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Papagena  作者: 来生尚
続編:Long Island Iced Tea
87/99

挿話:一番近くの傍観者・7

 月曜日の朝、こっそり加山さんに結納したのかどうか聞いちゃおうかなーなんて思っていつもよりも早く出勤した。

 何となくイントラネットの情報を見ながら加山さんの出勤を待つ。

 朝でも昼でも変わらぬテンションの田島さんが出勤し、それでも加山さんはやってこない。

 何となく眺めていた新着情報の中に『人事速報』の文字。

 それをクリックして一覧の中に同期や支社の人がいないかを探していく。

 本社、支社と眺めていき、その中に見知った名は無い。

 今回は特に異動はいないのかーなんて思いながらグループ会社への転籍者・出向者の一覧を眺めて手が止まった。

 思わず体を乗り出してパソコンの液晶画面を食い入るように見つめる。


 --関西本社マーケティング部新規プロジェクト担当 今野綾也


 その文字を何度か眺める。

 新部署と名前の後ろには間違いなく、今の支社の名前と営業部営業課と括弧書きが加えられている。

 間違いなく、あの今野さんだ。

 何故今野さんがっ。

 俺は大慌てで村田さんや信田さん、それから田島さんや飲み会の「いつものメンバー」にメッセンジャーでメッセージを送った。

 人事速報見ましたかって付け加えて。

 戻ってきた返事は様々で、けれど誰一人としてこの事実を知っていた人はいなくて、営業課の室内には驚愕のどよめきが広がっていった。

 ちょうど出勤してきた石川さんを捕まえて、田島さんが人事のことを話している。

 けれど話題の二人は未だ出勤してこない。

 普段ならとっくに出社している時間にも関わらず、どちらも姿を現さない。

 やきもきしていると、まずは今野さんが、しばらくしてから加山さんが出勤してくる。

 加山さんのパソコンが立ち上がったのと同時にメッセンジャーで人事のことを送ったけれど、妙にあっさりとした返事が返ってきた。

 何でそんな平気な顔してんだ?

 お昼にも今野さんの異動のことを聞いたけれど、人事で決まったことだから仕方ないですよねという優等生な返事しか引き出せない。

 ほんのり顔色も悪い加山さんは、口とは裏腹にとても動揺しているように思えた。


 その日は当然のように飲み会になった。

 今野さんの異動のことを誰しも聞きたいと思っていたから、当然の流れだろう。

 いつもは加山さんにべったりの今野さんも、今日ばかりは加山さんから離れて話題の中心として色々話をしている。

 けれど今野さんも加山さんも、仕事の事以上の事は何も口にはしない。

 やれ引継ぎがどうだとか、関西に行ったらどうだとか。

 仕事の事ももちろん大事だけれど、俺的には「それだけかよ」みたいな肩透かしを食らった気分になる。

 隣に座る加山さんに、今野さんのこといいんですか? なんて聞いてみたいけれど、何となく聞けない雰囲気で、田島さんや荒木さんも加山さんの顔色を窺って言い出すタイミングを探しているようだけれど、聞けないままに飲み会は進んでいく。

 当たり障りの無い話に終始していると、石川さんが煙草を吸うためにと加山さんを連れ出す。

 おおっ。石川さんが動いたっ。

 もしかして何か聞くつもりなのか?

 そう思ったのは俺だけじゃなかったようで、田島さんがこそっと俺に耳打ちする。

「聞くと思う?」

「じゃないですか? わざわざ加山さんだけを誘ったんですから」

 決して大きな声で言ったはずではないのに、何故か今野さんと目が合った。

 えっと、もしかして地獄耳ですか。今野さん。

「ちょっとトイレ行ってきます」

 そう言って立ち上がった今野さんは、確かにトイレ方向に歩いていった。しかしそれは入口と全く同じ方向なんだよな。

 加山さんは石川さんと店の外の灰皿へ行ったはずだ。だから敵情視察を兼ねてだろう。

 田島さんと二人で内心わくわくしながら(でも見に行く度胸は無い)三人が帰って来るのを待っていたけれど、しばらくして石川さん、その後に今野さんが加山さんの手を引いて戻ってきた。

 奪還成功ですね。今野さん。

 心の中で突っ込みを入れるに留め、決して口には出さなかった。

 そんな事を口にした日には、黒今野が発動してしまう。

 今野さんは当然のように自分の隣に加山さんを座らせる。

 がっちりガードですね。今野さん。

 けれど決して口には出さずに、心の中でだけ突っ込みをいれておく。

「お前らさあ、そんなにベッタベタなのに離れて平気なわけ?」

 確かにラブラブです。正直バカップルという称号さえ与えてもいいんじゃないかとさえ俺も思っています。

 若干投げやり気味な石川さんの言い方に、信田さんが眉を顰めた。

「例えばさ、ゆうに仕事辞めさせて一緒に連れて行くとかしなくていいわけ? それか既成事実作っちゃうとかさ」

 加山さんのことを敢えて「ゆう」と呼んだように感じた。

 最近絶対に加山さんをそういう風に呼んだりしていなかったのに。

 呼び方が気に入らなかったのか、はたまた石川さんの言いっぷりが気に入らなかったのか、今野さんの笑顔も微妙に崩れる。

 それはともかく、今野さんの加山さんに対する凄まじいまでの執着を毎日目の当たりにしてるから、確かに石川さんの言う事にも一理あるなと思った。

 片時も離れていたくないというような雰囲気を(主に今野さんから)感じるし、仕事第一の加山さんだって子供が出来たら仕事なんて放り出して今野さんと関西へ行くだろう。

 あ。でもこの二人結納したんだよな。週末に。

 ってことは、別に子供なんて作らなくても結婚するのは決まっているわけだから、異動に合わせて籍を入れるなりなんなりしてもいいわけだよな。

 が、今野さんは少し目を離した隙に黒今野に変身を遂げていた。

 やべー。どっかに地雷があったらしい。

 石川さんっ。笑ってる場合じゃないですよっ。地雷踏み抜いてますよっ。

 それに信田さんが気がついたのか話題を逸らしてくれたので、俺も必死に話題を逸らす。

 場の空気も和やかになってきて、黒今野が灰色今野くらいになった。

 なのにっ。なのにっ。

「こんなにべったりなのに妙に二人ともあっさりしてんのが腑に落ちなくねえ? それともあれか、離れても平気とか根拠の無い自信があったりするのか?」

 はい。地雷踏み抜いたー!

 黒今野が戻ってまいりましたよ。

 笑っているけれど笑っていない。黒い笑みが石川さんへと向けられる。

 ああ。俺に対して黒くなってなくて良かった。

 ちょっぴり胸を撫で下ろす。

「僕が彼女を放置していくとでも? そんな事はありえないですよ」

 そう言って黒い笑みを浮かべると、散々金曜日に俺を黒い笑みで凍らせて黙らせたクセに、あっさりと結納の事を口にする。

 さりげなーく加山さんにボディタッチをして首筋を撫でるように指を走らせ、珍しくネックレスなんてしてるなと思っていたそれを引き出して婚約指輪を見せ付ける。

 見せ付けるでいいと思う。見せるっていうよりは、自分の意思を明確に知らしめる為に周囲に猛アピールしているように思う。

 加山さんは絶対に離すつもりはない。結婚の約束さえしているのだからと、この場にいる全員に強烈に植え付ける為に。

 更に付け加えられた、一緒に加山さんを連れて行かない理由。既成事実なんて作らない理由。

 それがウェディングドレスだ、白無垢だ、結婚式だって言うから、どれだけ加山さんラブなんだよと再認識させてもらった。

 さりげなーくノロケながら、なのに今野さんは冗談の中にも本音を交える。

「彼女を本当に幸せにしたいと思ったから、目先の事はほんの少し堪えることにしたんです。離れていても共通の目標があれば、一緒に頑張れますしね」

「……今野さん、すげぇ」

 思わず出た驚嘆の言葉は、意図して口にしたものじゃない。本当に自然と口から零れ出た。

 加山さんを心底幸せにしたいと願っていて、それは今だけのものではなく長い長い人生の先の先まで見越したようなものだったから、素直にすげえと思った。

 何が「逃げ道を無くすため」だよ。

 結納した本音はめちゃくちゃ加山さんの事を幸せにしたいからって事じゃないか。

 今野さんは加山さんのことを心から大切に思っていて、どうやったら幸せになれるかを模索している。

 だから短絡的に「一緒にいる」為の行動を取らない。

 すげえ愛情だ。

 愛情? 覚悟?

 なんにしても薄っぺらなものなんかじゃない。

「というわけで、あっさりはしてませんよ。寧ろ溺愛してますからご安心下さい」

「自分で言うなっ」

 即効課長がツッコミ、一斉に笑いが広がっていく。

 色々今野さんってすげぇ。

 自分で恥ずかしげもなく溺愛って言い切っちゃうのが、まずすげぇ。

 更に、石川さんに売られたケンカを買って、それを笑いに持っていきつつ、はっきり自己主張してきっちり勝つ。

 一緒にいられなくなって大丈夫か? って俺も思ってたけれど、今野さんの話を聞いたら納得せざるを得ない感じだし。

 むしろその方がいいんじゃないかって思うくらいで、子供作ってぐだぐだになし崩しになんてしない今野さんはカッコいいと思わされた。

 ちらっと見た石川さんは憮然とした表情でビールを飲んでいる。

 石川さんがどの程度本気で加山さんのことを狙ってたかしらないけれど、今野さんが加山さんを手放す事なんて無い。百戦錬磨の石川さんだって、今野さんには勝てるとは思えない。

 さりげなーく同期ゆえにか荒木さんも今野さんの援護射撃してるし。

 この祝福ムードを覆す事なんて容易じゃないだろう。

 それに何よりも、加山さん自身がそれを望まないだろう。加山さんは表立って感情を出す事は無いけれど、今野さん絡みの時だけは可愛くなるし。

 それだけ加山さんにとって今野さんが特別な存在だって事だ。

 けど、結納の事とか、それから異動の事とか本当はどう思ってるんだろうな。

 聞いてみたい。

 今野さんから聞いた話だけでは、加山さんがどう思っているかが全くわからない。

 でも興味本位で聞いたところで上手く交わされるだけだろう。昼間、異動のことを聞いた時のように。

 今野さんががっちりガードしてるから、声も掛けにくいしなあ。

 思案していると、上手い具合に信田さんが加山さんを俺のとこに誘導してくれる。

 あっざーーっす!!


 田島さん荒木さん寺内さん、それと俺で加山さんを囲む。

 話題は当然結婚の事だ。

 おめでたい話題に田島さんも荒木さんもキャーキャー言っていて、加山さんはいつもの能面じゃなくて、少し照れくさそうな顔で話を聞いている。

 嫉妬深くて加山さんを溺愛していると自分で言っちゃう今野さんが、果たして加山さんのドレス姿をお披露目してくれるかと荒木さんと寺内さんが心配している。

「いやいやいや。ここぞとばかりに見せびらかすと思いますよ。自分のものアピール出来る機会を今野さんが逃すとは思えませんっ。だから結婚式から披露宴、更には二次会まで呼んでくれると思いますよ。絶対に。ウェディングドレスに白無垢、それからお色直しのドレスに二次会用のドレスまで、ぜーんぶ見せびらかしてくれると思いますっ」

 俺が力説したのを、田島さんが大笑いした。

「そうかなー。他人に加山さんの笑顔見られるのすら嫌うのに?」

 荒木さんが疑問を投げかける。

 既に加山さんの顔は、火が噴き出しそうなくらい真っ赤になっている。

 恥ずかしさが臨界点に達しているようで、会話に口を挟む事は無い。

「いやいやいやー。普段と結婚式では話が違いますよ。名実ともに自分のものだと公言できるこの機会を、あの今野さんが利用しないわけが無いですよ」

 くすりと田島さんが笑った。

「一体どんなキャラだと思ってるの? 今野くんのこと」

「普通はですね、自分から彼女を溺愛してるなんて恥ずかしくって言えないじゃないですか。それを恥ずかしげもなく口に出し、飲み会の席であろうと手を繋いじゃったりするし、基本自分の隣にしか加山さんを座らせないし、どっからどう見ても恋に狂った男でしょ」

「恋に狂った男」

 復唱した荒木さんがぶほっと笑いを噴き出す。

「俺、自分の彼女にこんなベタベタしないですよ。寺内さんはどうですか?」

「しないだろうなあ。まして同じ社内にいるから、どっちかというと隠すだろうな」

「でしょっ! 会社では上手く隠してますけれど、それでも今野さんの好意は駄々漏れじゃないですか。終始一貫して加山さんラブを隠さないのが今野さんの凄いところです」

 力説していると、上座のほうから酒の追加注文の声が掛かる。

 一通り注文を聞いて追加を頼み、再び会話に混ざる。

 相変わらず加山さんは一言も声を発してない。ただただ真っ赤になって俯いている。

 ほっぺた、突っついてみたいな。どんな反応見せてくれるんだろう。

 --やだもー、野村さんったら何するんですかー。

 真っ赤な顔でそんな事言われたらもうっっ。

「やっ」

 へ?

 俺が妄想している間に、何があった?

 可愛らしい声を上げた加山さんを見下ろすと、煙草から戻ってきた今野さんがしゃがんで加山さんの頬を触っている。

「顔真っ赤。飲みすぎた?」

「飲みすぎてないよ。もー、びっくりした」

 そう言って顔を仰ぐ加山さんの隣をしっかり今野さんがキープする。

 あの、そこ、俺の席なんですが。

 って言っても無駄ですよね。言うまでも無く。

「何の話してたの?」

「……えっと。うーんと」

 自分から言い出すのは恥ずかしいのか、俺のことを上目遣いで加山さんが見上げてくる。

 ちょっ。破壊力ハンパないっす。

 直視できずに目を逸らした俺の横顔に突き刺さるのは、今野さんの痛い視線。

 俺、別に加山さん狙いじゃねえしっ。どんだけ嫉妬深いんだよ、今野さんっ!

「今野さんが加山さんを溺愛していて、恋に狂っているって話ですよ。んでもって、ラブラブアピール出来る結婚式どころか披露宴も二次会もきっと呼ばれるに違いないって話してたんです」

 田島さんの隣に座って、半ばやけっぱちに言ったのに、どこか今野さんは満足そうだ。

「よくわかってるね。野村」

「正解でしたか。ありがとうございます。加山さんウォッチャーの面目躍如ですね」

「ウォッチャーだったんだ、野村くん」

 荒木さんが笑う。もうこうなったら野となれ山となれ。

「ですよ。何せ加山さんの嫉妬深い彼氏が今野さんと知らなかった頃には、田島さんと賭けをしてたくらいですからね」

「ちょっと、野村くん」

 渋い顔で田島さんがストップを掛けるけれど、気にしない。空気は読まない。

「んで、ウォッチャー野村の出した結論は?」

 寺内さんが興味深いといった様子を隠そうともせず聞いてくる。

 結論? そんなものは決まっている。

「婚約おめでとうございます。とっとと結婚でも何でもして、加山さんと幸せになっちゃって下さい。ぶっちゃけ、目に毒ですから。あ、でも……」

「でも、何?」

 今野さんに問われる。

 視線を今野さんから加山さんに移すと、真っ赤な顔した加山さんと見つめあう感じになる。

 おっと、加山さんの背後から今野さんの殺気が……。どんだけ嫉妬深いんですか、今野さん。今知ったわけじゃないですが。

「加山さんってどのくらい今野さんのこと好きなんですか? 俺、今野さんが加山さん溺愛してるのはよくわかるんですけれど、加山さんがどのくらい今野さんのこと好きなのかイマイチわからなくて」

 半分本当で、半分嘘。

 加山さんの表情を変えられるのが今野さんだけって事を、ウォッチャーな俺は知っている。

 意地の悪い質問に、加山さんが目を逸らして今野さんを見つめる。

「えっと……」

 それだけでも十分に俺にはわかる。けど敢えて聞いてみたいような気がした。

 けれど口を開きかけた加山さんの手を今野さんが塞いだ。

「内緒。そんなのは僕だけが知ってればいいんです」

「結局今野の惚気タイムかよっ」

 寺内さんが笑って、荒木さんと田島さんも笑い出した。

 加山さんから手を離した今野さんは加山さんにしか向けない笑顔を浮かべ、そんな今野さんに加山さんも助かったという感じで話しかけている。

 はいはい、ごちそうさまでした。


 ふいに視線を感じる。

 その視線の先に目を向けると、信田さんと石川さんと目が合う。

 ふいっと視線を逸らしたのは石川さん。信田さんは曖昧な笑みを浮かべて俺に何かを言った。

 音を発しないその言葉が何故か「よくやった」と言ったように思えた。

 何でよくやったなんだ?

 わかんねえけど、まあいっか。

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