挿話:一番近くの傍観者・5
今野さんは加山さんにベタ惚れである。
これは紛うことなき事実である。今この場にいる誰もが認めている。
今野さんの膝を枕にして眠る加山さんは幸せそうだ。
間違っても加山さんの枕にならなくて良かった。もし今野さんが来たときに俺が枕になってたら……。
想像するまでもなく、ヤバイ。
色々な意味を籠めて信田さんが止めてくれたのだろう。
ありがとうございます。
心の中で感謝の言葉を述べる。
今でこそにこやかに笑っているけれど、さっきまで本当に怖かったし、今野さん。
酒を飲みおつまみをつまみながらも、会話の合間にも、眠る加山さんへと視線を落とす。
そこまで加山さんに執着する理由がわからないけれど、荒木さんいわく「溺愛してる」らしい。
色ボケババアを筆頭に、社内には今野さんを本気で狙っている人はいるだろう。
事実、社内で付き合っている人がいるとか過去に噂になったこともあったし。
歩いていれば、道行く女性にナンパされたなんていう話も聞いた事がある。
常に違う彼女を連れて、その誰とも長続きしないのが今野さんだ。
そんな人がどうして加山さんなんだろう。
仕事は出来るし、パソコンに詳しいし、ビジネスマナーも完璧。真面目で律儀。
俺から言わせれば「面白みのない人」だ。
堅苦しくて少々気詰まりしそうなタイプ。お酒を飲んだ時くらいかな、とっつきやすいのは。それ以外の時は、怖すぎて近寄れない。
俺の知らない加山さんの一面があって、今野さんはそこに惚れたのだろうか。
考えても答えは出てこない。
わかるのは、触らぬ神に祟りなしってことだ。
とにかく加山さん絡みの今野さんはあちこち地雷が埋まっているから、適度な距離を保つ事を忘れてはならない。
妙な突っ込みをいれてはならない。
注意深く今野さんの様子を見守っていると、微動だにしなかった加山さんが今野さんの手の動きに反応する。
嬉しそうに微笑んで今野さんの手に頬を摺り寄せる姿は可愛い。
寝顔が無邪気で、思わず頬が緩む。
やっぱり可愛いな、加山さんは。
はっ。どこからか視線を感じる。しまった今野さんだ。
慌てて田島さんに話を振り、俺に向けられた今野さんの注意を逸らす。
しかし一度身じろぎをした加山さんは目が覚めたようで、少し体を起こして、とろんとした目を今野さんへと向ける。
「帰るよ」
柔らかな声と慈しむような笑み。
今野さんが加山さんに声を掛けたことによって、この場の全員の視線が加山さんへと向けられる。
ざわついていた部屋の中が、一気にしーんと静まり返る。
「よく寝られた?」
「んー。うん。でもまだ眠い」
寝ぼけているのか、ここが居酒屋だとは気がついていないようだ。
しきりに目をこすり、再び今野さんに凭れ掛かろうとする。
両手で今野さんは加山さんの体を支え、くすくすっと笑みを漏らす。
「はいはい。今度はちゃんと布団で寝て」
「うーん」
一向に加山さんの頭は冷め切らない。
目も、どこを見ているのかわからないような。もしかしたら、閉じているのと何ら変わらない状態なのかもしれない。
普段の加山さんからは想像もつかないほどの寝起きの悪さだ。
「あとね、一つ言っとくけど、ここ居酒屋だからね」
今野さんがそう言った瞬間、かっと加山さんが目を見開いた。
おおっ。背中が真っ直ぐになった。いつもの加山さんだ。
「きゃーっ!」
一体ここをどこだと思っていたのだろう。
思いっきり叫び声を上げて、慌てて真っ赤な顔のまま口を両手で塞ぐけれど、時既に遅し。
座敷の中は爆笑に包まれる。
慌てて周囲を見回したりしているけれど、未だに今野さんの腕を掴んでいることには気がついていないようだ。
「良かったわね、嫉妬深い彼氏が迎えに来てくれて」
さらっと言った出水さんの言葉で改めて気がついたのか、ぱっとその手を離す。
「あ……あの、ええっと、その。えー?」
まるで状況説明を求めるかのように今野さんを見上げるが、今野さんは加山さんに説明するつもりは無いらしい。
いつもどおりの笑顔に戻って、なんだかんだと世話を焼きながら加山さんを連れ帰ってしまう。
折角起きたんだから、もうちょっと飲んでいけばいいのに。今野さんも加山さんも。
加山さんの事からかいたかったなあ。
「ねえ」
田島さんがテーブルの向こう側から声を掛けてくる。
「追加ですか?」
田島さんのグラスが無くなりかけていたので聞いたのに「違う違う」と笑われる。
「観察の結果、こういう結論に達するって考えた事あった?」
多分加山さんのことだろう。
田島さんとは加山さんの彼氏ネタで色々な予想をしたりしていた。
仮に今野さんと石川さんとで奪い合った場合、どちらに軍配が上がるのかなどまで。
「んー。無かったですねぇ。でもまああれですね。事実を穿った目線を除いて考えてみると、この結果は納得できると思いますよ」
「ふーん?」
「俺は大前提として外に彼氏がいると思い込んでいたんです。だから今野さんと加山さんが親しげでも、今野さんは報われないなくらいに思っていたんです」
少しだけ田島さんが顔を険しくした。
何か変なことを言っただろうか。
「じゃあ、最初から二人が付き合っていると思っていたら、誤解しなかった?」
うーん、どうだろう。
最初から二人が付き合っていると思っていたら……。
しばらく考えて、一つの結論にたどり着く。
「誤解しようがないですね。加山さんの態度はともかくとして、今野さんの態度はわかりやすか……あっ」
言ってから、くっさい香水の臭いが急に記憶の底から引っ張り出されて、ここにいないはずなのに鼻をくすぐる。
だからか。
だから、あのババアは「加山さんが今野さんを誘惑した」と結論付けたのか。
ババアの脳内では、誰がどう思おうとも可愛いりょーちゃんは自分のものだ(オエ)
そこに降って沸いたりょーちゃんの背信(と思い込んだはずだ)
可愛いりょーちゃんを奪った憎き相手が加山さん。
だから殴打したり、事実に背いた噂を流して加山さんを会社に居辛くしようとしたのだろう。
あの加山さんの様子から察するに、仮に今日飲み会でフォローしてあげなかったら、かなり精神的に追い詰められた状態で月曜日出勤する事になっていたんじゃないか。
「……やっぱり、そうだよね」
田島さんの声はいつもよりずっとか細いものだった。
加山さんの心配をしている? けれどそれだけでは無いような気もする。
声を掛けようか悩んでいると、ぱっと田島さんの表情がいつものものに変わる。気のせいだったのかな。
「じゃあさ、私達はどうして今野くんと石川さんのどっちが加山さんを落とすかなんて話になったんだろうね」
んー!?
すっかり忘れてたっ。
そうだそうだ。
今野さんだけじゃない。石川さんだって加山さん狙いってことで俺たちの間では結論付けられていたはずだ。
単純に「ゆう」って名前で呼んでいたからっていうのもあるだろう。
それと、こいつの事を俺は知っている的な思わせぶりな態度を取っていたし。
でも決定的な何かがあったわけじゃない。ただ「ああ、そうなんだな」って自然に思ったとしか答えようがない。
今野さんとは全く違う意味で、石川さんは女性を惹き付けて止まない魅力がある(らしい)
例えるならば、今野さんは薔薇。勝手に蜂(女性)が寄ってきて、振り払いはしない。今は加山さんがいるから全力で叩き落しそうだけれど。
石川さんは食虫植物。自ら食う為の罠を貼っている。あらゆる女性をその気にさせて、社内にも何人ものセフレがいるらしい。
その罠に加山さんは掛からなかった。むしろ薔薇に絡め取られた。
今野さんと加山さんが付き合っている事を、石川さんは知っていたはずだ。
少なくとも、今日も面子で知らなかったのは俺と田島さんだけだ。
じゃあどうして?
石川さんは加山さんが今野さんの「彼女」であると知っていた。それなのに俺や田島さんには加山さん狙いだと思うような態度を取っていた。
「まさか」
結構マジで石川さんって加山さんのこと好きだった? 今野さんから奪いたいと思うほどに?
自分で出した結論に「ありえねえだろ」と呟いた。
田島さんが不思議そうな顔で俺を見たので、慌てて作り笑いを作る。
「基本面倒見がいい人で、異動してきた加山さんを構っていたから勘違いしたのかもしれないですね」
多分そうだろう。
あの石川さんが女にマジになるなんてありえないから。
「私も同じ時期に異動になってるんだけれどね」
「田島さんのことだって、めっちゃ面倒見てるじゃないですかっ。営業ずっと一緒に回ってたし、本来村田さんが指導にあたる部分も石川さんが受け持ったりしてたし」
「わかってないな。野村くんは」
自分の出した二番目の結論にのっとって答えたのに、田島さんは苦笑を浮かべるだけだ。
何を? と聞きたかったけれど、田島さんは席を移ってしまって、結局俺が何をわかっていないのかを知ることは無かった。




