4 鬼ごっこの始まり
「……もう暗くなってるよ」
ようやく警察から解放された私は、疲れきって家にたどり着いた。
「ただいま……」
中に入ると、玄関には今日もくりおの靴だけしかなかった。
くりおは、本来私がやるはずだった夕食の用意をひとりでやってくれていた。
――まったく、小学生だというのによくできた弟だと感心する。
私はとりあえず電話で探偵部のみんなと連絡を取り合った。
それが終わると、私はすぐに二階へ駆け上がる。
勢いよく扉を開けて自分の部屋に入った瞬間、ベッドの上で丸くなっていたハゲ猫が物憂げに頭を上げた。
「――遅いぞ馬鹿者。わらわの食事の用意はどうした」
ベッドから飛び下りたスフィーがいきなりそう口をきいた。――正確にはテレパシーのようなもので、私にしか聞こえていないが。
「……ただいま、スフィー」
すでに猫との会話が当たり前になっているので、私は別に驚きもせず答える。
「まあ遅くまで捜査に熱心なのはよい心がけだ。なにしろ早く事件を解決せねば命にかかわるのだからな」
そう言いながら前足で顔を洗い始める。アーモンドのような目には、しっかり目やにが溜まっていた。
――どう見てもただのハゲ猫にしか見えないこのスフィーは、実は猫ではなくスフィンクスだ。といっても猫種の話ではなく、エジプトのピラミッドの横に鎮座しているアレの事だ。
死んだお母さんが考古学の発掘調査でピラミッドを荒らしたせいで、私には呪いがかけられていた。ピラミッドの守護者スフィーは、その暴走した呪いを消去するために猫の身を借りて私を守りに来たのだ。
「解っておるな? このままではおぬしや周囲の人間に確実に破滅や死が訪れる。それを防ぐにはわらわの鋭敏な頭脳と、ついでに貧弱なおぬしの力で事件の犯人を暴き出さねばならぬのだ。呪いの災いが強くならぬうちに、さっさと捜査を済ませてしまうのだぞ」
スフィーは四つんばいの癖にふんぞり返らんばかりの態度で言った。
――そう。今回の事件はすべて呪いが原因で引き起こされたものであり、その裏には『呪いに囚われて事件を起こした犯人』というものが存在する。
「――スフィーの言い方は気にいらないけど、確かに早く犯人を突き止めないとね」
犯人を明かして事件の真相を突きつけなければ、呪いは打ち破れないのだ。
もし事件解決が遅れたら増大した呪いが降りかかり、私が犯人として警察に捕まったり――あるいは犯人に殺されてしまう可能性が高い。
「それでひねり、ムツ調査の首尾はどうだった? 速やかに結果を報告しろ」
スフィーの言葉を聞いて、私は力なくへたりこんだ。
「それどころじゃなかったんだよ……」
私は部室に生首が置いてあった件を説明した。
「それで第一発見者として、私も柴皮先生も警察に連行されちゃって……。さっきまでずっと警察署でしぼられてたんだから」
なにしろ生首が置かれるほんの直前まで、私一人で部室にいたのだ。当然私が警察に怪しまれてしまった。
「おぬしが職員室に行って帰ってくるわずかの間に、首が置かれたのか……」
スフィーはしばらく考えこむ。
「ひねり、その事件当時の現場の状況はわかるか?」
「うん、今電話でも確認したから大体わかるよ」
探偵部のみんなは、私が警察に連行されてからも捜査を続けていた。それによって判明した事も含めてスフィーに説明する。
「まずは部室の状況からね。あ、部室があるのは校舎一階のほぼ真ん中あたりだよ」
「うむ、無門学園は事前に下見してある。校内は全て把握済みだ」
私は頷いて続けた。
「部室と資料室の窓は全部鍵がかかってた。あと資料室の扉もね。――つまり資料室には鍵を持ってなければ入れなかったの」
「校舎裏から窓を通って侵入した形跡はないのだな?」
「うん。でも肝心の入口がずっと開きっぱなしだったんだから、窓に鍵がかかってても意味ないけどね」
スフィーはかぶりを振った。
「いや、意味はあるぞ。窓から忍びこめるか否かでは大違いだ」
……そのへんの面倒な推理はスフィーに任せて、私は説明だけに集中する。
「それから廊下にある方の窓だけど、こっちも全部鍵がかかってた。しかも中庭には話しこんでた集団もいたし、ここの窓を乗り越えて廊下に下りたなんて考えるのはナンセンスだよね」
「ふむ、なるほど。まあそこは鑑識が調べればわかる事だからな」
もしそんな侵入の形跡があったなら、鑑識結果の情報を得たユイさんが伝えてくれるはずだ。
「まあ、考えられる経路は廊下のみと断言していいね。だけど――」
私は一瞬言葉を切る。
「その廊下を通るって行為が難しいんだよね。途中には人がたくさんいたし、そもそも犯人が生首なんか持って通れるわけがないんだよ」
「果たしてそうかな?」
スフィーが面白そうに言う。
「そうだよ。だって廊下の端にある出入口の両方で、運動部の人達が立ち話してたんだから。あの廊下は校庭を目指す運動部員の通り道なんだよ」
実際あの付近はあまりにも人目が多すぎる。
事件当時は『誰にも見られずに廊下に入る事』すら不可能な状況だったのだ。
「階段前にだって生徒がいたし、その上途中にある教室のほとんどに人がいたんだよ? しかも扉は開けっぱなしで。そんな教室の前をいくつも通るなんてできる? 犯人が生首を持ったままで――」
「わかったわかった。結局どのルートから廊下に入るにも、必ず人が何人もいる場所を通り抜けないといけないという事だな?」
「うん。もちろんみんな口をそろえて『不審な人は通らなかった』って証言してるよ」
「わかっておる。そうムキになるな」
スフィーが笑いを噛み殺しながら私をなだめる。
「スフィーがずっとニヤニヤして、私をからかうから」
さすがに私もふくれて言う。
「……で、スフィー。こんな状況でどうやって誰にも姿を見られずに、部室に生首なんて置けるのかな?」
その疑問には答えず、スフィーは考え始めた。
一方私は考え始めるとっかかりすら見つからなかったので、やがてぽつりと呟いた。
「……やっぱりあの鬼みたいに、自由自在に移動できるのかな……」
「なんだそれは?」
その言葉にスフィーが反応する。
「この無門台には、『首盗り鬼』の伝説ってのがあるんだよ」
私は愛子に聞いた話をそのまま伝えた。
「――ああ、そういえばあったな。思い出したぞ」
そう言ってスフィーはいかにも楽しそうな表情をする。
「スフィー、何がおかしいの?」
「面白いではないか。ならば鬼ごっこといこうか」
「え?」
私は驚いて聞き返す。
「神出鬼没の鬼とやらを見事捕えて見せようではないか。わらわたちの力でな」
そう言ってスフィーは不敵に微笑んだ。