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Papagena  作者: 来生尚
続編:Long Island Iced Tea
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挿話:一番近くの傍観者・6

 今野さんって、本当に性格激しいなと思う。

 俺に対する挑戦? いやいや、挑まれるようなことしてないし。

 話だけ聞いていた「嫉妬深い彼氏」像と実在の今野さんが俺の中で上手く重なることがないんだけれど、その凄まじいまでの執着? 愛情? 牽制? には驚かされてばかりだ。

 例えばどんな事かと言うと、あー、非常に言いにくいんですけれど、マーキングが激しいんです。

 加山さん気付いてるのかな。気がついていないよな。今日なんて場所がうなじだし……。

 うなじと服の襟の境目。上から覗き込まないとわからないようなところ。

 首筋とか一見してすぐわかるところに無いけれど、何かの拍子に目に付くところにあるというか。

 ああっ。別に覗き込んでませんっ。本当ですっ。意識して覗いているわけじゃないんですっ。

 書類を渡す時とか、座っている加山さんを見下ろす形になってしまって。

 というわけで、鎖骨の辺りとか、まあ胸元とか。

 違うんですっ。見ようとして見てるわけじゃないんですっ。本当ですっ。だから絶対に誰にも言わないで下さいっ。

 そんなとこ見てるって知られたら、どんな事になるか。想像もしたくないです。

 でもわざとじゃないかなと思う。

 今日は加山さんがパソコン打つのに髪の毛が邪魔になったらしくて、バレッタでアップにしたからうなじが丸見えになったから見えたけれど。

 意図して見ようとしなくても、あれ? って感じで目に付くところにあるんだよね。毎回毎回。

 いや、毎日毎日が正しいか。

 何があるかって? そりゃまあ一言で言うなら、意図的に付けられた痣でしょ。

 一言になってない? じゃあズバっと。

 キスマーク。

 可愛い可愛いともてはやされる「草食系男子」の今野さんと、加山さんの体に付けられた痕とが一致しないんだよなぁ。

 ぶっちゃけ全く女に興味ありませんって言われても、ああそうなんだなと納得しちゃいそうな雰囲気の今野さん。

 その今野さんが狂ったように加山さんに痕付けまくってて、そんなに加山さんっていいんだろうか……。

 見えないなあ。

 そもそも加山さん自体、そういう行為なんて全くしなそうな雰囲気なんだよな。

 ロボットって石川さんは言うけれど、確かに仕事ぶりだけを見ていたらそういう感じだし、色気なんて皆無に近いし。その人が毎晩……毎晩か。すげえな。

 俺、そんなに無理だし。仕事で疲れてんのにやりたくない。

 酒飲んで帰った時とかやりたい時もあるけれど、毎日こんな痕つけまくっては無理だなあ。

 それほどのものを持っているのか、加山さんが。一度くらいためし……。

 いやいやいやいや。俺の脳、止まれっ。

 一瞬何か非常にヤバイものが頭を流れたけれど、消去しろ。

 その考えを持つこと自体、危険すぎる。

 ゴミ箱に入れただけでもダメだ、ゴミ箱を空にして痕跡さえ消せっ。

「ちょっと席外します」

「はい」

 隣の席の加山さんに声を掛け、書類を作りながらしていた妄想に一度ピリオドを打つ。

 もう加山さんは髪を下ろしている。良かった。まぢで。

 ポケットに入っている小銭をじゃらっと取り出しながら喫煙所に向かう。

 煙草を吸わないけれど、ここにしか自販機が無いからしょうがない。

 何を飲もうか考えながら喫煙所の扉を開けると、今野さんとばっちり目が合う。

「おつかれさま」

「お。お疲れさまです」

 妄想の片割れがここにいたっ。

 恐縮しながら自販機に小銭を入れてコーヒーを買う。

 缶のプルトップを開けて壁に寄りかかりながらコーヒーを飲む。

「今日飲み会やるらしいですけれど、今野さんはどうします?」

 何も会話をしないのも変に意識しすぎだし、当たり障りの無い会話を振る。

「行かない。予定があるから」

 さっくり切っていただき、ありがとうございます。

 会話が広がらないじゃないですかっ。

 何で今野さん、俺に対して若干辺りが強いんだろう。他の人にはもう少しフレンドリーなのに。

 俺が後輩だから? いや、俺の同期の三担のやつとかには普通だし。

「予定、デートですか?」

「いや。今日は彼女は実家に帰るから」

 んと? ちょっと話が見えないのですが。

 彼女=加山さんが実家に帰るからデートは出来ないという事でしょうか。

 俺、理解力ねえーっ。

 でも突っ込みいれる勇気も無い。よし、話を変えよう。

「じゃあ別件で用事があるんですね」

「そう。実家の両親がこっちに出てくるから、たまには一緒に食事でもしようかと思って」

 そこまで一文で言っていただけると、非常にわかりやすかったんですが。

「そうなんですね。今野さんのご両親ってどちらに住んでるんですか?」

「今は関西。野村は実家こっちだっけ?」

「俺ですか? 俺は東北です」

「そのわりに訛ってないね」

「今野さんだって全然訛って無いじゃないですか。関西弁で喋ってる今野さんなんて想像付きません」

 ははっと今野さんが笑い声を上げる。

 おおっ。和やかだ。場のムードが和やかだ。

「両親が転勤族でさ、大学の頃はこっちに住んでたんだ」

「へえそうなんですか。じゃあ久しぶりにご両親に会うんですね。今回ご両親はお仕事か何かでこちらに?」

 にやりと今野さんが笑った。

 あの、いきなり豹変されると怖いんですが。

 どうしてそこで黒今野になるんですか。

「いや。僕が無理行って来て貰うんだ。妹夫婦にも」

「そうなんですか」

 ぐびっと音を立ててコーヒーを流し込んだ。

 一拍置いたものの、今野さんの話の続きを聞かなくてはならないらしい雰囲気をひしひしと感じる。

「どうしてまた?」

 こう聞いて欲しかったんですよね。わかります。

 すみません、すぐに切り出さなくって。俺、空気読めない人間なんです。

「結納するから」

「はいー!?」

 声が裏返ったのは意識的にではない。本気で目が飛び出るかと思った。

「まぢですかっ!!」

「うん。マジだよ」

 今野さんはにっこりと微笑む。黒今野の雰囲気のまま。

「おっ、おめでとうございますっ! その話題今日飲み会で話しちゃいますよっ」

「……野村」

 一気に今野さんの声が冷ややかなものになる。

「わかりました。黙ってます」

 さすがにこの場合の空気は読んだ。

 俺の返答に納得したのか、今野さんの空気が和らぐ。

「でも本当にするんですか?」

 結納をとは口に出来なかった。それに言わなくても今野さんに伝わるだろう。今野さんは空気の読める人だ。

「するよ。何で?」

「そんなに早く結婚とか決められるもんですか」

 一瞬の間の後、今野さんが動いた。

 煙草を揉み消し、小銭を自販機に入れて缶コーヒーを買った。

 缶を開け、今野さんは煙草を吸っていた場所へと戻る。

「野村は今の彼女と付き合ってどのくらい?」

「……大学の時からですから、三年くらいですかね」

「結婚とか考えない?」

「今のところは。別に結婚しなくても一緒に住んでますし、結婚しなくてはいけない理由も無いですから」

「なるほど。人によって考え方は色々だよね」

 じゃあ今野さんはどうして結婚しようと思ったんだろう。

 純粋な興味が沸いてくる。

 今の俺には結婚なんて全然考えられない。イメージすら沸かない。

「どうして今野さんは結婚しようと思ったんですか?」

「色々理由はあるけれど、野村が言うように嫉妬深いからじゃないかな」

「……えっと、どういうことでしょうか」

 なんか上手くはぐらかされたような気がして聞き返すと、黒今野が微笑んだ。

「逃げ道をなくすためじゃない?」

 あのっ疑問系で聞かれても困りますからっ。

 しかも逃げ道を無くすってのは加山さんのって事でしょうかっ。

 どんだけ独占欲強いんですか、今野さんっ。

「……冗談ですよね?」

 それが結婚しようと思った理由だなんて。

 お願いだから冗談だと言ってください、今野さん。

 もっとこう、生涯を共にする覚悟が出来たからとかそういうかっこいいこと言わないんですか、今野さん。

「野村さん、受付にお客様がお見えです」

 今野さんの返答を聞く前に、加山さんが喫煙所の扉を開けて俺に声を掛ける。

「お客さん?」

「H社の方がお見えになっています」

「わかりました」

 俺との一通りの会話が終わると、加山さんの視線が俺から今野さんへと移る。

「飲んでく?」

 今野さんがさほど飲んでいないであろう缶コーヒーを持ち上げる。

 もう黒今野の気配は微塵も無い。

 加山さんを見る目は、本当に柔らかくて俺から見ても愛情に満ち溢れている。

 本当は愛情が溢れまくってるから結婚しようと思ったのかもしれない。今野さんの雰囲気にそう思った。

「……少しだけなら大丈夫でしょうか」

「大丈夫じゃないですか? だって野村を呼びに来たんですよね」

 なるべく社内で一緒にいないようにと配慮している二人は、というよりも主に加山さんが周囲をきょろきょろと見回している。

「じゃあ、少しだけ」

 言いながら加山さんは喫煙所の中に入ってくる。

 今野さんとは距離を置いて、間に俺を挟んだままというなんとも生き地獄なこの場面(今野さんのお前邪魔だの空気が顔の左側に突き刺さってます)

 強引にコーヒーを飲み干して、ゴミ箱に缶を投げ入れる。

「お先ですっ」

 大慌てで喫煙所を出て振り返ると、今野さんがまさに蕩けるような笑顔で加山さんに話しかけている。

 あれはお局じゃなくたって、誰もが絶対に今野さんは加山さんが好きなのだろうと思うだろう。

 婚約して結婚したら、誰も二人のことを責めたりしなくなるだろう。

 早くそうなればいい。加山さんが泣かなくてすむように。

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