っ最中というわけだ。
俺は背中に背負った矢筒から一本の矢を取り出して弓に掛ける。
獲物までの距離は約12メートル。
本当ならもう少し近づきたいところだが、あいつらは耳が良く警戒心が強い。
気付かれた時点でアウトだ。
だから、これ以上は近付けないと腹を括ってここから狙いを定める。
正直、弓はあまり得意ではない。
それでも目の前のラビットキャットを仕留めるには、遠距離攻撃しかない。
そうなると投げナイフのスキルも魔法も使えない俺が唯一選べる選択肢はこれ一つ。
だから慎重に鏃の軌道を思い描き集中する。
頼む当たってくれ!
祈る気持ちで俺は、弓矢から指を離した。
放たれた矢は、ラビットキャットに一直線に飛んで行き、願いが届いたのか見事に命中。
俺は茂みから立ち上がりガッツポーズを取る。
しかし、ここからまさかの急展開。
ラビットキャットが悲鳴を上げながら矢が刺さったまま走り出した。
ヤツも生きるのに必死なのが手に取るようにわかる。
それは虫であろうと魚であろうと同じだ。みんな死にたくはない。
我に返った俺は森の中を爆走するヤツを猛追する。
ラビットキャットは、深手だ。
ここまできて逃がしてなるものか。
ただひたすら走る、走る、走る。
茂みを掻き分け、道無き道を進む。
目を凝らし、獲物をがむしゃらに追いかける俺の面は、鬼の形相になっていたかもしれない。
その甲斐あって遂に力尽きたのか、ラビットキャットは大地にうずくまり動かなくなった。
俺は肩で息をしつつ、汗だくになった体で獲物に近付いた。
ヤツは薄っすら目を開けて俺を見つめると、命乞いをするように弱々しく鳴いた。
「悪いな、、」
チクリと痛んだ心を誤魔化すように、謝罪の言葉を零し、腰裏からダガーを鞘から引き抜く。
血抜きをして皮を剥ぎ、獲物を解体する為だ。
初めてではないが、まだ数える程度しかこなしていない為、どこかぎこちない手つきなるだろう。
命を奪う最初の一太刀は、毎回逃げ出したくなる。
この世界で生きる俺は殺すという行為に慣れる必要がある。しかし、それに慣れてしまう自分が怖い。
臆病者と心中で己をなじり、苦笑を浮かべた。
生唾を飲み込み、刃物を握る指に力を込める。
躊躇いながら覚悟を決めた時、近くの茂みがガサリと揺れた。
俺は動きを止めて警戒の色を瞳に宿した矢先、それと視線がぶつかった。
話には聞いていたが見るのは初めての人型の魔物――。
醜い皺くちゃな顔に緑色の肌。
血のような赤い瞳に蛮族に相応しい木の実で作った首飾りをしていた。
左手に水筒らしき皮袋、右手には刃こぼれしたショートソードを所持している。
お互いに意表を突かれた為、何の反応もできないまま、俺たちは見つめ合った。
先に動いたのはゴブリンだ。ヤツはいきなり雄叫びを上げ、手に持っていた水筒を投げ捨てて俺目掛けて駆け出してきたのだ。
まじで? と動揺する俺。
血走った赤い眼が、殺意で溢れているのがわかる。
それに触発されて慌ててダガーを構えて迎え討つ。
やるしかない!
相手の斬撃を受け止めて下りながらお返しと刃を走らせるが、空を斬る。
舌打ちしつつ、斬撃の応酬に戦慄が走った。
逃げ腰気味の俺は心臓が破裂寸前。
斬られたら痛いじゃ済まない。拮抗しているバランスが崩れ、一気に形勢が不利になる。
その先にあるのは明確な死だ。
そう、死ぬのだ。簡単に、呆気なく。
こんなところで?
後退しながら戦っていた俺は、木の根に足を取られてバランスを崩す。
しまったと思った時には尻餅を着いていた。
それを見たゴブリンが邪悪な笑みを浮かべる。
ゴブリンから振り下ろされた剣先を間一髪、横に転がりながら回避。
無我夢中だった。必死だった。
俺は咄嗟に握り込んだ砂を力任せに投げ付けた。
それがヤツの目に入り視界を奪う。
チャンスだ!
俺は言葉にならない雄叫びを上げて立ち上がり、ダガーをヤツの腹目掛けて突き刺す。
両手持ち捻じ込んだ切っ先は、ゴブリンの腹に潜り込み、深々と突き刺さる。
そのまま勢い余ってヤツを押し倒した俺は、ジタバタするヤツを逃さないように馬乗りの姿勢をなんとか保ちつつ、ダガーを引き抜いた。
緑色の体液が飛び散る。
ゴブリンの血は俺たちと違い緑色なのだ。
だか、そんなことはどうでもいい。
もがき足掻くゴブリンを逃すまいと力の限りダガーを振り下ろす。
暴れるせいで狙いがそれてヤツの肩に刺さった。
俺は慌てて刃を引き抜き何度も何度も切っ先を振り下ろす。
死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!
俺は親の仇を討つように呪詛を唱えながら殺意を込めた。
緑色の体液が俺の顔や軽装の革鎧を汚していく。
両手が疲労で上がらなくなったとき、ゴブリンはとうの昔に事切れて動かなくなっていた。
俺は、それから暫く目を逸らすことができなかった。
まだヤツは生きているんじゃないか、死んだ振りではないかと、疑ってしまう。
強く握り込んだダガーの柄から指を放そうとするが、固まった指がそれを拒む。
時間を掛けてゆっくりと解放した俺の指はガタガタと震えていた。
いや、震えているのは指だけじゃない。体全部が震えているのだ。
この震えはいつまで続くのだろう?
震える両肩を自分で抱きながら、俺は自然と涙を流した。
こいつを殺した瞬間、緊張の糸が切れ、大切な何かを失った。
そんな気がして、俺は声を噛み殺して泣いた。
この世界に迷い込んで二週間目にして、初めての大金星を挙げた瞬間だったが、それ以上に辛くて涙を零した。