番外編:「そうだ、京都、行こう」5
【大阪18時半-3】
思いっきりどよめきが起こった。
多分周囲もこの会話に聞き耳を立てていたのだろう。
この騒動のど真ん中にいるはずの今野さんは、自分がどよめきを起こしたとは気付いていない。
「可愛いって」
絶句しつつ呟いた経理の同期に、今野さんは笑みを返す。
「可愛いですよ」
自分が言われたわけではないのに、その笑みに頬が赤くなる。
こんな素敵な笑顔で可愛いなんて言われたら、絶対正気を保てない。
そう思うのは私だけではないらしく、キャーという悲鳴がどこからか上がる。
絶対今野さんの発言と笑顔のせいだと思うけれど、今野さん本人はいつもの笑顔のまま。
「もしかしてモデルさんとか?」
もう一人の同期が聞く。
うん。今野さんが可愛いっていうくらいだから、きっとすごく可愛いんだろう。
モデルとかでも不思議じゃない。
「いいえ。違いますよ。普通のOLですよ」
またどよめきが起こる。
今野さんが発言するたびに、空気が大きく動く。
まるで台風のように。
そして台風の目のように、今野さんの周りだけ空気が凪いでいる。
涼しげに、自分がこの騒ぎの中心にいるなんて気がついていないようで、いつものように微笑んでいる。
「じゃあすみません。失礼します」
何て質問しようって考えている一瞬の間に、今野さんはさらっと輪の中から抜け出す。
そしてPTの他のメンバーに肩を叩かれ、声を上げて笑っている。
会話は耳には入ってきたけれど、可愛い彼女の衝撃が大きすぎて、頭には入ってこない。
やっぱり彼女、いたんだ。
経理の同期の言うとおりだったんだ。
あんなにかっこいい人がフリーなんてありえないもんね。
そうだよね。そうだよね。当たり前だよね。
しかも可愛いんだ。普通のOLなのに。
今野さんと並んでも遜色無いくらいに可愛いってことだよね。
「はあっ」
「ちょっとっ。何の話、してたのっ」
溜息とかぶさるように、後ろから声を掛けられる。
周囲で聞き耳を立てていた女性陣が一気に押し寄せてくる。
台風の目はいなくなったのに、新たな台風がきたらしい。
「今野さんがこの後彼女と約束があるって話」
「まじかっ。やっぱりそうかー」
経理の同期の発言に、がっくりと肩を落した人と、目をキラキラと輝かせている人に分かれる。
気分的には私もがっかり組。
わかっていても、現実を突きつけられるとかなり厳しい。
自分が今野さんとどうこうっていう風に思っていたわけじゃないけれど、でも……。
「彼女いないわけがないよね」
溜息交じりに呟いた言葉が、うんうんと周囲の同意を得る。
「だよねー。やっぱりって感じ」
その言葉に首を縦に振ったものの、でも、と思ってしまう。
でも、遠距離だし。でも、まだ結婚しているわけじゃないし。でも、付き合い長くないみたいだし。でも……。
視界を巡らせて、今野さんを探す。
立食形式で、部のほとんどが参加しているから、人垣でなかなか見つけることが出来ない。
けど、奥の方で課長と主任と話している。
遠くから見てもカッコイイ。
背がすごく高いわけではないし、極めて特徴があるわけじゃない。
黒系のスーツにブルーのネクタイ。
どこにでもいる、普通のサラリーマンと同じような格好。
ふと、視線が合ったような気がした。
こちらをたまたま見た今野さんの視線が、ふわっと和らいでニコリと口元を上げた。
わたし? わたし??
一気に頬が熱くなる。
諦めなくてもいいって事?
落ち込んでいた気持ちが、一気に上がる。
驚いて固まってしまったわたしには気がつかなかったのか、いつものように穏やかな笑みを浮かべながら今野さんは課長と話している。
あんなふうに穏やかな人と一緒にいられたら、すごく幸せだろうな。
かっこよくて誰もが振り返るような人と一緒にいるって、一体どんな感じなんだろう。
でも周りなんてどうでも良くって、今野さんばかり見つめちゃいそう。
あの笑顔が自分だけに向けられたら、それだけで他の事なんてどうでもよくなりそう。
「彼女どんな人なんだろうね」
「あー。それすごく気になるわ」
「だよねー」
周囲の会話にはっとする。
そうだ。彼女いるんだ。しかも可愛い彼女。
一瞬盛り上がった気持ちがシュンっと萎える。
この後彼女と約束があるって言うし、やっぱり無理なのかもしれない。
みんなが「今野さんの彼女」について盛り上がるのを聞きながら思う。
どうして目が合うと笑ってくれるんだろう。
それを特別だって思うのは、勘違いしすぎなんだろうか。
でも、本人に確かめる勇気なんて無い。