コミュニケーション
インターネットの普及にともなってコミュニケーションの取り方が分かっていない若者が増えていると言わざるおえない。と言ってもすべての若者がこういうことにあてはまるかと言えばそうではない。基本的に時代は一方方向にしか動かず、若者たちが何か自分たちと違うことをやりだすと『最近の若い連中は・・・。』と言う年寄りたちがいることは古今東西、どんな時代においてもありうる話ではある。
だからこの手の話題をするときはインターネットという新しい文明の利器を受け入れずに全否定した上でものを言うのは少し違うと思う。
スマートフォンやタブレット端末の普及に伴って、コミュケーションの方法は昔と違い、直接会って話さなくても良くなっている。これを使いこなしているのは紛れもなく若い世代であり、年寄りではない。
ボクもそう言った文明の利器を使っている方だから、これらのことを全否定するつもりはない。
正しい使い方をすれば実に便利なものなのだ。
しかし、物事にはなんでも基本的なやり方というものがある。
基本をおろそかにすればそれ自体うまく行かない。スポーツを例にとって言えば分かるだろう。上のレベルでプレイする選手になればなるほど基礎の反復練習を怠らない。そうした基礎練習の土台の上に我々を魅了するスーパープレイがあるのだ。
これをコミュニケーションに置き換えてみよう。言うなればLINEなどのツールはコミュニケーションの応用部分である。
こういったことの基礎は実に直接会って話すことではないだろうか。
直接会ってコミュニケーションをとることのできない人間に高度なコミュニケーションツールを使いこなすことなどできないに決まっている。個人的な意見だがボクは高校生がスマートフォンを持つことには大反対である。コミュニケーションの基礎ができていない彼らがそのようなもので仲間内でのコミュニケーションを図ろうとするから変な事件が起きるのだ。
用事があるなら家に電話すればいい。
友人の両親が出たら代わってもらえばいいじゃないか。
どうしても内密の話がしたければ、学校で呼び出して直接話せばいいじゃないか。
そうやって基本的なコミュニケーションの中で多くを学んでいけばよいのだ。
LINEには『既読』という便利な機能がある。それは送ったメッセージが相手に届いたかどうかを知らせるものである。ただ、『既読』になったからと言って、相手には相手の事情があるのだ。返信は遅れるかもしれない。この機能は読んでくれたことを確認する機能であり、読んだから確実にすぐさま返事をしなければいけないものではないのだ。
メッセージを読んですぐさま返事が返ってこないことを『既読無視』と言うらしい。
それは相手の事情を全く無視した幼くて未熟な精神性がそこに現れていると思う。
はっきり言って実に愚かである。
相手から返事が来ないと言って怒る暇があるなら、直接電話をして用向きを言えばいい。彼らはそれができないから怒り、本来仲間だった友人をいじめるのだろう。
つまり高校生以下の子供たちにそういう道具を使わせるのは間違いだ。
彼らがこれらの道具を使うのは10年早いのだ!
にもかかわらずそれを使わせようとする大人がいる。使う子供より使わせる大人が悪い。
世の中、何かがおかしい。