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Papagena  作者: 来生尚
SIDE STORYS
99/99

番外編:「そうだ、京都、行こう」11

 連休最終日、今日、また別々の場所に帰る事になる。

 新幹線の時間は19時2分。

 自宅に帰る時間が遅くなるからもっと早い時間にしたほうがいいと言ったのに、優実はこの時間を譲らなかった。

 本当はもっと遅い時間が良いとさえ言う。

 新幹線ではなく、夜行バスを使いたいとも。

 少しでも長く一緒にいたいのに。

 言葉にしなくても、その思いが伝わってくる。

 一緒にいたい。そばにいたい。

 でも今はそれは叶わない。

 そして、優実が一人で夜行バスに乗るのも、遅い時間の帰宅になるのも、どちらも許容できない。

 だから19時2分の新幹線。これがギリギリ譲れる線だった。

 優実が妥協線として出してきた「早めの夕食を一緒に」食べたけれど、優実の顔は曇っていく一方だ。

 あちこち見て回っている時には、嬉しそうに笑って、楽しそうに目を輝かせていたのに。

 だけど、今のその気持ちを責める事は出来ない。

 離れがたいのはお互い様だから。

 美味しいはずなのに美味しいと思えなかった食事を終え、どこにでもあるチェーン店のコーヒーショップへ入る。

 一緒に働いていた頃に、職場のそばにあって何度も通ったコーヒーショップと同じ店。

「いつものでいい?」

「うん。ありがとう」

 必要なこと以外だと会話が途切れてしまう。

 もともとお互い饒舌なほうではないので、普段から別れの時が近付くと、会話が減ってしまう。

 淋しいという感情を無理やり取り繕う事を止めたのは、いつからだろう。

「席、空いたから座って待ってるね」

 優実が離れていくのを目で追いながら思う。

 結婚するのは決めている。

 入籍する日も決めている。

 結婚式をする日も、ほぼ決まっている。

 それなのにどうして、こんなにも欠乏感が募るんだろう。

 離れて暮らしているということが、どうしてこんなにも耐えがたく淋しいんだろう。

 優実のことを思うと、仕事を辞めさせるのは自分勝手すぎると思う。

 だけれどそれでも、今すぐ一緒に暮らしたいと思う。

 一時期一緒に生活する事に慣れてしまったせいかもしれない。

 カッコつけて優実のためにって引いたけれど、やっぱりわがままを押し通してしまおうか。

 そんな気持ちさえ湧き上がってくる。

 もしも、今すぐ仕事辞めて一緒に暮らそうって言ったら?

 もしも、今すぐ籍を入れようって言ったら?

 今週は東京に出張があるから、また週末には会えるにも関わらず、今目先の「別れ」に耐えられない自分がいる。

 ふと、椅子に座った優実と目が合う。

 心の中の淋しさを誤魔化すために笑みを浮かべて、大丈夫だと自分に言い聞かせる。

 大丈夫。

 まだこの気持ちに蓋をしておける。


「金曜日、泊まってく?」

「いや、前日から帰ってもいいかな。遅くなるかもしれないけれど」

 コーヒーカップを置き、優実がこくりと頷く。

「遅くなるのは構わないの。りょうが大変じゃなければ。木曜日から日曜日までいられる?」

「うん。大変じゃないから、木曜日に帰るよ」

「今日が月曜日だから、明日、明後日、明々後日? うん。頑張れそう」

「頑張る?」

「うん、頑張れる。りょうにまたすぐ会えるから」

 はにかむように笑う優実の、テーブルの上に置かれた手を握る。

 細い指先には送ったリングが二つ輝いている。薬指と小指に。

「木曜日、晩御飯何作ろうかな。遅くなっても胃にもたれないようなもの、考えておくね」

「優実だって仕事があるんだから、そんなに気を遣わなくていいよ」

「つかいたいの。だからつかわせて。それにね」

「ん?」

「何作ろうか考える時間も楽しくて好きなの」

「わかった。ありがとう」

 きっと会えない時間を埋めるために、優実なりに色々考えてくれているんだろう。

 それでも……。

「帰したくないな」

「りょう?」

 顔を上げて、まじまじと見つめてくる。

 まるで意外だといわんばかりに。

 帰したくない。

 引き止めたい。

 このまま、こっちで暮らせばいいのに。

 子供じみた執着から生み出されるワガママが、心の中に広がっていく。

 けど、それを口にする事はしない。

 こういう事になるとわかっていながら、あの日、それでも優実と別の場所で暮らす事を選んだのだから。

「一緒に同じところに帰れるように、頑張るよ」

「……うん」

 泣き笑いのような表情を浮かべる優実を見て、少しでも早く一緒にいられるようになりたいと思った。

 こんな顔をさせてしまいたくない。

 こんな表情をさせたくなくて、守りたくて、優実のそばにいたいんだから。

「そんな可愛い顔しないで。本当に帰せなくなる」

 ここが外じゃなかったら、今すぐ抱きしめるのに。

「帰さないって言ってくれたらいいのに」

 珍しいワガママにあれ?っと思う。

 真面目で仕事を休むなんてっていう普段の優実からは、絶対に出てこない言葉だ。

「じゃあ、帰らない?」

 自分で口にした言葉に、胸がとくんと鳴る。

 ドキドキドキと、鼓動が早くなっていく。

「帰さない?」

 再び優実が聞く。

 そうか。そういうことか。

 ふっと笑みが漏れる。

「帰さない。明日は休んだら?」

「りょうも明日休むの?」

「ごめん俺は会議があるから休めないけど、午前半休なら取れるよ」

 ごくりと唾を飲み込む音が耳に響いた。

 こんな事優実が言い出したことも初めてだし、帰さないなんて言ったのも初めてだ。

 本当に本気で帰さないよ。どうするの?

 そんな思いを込めて優実を見つめる。

「あのね、新幹線の指定席が」

「うん」

 そうだね。指定席だもんね。

 言ってみたものの、というところだろう。

 真面目な優実が、仕事をあっさり休めるとは思っていない。

 一瞬期待したけれど、逆にここで思いとどまってくれてほっとした自分がいる。

 本当に帰らないなんて言われたら、カケラだけ残っている自制なんて吹き飛んでしまう。

「明日に変更できるのかな。出来なかったら自由席で帰ればいいよね?」

「……優実?」

「まだライトアップしたお寺で見たいところもあるし」

 ガタガタっと音を立てて、目を合わせずに優実が立ち上がる。

 カップの載ったトレーを優実が手に取ったところで、その手首を掴んだ。

「ゆう?」

 焦ったような顔でこちらを向いた優実の顔は、なんとも表現しようの無い顔で、ぎゅーっと心を掴まれた。

 その手からトレーを奪い取り、テーブルの上に置く。

「帰さないって言ったよ」

「……うん」

「予定の新幹線まではまだ時間があるから、急いで変更しなくてもいい。それよりは今日はどこに泊まろうか。そっちを先に決めよう」

「りょう」

「んー?」

「りょうのこと、困らせてない?」

 そっか。それが一番心配だったのか。

 だから焦って急いで既成事実にしてしまおうとしたのか。

 自分の良心を誤魔化すために。

 そして、断られないようにするために。

「困らせてないよ。寧ろありがとうだけど?」

「どうして?」

「俺がワガママ言ったんだし。あと一日付き合ってくれてありがとう」

 もう一晩、腕の中に優実を抱いて眠る。

 けれど、明日はきっと向こうに帰せる。

 一日でも早く優実のそばに帰るために、仕事をしないといけないから。

 でも今は一晩だけの猶予を。

 残された時間を十二分に楽しもう。

「さ、どこに泊まろうか?」

 ガイドブックをコーヒーショップのテーブルに広げると、優実がほっとした顔をして、飲みかけのコーヒーに手を伸ばした。

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