01 伝ゆ
「あ。」
微かに声があげられた。方を見る。ツインテールの女の子。そういえばうちのクラスに居た気がする。
わずかに向けた視線を、すぐにまた、窓の外に広がる光景に戻す。
彼女も、窓の外も、僕には関係のない世界だ。
軽々と上がる白球。年季の入ったあれは、もう白くなんてない。しかし空に浮かぶ白よりも白く感じるのは何故か。
ふと、背後の空気が揺らぐ。
彼女は後ろの席だったらしい。忘れ物でも取りに来たのか、じじ、と鞄のジッパーを開閉する音がする。
グラウンドでは、とり逃されたボールが、わずかの休息を得ようと遠くに転がってゆく。
学び舎としての本日の役割を終え、静寂に満たされた教室。しんとした教室にふいに声が響く。
「ねぇ。」
静寂を乱さない程の、ごくごく、小さな声。
その声は誰に向けられたものか。
おそらく、ここには居ない僕に向けて。つまりは自分自身へとつぶやく言葉か。
「死ぬってどんな気分。」
世間話をするかのような声の調子で、彼女が僕の机にむけて発する。当然、僕は返事などしない。
窓の外に広がる光景。心地よい汗を流す、スポーツの声。
あれから時間の過ぎてしまった僕の記憶は、うつろである。あの時どんな気分だったのだろうか。もう、わからない。
「悲しかったよね。」
用が済んだのか、彼女が横を通るのが感じられる。だが、通り過ぎはせず、僕のすぐそばに、彼女は立ち止まったらしい。目の端に、机のふちをなぞる細い指が映る。僕の視線は、その指から手首、腕、肩、そして伏せたまつげへと誘われる。何もない僕の机を見下ろす、無感情な彼女の瞳。その瞳を縁取る繊細なまつげ。
はたして僕は悲しかったのだろうか。もう覚えていない。
「きっと未練とかもあったんだろうね。」
やり残したことはあった気がする。いや、確かにあった。たくさんあった。
しかし、もはやどうでもいい。僕を認識しなくなったこの世界で、何をしようとも、何を伝えようとも、なんの意味もない。
役割を終えた僕は、ただ何にも逆らわずに静かに還ってゆく。
もう、そう決めたはずだった。
のに。
彼女の視線が、ふいにあげられる。その深い黒は、逃げそこなった僕の瞳を、心をまっすぐに捕えた。
「だから、あなたは、まだここに居るのよね。」
そういって、彼女はなぜかにやりとほほ笑みかけた。
ばしっと音がし、白球が、構えられたミットへと収まった。